私家要約版「戦争と石油」
はじめに
本項はJOGMECで公開されている岩間敏氏の「
戦争と石油」を一部抜粋し、データとしてまとめた物です。
「戦争と石油」は大変興味深いエッセーであるものの、全6回からなる大著でもあり、中々に読破しがたく、
またネット上での知名度も低いのが現状です。このコラムはその取っかかりとなるべくごく基本的なデータを引用し、
閲覧者の興味を湧き起こすことを目的としています。なので、太平洋戦争における石油事情について本格的に
知りたいと思ったならば、本項を読まずにすぐさま上記ウェブサイトへアクセスすることをお勧めします。
本項記載の数値データは全て「戦争と石油」からの引用です。
また著作者の権利を侵害する一切の意図は無いことをここにあらかじめ記します。
本文
まず、開戦前の各種数値を見てみよう。
太平洋戦争開戦時における日本の石油備蓄量
報告者 |
備蓄量 |
時期 |
米国戦略爆撃団調査報告 |
810万キロリットル |
昭和16年末 |
陸軍省整備局「物的国力判断」 |
837万トン |
昭和16年8月 |
企画院 |
840万キロリットル |
昭和16年10月 |
海軍省軍務局 |
940万キロリットル |
昭和16年8月 |
海軍軍令部 |
970万キロリットル |
昭和16年5月 |
米国合同極東石油委員会 |
911万キロリットル |
昭和16年12月 |
陸軍(国力判断需給推定) |
743万キロリットル |
昭和16年3月 |
上記陸軍省整備局「物的国力判断」における燃料の内訳(単位:1万トン)
|
航空用揮発油 |
普通揮発油 |
重油 |
計 |
陸軍 |
47 |
40 |
0 |
87 |
海軍 |
140 |
15 |
550 |
705 |
民間 |
4 |
22 |
21 |
47 |
海軍省軍需局月頭報告による昭和16年12月8日時点での各種燃料
原油 |
1,435,000トン |
重油(1号、2号) |
3,624,000トン |
航空機用揮発油 |
477,500キロリットル |
航空機用潤滑油 |
6,470キロリットル |
普通潤滑油 |
13,600キロリットル |
イソオクタン他 |
26,987キロリットル |
計 |
5,583,557キロリットル |
- 原油、重油はトン表記、計はキロリットル換算なくそのまま加算
- 11月の御前会議時の数値(650万キロリットル)より減少しているのは開戦前に各艦船に供給したためと岩間氏は推測している
筆者は需給数値等を勘案して850万から875万klの間であったと推測している。840万klの備蓄量は開戦前年の
昭和15年の石油消費量の約1年10カ月分、国内生産分と人造石油分を合わせると2年分に相当する。この時期、
世界の主要国でこれだけの石油を備蓄した国はなかった。その意味では日本は世界で最初の「戦略石油備蓄」を
行っていた。(略)当時、米国は世界最大の産油国で、昭和16年の原油生産量は日産60万kl、日本が繰り上げ、
および特別輸入などのあらゆる手段を講じ、苦労して積み上げた備蓄量は米国の原油生産量の僅か2週間分に
過ぎなかった。さらに、米国は太平洋に面したカルフォルニアの油田群を海軍予備油田として保有し、
必要があればいつでも生産が行える体制にあった。
石油の観点のみに着目するならば、「半年や一年くらいは暴れて見せます」というのは
その真意は別として数字の上ではかなり妥当な発言だった事が分かる。
1940年の世界の石油生産量
国名 |
万バレル/日 |
万kl/年 |
米国 |
316 |
18,290 |
ソ連 |
51 |
2,970 |
ベネズエラ |
47 |
2,743 |
イラン |
16 |
906 |
蘭印 |
14 |
794 |
ルーマニア |
10 |
576 |
メキシコ |
11 |
647 |
イラク |
6 |
356 |
第二次大戦当時は現代ほど中東の油田開発が進んでいない事に注目。
アメリカの生産量は世界全体の約6割を占め、ぶっちぎりで1位である。
日本の石油輸入量と米国からの輸入量の比率
|
石油輸入量(万キロリットル) |
米国からの輸入量(万キロリットル) |
比率(%) |
昭和10年(1935) |
345 |
231 |
67 |
昭和12年(1937) |
477 |
353 |
74 |
昭和14年(1939) |
494 |
445 |
90 |
次に日本の石油消費と生産について
日本の石油消費量(1,000キロリットル)
年 |
陸軍 |
海軍 |
民間 |
計 |
1931 |
115 |
324 |
2,038 |
2,477 |
1935 |
196 |
604 |
3,682 |
4,482 |
1937 |
262 |
737 |
4,696 |
5,695 |
1938 |
318 |
808 |
3,939 |
5,065 |
1939 |
333 |
915 |
3,177 |
4,425 |
1940 |
369 |
1,082 |
3,133 |
4,584 |
1941 |
509 |
1,460 |
2,128 |
4,097 |
1942 |
855 |
4,875 |
2,484 |
8,214 |
1943 |
811 |
4,283 |
1,525 |
6,619 |
1944 |
674 |
3,175 |
837 |
4,686 |
1945 |
146 |
569 |
133 |
848 |
計 |
4,588 |
18,832 |
27,772 |
51,192 |
南方(ボルネオ、ジャワ、スマトラ)の原油生産量
年 |
万バレル/日 |
万キロリットル/年 |
対1940年比(パーセント) |
1940*1 |
17.8 |
1,033 |
- |
1942 |
7.1 |
412 |
39.8 |
1943 |
13.6 |
788 |
76.7 |
1944 |
10.1 |
586 |
56.7 |
1945*2 |
1.79 |
104 |
10.1 |
- *1 開戦前・日本占領前の数値)
- *2 4月~7月末までの数値)
南方原油の生産量のピークは昭和18年第3四半期(10~12月)で、14.6万バレル/日と開戦前の82パーセントにまで回復していた
1940年の年間石油生産量は日本の開戦時点での石油備蓄量を上回る量であり、日本が最も石油を消費した1942年の
使用量821万キロリットルすら賄えてしまう量であることに着目されたい。だが、如何に日本国内へと持ち帰るかは別問題であった。
南方石油の還送見込みと実際の還送量(1万キロリットル)
年 |
還送見込み量 |
実際の還送量 |
1942 |
30 |
149 |
1943 |
200 |
265 |
1944 |
450 |
106 |
日本の代表的油田(昭和14年:生産量順)
油田名 |
所在地 |
所有会社 |
生産量(キロリットル/年) |
生産量(バレル/日) |
八橋 |
秋田 |
日本石油 |
89,764 |
1,550 |
雄物川 |
秋田 |
日本鉱業 |
64,405 |
1,111 |
院内 |
秋田 |
日本石油 |
29,982 |
517 |
新津 |
新潟 |
日本石油 |
26,211 |
452 |
豊川 |
秋田 |
日本石油 |
22,461 |
388 |
西山 |
新潟 |
日本石油 |
18,483 |
319 |
旭川 |
秋田 |
日本石油 |
14,622 |
252 |
東山 |
新潟 |
日本石油 |
10,945 |
189 |
刈羽 |
新潟 |
中野鉱業 |
8,848 |
153 |
別山 |
新潟 |
中野鉱業 |
8,805 |
152 |
日本の原油生産量
年 |
キロリットル/年 |
明治7(1874)年 |
555 |
明治10(1877)年 |
1,825 |
明治20(1887)年 |
5,467 |
明治30(1897)年 |
41,730 |
明治40(1907)年 |
273,116 |
大正元(1912)年 |
263,076 |
大正5(1916)年 |
467,724 |
大正10(1921)年 |
353,777 |
昭和元(1926)年 |
269,965 |
昭和5(1930)年 |
316,560 |
昭和10(1935)年 |
350,957 |
昭和15(1940)年 |
331,002 |
昭和16(1941)年 |
287,195 |
昭和17(1942)年 |
262,871 |
昭和18(1943)年 |
271,248 |
昭和19(1944)年 |
267,054 |
昭和20(1945)年 |
243,062 |
人造石油7カ年計画と生産実績
年度 |
生産計画(1,000トン/年) |
生産実績(1,000トン/年) |
生産実績(バレル/日) |
達成率(パーセント) |
1937 |
87 |
5 |
86 |
6 |
1938 |
146 |
11 |
190 |
7 |
1939 |
489 |
21 |
362 |
4 |
1940 |
930 |
24 |
414 |
2.5 |
1941 |
1,243 |
194 |
3,348 |
15 |
1942 |
1,807 |
238 |
4,108 |
13 |
1943 |
2,233 |
272 |
4,695 |
12 |
計 |
6,935 |
765 |
|
11 |
1944 |
- |
220 |
3,797 |
|
1945 |
- |
46 |
|
|
ピーク時でも年間27万トン、達成率は15%と極めて低調であることが分かる。
米国戦略爆撃調査団石油報告では「戦略的には日本の人造石油産業は戦争に貢献しなかった。
そのために膨大な労働力と資材が費やされた。人造石油は戦争を助けたと言うよりは、
むしろ国家の戦争努力を妨げたことは確実であった。すなわち、投入エネルギーより
抽出エネルギーの方が少なかった」と記述している。
昭和20年8月の国内石油備蓄量(陸海軍、民間合計)単位:万キロリットル
種類 |
備蓄量 |
航空機用揮発油 |
10.0 |
普通揮発油 |
6.5 |
重油 |
16.2 |
潤滑油 |
4.6 |
計 |
37.3 |
艦艇用重油、航空機用ガソリンとも払底しており、この状態で本土決戦を迎えるのは余りにも無謀であった。
個人的まとめ
約2年分の石油備蓄約850万キロリットルで戦争に望んだ日本であったが、その備蓄量は当時世界最大の産油国である
アメリカの2週間分の産出量でしかなかった。国内油田と人造石油では到底石油をまかなえないが、
南方の油田地帯は産出量だけ見れば日本の石油消費を補ってなお余りある物であった。
復旧は比較的順調に進み、また国内への還送も初期には当初の予測を上回る物であったが、
大戦中盤以降通商破壊により還送量は激減し、日本の致命となった。
参考
- 石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」
- 岩間敏氏の著作。軍事的内容に限らず、戦中~戦後の日本の石油政策全般について述べられている。
- 現在の日本の石油消費量は世界3位で約5%を占め、年間消費量は約2億8千万キロリットル。JOGMECのwebサイトによると
2014年3月末の時点で備蓄量は約8406万キロリットルで、日数にして約193日分だという。備蓄量は戦前の10倍だが使用量は
戦時中の最大値を30倍以上上回る。ちなみに備蓄量を年間消費量で割った数値と備蓄日数が微妙に異なるのは、
燃料としてだけではなく石油製品という形でも備蓄・使用されるためらしい。
最終更新日 2014-04-21
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最終更新:2014年04月21日 13:27