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[増渕孝史プロフィール]の変更点

    

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 #ref(http://pds.exblog.jp/pds/1/200510/21/60/e0009760_19425110.jpg,x=200,y=100,http://pds.exblog.jp/pds/1/200510/21/60/e0009760_19425110.jpg,blank)
 
 なお、以下の情報は、本家ブログによる公開情報からの引用。
 引用文からの考察が含まれております。
 
 [[桜川市]]で有名なブロガー。
 自称ブログ先駆者。
 本名は増渕孝史
 momo1223sakura@docomo.ne.jp
 [[桜川市高久]]([[中根]])在住。
 1946年1月3日生
 [[水越商事]]・勤務で[[不動産競売業]]を名乗っていた。
 定年退職して、[[丸高商会]]代表。
 最近は、病気療養中。
 
 由緒ある増渕家生まれ、優秀な両親と兄弟を持ち、自然豊かな土地で少年時代を過ごした。
 
 **昭和21(1946)年
 由緒ある増渕家の三男として生まれた。
 少年時代は無口でおとなしかったため、いじめを受けたこともあった。
 [[大和西小学校]][[高久分校>大和西小学校高久分校]]から[[大和西中学校]]で学び、高校へと進学した。
 
 **1961年(15歳)
 [[茨城県立下妻第一高等学校>http://www.shimotsuma1-h.ed.jp/]]入学。
 当初より、大学進学を目指し勉学に励んだ。
 
 **1964年(18歳)
 高校卒業、[[明治大学>http://www.meiji.ac.jp/]]入学。
 受験した大学は[[千葉大学>http://www.chiba-u.ac.jp/]]などがあり、その時の試験官は[[多胡輝]]。
 [[早稲田大学]]に入りたかったが英語が弱く入れず。そのことが生涯を通して劣等感を背負うことになった。
 
 **1964年(18歳)頃塾経営
 孝史の母[[増渕長子]](当時母が孝史にあげた金は1万円)に私立大学を行くならバイトをしなさいといわれ珠算塾を経営。
 塾の始まりはたったの二人だった。
 三年目は生徒数は当時130ー140名来ており旧真壁商工会主催の検定試験では受験者と合格率はトップが多く旧真壁商工会にはなんども表彰された。
 今で換算すると36-40万円くらいの金であった。
 
 **大学時代
 私の大学時代には貧乏学生が多かった。
 しかし私は貧乏なのだが貧乏では無かった。
 その代わり4年間と言うもの、土日は休む暇がなかった。
 東京の中野から毎週一回田舎の茨城に帰った。
 この間に今の奥さんとの出会いがあった。
 
 学生時代議員会館でアルバイト〈日本医師会系代議士、地元参議院議員、地元代議士)をしていた経験がありますが、かなりいい加減な世界であった。
 
 在学中は三年より専門課程に入り東大出身者で昭和天皇陛下の微生物学研究所の側用人だった教授に教えてもらったことがあった。
 また、この頃から何かをやって事業家になろうと思っており、大学時代の四年間ぎりぎりまで就職なんて考えた事は全く無く、周囲が就職活動を始まっている頃今後の事業家になる為の勉強のため色々な本をむさぼり読んでいた。
 
 塾経営ので大学の学費をまかなう事が出来て卒業することができた。
 
 **ヒルトンホテル時代
 これから何をやろうか、何をやって、資金源ためるかが大きな問題だった。
 あるとき新宿の紀伊国屋書店で世界のホテル王コンラッドヒルトンの自叙伝を立ち見して、その中の一句[you‘ve gots to dream!]人間は夢を持たねばならないのこのことばで実業家の夢を見て大学を卒業後、永田町の東京ヒルトンホテルに入社し将来はレストランの時代が必ずくるからまず第一号のレストランをつくろう、それから二号店、三号店と夢を見て4年半勤めた。
 その後増渕母が病気になり実家に戻った。
 
 **1969年4月(23歳)
  結婚式は3月17日に取りに行ったが、時の皇太子の結婚式(今の天皇陛下)が4月10日だったので、その日にしようと思い、前日の9日に中野区役所に送付したら、スタンプされた日が受付日となってしまったので、1日早くなってしまった。
 
 **新婚時代
 結婚生活のスタートは2階の間借りの6畳一間でした。
 トイレは共同のポトン式、台所も共同だった。
 お風呂は無しで近くの銭湯やさんに二人で行った。
 給料は二人で5万円弱でした。
 それから毎月二万円をキチンと貯金しました。
 私はどんな大変な時でも今まで貯蓄を忘れた事は無い。
 部屋代は電気・水道代で入れて一万五千円ー七千円でした。
 私の小遣いが一日百円で三千円、残りの一万円で食費やその他の買い物でした。
 だから正月の時のみかんが食べられない時もあった。
 
 **サイドビジネス
 一月当時のお金で40万くらいの収入があった記憶がする。
 ブルーバードの車が一台50-60万円の頃であった。
 
 **1972年(26歳)頃 
 手持ちの軍資金500万で鳩ケ谷市の大手の埼玉植物園と業務提携し昭和47年6月日緑実業(株)を創設。
 無鉄砲で怖いものは無かった何を遣っても成功した時代だった。
 開業早々石油ショックで大打撃を受け赤字が増すばかりと言う理由で設立2年で幕を閉じ、当時の金で1200万円の負債を蒙った。
 
 **1973-1974年(27-28歳)
 地獄を見た。
 第一次オイルショックのこの年('73年)、2トン車一杯トイレットペーパーやテッシュペーパー等を買い漁ったが、後に値が下がり大きな損害を被った。
 
 **1974年(28歳)
 23歳からサイドビジネスでテープジュークのリースをしていたので、この機械でカラオケのマシーンを造ろうじゃないかとの話があったので、なげなしの金100万円を投資。
 
 **1975年(29歳)
 投資の芽が出てくる。
 毎週50台マシンを作るという条件で1000台単位でマシンをオーダー。
 在庫で家の中が一杯になる不安を抱えながらもマシーンは大ヒットした。
 しかし、リスク多い事を考えマシンは2000台作ってやめた。
 後はクラリオンのメーカーを主に売り込んだ。
 
 **1975年(29歳)頃 
 借金の600万を1年半で全額返済。
 この時から現金主義の商売に変わりあっという間に5000万円位は簡単に貯めた。
 この資金を元にマルタカ学園を創立。
 
 **1980年9月30日(34歳)
  この日の夜中の23時59分、旧下館市内の[[小松崎産婦人科医院]]で難産であったが[[長女>増渕由馨]]が無事に誕生した。
  この時期は金木犀が黄金色の花を咲かせていた。その花と香りに因んで「由馨」と名付けた。
 
 **マルタカ学園時代 
 カルチャースクールとして英数教室、珠算教室、書道教室、ピアノエレクトーン教室、カラオケ教室、プロ歌手の育成と多彩に教室を設け地方の一流な教師陣をスカウトして来た。
 生徒数200名前後ぐらいで子供も多くいた。
 この間に丸高音楽事務所を作った。
 
 **丸高音楽事務所
 地方歌手を育ててあげ、全国版迄いった歌手も居た。
 昭和天皇が病魔に冒されている頃、不動産の世界に入り込んだ。
 
 **つくば無機化学産業(株) 
 不動産業をやるかたわら、3000万円投資。
 つくば無機化学産業株式会社は液体セラミックを高熱(330度)で珪砂にコーテングすることにより製品化された。
 その効力はセラミックが水に触れるとオゾンと似た物質が発生して、水や土壌の殺菌力を増す事にあった。
 水や土壌を殺菌する効果があるのであらゆる用途に期待されたがただ価格が高いのが欠点でした。
 バブルがはじけ世の中がデフレ状態となって物の価格が半値以下となったため、とてもついて行けず会社を解散とした。
 損失は土地を売って補った。
 不動産業はこのまま20年ほど続けた。
 
 **1988年(42歳)
 村長選に出馬しようとするが告示日、突然立候補を取りやめる。そのため、対立候補が無投票当選となった。
 
 **1994年(48歳)
 村議選に出馬しようとするがなぜか取りやめる。そのため、定数となり他候補は、無投票当選となった。
 
 **1998年(52歳)
 「夜の帝王」などと言われるほど夜遊びをし、酒を浴びるほど飲み、たばこをヤニだらけになるほど吸い、のどから血が出るほどカラオケをし、目やにで目が開けないほど女遊びをしたため、体調を崩し劇症急性[[膵炎>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%86%B5%E7%82%8E]]を起こして生死の狭間を彷徨ったが、なんとか一命を取りとめ無事生還した。
 生きて2~3年と言われていた。
 2年間は病院での入院が多く仕事にはならなかった。
 
 **2000年(54歳)
 リハビリの為に家の屋根にあがって、ペンキ塗りをやりました。
 これは足を鍛える事と今後の人生への度胸をつけるのには、最高なリハビリでした。
 私の家の屋根の勾配がきついので、ペンキ屋さんが余りやりたがらないほどの勾配であった。
 実際にはとても怖かったがなれると綱一本で塗れる様になってしまうものでした。
 何事も勇気を持って行動すれば怖いものはないのである。
 吠えるワンコウは相手が怖いから吠えるのです。
 
 屋根を塗っていたら、足が丈夫になり、あちらこちらでペンキ塗りを頼まれるようになりました。
 かなり急なところやペンキ屋さんがやりたがらないところも引き受けてやりました。
 ところが人生って変わるものなのです。
 普通の2階建ての屋根でしたら、はしご一つで塗れる様になってしまったのです。
 ちょっとした[[リホーム]]が可能になってしまった。
 屋根が出来れば他の[[リホーム]]なんて簡単なものでした。
 それで下妻の裁判所に出入りする様になったのです。
 
 9月頃から入札を始めたが、なかなか落ちないのが現状でした。
 
 12月になってようやく、下妻の砂沼近くの団地の2階建ての新築して4-5年位の物件がとれたのでした。
 入札価格はいい加減なもので、下妻と川島を結ぶ県道に747というパチンコ屋があったので、その数字を書いただけでした。
 でもこの価格は最低価格に300万のせただけなのですが、当時これだけのせる人はいなかったのでした。
 [[競売業>不動産競売業]]で大手の「や○○ぎ」より100万ぐらい多かったと思う。
 当時「や○○ぎ」と戦っていたが私が入札したのでは余り負けたことは無かった。
 いまは「や○○ぎ」は上場して全国を又にかけている。
 でもかなり売れないで残ってるのが現状だ。
 [[競売業>不動産競売業]]も終焉に来ていた。
 
 **2004年(58歳)
 一応人生の一勝負を終えた。
 
 **2005年(59歳)
 一年間4月より12月まで20回[[早稲田大学]]のオープンカレッジにかよって、[[吉村作治]]教授の講義を聴きブログを教えてもらった。
 これが[[増渕孝史のひとりごと>http://masubuti.exblog.jp/]]と言うエンターテイメントの始まりであった。
 
 **2005年8月
 オピニオンブログを名乗った。
 
 **2005年9月
 自民党入会し[[山口武平]]氏の引退を早急に願う[[自民党]]員の一人となった。
 結構このブログは[[桜川市の市長選>桜川市長選挙]]をかいてるので、訪問者が倍増した。
 なるべく公平には書くつもりですが、私の考えに合わない事は、追求した。
 この時期の後半にニュースページの丸写しが多くなった。
 
 **2005年10月
 [[桜川市長選挙]]にてブログを使い[[平間小四郎]]を応援した。
 
 **2006年(60歳)
 1月3日より[[丸高商会]]と[[桜川新創価道場]]を設立。
 ただ今!土地家屋を物色中!残りの人生を自由奔放に生きるつもり。
 パソコンに夢中になるとパソコン症候群になると言う事でピアノを始めた。
 
 **2006年7月 
 [[ガン>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E6%80%A7%E8%85%AB%E7%98%8D]]の疑いで死ぬまでブログ宣言。
 
 **2006年9月
 桜川市市議会選挙にて立候補の手引きを購入し、出馬予定者となるが例のごとく出馬はせず。
 
 **2007年3月(61歳)
 [[筑西市]]の政治ネタに介入。
 
 **2007年4月
 健康によいとカラオケブログ(本人曰く)を始め、ぼけ防止によいと漢字脳トレーニングを始めた。
 
 **2007年6月
 この頃エキサイトのドガログを始めた。主に、知人のピアノ演奏などを紹介していた。
 
 **2007年11月
 この頃、自然に触れることや野菜作りの楽しさに目覚め腐葉土作りのための木の葉さらいなどに精を出した。
 
 **2008年1月(62歳)
 最近、このように物価が上がる時代は、買い物を控え目にして、消費を押さえ[[需給自足]]たる生活を営む事が肝要であると説いた。
 年明け早々、野菜作りの要である腐葉土作りのため、木の葉さらいに専念していたとき。木の葉一枚一枚がお札に見えて来た。
 
 **2008年2月
 年金を貰い、別途収入もなく、年金枠内生活となったので、今年から税務署にわざわざ出向くことのない年を迎えることになった。
 税務署から解放される快感を味わった。
 お金抜きの世界を求めて、これからの人生を謳歌しようと思い、その切っ掛けとして&link2(般若心経,http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C,target=blank)の&link2(写経,http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%99%E7%B5%8C,target=blank)を2月1日より書き始めた。
 年365~6枚を目標とした。
 また、中国製餃子への農薬混入中毒事件から、安全な野菜は自分で作るしかない。と、耕耘機を購入し農業に精を出し始めた。
 
 **2008年3月
  張り切って農作業に勤しんでいたが、体力がついていかなかったようで、&link2(腸閉塞,http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%B8%E9%96%89%E5%A1%9E,target=blank)を患い、&link2(結城市,http://www.city.yuki.lg.jp/index.html,target=blank)小田林に在る[[結城病院]]に救急入院した。
  今回の病院生活を送ることによって、残りの10年は[[第三の人生]]として安らかな闘争の無い生活を送ることに決意した。
 
 **2008年4月
  無事退院し、短時間ではあるが庭の草取りなどをする。また、カメラ撮影やブログなどを楽しんだ。
 
 **2008年6月
  &link2(腸閉塞,http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%B8%E9%96%89%E5%A1%9E,target=blank)が再発し[[結城病院]]に再入院した。
 
 **2008年7月
  無事退院した。
 
 **2008年8月
  &link2(腸閉塞,http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%B8%E9%96%89%E5%A1%9E,target=blank)が再々発し[[結城病院]]に3週間ほど入院した。
 
 **2008年9月
  ちょっと、しんどい仕事をすると身体がついて行けない状態に陥り、直ぐに&link2(腸閉塞,http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%B8%E9%96%89%E5%A1%9E,target=blank)を引き起こしやすくなったので、9月1日より、人生をゆっくりと歩みはじめることにした。実社会から離れ、隠遁生活に切り替えて、己の健康を第一とし、人生に悔いを残さない、スローライフなプランにした。
 
 **2009年7月(63歳)
  政界の評論などから身を引き、旅行や趣味に勤しんだ。
 
 **2009年8月
  選挙戦が近づくにつれ、当wikiの存在が邪魔となり、偽ブログと言い掛かりをつけてきて宣戦布告を始めた。
 
 **2009年9月
  体調が思わしくなく、ブログに投稿する記事や写真を用意することも重労働となってきたため、この頃より、他のサイトからの転用・転載による投稿が多くなってきた。
 
 **2010年3月(64歳)
  この頃に至り、他のサイトからの転用・転載による投稿だけのブログとなってきた。
  増渕孝史のブログ友人や喧嘩友達なども、論評など投稿不可能・不要になり、訪問数も極端に落ち込み、本格的な一人歩き、本物のひとりごとブログになってきた。
 
 
 出典
 [[不景気でも中流意識其れが破産の原因>http://masubuti.exblog.jp/162402/]]
 [[おもいでブログ>http://masubuti.exblog.jp/206172/]]
 [[かつての宇宙食クロレラの夢から40年>http://masubuti.exblog.jp/332080/]]
 [[マイ・パソコン>http://masubuti.exblog.jp/359872/]]
 [[26年前の今日も暑い日だった>http://masubuti.exblog.jp/4234755/]]
 [[残暑お見舞い申し上げます   増渕孝史>http://masubuti.exblog.jp/475267/]]
 [[遊び心は成功につながる>http://masubuti.exblog.jp/483161/]]
 [[お盆中     訪問者数955人>http://masubuti.exblog.jp/497524/]]
 [[社会保障問題         訪問者数1109人です>http://masubuti.exblog.jp/589535/]]
 [[桜川市(50000人くらい)市長選も小泉自民党流で行こう!!!500-1000票の差でしょう。!!>http://masubuti.exblog.jp/992084/]]
 [[茨城の自民党は山口武平氏が引退しないと若手の国会議員や県会議員の芽が出ない!!>http://masubuti.exblog.jp/1003243/]]
 [[ベッドからの私へのコメント>http://masubuti.exblog.jp/1627198/]]
 [[我が家の収穫>http://masubuti.exblog.jp/6820634/]]
 [[35年前の第一次オイルショツク似た現象>http://masubuti.exblog.jp/7070857/]]
 [[書き始めた般若心経>http://masubuti.exblog.jp/7171064/]]
 [[税務申告期間>http://masubuti.exblog.jp/7274719/]]
 [[明るい農村>http://masubuti.exblog.jp/7379908/]]
 [[写経>http://masubuti.exblog.jp/7388144/]]
 [[足湯と写経の健康法2>http://masubuti.exblog.jp/7442175/]]
 [[明るい農村Part2 結城病院にて>http://masubuti.exblog.jp/7464354/]]
 [[結城病院にて>http://masubuti.exblog.jp/7503858/]]
 [[第三の人生>http://masubuti.exblog.jp/7545144/]]
 [[18日間でようやく解除たが暗鬱だ>http://masubuti.exblog.jp/7597144/]]
 [[この腹じゃ、癒着は免れない!>http://masubuti.exblog.jp/7624386/]]
 [[結城病院~元気になりました。>http://masubuti.exblog.jp/7738004/]]
 [[我が家にて>http://masubuti.exblog.jp/7744736/]]
 [[梅雨曇り二ヶ月前の病棟>http://masubuti.exblog.jp/8156246/]]
 [[空高くピイと囀る雲雀かな>http://masubuti.exblog.jp/8173530/]]
 [[まず元気やる気をだして勇気だせ>http://masubuti.exblog.jp/8185296/]]
 [[元気になりました!>http://masubuti.exblog.jp/8210795/]]
 [[真夏日にホッと一息朝の霧>http://masubuti.exblog.jp/8409358/]]
 [[元気になりました!>http://masubuti.exblog.jp/8476949/]]
 [[退院になりました!>http://masubuti.exblog.jp/8483802/]]
 [[秋空に黄金に実る稲穂かな>http://masubuti.exblog.jp/8502875/]]
 [[ゆっくりと・・・スローライフ>http://masubuti.exblog.jp/8549041/]]
 [[今日は結城病院に行ってきます!>http://masubuti.exblog.jp/8566753/]]
 [[自民党総裁選投票用紙>http://masubuti.exblog.jp/8603237/]]
 [[役に立ちます!>http://masubuti.exblog.jp/8711721/]]
 [[華厳の滝>http://masubuti.exblog.jp/10641623/]]
 
 - ご無沙汰しております。川島の須藤でございます &br()お身体大丈夫ですか &br()もう少し、暖かくなったら、必ず遊びに行きます &br()私も、ブログを覚え(まだ、完璧ではありません) &br()少しずつ、写真なども入れることを覚えたいと思います &br()色々とアドバイス下さい。  -- 須藤茂  (2010-04-15 21:22:58)
 - お久しぶりでございます。 &br()ご心配いただきありがとうございます。 &br()寒さが厳しく若干参っておりますが、春はすぐそこまで来ていますのでがんばりたいと思います。 &br()ブログを私のように完璧に使いこなすには、遠慮せずにどんどんと記事を投稿することです。 &br()議会や議員活動などを報告されてはいかがでしょう。 &br()今度会える日を楽しみにしています。 &br()  -- 名無しさん  (2010-04-15 21:50:55)
 -  元気で安心したよ。土壌改良用にがりのない天然ミネラル &br()海塩をプレゼントします。入浴にも良い。 &br()03-5389-2146(Tel&Fax) &br()090-8027-4768 &br()nozawa@globe-j.com &br()H.P制作中。いつも前向きの弟だからと思ってH.Pを &br()ひらいたら。H:20.9.24.離婚。養子離縁。役目完了。2人の息子と娘のため &br()野沢姓。本籍同じ。これで自由になりました。 &br()自由の代価は責任である。と思っているから。  -- 野沢光史  (2010-06-17 03:39:50)
+- はじめまして。 &br()私は2年前に桜川市民になりました。 &br()桜川出身の私の友人が亡くなったのが、移転のきっかけです。 &br()妙な死を遂げたので、真相をあきらかにすべく、調べていましたら、地元不動産や土地の売買絡みの &br()様々な疑問がでてまいりました。 &br()詳しくは、直接申し上げますが、一度お会いしたくコメント致しました。 &br()お体の具合の良いときにでもお時間を頂けないでしょうか。 &br()ご連絡頂ければ幸いです。 &br()090-9151-8758 &br()0296-76-3350 &br()佐々木 敦 &br()因みにS21年生まれです!  -- 佐々木 敦  (2012-02-18 22:26:24)
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