平均寿命の伸びと共に高齢化杜会が進み、地方小都市では老人の独居世帯が年ぐ増加しつつある。息子たちは郷里を捨て大都市で就職し、娘はそれぞれ結婚して、後に残されるのは老夫婦だけである。そのうち老夫婦も配偶者を亡くすと、文字通りの独居生活を余婁なくされる。

男ヤモメは情けない。婦人の独居生活はまだしも、男性の独居生活は、あらゆる面に不自由な生活が強いられることになる。炊事、洗濯、掃除など家事一切をこなし、近隣社会のお付き台いき、、にけビよくやりとげねばならない

こうした独居世帯を訪問し、家事を援助する本文介護員の資格を取得した妻は昨年四月から出向いている。

私たちも二人の息子はいずれも独立し、夫婦二人暮らしであり、余暇を生かそうと市役所に登録し、週二回、訪問介護に勤めている。私は定年をあと数年後に控えた公務員で地方組織に勤務。妻は四十九歳の専業主婦であり、時問的余裕は十分ある。

妻の訪問介護員としての訪問先に加藤さんのお宅がある。郊外の閑静な住宅地である。

五十八歳の元ライターで、五年前に奥さんに先立たれ、三人の息子や娘は、それぞれ独立したり、結婚して郷里を離れ、独り暮らしを続けている。

妻は昨年秋から定期的に、毎週、月、金の二回訪問して、家事一切を受け持ち、食事の準備、洗濯、掃除を片づけている。

ところが、ことし一月中旬ごろから、妻は訪問介護員として家事の処理の他、加藤さんの唯一最大の悩みであった欲棒の処理も受け入れていたらしい。

 

妻の美紀と加藤さんとの不倫が決定的に判ったのは二月末だった。

年度末を控えて山積みした業務に私が日々追われていたころである。

私が愚かだっただけで、今、思えば、思い当たる美紀の言動は再三あった。

 

ことしの初めころから化粧がまず濃厚になり、珍しく家事の途中でルンルン歌を口ずさんでいることもしばしばだづた。またいつのまにか下着も原色のものを身につけるようになり、いつしか私との夜の生活も極めて積極的になり、自分から私に挑んでくることも度重なり、私も美紀の性の積極さを喜び歓迎した。

 

だが、積極さの半面、私から挑み誘うと、

「今日は疲れているから…」と拒むことも再三あり、私をがっかりさせたこともあった。いま、想えば、その時期が美紀と加藤さんとの不倫の真っ最中であった。

 

二月末のある夜、美紀を抱きながらそれとなく問い詰めると、

意外にもあっさりと不倫を認め、告白した。

「・・・あまりにも加藤さんが優しく、それにお気の毒であったし、

最後は土下座して懇願され続けたので、一度だけならと思って・・・あなた許して。」と取りすがった。

 

私自身も美紀の不自然な言動から、それとなく気付いてはいたものの、決定的な事態の判明が怖かった。

ついつい問い詰めることをしぶっていたが、あの夜は何気なく美紀に、

「訪問介護としての手伝いのほか、

加藤さんのあっちのほうも処理してるんじゃないの???..

と冗談めかして問いかけた。

 

もちろん、美紀の否定の言葉を期待していたが、美紀は意外にもあっさりと不倫を認めて泣き出した。

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最終更新:2011年05月08日 17:06