船舶の建造と損耗で見る太平洋戦争
概要
太平洋戦争における工業力の戦いを、日米の船舶建造・損耗から調査し記述する。
まぁ肩肘張らずに気軽に読んでほしい。
軍用艦艇編
アメリカに勝つためには何よりも船を作り、そして彼らの船を沈めなければならない。
まず軍用艦艇を見ると、開戦時点における日本の艦艇は237隻、100万1千トンだ。
一方アメリカは345隻、143万9千トン。トン数の比率は69.56%でいわゆる対米7割をなんとか維持している。
日米海軍艦艇戦力比の推移
|
日本 |
アメリカ |
日付 |
隻数 |
トン数 |
隻数 |
トン数 |
41/12/8 |
237 |
1001000 |
345 |
1439000 |
41/12/10 |
236 |
1000000 |
341 |
1313000 |
42/5/31 |
235 |
1100000 |
368 |
1471000 |
42/6/7 |
230 |
1004000 |
366 |
1449000 |
42/7/31 |
232 |
1030000 |
393 |
1595000 |
43/2/8 |
212 |
1007000 |
457 |
1810000 |
44/1/31 |
208 |
996000 |
661 |
2850000 |
44/6/21 |
182 |
902000 |
734 |
3188000 |
44/9/31 |
165 |
879000 |
791 |
3522000 |
(以上の数値は日本の場合特設空母、アメリカの場合護衛空母を含む空母、戦艦、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦など
主要艦艇を合計したもので小艦艇は含まない。日本の数値には香取、鹿島、香椎を含む。
「貧国強兵」p77の表を一部表記を変え掲載した。大本の出所は戦史叢書「大本営海軍部・聯合艦隊」<6>)
隻数で見ると、開戦時点で1.46倍の差である。じゃあ海戦の度に1.46を超えるキルレシオを出せばいいのかというとそう言う訳ではない。
日米ともに船を戦わせては沈ませる一方でドンドコ建造しているのだから。相手よりもたくさん船を造るか、
相手が建造するよりも多くの船を沈めない限り、彼我の戦力差が好転することなど夢のまた夢である。
さて上記の表によると、開戦からミッドウェーまでの最初の半年間、つまり日本が連戦連勝していた時期ですら
アメリカの船は減るどころか23隻もその数を増している。
その内訳はサウスダコタ級戦艦3隻、アトランタ級軽巡4隻、ガトー級潜水艦6隻などだ。
アメリカの艦船数/トン数が最も少なくなっていたのは41年の12月10日。同日発生したマレー沖海戦でPOWとレパルスも沈んでいるから、
太平洋に展開する連合国海軍全体を見ても相当比率は悪くなっていたと思われる。厳密な計算をした訳ではないから分からないけど、
対米英濠蘭戦力比が最も縮まったのはバタビア沖海戦の直後、42年3月1日頃じゃないかな。
だけど……そこまでだった。
開戦直後から2週に1隻のペースでガトー級が竣工し、
42年夏からは11日に2隻のペースでフレッチャー級が竣工し、
42年末からは50日に1隻のペースでエセックス級が竣工し、
43年夏からは7日に1隻のペースでカサブランカ級が竣工し、
43年末からは8日に1隻のペースでアレン・M・サムナー級が竣工し…etcetc
これはもうスゴイを通り越して呆れる建造量だ。44年1月31日の隻数&トン数は開戦時点の約2倍となっている。
それまでに撃沈された船を計算から外したとしても、2年間で「開戦時の合衆国海軍」をもう1個おかわりした計算になる。
出来たてホヤホヤの船すら他国へ気前よくレンドリースしたりする一方でこんな事をやってるのだから文字通り桁が違う。
例えばイギリスに貸与されたボーグ級とバックレイ級とエヴァーツ級だけで100隻越しちゃうんだもの。
一方日本の建造数はどうだったか。ピークである44年(会計年度)に竣工した船は補助艦艇推定44909トンを除いても42万3493トン、
なんと6833隻もある。え? 何かの間違いじゃないかって? 実はこのうち1464隻38655トンを上陸用舟艇が、
5121隻10508トンを特攻艇が占める。その他の艦艇は合計248隻だけど、この中には輸送艦57隻61100トンがある。
差し引き191隻、31万3230トン。数だけ見れば「おや、日本も2年あれば連合艦隊がおかわりできるじゃないか」と思える。
けれど上記の表と照らし合わせてよく見ると建造した隻数の割にはトン数がやけに小さいことに気がつくだろう。
この中には海防艦111隻87730トンが入っているんだ。特攻艇のべらぼうな建造数を見て分かるとおり小船は建造しやすい。
ある種水増しみたいなものとして数値として出てくる訳だ。(海防艦なんて不要と言ってる訳じゃ無いよ)
この111隻に加え掃海艇4隻2520トンと駆潜艇3隻1320トンを抜いたものが上記の表に記すことの出来る「主要艦艇」となる。
その数73隻、22万1600トン。意外と健闘していると思う。だが表を見る限り日本の艦艇数はどんどん減っている。
ということはつまり、このペースを超える勢いで沈められていった事を示している。「消耗戦」という概念は陸の専売特許ではないのだ。
商船編
次に商船を見てみよう。軍用艦艇の項で見たとおり、どだい建艦競争ではアメリカに勝ち目はない。
じゃあ次善の策で、アメリカが作る以上のペースで船を沈めるしか手立てはない。…って、なんだって? 真珠湾で○○すれば…?
大和や武蔵を××すればもっと活躍できた? インド洋に進出して△△? いいねいいね、どうせ後世の後付けだ。
元防衛大学校の教授が「
大和を上手く使えば太平洋戦争に勝てた」とか言っちゃうご時世だ。素人が何を言ったって自由ってものだろう。
でも一つ忘れちゃいけないことがある。こちらが作る船を沈められないように守ることだ。
軍用艦艇編で「日米の船舶の比率を好転させるためには、相手が建造するよりも多くの船を沈める必要がある」と書いた。
より正しく言えば「日本の建造量ー損害量」が「アメリカの建造量ー損害量」を上回る必要がある、ということだ。
つまり「味方の商船を守りひたすら損害を抑え」つつ「相手の商船を沈めひたすら損害を与え」なければならない。
建造量が絶対的に違う以上、わずかな損害がボディーブローのように日本の継戦能力を奪っていくのは必定だ。
景気の良い話をする前に、ここはひとつ日本の商船・タンカーの建造と海上護衛について見てみよう。
海上護衛と聞いて一家言も二家言もある人は大井参謀以外にも大勢居るだろう。
さぁて、太平洋戦争を通じて日本の商船はどれだけ造られどれだけ沈められたか?
商船の建造、捕獲、損耗の推移(単位:トン)
|
建造隻数 |
建造量 |
捕獲・引揚 |
改造 |
合計 |
損耗 |
差引 |
第1年 |
73 |
244672 |
609211 |
-36000 |
817883 |
1019479 |
-201596 |
第2年 |
201 |
514158 |
102831 |
-100000 |
516989 |
1661791 |
-1144802 |
第3年 |
499 |
1074913 |
29565 |
-182000 |
922478 |
3071787 |
-2149309 |
第4年 |
160 |
473912 |
5880 |
318000 |
797792 |
1175810 |
-378018 |
タンカーの建造、捕獲、損耗の推移(単位:トン)
|
建造隻数 |
建造量 |
捕獲・引揚 |
改造 |
合計 |
損耗 |
差引 |
第1年 |
8 |
21291 |
63300 |
36000 |
120591 |
9557 |
111034 |
第2年 |
54 |
254927 |
6197 |
100000 |
361124 |
174552 |
186572 |
第3年 |
204 |
624290 |
6079 |
182000 |
812369 |
824468 |
-12099 |
第4年 |
28 |
85651 |
―― |
-318000 |
-232349 |
361674 |
-594023 |
(第1年目は41年12月~42年12月。第2年目は43年1~12月。第3年目は44年1~12月。第4年目は45年1~8月。
合計は建造、捕獲・引揚、改造の計。改造とは商船の場合タンカーへ、タンカーの場合商船への改造を指す。
「貧国強兵」p141,p145の表と「海上護衛戦」の付表から一部表記を変えて作成)
凄まじい泥沼っぷりが見て取れると思う。船が沈められて原料が届かないから鉄鋼その他の生産高が下がる。
生産高が下がったために船が造れず、それがまた原料不足を呼び、ついには増産どころか損失すら補えなくなる。
圧延鋼材の生産高は開戦前の1938年度における487万6千トンがピークであり、それ以降この数値を上回ることはなかった。
鉄を運ぶ船を造るために鉄を使うという現代版賽の河原がそこにはあったのだ。
戦前の海軍は毎年の造船量を50~70万トンと予想していたから、想定よりもずっと多くの船を造ることが出来たことになる。
しかし商船の損耗も戦前の予想年60万トンを遙かに上回ることとなったのは皮肉かも知れない。
特に44年は、前年の2倍の船を造ったと思ったら沈む方も2倍になっている。
開戦してしばらくはタンカーの不足を埋め合わせるため商船からの改造が相次いだものの、
45年に入って油田地帯への航路がシャットアウトされると、タンカーなどお役ご免とばかりに商船へ改造されている。
なんとなれば、45年1月にはタンカーの新規建造が停止されてしまうのだから問題は根深い。まさしく泥縄だ。
それにしても、開戦第1年目に70万トン近い輸送船とタンカーを捕獲できたのは実に大きいと思う。
「43年に日本が作った全輸送船」とほぼ等しい量の船が労せずして手に入ったのだから、棚からぼた餅とはまさにこの事だろう。
開戦時点で日本には2529隻633万7千総トンの商船・タンカーがあった。これが45年8月には2018隻220万7400総トンになる。
船の数自体は8割になっただけだが総トン量では3割5分になってしまっている。大型の優秀船が次々沈められ小船ばかりが
残っていったことが伺えよう。しかも終戦時、このうち100万総トン近くが南方で雪隠詰めを喰らい身動きが
取れなくなってしまっている。
太平洋戦争の全期間を通じて日本が建造した500トン以上の商船・タンカーの合計が約330万総トン、
一方失った商船・タンカーの合計は約820万総トンだから、日本の商船隊が全て入れ替わるくらいの勢いで撃沈され
また建造されていったといえる。資料によって「500総トン以上の船のみカウント」とか「100総トン以上のみ計算」とか
若干の誤差があるけど、日本の輸送船団の収支は開戦時保有630万+建造330万+捕獲80万-損失820万=残存220万 ってな感じになる。
なに? さっきから日本の船が沈められる話ばかりで景気が悪いって? じゃあ話題を変えよう。今度は日本が沈めるターンだ。
アメリカでは一体何隻の船が造られ、どれくらい沈めれば勝ち目が見えてくるのだろうか。
沈める、と軽々しく言うけども、第二次大戦におけるキングオブマスプロダクト、メイドインUSAの申し子であるリバティ船を
竣工する以上に沈めるというのは何とも気が遠くなる話ではある。それでもまぁ、気になるのが人情というもの。
リバティ船は合計2710隻が建造された。1隻当たりの総トン数は7176トンなので合計約1945万トンとなる。
油槽船型や石炭運搬船型が合わせて80隻ほどあるので少し数値が前後するけど大体このくらいだ。
加えてこの下には534隻建造のヴィクトリー船(7200総トン)、約500隻建造のT2タンカー(約10000総トン)、
そしてC1,C2,C3,C4の各級輸送船らが待ち構えている。アメリカでは1939年から1945年までの6年間で延べ5777隻、
載貨重量トン数にして5600万トンの船が建造されたという。こりゃ確かに世界中に物と船をばらまける訳だ。
一方、日本が撃沈した米国の商船・油槽船は「太平洋戦争沈没艦船遺体調査大鑑」によると合計98隻、51万9772トンであるという。
……はっきり言ってどうしようもないくらい少ないね。海軍の方針も船の性格も艦隊決戦一本槍だったから仕方ない面もあるとはいえね。
ちょっと待って。そういえばリバティ船はその設計・製造ミスにより全期間合わせて約200隻、約144万トンが
沈没したり使用不能な損害を受けたりしている。と、ということは何? 太平洋においてアメリカ商船の最大の敵は
帝国海軍じゃなくて鋼材の脆性破壊ってこと?
本筋とは逸れるが、友邦ドイツの活躍ぶりはどうだったのだろう。陸軍省戦争経済研究班、通称秋丸機関の英米班が
有沢広巳東京帝国大学助教授を主任としてまとめ、昭和16年7月に陸軍に報告した「英米合作経済抗戦力調査」という資料が残っている。
それによると、英米が協力して戦争に望んだ場合、英国の船舶を月50万トン以上沈めればアメリカからイギリスへの援助を無効に出来るという。
というのも、英米の造船能力は最大能力を発揮しても年600万トンを大きく超えることは無いだろうと推測されたからだ。
大西洋での連合国・中立国商船の喪失量(万総トン)
年度 |
連合国・中立国 |
単位:万総トン 月平均 |
1939 |
75.5 |
6.3 |
1940 |
399.2 |
33.3 |
1941 |
432.9 |
36.1 |
1942 |
779.0 |
64.9 |
1943 |
322.0 |
26.8 |
1944 |
104.7 |
8.7 |
1945 |
43.9 |
8.8 |
合計 |
2157.2 |
28.0 |
(「戦争と石油」(6)より。大本の出典は「輸送船入門」)
実際の喪失量は以上の通りだ。42年は月平均50万トンを上回っている。つまりUボートがアメリカの造船能力を最大瞬間風速的に超えた訳だ。
すごいぜUボート! すごいぜ群狼戦術! ……と言いたいところだがそうではない。
「戦争と石油」によると、大戦中イギリスは730万総トン(年平均100万総トン)の船を建造し、
アメリカは1941年から1945年8月までの間に3850万総トン(年平均820万総トン)を建造したという。英米合わせて年920万総トン。
42年の喪失量779万トンと比較すれば、アメリカ・イギリス人の目には「船が造るそばから沈んでいった」という恐ろしい光景が
現実の物として浮かび上がっただろう。だがそれでもなお米英の船舶量の差し引きはマイナスにならない。
年平均でざっくり計算しただけなのである月だけ見れば船舶量がマイナスということはあるだろうが、
しかしドイツ人はドイツ人で「沈めても沈めても船が減らない」といった逆方向に恐ろしい光景が見えたはずだ。
…なんだか変な話になってきた。ここでJ.B.コーヘン「戦時戦後の日本経済」を引用し、まとめとしたい。
「戦争中に連合軍が撃沈した日本の船舶は合計1028万3755トンで、そのうち、860万総トン以上が商船(※)、
190万トンが海軍艦艇であった。500トン以下の商船を除いて計3032隻が海底に葬られたのであった」
「日本が船舶保有量の純増を記録することの出来たのは開戦当初の4ヶ月だけであって、それも生産によるのでなく、
拿捕や浮揚によってであった。新造分も漸次増加し開戦当初の4ヶ月は喪失高の4分の1であったが、最大の造船高をあげた
1944年には喪失高の2分の1近くに達したが(原文ママ)、しかし遂に間隙を埋めることは出来なかったのである」
※引用者注 タンカーを含むあらゆる商船のことと思われる
最終更新日 2014-06-06
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最終更新:2014年06月06日 23:08