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批判者であること」(2008/02/04 (月) 23:37:34) の最新版変更点

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〝不思議ナックルズ〟と言う雑誌のVol.13(奥付日付2008年3月5日ミリオン出版発行)で、大泉実成と言うノンフィクションライターの方が、秋庭さんにインタビューをなさって記事を書いておられます。<br>  「秋庭さんにインタビューをなっさって記事を書いておられます。」回りくどい表現の様ですが、いや実際、「インタビュー記事」じゃなくて、「インタビューをなさって記事を書いて」おられるんです。私の感想は「インタビューの様なインタビュアーのモノローグ」なんです。<br>  なんだかやたらにタイトルの多い記事ではあります。右から眺めていくと。こうなっています。<br> <br>        秋庭俊 「職業=ジャーナリスト」の<br>        孤高なる戦いの日々<br>        インタビュールポ<br>        〝異能者〟たちの日常<br> <br>  私のような面倒臭がりはまず、これだけで堪能してしまいます。<br> <br>  さて、秋庭さん関係の記事、或いは著作物については、私は次の様な試薬をもって判断することにしています。<br> <br> ──秋庭さんの言っていることが正しく理解できたら、「秋庭さんの言っていることはおかしい」と正しく理解できる──はずです。<br> <br> では、このインタビューはどうなんでしょうか?<br> <br>   98頁二段目<br>      東京の地下をめぐる秋庭の壮大な仮説に、目が洗われる思いだった。<br>      こうした壮大な仮説を繰り広げるためには、巨大な妄想力が必要で、<br>     それがトンデモ本選者のアンテナに引っかかったのかもしれない。むろん<br>     秋庭が自分の主張を「仮説」と銘打っている以上、東京の地下に対して<br>     どのような主張を展開してもそれは自由である。<br> <br>  大泉氏が何をしているのかと言えば、インタビューの全体を通して、秋庭さんを暖かく見下ろしておられます。その見下ろしの延長線上に、秋庭氏の言説を批判する、専門家やオタクがいるのです。<br> それはこの記述に現れています。<br> <br>   98頁二段目上記の後段<br>      多くの人が秋庭の主張に興味を持ったように、その推理は斬新であり、<br>     彼の切り開くパースペクティブは極めて興味深いものだった。現実検討と<br>     のバランスはギリギリのところで保たれており、それがこの本を名著にし<br>     ている、と思った。<br>      もちろん、このような性質の本だから、一部の専門家やオタクからは批判<br>     を浴びた。仮説に対する批判であるから、あってしかるべきであり、そこに<br>     議論が深まればいい。<br> <br>  当然、秋庭さんを見下ろしているのですから、その延長線上の秋庭氏の言説を批判する、専門家やオタクを、見下ろされていらっしゃる。このインタビューは全て上から目線で構成されています。それは、冒頭の大泉氏の興味の中心についての語りから一貫しています。<br> <br>      自分の書いた本が「トンデモ本」として認定されたら、どんな気持ちになるものだろうか。<br> <br>  そして、大泉氏は「トンデモのまごころ」を持ち出すことで、上からの目線を徹底して、確定させました。<br> <br>  憐憫のインタビュー、その点では、カルト批判をしながら、オカルトにはしる不思議ナックルズの記事の中では異色のあるインタビューなのかもしれません。<br> <br>  何が問題なのでしょうか、上から目線では、インタビューの論題、記事の論点に、その上から見下ろしている者の、その者の知見の範囲内でのインタビューされる側についての、一方的な決めつけや勝手な操作が、そして見解の張り付けが行われることになります。<br>  秋庭さん得意の、他者人格の勝手な決め付け、捏造が、秋庭さんの人格について、今度は大泉氏の手でなされていると言うことです。まったく皮肉なことに。<br> <br>   私の様な、秋庭批判者、「地下網の秘密」刊行以来連綿と続く、秋庭批判者の殆どは、秋庭さんを見下げ果てた人と認識しています。後述の文言もありますか ら、批判者の殆どなどと、他者の人格を云々するのは控えたとしても、少なくとも私は、或いは、mori-chi氏はそう認識しています。しかし、私や mori-chi氏は秋庭さんを、その言説を見下ろしてはいません。同一平面上で、批判していることはご承知のとおりです。<br> <br>      一部の専門家やオタクからは批判を浴びた。<br> <br> と言うことの、オタクの部からの批判、についてのある程度の言説は私のものだと、少し大言壮語してみますが、その私が申し上げますけれど、<br> <br>      そこに議論が深まればいい。<br> <br> と仰いますが、<a href= "http://www3.atwiki.jp/619metro/pages/74.html">前掲</a>のとおり、秋庭さんの言説は「仮説ですらない」のですから、議論の深まりようが無いのです。<br> <br>   ご承知のように、秋庭さんの過去の事実についての「捏造、改竄、歪曲」と、これによってなされる「著作権、著作者人格権」に対する侵害、私どもはまずこ れを明確に批判してきました。さて、これら「捏造、改竄、歪曲」を憑拠として構築される「仮説」。「捏造、改竄、歪曲」からどのようにして議論が深まるの でしょうか?<br>  また、個人の人格の勝手な創造、特に、反論や否定、批判のできない、多くは故人となられた人々の人格の捏造行為は、これも「仮説」の中に含まれるのでしょうか?<br>  何故、捏造行為だと言うのでしょうか。一応事実として仮定的にでも、人格を明らかにする場合には、多数の当該人物における人格評定の資料或いは、それら の研究に拠って定まった人物評価を基にして明らかにされるものではありませんか?或いはそれを覆す、新たな人物評を作り上げるのならば、その作業には確認 された誰もに認められる資料が提示されるべきではありませんか?秋庭さんの提示する憑拠の中に、そのようなものがあれば、新たな人物評価の「仮説」足り得 るかも知れませんが、秋庭さんの記述の中にその様なものがあるでしょうか?強固たる憑拠どころか、曖昧な手懸りすらありません。秋庭さんの記述をいくら読 んでも、そのようなものは断じて存在しないのです。<br>  秋庭さんが、その様な秋庭さんによって捏造された人格をもって「地下妄」の憑拠、「仮説」の憑拠とされていること、が理解できないとしたら、大変失礼ながら、私の試薬ではその方は雲国際派と言うことになります。<br> <br>  その昔、秋庭さんはこんな見解を付けて、ドストエフスキーを気取った「地下室の手記」なる掲示板を立ち上げられ、現在のオフィシャルホームページなるポータルからリンクされておられました。<br> <br> &gt;このページでは、東京の地下への疑問、意見、感想、妙な体験などを募集しています。<br> &gt;こんな話を聞いたことがある、この本にはこんなことが書いてある、というのも歓迎です。<br> &gt;投稿に合致する資料があるときは速やかにここに提示し、さらに取材していく所存でいます。<br> &gt;なお、このような趣旨から外れているもの、不適切な表現があるものについては、私の判断<br> &gt;でカットさせていただきます。ご了承ください。<br> <br>  議論ができるなら、ここで十分に可能だったはずですが、実際には何が起こったのか?<br>  「秋庭さんの記述の誤り(主に歪曲)」に対する質問(批判)と「秋庭さんが記述した地下についての結論」に対して憑拠は何かと言う質問(開示要求)ばかりとなり、秋庭さんは一言も発することなく、リンクを切られサーバーのファイルを放擲されました。<br> <br>      仮説に対する批判であるから、あってしかるべきであり、そこに議論が深まればいい。<br> <br>  五年も前に結論の出てしまったこと、深めようのない議論なるもの。秋庭さんに対する憐憫の見下ろし視線から出てきた見解がこのような浅薄なものならば、<br>  私は秋庭さんと雲国際派批判を、なお続けるしかありません。<br> <br>
〝不思議ナックルズ〟と言う雑誌のVol.13(奥付日付2008年3月5日ミリオン出版発行)で、大泉実成と言うノンフィクションライターの方が、秋庭さんにインタビューをなさって記事を書いておられます。<br>  「秋庭さんにインタビューをなっさって記事を書いておられます。」回りくどい表現の様ですが、いや実際、「インタビュー記事」じゃなくて、「インタビューをなさって記事を書いて」おられるんです。私の感想は「インタビューの様なインタビュアーのモノローグ」なんです。<br>  なんだかやたらにタイトルの多い記事ではあります。右から眺めていくと。こうなっています。<br> <br>        秋庭俊 「職業=ジャーナリスト」の<br>        孤高なる戦いの日々<br>        インタビュールポ<br>        〝異能者〟たちの日常<br> <br>  私のような面倒臭がりはまず、これだけで堪能してしまいます。<br> <br>  さて、秋庭さん関係の記事、或いは著作物については、私は次の様な試薬をもって判断することにしています。<br> <br> ──秋庭さんの言っていることが正しく理解できたら、「秋庭さんの言っていることはおかしい」と正しく理解できる──はずです。<br> <br> では、このインタビューはどうなんでしょうか?<br> <br>   98頁二段目<br>      東京の地下をめぐる秋庭の壮大な仮説に、目が洗われる思いだった。<br>      こうした壮大な仮説を繰り広げるためには、巨大な妄想力が必要で、<br>     それがトンデモ本選者のアンテナに引っかかったのかもしれない。むろん<br>     秋庭が自分の主張を「仮説」と銘打っている以上、東京の地下に対して<br>     どのような主張を展開してもそれは自由である。<br> <br>  大泉氏が何をしているのかと言えば、インタビューの全体を通して、秋庭さんを暖かく見下ろしておられます。その見下ろしの延長線上に、秋庭氏の言説を批判する、専門家やオタクがいるのです。<br> それはこの記述に現れています。<br> <br>   98頁二段目上記の後段<br>      多くの人が秋庭の主張に興味を持ったように、その推理は斬新であり、<br>     彼の切り開くパースペクティブは極めて興味深いものだった。現実検討と<br>     のバランスはギリギリのところで保たれており、それがこの本を名著にし<br>     ている、と思った。<br>      もちろん、このような性質の本だから、一部の専門家やオタクからは批判<br>     を浴びた。仮説に対する批判であるから、あってしかるべきであり、そこに<br>     議論が深まればいい。<br> <br>  当然、秋庭さんを見下ろしているのですから、その延長線上の秋庭氏の言説を批判する、専門家やオタクを、見下ろされていらっしゃる。このインタビューは全て上から目線で構成されています。それは、冒頭の大泉氏の興味の中心についての語りから一貫しています。<br> <br>      自分の書いた本が「トンデモ本」として認定されたら、どんな気持ちになるものだろうか。<br> <br>  そして、大泉氏は「トンデモのまごころ」を持ち出すことで、上からの目線を徹底して、確定させました。<br> <br>  憐憫のインタビュー、その点では、カルト批判をしながら、オカルトにはしる不思議ナックルズの記事の中では異色のあるインタビューなのかもしれません。<br> <br>  何が問題なのでしょうか、上から目線では、インタビューの論題、記事の論点に、その上から見下ろしている者の、その者の知見の範囲内でのインタビューされる側についての、一方的な決めつけや勝手な操作が、そして見解の張り付けが行われることになります。<br>  秋庭さん得意の、他者人格の勝手な決め付け、捏造が、秋庭さんの人格について、今度は大泉氏の手でなされていると言うことです。まったく皮肉なことに。<br> <br>   私の様な、秋庭批判者、「地下網の秘密」刊行以来連綿と続く、秋庭批判者の殆どは、秋庭さんを見下げ果てた人と認識しています。後述の文言もありますか ら、批判者の殆どなどと、他者の人格を云々するのは控えたとしても、少なくとも私は、或いは、mori-chi氏はそう認識しています。しかし、私や mori-chi氏は秋庭さんを、その言説を見下ろしてはいません。同一平面上で、批判していることはご承知のとおりです。<br> <br>      一部の専門家やオタクからは批判を浴びた。<br> <br> と言うことの、オタクの部からの批判、についてのある程度の言説は私のものだと、少し大言壮語してみますが、その私が申し上げますけれど、<br> <br>      そこに議論が深まればいい。<br> <br> と仰いますが、<a href= "http://www3.atwiki.jp/619metro/pages/74.html">前掲</a>のとおり、秋庭さんの言説は「仮説ですらない」のですから、議論の深まりようが無いのです。<br> <br>   ご承知のように、秋庭さんの過去の事実についての「捏造、改竄、歪曲」と、これによってなされる「著作権、著作者人格権」に対する侵害、私どもはまずこ れを明確に批判してきました。さて、これら「捏造、改竄、歪曲」を憑拠として構築される「仮説」。「捏造、改竄、歪曲」からどのようにして議論が深まるの でしょうか?<br>  また、個人の人格の勝手な創造、特に、反論や否定、批判のできない、多くは故人となられた人々の人格の捏造行為は、これも「仮説」の中に含まれるのでしょうか?<br>  何故、捏造行為だと言うのでしょうか。一応事実として仮定的にでも、人格を明らかにする場合には、多数の当該人物における人格評定の資料或いは、それら の研究に拠って定まった人物評価を基にして明らかにされるものではありませんか?或いはそれを覆す、新たな人物評を作り上げるのならば、その作業には確認 された誰もに認められる資料が提示されるべきではありませんか?秋庭さんの提示する憑拠の中に、そのようなものがあれば、新たな人物評価の「仮説」足り得 るかも知れませんが、秋庭さんの記述の中にその様なものがあるでしょうか?強固たる憑拠どころか、曖昧な手懸りすらありません。秋庭さんの記述をいくら読 んでも、そのようなものは断じて存在しないのです。<br>  秋庭さんが、その様な秋庭さんによって捏造された人格をもって「地下妄」の憑拠、「仮説」の憑拠とされていること、が理解できないとしたら、大変失礼ながら、私の試薬ではその方は雲国際派と言うことになります。<br> <br>  その昔、秋庭さんはこんな見解を付けて、ドストエフスキーを気取った「地下室の手記」なる掲示板を立ち上げられ、現在のオフィシャルホームページなるポータルからリンクされておられました。<br> <br> &gt;このページでは、東京の地下への疑問、意見、感想、妙な体験などを募集しています。<br> &gt;こんな話を聞いたことがある、この本にはこんなことが書いてある、というのも歓迎です。<br> &gt;投稿に合致する資料があるときは速やかにここに提示し、さらに取材していく所存でいます。<br> &gt;なお、このような趣旨から外れているもの、不適切な表現があるものについては、私の判断<br> &gt;でカットさせていただきます。ご了承ください。<br> <br>  議論ができるなら、ここで十分に可能だったはずですが、実際には何が起こったのか?<br>  「秋庭さんの記述の誤り(主に歪曲)」に対する質問(批判)と「秋庭さんが記述した地下についての結論」に対して憑拠は何かと言う質問(開示要求)ばかりとなり、秋庭さんは一言も発することなく、リンクを切られサーバーのファイルを放擲されました。<br> <br>      仮説に対する批判であるから、あってしかるべきであり、そこに議論が深まればいい。<br> <br>  五年も前に結論の出てしまったこと、深めようのない議論なるもの。秋庭さんに対する憐憫の見下ろし視線から出てきた見解がこのような浅薄なものならば、<br>  私は秋庭さんと雲国際派批判を、なお続けるしかありません。<br> <br>  さて、雲国際派と言えば、今回の件で書棚をいじっていると何か出てきちゃたんですね、昨年3月「不思議ナックルズ」特別編集号・永久保存版と銘打たれた、ミリオン出版さんのお出しになった「別冊ナックルズVOL.6」なるものが。<br>  特別編集号だとか、別冊だとか、大洋図書さんも、取次ぎや、コンビニの口座取るのに苦労されているんですネェ。<br>  それはさておき、大泉さんにも一度ミリオン出版さんか、大洋図書さんの返本倉庫でも漁られて、この「別冊ナックルズVOL.6」36~39頁、読む必要はありません、御覧になること、眺められることをお勧めしておきましょう。<br>  秋庭さんの捏造ネタをもとに、捏造の拡大再生産をなさっている、木内章次さんの、秋庭さんにすら忘れ去られた記事を。<br>  何しろ秋庭さん今回のインタビューにこうお答えになっていますから、<br>      「前略・・・、でも今は地下の話は僕しかやってないんで、ある程度までやらないと。<br>      ほんとに、いろいろな都市伝説と一緒にされちゃう。口裂け女と一緒にされちゃうん<br>      ですよ。都市伝説ではなくて、政府専用の高速道路が八方向に伸びているんだと<br>      いう話をある程度までやって、片づけないとやめられないかな」<br> <br> 一年ほど前のこととは言え、「僕しかやってない」って。また、犯人しか知りえない事実なんでしょうか。<br> <br>

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