2009-05-16



川端裕人さん

川端裕人さんは、作家でノンフィクションライターです。自然に関する作品に定評があり、最近は子育て関連の本もたくさん出されています。新型インフルエンザが日本国内に侵入した今、疫学はどのように私たちを守るのかを描く川端さんの作品「エピデミック」は手に汗握る興奮を味わえます。川端さんのデビュー作である「夏のロケット」を読んで以来、川端さんは私の気になる作家のリストに入っています。

その川端さんは、お子様の小学校のPTA役員をされたことがきっかけで、「PTA再活用論」という本を出版され、さらには「PTA進化論」という新聞連載を執筆されました。

先日、川端さんからメールが届きました。新聞連載記事「PTA進化論」を、興味のありそうな周りの人に転送、回覧してもらえないか、ということでした。というわけで、岐阜物理サークルで紹介するだけでなく、このサイトでも紹介することにします。次の項目は、川端さんからのメールに添付されていた「PTA進化論」の連載記事全文です。

PTA進化論

PTA進化論①

PTAは名前は有名なのに実質が見えないといわれる。外からでは活動内容がわからないし、中に入っても、毎年申し送られる種々の行事、事業に忙殺され、全体像はなかなかつかめない。誰にとっても謎多き団体だ。

ぼくは自分自身の実体験や取材を通して、今のPTAが大きな問題を抱えていると感じている。日本全国で1000万人以上が活動に携わっており、常に会員は入れ替わるため、関係者・経験者の数は膨大だ。もしそのありように問題があるなら、PTAだけではなく、われわれの社会全体の問題ととらえた方がいい。

目下、多くのPTAが直面している課題は役員選びの困難、事業のマンネリ化、会員の参画意識の低下・・・などなど。これらはPTAの連合体、日本PTA全国協議会が2007年の全国大会で話題にしたもので、ぼくの認識とも合う。

役員決めの苦労を例にとれば、誰もが下を向き黙り込む「無言地獄」や、気の弱いお母さんを「陥れて」役員にしてしまうことは目に余る。保護者、特に母親は悲鳴を上げている。

ただ、最大の問題は別のところにある。思考実験してみよう。あるボランティア団体がマンネリ化し、会員の意識も低く、役員のなり手もいなかったとする。その団体はたぶん「解散」も視野に入れて検討するだろう。

ところがPTAではそれができない。本来の任意の組織ではなく、存続させること自体が義務と化す。意欲ある者が改革を志してもマイナーチェンジが関の山。多くの会員が悩ましく感じ、時に悲鳴を上げながらもPTAは変わらない。属する共同体に「何も言えない」「従うのが身のため」といったあきらめを刷り込まれた市民を、まさにPTAが量産しているのではないかとすら思う。

そうならないためには何が必要か。保護者と教師の共同体として正常に機能し、子どもの豊かな育ちと学びに貢献するにはどうすればいいのか。手だてを考えたい。

PTA進化論②

PTAにかかわるようになって「アンテナ」が鋭敏になっているらしく、喫茶店や電車で隣合わせた「お母さん」たちの会話につい聞き耳を立ててしまう。「役員になって・・・もう死にそう」とか「校長があれやれ、これやれってうざい」とか、さまざまな愚痴を聞く機会はしょっちゅうだ。

PTAの未来形を考えるためには、まず現実を見据える必要がある。偶然耳にする会話にも頻出する最大の問題の一つは「負担の大きさ」だ。

ぼく自身の体験を述べる。2007年度、東京都世田谷区の小学校PTAで本部役員(副会長)を努めた際、年間の「出勤」日数は166日、会議などでの拘束時間は400時間を越えた。自宅での連絡事務や、書類仕事を含めれば600時間に迫っただろう。PTAは「子どものため」を掲げるが、役員ってしばしば自分の子どもを犠牲にしなければばらないのだなあ、という水準の負担だった。

この数字を拙著「PTA再活用論」で紹介したところ、「うちもそれくらい」という経験者の反応が多かった。日本PTA全国協議会の大会などでも負担の大きさが話題になることはしばしばあって、今の保護者の一般的「キャパ」を超えていると思っていい。

何がそんなに忙しいのか。役員の仕事は、まずは会の事務局だ。総会や運営委員会を開いて活動のかじを取る。それだけでかなり手間なのだが、学校の支援組織を期待され、郡市区などでつくる連合体の仕事や、地域との連携などが入ってくると、自分たちの都合ではどうにもならず「振り回される」ことになる。これを「学校(教育委員会・地域)の嫁」と、やゆする人もいる。

自主的に立ち上げた会に自発的に参加した会員のはずが、意思にかかわらずあらかじめ決まった行政的地域枠組みで活動しなければならない仕組みが出来上がってしまっている。それが「子どものため」かどうかも確信が持てないこともしばしばだ。役員の数百時間の労働は、まさにその象徴と思える。


PTA進化論③

PTAは社会教育法でいう社会教育関係団体で、入退会は自由だ。その点、ボーイスカウトや、各種の生涯学習団体などと変わらない。

でも、大多数のPTAは保護者を自動入会させ、「入らない」選択肢はない。入会届けで意思を問うPTAでも、「入らない」に○をつけようものなら、役員や担任教師による説得が始まる。担任に「日本は集団で動く社会だから」と言われて入会した知人もいる。

というわけで、ほとんどの保護者がPTA会員になる。逃げ場はない。前回みたような「負担」の現実が重なると、どうなるか。役員選びがとんでもなく難しくなる。

理想的な方法は、立候補者がたくさんいて、選挙管理委員会が厳正な選挙を行う、というものだろう。しかし、この方式が成り立った例を聞いたことがない。

そこで「推薦方式」やら「話し合い」方式が取られるが、一長一短だ。「推薦」の場合、本人の意思にかかわらず票が集まってしまい、泣く泣く役員になる人が出る。話し合いの場合、誰も口をきかず延々5時間!などという非生産的な会議になったり、気の弱いお母さんが周囲の圧力に負けて手を上げたり・・。いずれにしても悲惨で、人権問題の域に達することもあると感じてきた。

ポイント制なるものを考案し、実施しているPTAもあるが、これまた悩ましい。活動の負担に応じ点を決め、子どもの卒業までに集める点数を設定する。当初は役員選びがスムーズになる効果があるようだが、そのうち「やっぱりやらない人はやらない」とか「ポイント稼ぎのために引き受けて、何もしない」など不平が聞こえてくる。

「やらない人」に圧力をかけるため、保護者用の名札に、目標達成者は金、半分達成者は銀のシールを張ろうと検討したPTAを知っている。

ここまで役員選びに苦労しつつもやめられないわけで、「会員のためのPTA」ではなく「PTAのための会員」と言われても仕方がない状況だ。

PTA進化論④

PTAが抱える問題を語りだすと切りがない。いくらだって言葉を尽くせる。でも、ちゃんと伝わるか不安だ。経験者ならともかく、非経験者はちんぷんかんぷんなのではないか・・・。最近、その「不安」の理由がストンと腑に落ちた。

PTA会長経験者の女性が、現役会員への助言としてこんなことを述べた。「もし、つらくてもダンナには愚痴らないこと。『そんなにつらいのなら、やめれば』と言われるのがおちだから」

ああなるほどと、ぼくはうなずいた。母親が参加することが多いPTA活動に、父親は無関心であることが多い。「つらければやめれば」で済むくらいの軽いものととらえている。男性中心の主流社会とでもいうべきものの中に、「PTA」とう単語は本当に辞書的な意味くらいでしか存在しないようだ。一方で学齢期の子を持つ母親にとって、しばしばPTAは有無を言わせず立ちはだかる大きな壁ともなる。

PTAというのは、つくづく非主流的で、周辺的な存在だ。教育にかかわる団体なのに、教育学的な場でPTAそのものを主題にした研究、論考がどれだけあるだろう。社会教育関係団体としてのPTAは、会員(保護者と教師)が互いに学びあう「生涯学習」団体なのに、その側面が言及されることはまれだ。いや、日本という島国で母親だけが「強制」される、公に組織化された通過儀礼として文化人類学的な考察も必要かも・・・。

あまりに巨大すぎて、あまりに日常的すぎて、空気のように透明になってしまい、誰にも全体像が見えない。なのに母親にとっては巨大な壁でもある。なんと面妖なところにPTAは位置していることか。この連載では問題点を強調してきたけれど、PTA非経験者にとっては空回りした議論に見えたかもしれない。

本当に問題なのは、PTAが持っている意義も矛盾も、空気のように見えなくなっていることだと気づかされる。今、語る言葉を持たねばならないとつくづく思うのだ。


PTA進化論⑤

「結局、PTAって何をしている団体なわけ?」と非経験者に問われる。いろいろな側面があって、一言では表現しがたいのだけれど、できるだけ簡潔にまとめてみる。

ここで言うPTAは、個々の学校で活動する親と教師の会をさ指している。自治体単位の連合体や、日本全体の連合組織も外から見るとやはり「PTA」であり、メディアでも混同されているが、単にPTAと言った場合、学校単位のものだ。

戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の指導のもと文部省が旗を振って、各地で「自発的に」組織された。設立趣旨には、児童の健全育成だけではなく、親と教師が互いに学びあう生涯学習団体としての要素も入っている。しかし、現実的には「児童のため」の活動を中心にしてきた。

当初、特に重視されたのは子どもたちの栄養・環境面での配慮だ。「PTAなくして学校給食なし」とも言われたと聞く。

21世紀の現在、力点はむしろ「安全・安心」に移っている観がある。どんなPTAにも「校外委員会」的なものがあって、通学路や遊び場の安全に心を砕いている。PTAのみでは実効性に乏しいこともあり、地域住民との連携も奨励されている。情報面では警察から、若干の資金援助を自治体から受けることもあり、「子どもを守る」ことにおいて、大きな役割を期待されている。

とはいえ、今も昔も一貫して、PTAの中心機能とでも言える活動が別にある。「学級PTA」だ。今の学校では通常、学校主催の保護者会と一緒に学級PTAが行われるので、明確に意識されにくくなっている。けれど、クラス単位で保護者と教師が話し合い、クラスの問題、家庭教育上の問題など、意見を出し合えるような場があれば、クラスは「強く」なる。

話し合いを通じて互いに理解し、信頼し合う大人たちの存在が、子どもたちに良い影響を与えないはずがない。時代を超えて存在するPTAの普遍的な価値とは、まさにその部分にあると考えている。

PTA進化論⑥

PTAの一番大事な機能は学級PTAだと書いた。クラス単位で保護者と教師が学級運営上の、あるいは家庭教育上の課題を話し合い、信頼を醸成する。保護者・教師の「共同体」と言ってよい。

先日、「共同体」の力を感じさせられる事件が、まさにぼく自身の体験として起きた。息子が学校で指を骨折する事故に遭った。クラスの男子が悪ふざけで息子の背中に飛びついたところ、面白がったほかの男子も次々と飛び乗った。一番下になった息子は、もがく中で何かに指をぶつけた、とのこと。担任と養護教諭が医院へ連れて行き、ぼくもすぐに合流した。

単なる悪ふざけも、一歩踏み外すと場合によっては生命にかかわることもある。先生も相当肝を冷やしたようで、謝罪とともに「加害側」の子たちを特定してきちんと指導すると明言した。

翌日から、特定された子たちが母親に付き添われてたずねてきた。既に学校で厳しく指導され、家でもしかられた後だ。ぐしゃぐしゃに泣いている子もいた。息子とは、学校で「手打ち」となっているので、むしろ親への謝罪というニュアンス。

これが笑ってしまうほど知っている子ばかりなのだ。それぞれ個性豊かで息子の生活世界を「成長の場」にふさわしいものにしてくれている子ら。お母さんもPTA活動を通して顔見知りで、信頼関係にある人ばかり。

「危ないと思ったなら、やめるのが勇気」「そういう勇気を持ってるやつのほうが格好いい」と諭すことができた。担任にも、最近乱れがちなクラスが締まる方向に持っていく機会としてほしいとお願いすることもできた。

「加害側」の子も親もまったく知らなかったとしたら・・と想像するとぞっとする。息子の心身のケアを済ませ一段落した後も、本人はけろりとしているのに、ぼくの方がむしろ「根に持った」かもしれない。「野蛮な子がたくさんいるところに通わせたくない!」とか。

普段からのコミュニケーションで回避できたわけで、こういう時の「共同体」の意義を再確認したのだった。

PTA進化論⑦

PTAは母親にとって避けられない「通過儀礼」だ。文化人類学的考察が必要かもと以前は書いた。先日、国立歴史民族博物館の研究史(2006年3月号)に掲載された論文「国家の装置としてのPTA」を知った。筆者の岩竹氏は民族学者で、学齢期の子を持つ母でもある。

中心的な問題意識はタイトルにあるように、今のPTAは国家が扱いやすい「国民」の生産装置として機能しているのではないかという懸念だ。

なぜか。PTAはほとんどの場で従属的だ。主体的な事業より、学校、教育委員会、自治体、警察、地域などで組織される事業や会議に組み込まれることが多い。会員はPTAに入るだけで受身の役割の中に投げ込まれ、ならされていく・・・。

たとえば効果に確信がないまま自治体・警察の支援を受けて続けるPTAパトロールは
「目的や意味はよくわからず、強制する力がなければしないだろうことを逆らわずにする訓練」「人がどういう態度で、強制されている行為をしているか学ぶ機会」と氏の目には映る。

最近よく語られる「地域との連携」についても、リベラルな市民を敵視し、「道徳的共同体としての地域の靭帯強化」を目指していると指摘。英語圏で議論される共同体主義が自立した個人を前提としているのに対し、日本型の地域主義ではむしろ共同体の側に大きく振れて、従順な「国民」生産装置となりうるという。「行き過ぎた個人主義」に対する嫌悪を語り、地域の再構築を目指す言説には、確かにそのような”香り”をぼくも感じる。

論文の結語は「PTAと関わり続ける保護者に力を与えられるような結びとしたいのだがむずかしい」と悲観的だ。「枠組みの中での変革は微小なものにとどまり、結果的に現状維持につながる。むしろ、PTAという制度そのものに穴をあけ、揺るがすべきだ」とも。

岩竹氏の説が的を射ているとすれば・・・どんなふうに穴を開けるのか、PTAにかかわる者の課題だ。


PTA進化論⑧

PTAをいかに変えるかという点でぼくが強くこだわっているのが、強制加入の問題だ。ほとんどのPTAでは十分な説明もせず、新入生保護者を自動的に会員にする。入居届を受理して会員とすることもあるが、「入会しない」に○を付けようものなら、役員や担任が説得にかかる。これでは「強制加入」と言われても仕方ない。

低学年の保護者は、おかしいと感じることが多い。けれど、そのうちに誰もが現状に慣れる。所与のものとして、強制だろうが、波風立てずにやるのが当たり前になる。

これが非常にまずいと思うのだ。常時1,000万人以上がかかわる活動で、保護者が「強制されることを無理に納得する回路」を発達させていくのだとしたら、われわれの社会は後々どんな方向に進んでいくのだろう。

PTAは本来の社会教育関係団体として、「入退会は自由」と自ら述べるべきだ。入会しない人、退会者が出てもいい。いや、むしろ望ましい。団体に所属するか決めるのは当然の権利だし、元来すべての人が賛同できる団体などあり得ない。

このことを徹底するだけで、PTAは変わりうる。「PTAのための会員」ではなく「会員のためのPTA」だと自覚できる。「え?PTAは子どものためなのでは?」という人には、「何が子どものためになるか」議論し大人が考えを深めていくところから始まるのがPTAであって、保護者自身の成長を子どもに還元するのが本来の発想だと指摘しておく。

入会者が極端に減ると、行政に相手にしてもらえなくなる可能性もあるが、何年に一度あるかわからない積極的な要望のために無理な組織を維持するのもばかげている。
むしろ、個別の問題に対して、賛同する保護者がその都度ネットワークをつくり、活動する方がずっと自然だ。保護者同士の風通しのよい共同体が普段から成立していれば、難しいことではない。

自由な入退会の徹底、PTAの進化形には外せない条件だ。

PTA進化論⑨

PTAは自由に入退会できると周知すべきだと言うと「PTAが壊れる」と恐れる人がいる。確かに、もしPTAがなくなったらというのは、考えてみるべきテーマだ。

「PTA再活用論」を書いた時点では知らなかったのだが、PTAを廃した学校が、比較的近所にあった。西東京市立けやき小学校。2001年、学校統合で創立した際の副校長で、その後校長として都合7年間、管理職だった児玉健二氏によれば、統合した際、既存のPTAの存続について「保護者からの希望も少なく、学校としても求めなかった」そうだ。

PTAが消えて、何か問題はあったのか。特に不都合はありませんでした」と児玉氏。
「保護者に協力をお願いしたいときは担任を通じて呼び掛けるんです。本当に必要なことなら保護者は動いてくれるものですよ」

なるほど、そりゃそうだ。目からうろこが落ちるような回答だった。

学校にとっては問題なくとも、保護者にとってはどうか。まず「役員決めの壮絶なストレスから解放される」のは何はともあれ巨大なメリット。一方で「保護者同士が顔見知りになり、教員との信頼関係を醸成する」PTAの基本が損なわれることはないだろうか。

児玉氏の回答は楽観的なものだった。「PTAはなくても、保護者は自発的にクラスごとの集まりを持っていました。担任と話し合ったり、授業の補助に入ったり・・・。保護者間や教員とのコミュニケーションが悪くなることはなかったですね」

以前、PTAでの信頼関係があったがゆえに、学校での事故をむしろ学びの機会にできた自分の体験を述べた。考えてみれば、あれはPTAである必然性はないのだ。

児玉氏は最後にこう締めくくった。「無理に束ねると教員も保護者も自立できないんです。PTAがないがゆえに、それぞれ立場の違う大人として向き合える、ということもあります」

なんとも含蓄のある言葉。今のままのPTAは「進化」が必要だとますます思うのだ。


PTA進化論⑩

PTAでは、会員が「自分の意思」で行動することがなかなか難しい。自覚しないまま入会する場合がほとんどだし、どうせやるならと無理に前向きになったり、役から逃げ回ったり・・・。そんな事例がいかに多いことか。

PTAのない学校の元校長が「保護者も教員も自立できた」と言ったとき、まず考えたのは多くのPTAが陥っている現状の深刻さだった。何しろ日本PTA全国協議会の分科会が「嫌々やるPTAから卒業しよう」というキャッチフレーズを掲げ、役員決めの困難や事業のマンネリ化を問題にするくらいなのだ。「子どものため」を掲げつつ、実際ためになっているかどうか検証もせずに前例を踏襲し続けるなら、むしろ有害にもなりうる。

なら、どう「進化」すべきなのか。すでに手本となるべき事例がある。

東京都江戸川区では、「ボランティア制度」を取り入れるPTAが増えている。PTAに学級委員会だけを残して、後の業務はボランティアとして募集する。もともと、PTA活動はボランティアなのだが、実際にはそうなっていない。あえて言葉にすることで、原点に立ち返ろうとする。

横浜市のある小学校PTAでは、校内委員会と校外委員会以外の活動を「サークル」と位置付けた。広報誌は広報サークルが出す。人員が集まらない年には、広報誌は出ないが、それはそれでよしとする・・・等等。

共通するのは、PTAの業務を自発意思に任せる軽やかさだ。「自分の意思」で参加できるし、人員が集まらない業務には無理がある見直すこともできる。陥りがちな「こうでなければならない」というしがらみから解放される道が開ける。

刻一刻と変わっていく時代の中で、変われない組織などいらない。「PTAがないから自立できた」保護者組織や、自発意思に期待する方向にかじを取ったPTAの存在に、勇気づけられる。

PTA進化論⑪

もし、ゼロから考え直すなら、ぼくは今のようなPTAは構想しない。最低限、学級単位の保護者ネットワークがあればよい。保護者と教師のつながりは子どもを介して切れることはないから、一番大事な学級PTA的な機能は果たしうる。

けれど、現実にはPTAは確固とした存在だ。ぼく自身会員であって「現状をどう変えうるか」か考えている。だから、今より望ましいPTAの進化形について、いくつかの要素を述べてきた。まとめるとー。

まずは、自由な入退会を保障すること。これなしにはPTAは「正常」な団体になれない。さらに「クラスから○人という形で召集する委員会を廃し、業務をボランティアとする」「PTAそのものをサークルとしてとらえ、保護者の主体性に任せる」といったことを取り込めればなおよい。その上で「子どもの育ちと学びに貢献しつつ、自らも学び成長する大人の活動」としてのPTAを実現したい。拙著「PTA再活用論」で描出したのは、そんな夢だった。

現段階では絵に描いたもちだ。各要素は既に実績があるとはいえ、地域によりPTAの置かれた状況は微妙に違い、変われない事情は数多い。

ぼくの地元、東京都世田谷区も変わりにくい地域だ。最大の理由は「PTAが外部から大いに当てにされている」から。

64の区立小PTAが連絡協議会(P連)に束ねられ、教育委員会や校長会と密接な関係にある。PTA役員になり、輪番でP連の役が来ると、主要業務が自分のPTAよりP連であるかのような逆転現象も起きる。

交通安全・防犯で警察から、防犯で区の担当部署からアプローチがあるし、自校・他校の学校協議会、児童館や学童保育の連絡協議会・・・。PTAが保護者の窓口として縦割り行政の中に別々に組み込まれている。正直、きつい。子どもにとって、保護者にとって、何が大切か優先順位を付けた上で、関係各所の理解を求めることから始めるべきなのだろうか。


PTA進化論⑫

「PTA再活用論」を出版し、この連載を続ける中で、各地の現役会員から連絡をいただいた。紙やブログへの書き込みで、ぼくの意見に鋭く反応してくれたのは、熱心さゆえにジレンマを抱えている人たちだった。

西日本でPTA会長を務めるAさんは、組織が硬直化し身動きが取れない現状に憤慨する。「P連(PTA連絡協議会)広報を担当したが、題字のロゴを変えるだけで横やりが入る。内容を工夫しても例年通りにと言われる。子どもの幸せと関係ないところで、あれだけの時間と労力を吸い取られるなんて」。AさんはPTAは本当に必要なのか日々悩んでいる。同時になくしたらどうなるか怖いとも訴える。

東北でPTA役員を続けるBさんは多くなった委員会を廃止し、ボランティア的組織に置き換えた。「わが意を得たり」と思える改革だ。しかし、ぼくが主張する「任意加入の徹底」については不安を覚えている。「食育など本来、家庭で教えるべきことを学校に押し付けるモンスターがいるんです。任意加入を徹底したら、教育熱心な人とそうでない人が完全分離して不公平になります」

ぼくは保護者の意識や状況によって学校への関与の仕方や度合いはさまざまでいいと信じるので、分離は当然だと思う。また不公平は錯覚だ。ここで言われる不公平は、無理に束ねることから来ているのだから。

また、Bさんの話をよく聞いてみるとモンスターさんの気持ちもわかるのだ。学校でまず食育指導を行っており、PTAに協力要請すると強く反発したという。「それは学校の仕事」と押し付けたのではなく「家庭の領分に踏み込むな」と逆の主張だった節もある。その点を指摘したら、Bさんは衝撃を受け「視野が広がった」とメールをくださった。

PTAという団体の立ち位置は幾重にもねじれている。ねじれ、行き違いは各地で起こっており、それを飲み込んだ上で、何とか変革しようとしている人たちはたくさんいる。その「揺れ」をこそぼくは信頼し、心からエールを送る。

PTA進化論⑬

シンガポール在住のCさんからお便りをいただいた。東京都世田谷区のPTAで熱心に活動をしたことがあり、現地インターナショナル校の保護者組織の緩さにカルチャーショックを受けたという。学校からの書類には、「保護者が学校教育に参画するさまざまな機会を提供します。まずは朝、コーヒーを飲みながらの交流会へ。さらにさまざまな活動に参加を!」とあるだけ。「参加はあくまで『機会(チャンス)』ということ。日本に比べたら楽。やりがいがあります」という。

やりたい人、できる人は常に一定数いて、自然とリーダーも育つ。最初から束ねて、義務でがんじがらめにしてしまうと何もかもが台無しになってしまうのだなと、つくづく感じさせられる。

米カリフォルニア州で二児を現地の小学校に通わせたDさんは、ぼくの本を読んで「今までPTAだと思っていたものはPTAではなかった」と気付いた。「全国規模のPTAはあるけれど入会は自由。わたしが活動していたのは、学校単位の保護者組織。授業補助やバザーでの学校支援などをしました。日本ではPTAと保護者組織の区別が付かず、深く考えたことがありませんでした」

これもかなり大事な点を突いている。「PTAがないと困る」と言う人のほとんどは、PTAと保護者組織を混同している。保護者が学校教育と相対するやり方は多様でありうるのに、「PTA」という形しかありえないとでもいうように。学校や教育行政と密接に連携し、時に癒着し、義務としてのみ語られる日本のPTAは、「保護者組織」としてみても世界的に特殊なものではないかと思う今日このごろだ。

そうこうする間にも、日本各地から保護者の「悲鳴」が届く。「欠席裁判で役員に選出!」「病気で逃げようとしてもダメとつるし上げられた」「子どもがPTA行事に参加できなくなるぞと入会を強要された」等等。本当にどうにかならないものか。PTAの進化に期待を抱く者として、心底もどかしい。

PTA進化論⑭

PTAが育児・教育にかかわる大人の共同体として程よく機能するにはどうすべきか。
「力を抜こう」と言いたい。

元来、民主化の学習機会だったものが学校支援の要素を肥大させ、保護者に有無を言わせぬ動員力を持ち、行政と密接な関係を構築するようになったのが現状だ。単にボランティアと思って入るにはあまりに巨大でパワフルになってしまった。

一方、学校や行政は、自発的に組織され、自由に入退会でき、それでもみんなが入っている理想的”保護者団体”としてPTAを厚遇する。それが錯覚だと知る人は多いが言葉にされない。無理を重ねて今の社会的位置付けを得て、役員や委員はどんどんきつくなる。

1年かけて次期役員を選ぶ委員会がある(でないと決まらない)と、あるPTAの会長が嘆いていた。同じ労力を読み聞かせに使う方がどれだけ子どものためか。やはり「力を抜けば?」と思うのだ。

自由に入退会できる事実を会の常識とする。さらに学級委員以外のすべての委員や係を「クラスから○人」と義務的に選ぶのをやめる。やってくれる人がいなければ活動はお休み。学校が必要とする支援は直接募ってもらう。行政から助成金が出ているなら返す。

役員選出も絶対的任務だと思い詰めなくてよい。空席にするくらいの余裕があっていい。総会や運営委員会を開く事務局さえあれば問題ないし、P連(PTA連絡協議会)も休会できる。行政・地域からの要請は運営委員会で話し合い、受けるか決める。
行政に注文があれば直接言えばいい。

その上で、読み聞かせ、園芸、スポーツなどサークルをつくり、授業への参画、クラブや放課後活動、児童館などで子どもとかかわろう。地域ともこの水準でつながればいい。動員されるのでなく市民として学び、成果を子どもたちに還元する場が新たに浮かび上がるはず。与えられてしまった力をあえて行使せず、力を抜いた先に芽吹くPTAの進化形を夢見てもよいと思うのだ。
(作家 川端裕人)




参考サイト


関連項目


  • PTA役員になりたてで、基礎知識を勉強している者です。
    貴サイトに掲載のPTA進化論を読み、現在のPTAの普遍的な問題だと感じました。
    このPTA進化論を印刷して、私たちPTAの閲覧用にしてよいでしょうか。
    もし印刷してよろしければ、サイトの著作権と著者の名前を掲載します
    不可であったり、その他にも記すべきものがあればご連絡いただけますか。
    よろしくお願いいたします。
    ****_******@xvg.biglobe.ne.jp
    よろしくお願いいたします。
    -- 瀬山 尚子 (2009-05-21 17:25:38)
  • 瀬山さま
    コメントありがとうございます。

    「PTA進化論」の著作権者は、作家の川端裕人さんです。
    川端さんから転載の許可をいただいて公開しています。
    これを印刷して瀬山さんの所属するPTA内で閲覧していただくことは、
    川端さんの意向に沿うことなので特に問題はないはずです。
    とはいえ、印刷するには、このままでは使いにくいと思いますので、
    別途メールの添付ファイルで、テキストを送ります。

    コメント欄のアドレスは、悪用されないように伏字にしておきますね。
    -- yu-kubo (2009-05-22 07:35:58)
  • 現在、小学校のPTA役員をしているものです。
    川端さんに賛同します!
    校長先生はじめ、PTA内で閲覧させていただきたいので、
    添付ファイルでテキストを送っていただけると、
    有難いのですが、お願いできますか?
    -- 井上 (2011-11-07 16:41:05)
  • 岐阜市内の小学校でPTA会長をしております。
    うちの小学校PTAではポイント制が今年スタートし、
    その中で一部役員から、やらない人に罰則をもうけるべき
    という意見があがり、違和感を感じ、在り方を模索していました。
    川端さんのブログはじめ
    いろいろ勉強させていただき、昨年末に本部に任意周知を提案し、
    猛反発の中、議論に議論を重ね、今月、前保護者に任意の
    周知および意思確認をするに至りました。
    ちょうど本日、前保護者の同意・同意しないの返事が
    かえってくる予定なのですが95%前後とふんでいます。
    ここからがスタートと思っていますが、
    ここに至るまでには、さまざまな壁を感じました。
    この壁が、全国のPTAでこの問題を封印してきたのだと感じ、
    あらためて周知することにして良かったと感じています。


    私も、ぜひPTA内で閲覧したいと存じますので
    PDFをお送りくださるとありがたいです。
    ****@**-*****.co.jp 後藤 -- 後藤崇之 (2012-02-27 12:36:34)
  •  私も、PDFをお送りいただければと思います。
    現在PTA副会長を拝命し(順番、強制)次年度には自動的に会長が回ってくる仕組みになっています。
    いろいろなお手伝い等をするのには問題ないのですが、役を受けるにあたり何か引っかかっていましたが、
    PTA進化論を拝読させていただき、理解できる面がたくさんあり、問題点も見えてきました。
    今後行われる役員会の中で披露させていただき、PTAのあり方を検討していきたいと思います。
    ******@*******.ne.jp -- ますだ (2012-05-29 14:23:05)
  • 「PTA進化論」のPDF送付希望の方はフォームメールから連絡下さい。
    フォームメールはこのページ最上部の「ツール」にポインタをあわせる>開いたメニューの「このwikiの管理者に連絡」をクリック>開いたページに必要事項を入力して投稿ボタンをクリック>@Wikiから届いたメールの確認URLにアクセス
    以上です。 -- yu-kubo (2012-06-12 17:40:15)
  • 一字一句漏らさず読ませていただきました。
    今度、小学校へ退会したことについて話にいかねばなりません。その時に参考文献として、川端さんのこの14稿を提示させていただきたいと思い
    ます。
    ちなみにリアルタイムでは、京都新聞にも掲載されていましたでしょうか。何か読んだ記憶のある下りもありました。 -- さあこ (2012-09-10 01:49:26)
  • PTAも町内会も同じですが理想形があったとしても、現状よりも多くのデメリットが生じてしまいます。
    その結果不利益になるのは子供たちです。
    確かに今のシステムは問題点だらけですが、それでもいつか人の意識や環境が変わることを期待して現状維持を継続する方が
    遥かに多くの子供達のためになると思います。
    経済であれば変革期に痛みを伴ってもかまわないかもしれませんが
    子供達にとってはその瞬間瞬間がとても貴重な時間なのです。


    せめて教育委員会や学校評議会へ強く働きかけることのできる組織を作ってからにしないと
    行政に全て任せる形になります。
    学校が全面的に信頼できるところであれば良いのですがね


    -- 妄想ですね (2015-07-16 12:01:21)
  • 今年度からはじ -- 今川 (2016-05-18 22:03:20)
  • 初めてPTA役員をしています。来年度学校が分離し、新設校に行くことになっています。まだ、何もない状態なので、既存のPTAではなくゼロからのスタートに携われそうなので、是非参考にしたいと思います。 -- 名無しさん (2016-05-18 22:08:47)
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最終更新:2016年05月18日 22:08