2011-06-01



反原発教

とても尊敬する先輩であったNさんに「広瀬隆を批判するのなら読んでからにしてくれ」と言われました。自分が好意的に紹介したものをデマ呼ばわりされたことが気に入らなかったようです。私を騙すためにたくさんの人が広瀬隆氏の批判をでっちあげてインターネットに載せている可能性もゼロではありません(どっかで聞いたセリフだw)。

あまり気は進まなかったのですが,とりあえず以下の3冊を図書館で借りてきました(書店で購入するという選択肢は最初からありませんでした。それはモッタイナイ)。

『四番目の恐怖』1988年9月10日第2刷
『原発がとまった日』1989年4月13日初版
『棺の列島』1995年3月22日初版

開架に並んでいる新しめの本はすべて貸出中で借りられず,これらは閉架から出してもらったものです。

まず最初に。
私は原子力発電所の廃止を望んでいます。ドイツに続いてスイスが脱原発を決定しましたが日本もそれに倣って欲しいと思っています。ただしそれは根拠に基づいて,科学の方法で達成して欲しい。

原発を止めるためなら根拠などどうでもいいという立場を反原発教と言うようです。反原発教の主張は,結果さえよければ手段は問わない,というものです。しかしこのような根拠のない主張,すなわちデマは原発を止めるためのジャマにはなっても助けにはならないでしょう。

『四番目の恐怖』

『四番目の恐怖』p47より

これは食物連鎖による放射性物質の生物濃縮を示した図です。「アメリカ・コロンビア州における再処理工場下流の濃縮サイクル」というタイトルが付いていますが,出典の記載はありません。この図だけではなく,そもそもこの本には参考文献の記載が全くないのです。今回借りた3冊の本全てに記載はありませんでした。広瀬氏の新作を書店で何冊か立ち読みしてみましたが,手にとって調べたすべての本で参考文献の記載はありませんでした。これでは事実を記載した(と自称している)本としては失格でしょう。きっと内容をあれこれ詮索されたくないし,無批判に信じてくれる読者だけを対象に書かれた本だから,記載は必要ないという判断なのでしょう。

しかしいずれにせよ広瀬氏の正しさを疑わない人にとっては十分に恐ろしい図です。なのでまずはこの図を取り上げてみます。

川の水に含まれる放射性物質濃度は水中のプランクトン中に2,000倍に濃縮され,それを食べる魚の中に15,000倍に濃縮され,さらにそれを食べるアヒルの中に40,000倍に濃縮されることが矢印で示されています。しかしその先には矢印はなく,ただ「子ツバメ50万倍」,「水鳥の卵の黄身100万倍」,「それらを飲み食いする人間の子供は…何万倍!?」とだけ書かれています。子ツバメはアヒルを食べ,水鳥はツバメを食べ,人間の子どもは水鳥の卵を食べるということなのでしょうか? 私の知る限りツバメは飛翔性昆虫を食べているはずですが。またツバメのような俊敏な鳥を捕らえて食べる水鳥とはいったいナニモノなのでしょうか? なのでここは食物連鎖を示しているのではないのかもしれません。でもそうだとするなら,その先に描かれた人間の子どもも食物連鎖から外さざるをえないでしょう。

また矢印で描かれた食物連鎖にも疑問があります。描かれている魚はニジマスのようなサケ科魚類ですが,これは水生昆虫や甲殻類,小魚などを食べますがミジンコのような動物プランクトンを食べることはまずありません。大型のサケ科魚類は食物連鎖の上位にあるので,最終的には高濃度に濃縮される可能性は充分にありそうです。が,そういったアヒルと同じ大きさの大型魚(50cm以上になります)をアヒルが食べる可能性はまずないでしょう。アヒルは雑食性であり,弱った小魚なら食べることはあるかもしれませんが,それなら濃縮が進んでいない段階で捕食することになります。

そもそも図には「放射性物質」とあるだけで元素(核種)が何かわかりません。生物濃縮は生物化学的反応によって食物連鎖を通じてある種の化学物質が濃縮される現象です。なので元素によって,化合物によって濃縮の程度は異なります(例えば無機水銀と有機水銀の濃縮係数は異なります)。そこでATOMICAの生物濃縮に関するデータからそれらしいものを探してみました。


核種によって,食性によって,調査によって濃縮係数は異なりますが淡水魚でおよそ5~2,500倍になっています。広瀬氏の主張する15,000倍という数字はいったいどこから来たのでしょうか? こういう食い違いを検証するためにも広瀬氏は数字の出展を明記すべきです。ATOMICAの数値は出展が記載されたものなので,その正しさをさらに検証することが可能です。一方,広瀬氏の15,000倍という数字には出展がありません。このような状況で「ツバメ50万倍」や「水鳥100万倍」などの数字を信じろと言われてもそれは無理な相談です。どちらの数値を信頼すべきかは言うまでもないでしょう。

というわけで,この図は食物連鎖の過程もおかしく,濃縮係数も信頼のできないシロモノでした。私の専門の生物学に関連したこの図を,本をパラパラとめくっていて見つけてしまい,そのあまりにもお粗末な図にお腹いっぱいになってしまったので,この本の他の部分を読む意欲をなくしてしまいました。次の本にいってみましょう。

『棺の列島』

『棺の列島』には「原発に大地震が襲いかかるとき」という副題が付いています。まさしく今の状況にぴったりの本です。

p13
東北の福島で,兵庫県南部地震クラスの末期的大地震があれば,原子炉が一〇基まとめて爆発するおそれがある。北陸の福井では,まとめて一五基である。

実際には,東北地方太平洋沖地震のエネルギー(モーメントマグニチュード9.0)は兵庫県南部地震(気象庁マグニチュード7.3,モーメントマグニチュード6.9)の1000倍以上でした。福島第一(6基),福島第二(4基)の原子炉だけでなく,女川(3基),東通(1基),東海第二(1基)の計15基の原子炉が東北地方太平洋沖地震の影響をうけて運転を停止しました(一部は定期点検で地震前から運転停止中)。このうち深刻な事態に至ったのは福島第一の1号機から4号機です。その他,東海第二も大変危険な状況であったがかろうじて危機を回避したことが報じられています。

p39
"もんじゅ"が爆発すれば,福井県から北陸一帯を人間の住めない土地に変えたあと,やがて放射能の雲は,わずか一日のうちに,東京・名古屋・大阪の空をおおうはずである。またたく間に,百万の生命が消える。いや、百万ですむはずがない。

もんじゅと東京の直線距離は300kmほどです。もんじゅを中心に半径300kmの範囲(東京から広島まで)の人口を概算すると5000万人ほどになりそうです。どういう計算で100万という数字が出てきたのかの説明は一切ありませんので,その真偽は不明です。

p46
琉球大学の木村政昭・助教授は,兵庫県南部地震を予言した数少ない地震学者のひとりだが,……

Wikipedia:木村政昭には「地震予知については、1986年の伊豆大島三原山の噴火、1991年の雲仙普賢岳の噴火、1995年の兵庫県南部地震、2000年の三宅島の噴火、2004年の新潟中越地震等を独自の「時空ダイアグラム」理論で予測したとしている。」とあります。時空ダイアグラム理論はこれまでのところ第三者によって検証されているようには見えないのですがいかがでしょうか。また,木村名誉教授は与那国島の海底地形を中世の遺跡だと主張している,というのも,心配が増すことはあっても信頼性が上がりそうにはない情報です。木村名誉教授の理論が学会で認められていないことを広瀬氏は知っているようですが,それでもあえて取り上げるべき理由は特に説明されていません。その理論が学会の中で評価されていない理由を検討することなく,自説に都合がよければお構いなしに利用する。この文章からは広瀬氏のそのような執筆姿勢を読み取ることができます。

p47
土地の古老にそのいわれを尋ねると,塩の由来は,かつてそこに海があったから,と答えてくれた。

土地というのは,長野県の塩尻や山梨県の塩山,栃木県の塩原などの「塩」がつく地名のことです。塩尻市のホームページには,地名の由来に関する定説はいまだにないことと,現在考えられる3つの説が掲載されています。そのいずれもが「海があったから」という理由ではありません。また那須塩原市のホームページには,地名の由来は岩塩が採掘されていたことである,と記載されています。いったい広瀬氏は誰から聞いてきたのでしょうか。

p48
古老たちの説明によれば,地球は実に46億年の年月を経ている。

そのような情報は土地の古老からこっそり教えてもらうのではなくて,普通は理科の教科書で知ることだと思うのですがいかがでしょうか。広瀬氏は中学理科の授業をちゃんと聞いていなかったのかもしれませんね。

p48
こうして四つの岩盤(プレート)がぶつかり合った境界が,とりわけ日本の中心部の山岳地帯を成す長野県,山梨県,栃木県であり,アルプスなどの高地がそこに生まれた。そのため,このあたりに,古代の海の名残として,「塩」の地名が誕生したという言い伝えがあってもおかしくはない。

Wikipedia:日本列島によると,日本列島の形成は新生代古第三紀始新世(5,500~3,800万年前)に始まり新第三紀中新世(2,300~500万年前)にユーラシア大陸から分離されたとあります。一方,Wikipedia:人類の進化によると,現生人類であるホモ・サピエンスの登場は20万年前です。人類の出アフリカはさらに後のことだし,「塩」という文字の成立は……。長野県がかつて海であったことを見て知っている人類なんているのでしょうか。一体どうしたらそんな考えに至るのか理解不能です。

全部で300ページのうちまだ50ページも進んでいないのですが,もう少しだけ。

p71
青函トンネルは,すでに津軽海峡の海の底で,水がしみ出しており,やがて使えなくなることが分かっているというのである。私の直感も正しかったようだ。

やがて使えなくなるとはいつごろのことなのでしょうか。どんな建築物にも耐用年数があることは工学の常識だと思っていたのですが,広瀬氏は直感でその事実を察知したというのでしょうか。

でもまあ,どんな建築物でも適切なメンテナンスをしなければ耐用年数よりも前に壊れてしまうのは当然です。アラン・ワイズマンの『人類が消えた世界』は,ある日突然人類が地上から消えたら都市は,地球の環境はどう変わっていくかを地質学,考古学,生物学,都市工学,建築学などの観点から考察したとても面白い本です。ブルックリンブリッジは,メンテナンスをする技術者がいなくなると耐用年数をはるかに下回る期間に落下します。マンハッタンを縦横に走るニューヨーク地下鉄では,地下の路線を守るためにポンプが常に稼動し,保守管理されています。メンテナンスを行う技術者が消えるとそのポンプはすぐさま停止し,地下鉄の路線は地下水路に変貌するのです。同様に青函トンネルでも排水ポンプが常時稼動しています。ASCII.jpでその様子をみることができます。広瀬氏の心配は,近いうちにポンプの排水能力を出水量が上回るということなのでしょうか。もしそうならその根拠を示すべきなのですが。ちなみにこの本が出版されたのは1995年ですが,2011年の現在も青函トンネルは水没することなく北海道と本州を結ぶ物流の大動脈として稼動しており,北海道新幹線(新函館2015年開業予定)の工事も順調に進んでいます。その影には技術者による絶え間ないメンテナンスがあるはずです。

というわけでようやく『棺の列島』第1章を読み終わりました。もういいですよね,これ以上は。出典不明,根拠不明の数字にまともに対処するためにはものすごく手間暇がかかりますので,そこにはあえてほとんど触れてきませんでした。専門家であればそれらに対しても,もっと本質に踏み込んだ批判も可能でしょうが,私にはもうこれで充分です(そんなつまらないことにこれ以上貴重な時間を費やしたくない)。残りの1冊もいいでしょう。もう読む気はないです。

ユダヤ陰謀論

Amazonで「広瀬隆」を検索すると,広瀬氏の著作の一覧を見ることができます。広瀬氏はユダヤ陰謀論の本もたくさん書いています。全てはユダヤの組織的陰謀のせいだ,証拠は見せられないけどそれはユダヤの地下組織による妨害のせいだ,などという本を書く人物がジャーナリストを自称する。なんなんでしょうね,いったい。

とりあえず3冊……じゃなかった2冊読んだだけですが,広瀬氏が生物濃縮を理解していないこと,科学の手続きを理解していないこと,理科の教科書よりも土地の古老の話を優先する思考回路の持ち主であること,ジャーナリストとしての調査能力が極めて疑わしいこと,耐用年数などの工学の常識を知らないらしいこと,などが確認できました。そしてなによりも,参考文献の記載が全くないこと,すなわち自説の根拠をどこにも示していないことは致命的です。もしこれがWikipediaの記事なら,「要出典」タグが1ページに何十個とつくはずです。記事の冒頭に「この記事には独自研究に基づいた記述が含まれているおそれがあります」というテンプレートがつくことも間違いありません。広瀬隆氏の本は事実を示した本ではなく,反原発教の経典に過ぎないという指摘は正しいと判断せざるをえません。広瀬氏の本には,結果的に正しいことも書いてあるかもしれませんが,それらをデマとより分けるコストを考えれば,情報源としての価値はまったくありません。

私はNさんに,原発推進派のレッテルを貼られました。とても残念でなりません。もう一度書きますが,私は今回スイスが選択したような脱原発政策を日本も採用して欲しいと考えています。そのためには,広瀬隆氏の発するようなデマは百害あって一利なしだと考えます。私は,根拠に基づいた,科学的方法に則った脱原発政策を支持します。


最終更新:2018年08月26日 19:38