• atwiki
  • 地下妄の手記
  • [第一章「鷗外の地図が見つかった」ってことで。そこんとこ宜しく!]の変更点

「第一章「鷗外の地図が見つかった」ってことで。そこんとこ宜しく!」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

第一章「鷗外の地図が見つかった」ってことで。そこんとこ宜しく!」(2012/05/14 (月) 17:33:07) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

<h2>第一章「鷗外の地図が見つかった」ってことで。そこんとこ宜しく!<br />  </h2> <p>  女将の次の番頭さんじゃなかった<span style="font-size:x-large;">第一章、出だしは</span>こんなんなんですが、<br />  <br /><span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp"><b>鷗外の地図</b></span><br />          「鷗外の地図が見つかったんですよ」<br />           扉を開けると同時に声をかけられた。二〇〇三年のことである。当時の文京区立本郷図書館の<br />          一角には森鷗外の記念室があったから、私はすぐに後ろを向いた。記念室の窓に明かりがあった。<br />          「地図、ですか」<br />           借りていた本をカウンターに載せ、私はもう一度、振り向いた。文豪で、軍医で、鷗外は語学<br />          も達人だったと聞いてはいたが、地図まで作っていたとは知らなかった。<br />          「見ますか」と聞かれたときは驚いた。<br />          「ぜひ」という声に力が入ってしまった。図書館の人とはみな懇意にしていたから、<br />          「たぶん、記念室にとっては十年に一度の大ニュースですね」<br />           廊下を歩きながら、そんなことをいった。<br />           初めに室長の部屋に通され、「この本を書かれた方です」と職員に紹介された。室長の机の上<br />          には、私の書いた『帝都東京・隠された地下網の秘密』がおかれていた。お祝いの言葉を述べる<br />          とすぐに私は事務室に通され、壁に張られた地図を見上げた。このときのことは、いまでもよく<br />          覚えている。しばらくのあいだ、私は感想を口にすることもできなかった。<br />          一面に文字ばかり広がっている。それがすべて手書きで、思い思いの方向を向いている。「総<br />          理大臣」「大蔵大臣」などとあるが、それは人物を表す言葉である。「川上銅像」「大村銅像」と<br />          あるものの、位置を示す点がないから、どこに銅像があるかわからない。また、この地図には建<br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">物がひとつもなく、赤い四角や旗のようなマークは、本来の地図記号には存在しないものである。</span><br />                                         <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">(第一章 鷗外の地図が見つかった 20頁)</span><br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">鉄道の線路も国鉄でもなければ私鉄でもなく、警察や郵便局のマークもない。つまり、この地図</span><br />          は地図の決まりにのっとっていないのである。<br /><br />   ここん所の<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">悲惨な内容</span></span>については、<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">次項</span></span><br /><br /> ──<span style="color:rgb(0,0,255);"><span style="font-size:x-large;">第一章「鷗外の地図が見つかった」ってことで。仕込んじゃいました!</span></span>──鋭意製作中!乞うご期待(笑<br /><br /> を<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">ご覧</span></span>いただくとして、<br /><br />   ところでこれに続くのが、室長の机の上にあったとされる<span style="color:rgb(0,0,255);"><span style="font-size:x-large;">「帝都東京・隠された地下網の秘密」</span></span>(2002年11月洋泉社刊)<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">由来</span></span>の長いだけの中身のまるで無いモノローグ<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">「ベトナムネタ」</span></span>の粗悪な<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">駄ビング</span></span>ですが…。<br /><br />          「どうですか」<br />           そう聞かれたとき、何と答えたかは覚えていない。ただ、私は以前にも、こういう地図を見た<br />          ことがあった。全長数千キロに及ぶといわれる、ベトナムの地下道を表した地図である。<br /><br />          <b>地図が入手困難だったべトナム</b><br />          一九九〇年代の後半まで、私はテレビ局で記者をしていた。社会部、外報部を経て、メキシコ<br />          とベトナムでは特派員も経験した。ベトナムでは支局を開設するにあたり、首都ハノイの地図を<br />          入手するところから始めなければならなかった。地図が市販されていなかったからである。<br />          「市内の地図が必要だ」<br />           私は現地の助手にいった。<br />           ベトナムに支局を開設すると、政府から助手が派遣されてくる。メーカーでも商社でも銀行で<br />          も同様である。彼は助手であると同時に、その企業が何をしているかを監視する役も兼ねている。<br />          それは支社、支局を持つ際の前提条件だから、断ることはできない。毎月、給料を払っていても、<br />          彼が「この企業はベトナムにはふさわしくない」と判断すれば、支局は閉鎖を命じられることに<br />          なる。<br />          「それはむずかしい」<br />           彼はそう答え、「地図は必要ないと思う」と付け足した。当時、ハノイには三、四社の通信社<br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">と新聞社の支局があったが、どこにも地図はないということだった。とはいえ、テレビは映像が</span><br />                                         <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">(第一章 鷗外の地図が見つかった 21頁)</span><br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">なければ何も始まらない。会議も式典も動物園の話題でも、現地へ行って撮影するのが仕事で、</span><br />          そのためには地図が不可欠だと説明し、<br />          「必要か、必要でないかは私が決める」といった。<br />          「わかった。やってみよう」<br />           彼が答え、二カ月後、地図が届いた。丁寧に作られた手作りの地図で、立体模型のような凹凸<br />          があった。外国企業の支社、支局では初めてだ、と彼は胸を張り、たしかに現地の駐在員たちは<br />          「ベトナムにも地図があったのか」と、決まって驚きの声を上げた。<br />           そのときはわからなかったが、半年くらいしたころ、地図が間違っていることに気がついた。<br />          よく見ると道筋が違う。橋の場所が違う。テレビ局や省庁の場所も違えば、市の中心にある湖の<br />          形も違っていた。<br />          「どういうことなんだ」というと、<br />           彼はおもむろに地図に目をやり、<br />          「だから私は必要ないと思うといったが、あなたは私に理由を尋ねることもなく、どうしても必<br />          要だといった」と答えた。<br />           その後、私はイラクやシリアでも地図が実際とは違うということを経験したが、このときは初<br />          めてだったから、そんなものに数万円も払ったかと思うと力が抜けた。<br />          「まったく……」<br />           私がソファに倒れこむと、<br />          「あなたは兵役の経験がないからだ。うらやましい」<br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp"> 慰めの言葉をかけられた。</span><br />                                         <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">(第一章 鷗外の地図が見つかった 22頁)</span><br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">「私のいとこは軍で地図を作っている」</span><br />           助手がそういって深くうなずいた。どうやら地図を作っているというのは、その年の首席か次<br />          席の成績だということらしく、そういう優秀な男たちが額をつきあわせ、この道のカーブは実際<br />          より急にしようとか、いや、逆のほうがいいとか、橋はここに架かっていることにしておこうな<br />          どと決めているという。<br />          「そんな地図を作って、いったい何の……」といいかけたところで、<br />          「あなたはこの地図がわかっていない」<br />           彼は私をさえぎり、<br />          「この地図には『ホー・チ・ミン・ルート』が描き込まれている。だから、マスコミの支局に持<br />          ってくるのは困難だった」といった。<br />           私がその 「ホー・チ・ミン・ルート」とは何のことかと尋ねると、彼はあきれはてたという表<br />          情で天井を仰ぎ、ソファに倒れた。<br />          「命知らずの記者だと聞いてはいたが、本当だ」などとつぶやいたから、<br />          「大きなお世話だ」と返した。<br /><br />          <b>地下道が描き込まれた暗号地図</b><br />           彼によれば、ベトナムがアメリカに勝利したのは、「ホー・チ・ミン・ルート」と呼ばれる、<br />          数千キロに及ぶ移動と輸送のルートを築き上げたからで、地上の道もあれば地下もあり、川を船<br />          で進むものも、密林や峡谷をロープで渡るものもあった。南部はアメリカの支配下にあったから、<br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">はとんどの道は地下に作られ、北部も爆撃が激しくなった時期には、ほとんどが地下化されてい</span><br />                                        <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">(第一章 鷗外の地図が見つかった 23頁)</span><br /><br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">たという。</span><br />          「この地図にはその地下道が描き込まれている。ここだけの話だが、そのなかには国境を越えて<br />          カンボジアを進むルートもあれば、サイゴンの沖合二キロを進んでいるものもあって、当時は<br />          『サイゴン・ルート』と呼ばれていた。観光名所のクチのトンネルなどは、全体から見れば十分<br />          の一にもならない」<br />           その地図には三分の二にべトナム全土の地図が描かれ、左上三分の一がハノイの市街図になっ<br />           ていた。<br />          「つまり、これはベトナムの勝利を記念する地図で、党本部の壁に飾られているものと同じもの<br />          だ。党本部と交渉するには、どうしても仲介役が必要だから、そのために私は聞き飽きた武勇伝<br />          を最初から聞き直し、何度も何度も夜を明かして、その仲介役のおかげでようやく地図を持ち出<br />          す許可を得て、いまハノイでもっとも優秀な業者に同じものを作るよう頼んだ。だから、二カ月<br />          近くもかかった」<br />          「そういう勝利を記念するとかいう大それたものじゃなくて、そのへんのどこにでもあるような<br />          地図でよかったんだ」というと、<br />          「あなたは、まだわからないのか。そういうものは存在しない。そういうものがあったら、初め<br />          から何もむずかしくない」<br />           彼は努めて冷静にいった。<br />           この話はどう考えても彼に分があった。私が日本の常識を持ち込んで、彼を振り回していたに<br />          違いなかった。たしかに正確な地図が簡単に入手できたら、優秀な男たちを集めて改描(地図の<br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">改竄している意味がなくなってしまう。だから、ふつうの地図などというものは、どこにもな<br />                                         </span><span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">(第一章 鷗外の地図が見つかった 24頁)</span><br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">いということである。</span><br />           私は事前に説明を聞くべきだったと述べ、彼の交渉力を称えた。ソファから立ち上がり、栄光<br />          の、しかし何の役にも立たない地図を見上げた。いわれてみれば、タイトルらしきところに「ホ<br />          ー・チ・ミン」とあった。<br />          「とはいえ、アレキサンダー大王の時代じゃないんだから、サイゴンをホー・チ・ミンに変えた<br />          のはやりすぎだろ。二十世紀はケネディだって空港の名前までで、都市名を変えるようなことは<br />          していない」というと、<br />          「私も家族と旅行しているときなどは、サイゴンと呼んでいる。今日はレニングラードの話はし<br />          ない」<br />           彼が答えた。<br />          「で、どれがその『サイゴン・ルート』なんだ?」と尋ねると、<br />           彼は笑いながら首を振り、答えようとしなかったが、<br />          「どうせ撮影できないんだろ」というと、ふりかえって私を見た。<br />           それから「できない」というふうに首を振り、地図に指をすべらせた。<br />           表面上は何も描かれていないが、文字と記号で表されているということらしかった。文字は大<br />          きさがふぞろいで、思い思いの方向を向いていた。党本部や外務省などという文字はあっても、<br />          建築物のマークはなく、位置を示す点もないから、どこにあるのかわからない。どうやら市の中<br />          心にある小さな湖の下に、かつての北ベトナムの中枢があって、そこから四方八方に地下道が延<br />          びていたらしかった。<br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp"> ベトナム戦争時、西側のメディアはサイゴンにいた。ハノイのことは何も伝わってこなかった。</span><br />                                         <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">(第一章 鷗外の地図が見つかった 25頁)</span><br /><br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">第二次大戦の総量を上回る爆弾を投下されながら、北ベトナムがしっかりと生き延びていたのは、</span><br />          この小さな湖のおかげだったのかもしれない。<br />          「とはいえ、そんな話は聞いたこともなかった」というと、<br />          「じっは、以前、あなたの国の『赤旗』の記者がそれに気づいて、記事を送ろうとしたことがあ<br />          った」と彼がいった。<br />           その記者はベトナム語が堪能で、ほとんどベトナム人と変わらなかったため、はじめに地図上<br />          の丁寧語の使い方がおかしいと気づき、文字の配置や角度が暗号になっていることを突き止めた<br />          という。だが、記者の助手が察知したため、記事は送信されなかった。<br />           この件は特派員を管轄する外務省を飛び越し、党中央で議論され、拘束、強制送還という話も<br />          出たが、その記者は党中央にも食い込んでいたため、友人の一人が「戦争はもう過去のことだ」<br />          と周囲をなだめ、処罰を免れたということである。ハノイの地下基地と地下道の報告は、こうし<br />          て闇に葬られた。<br />           その後、私は当の記者に会う機会があって、湖や地下基地について聞くと、<br />          「何だ、その話か。あれは釣りのポイントを書いただけだ」<br />           記者はそういって大笑いした。<br />           私が笑わずに黙っていると、<br />          「ほら、釣りの雑誌にはいろんな形のマークがついているだろ。あのマークをつけただけの話だ」<br />           記者はまた大笑いした。<br />           私は笑わなかったが、それ以上は聞かなかった。もちろん、ハノイの釣りのポイントを紹介す<br />           <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">るほど、ヒマな新聞があるはずはなかった。</span><br />                                         <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">(第一章 鷗外の地図が見つかった 26頁)</span><br /><br />    さて元ネタの、<span style="color:rgb(0,0,255);"><span style="font-size:x-large;">「帝都東京・隠された地下網の秘密」(2002年11月洋泉社刊)</span></span>の<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">記述</span></span>を新潮社で文庫化されて2006年1月に出されたものから<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">挙げ</span></span>ておきましょうか。<br /><span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">  普通コピーとかダビングって、データ量が増えたり減ったりしないもののはずですが…、<br /></span></span><br />   <b>        偽りの原図</b><br />             以前、私はベトナムに支局を開設したことがある。どこに何があるかもわからない<br />            頃で、ハノイ市の地図を壁に貼りたいと考えていた。ところが、ベトナム人の助手が<br />            それは難しいだろうと答え、一人で市内を回ってみたものの、地図は売っていなかっ<br />            た。<br />            一週間後、外務省からハノイ市の地図が送られてきた。しかし、この地図がどこか<br />            おかしいと気がつくまでに六か月もかかった。<br />             テレビ局の場所、各省庁の並び、道路や鉄道のライン、方位方角、距離にいたるま<br />            で、実際とは大きく異なっていた。<br />            「正確な地図を出すわけにはいきませんから」<br />                    (「帝都東京・隠された地下網の秘密」(2006年1月新潮文庫刊56頁)<br />             助手はそう答えて、微笑を浮かべた。<br />             社会主義国では、記者の助手は政府当局から派遣される。<br />            勝手に人を雇うことはできない。もちろん、日々記者のために働いてはいるものの、<br />            助手には記者を監視するという任務があった。<br />             この特派員助手という人種は、日本で言えば、東大法学部-大蔵官僚、現役理三<br />            医学部教授というようなスーパーエリートであり、しかも、スポーツ万能だからまっ<br />            たくガッカリする。助手が「それはできないですね」と言えば、それはベトナム政府<br />            の方針ということだった。<br />            「地図は機密事項になりますから」<br />            「どこが」<br />             助手の説明をさえぎると、<br />            「あなたは兵役に行かなかったんですか」<br />             質問が質問で返ってくる。<br />             日本には兵役などないと答えると、なんと恵まれた人生だろうと助手はしばらく感<br />            心し、世界の歴史を振り返ってみても、軍隊に行かずにすんだ男は一パーセントにも<br />            ならないだろうと解説した。<br />                     (「帝都東京・隠された地下網の秘密」(2006年1月新潮文庫刊57頁)<br />             それはそうに違いなかったが、私はエルサルバドルの内戦を取材した。ニカラグア<br />            の内戦にも行った。米軍がパナマに侵攻したときはパナマに入り、湾岸戦争時はバグ<br />            ダッドで空襲を受けていた。政府軍と麻薬組織の戦争とか、クーデターとか、ビザな<br />            しの国境突破は得意とするところで、深夜に銃声を聞けばその銃の型に見当がつく。<br />            距離もそうは外れない。<br />             と、助手はしばらく感心した後、その間、地図はどうしていたのかと尋ねてきた。<br />            言われてみると、地図では何度も痛い目にあっていた。中東ではなかなか地図が手に<br />            入らず、やっと見つけても実際は橋がなかったり、テレビ局が二〇キロも離れていた<br />            りした。中国、カンボジア、タイなどでも似たりよったりだった。<br />             なんと勇敢な記者だろうと助手が感心したようにつぶやき、そのとき私は壁の地図<br />            を徹底的に検討すると心に決めていた。<br />             このように地図を改ざんすることを改描という。この言葉が載っている辞書は少な<br />            いが、その筋の人たちの文章には当たり前のように出てくる。戦前の陸地測量部の主<br />            な任務は、改描と敵の改描を見破ることにあった。<br />            「戦前、どういう訳か白抜きを嫌っていました。このため、見えない山の背後にウソ<br />            の等高線を書くもとになりました」<br />                     (「帝都東京・隠された地下網の秘密」(2006年1月新潮文庫刊58頁)<br />             先日、『地図ニュース』が陸地測量部出身者の座談会を催していた。それによると、<br />            測量部では貯水池は芝生に、火薬庫は桑畑に改措していたという。<br />                     (「帝都東京・隠された地下網の秘密」(2006年1月新潮文庫刊59頁)<br /><br />   <span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">不思議なこと</span></span>に、秋庭さんの場合は、<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">倍ぐらいに増えて中身も変わっちゃい</span></span>ます。<br /><br />   さて、2002年11月洋泉社刊──<span style="color:rgb(0,0,255);"><span style="font-size:x-large;">帝都東京・隠された地下網の秘密</span></span>──でのご発表<br /><br />            <span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">一週間後、外務省からハノイ市の地図が送られてきた。<br /></span></span><br />   「ハノイ市」の<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">地図と</span></span>2011年11月洋泉社刊──<span style="color:rgb(0,0,255);"><span style="font-size:x-large;">森鷗外の「帝都地図」隠された地下網の秘密</span></span>──でのご発表<br /><br /><span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">         その地図には三分の二にべトナム全土の地図が描かれ、<br />          左上三分の一がハノイの市街図になっていた。</span></span><br /><br /> 「三分の二に<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">べトナム全土</span></span>」と「左上三分の一が<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">ハノイの市街図</span></span><span style="font-size:x-large;">」</span><span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">って</span></span>──右上三分の一は南沙諸島の地図かな(笑──<br /><br />  ことに<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">成長された地図</span></span>は一体<span style="font-size:xx-large;"><span style="color:rgb(255,0,0);">何語で書かれて</span></span>いたんでしょうか<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:xx-large;"><span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">(笑</span></span></span><span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp"><br /><br />                                                          OP.平成24年2月20日<br /></span></p>
<h2>第一章「鷗外の地図が見つかった」ってことで。そこんとこ宜しく!<br />  </h2> <p>  女将の次の番頭さんじゃなかった<span style="font-size:x-large;">第一章、出だしは</span>こんなんなんですが、<br />  <br /><span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp"><b>鷗外の地図</b></span><br />          「鷗外の地図が見つかったんですよ」<br />           扉を開けると同時に声をかけられた。二〇〇三年のことである。当時の文京区立本郷図書館の<br />          一角には森鷗外の記念室があったから、私はすぐに後ろを向いた。記念室の窓に明かりがあった。<br />          「地図、ですか」<br />           借りていた本をカウンターに載せ、私はもう一度、振り向いた。文豪で、軍医で、鷗外は語学<br />          も達人だったと聞いてはいたが、地図まで作っていたとは知らなかった。<br />          「見ますか」と聞かれたときは驚いた。<br />          「ぜひ」という声に力が入ってしまった。図書館の人とはみな懇意にしていたから、<br />          「たぶん、記念室にとっては十年に一度の大ニュースですね」<br />           廊下を歩きながら、そんなことをいった。<br />           初めに室長の部屋に通され、「この本を書かれた方です」と職員に紹介された。室長の机の上<br />          には、私の書いた『帝都東京・隠された地下網の秘密』がおかれていた。お祝いの言葉を述べる<br />          とすぐに私は事務室に通され、壁に張られた地図を見上げた。このときのことは、いまでもよく<br />          覚えている。しばらくのあいだ、私は感想を口にすることもできなかった。<br />          一面に文字ばかり広がっている。それがすべて手書きで、思い思いの方向を向いている。「総<br />          理大臣」「大蔵大臣」などとあるが、それは人物を表す言葉である。「川上銅像」「大村銅像」と<br />          あるものの、位置を示す点がないから、どこに銅像があるかわからない。また、この地図には建<br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">物がひとつもなく、赤い四角や旗のようなマークは、本来の地図記号には存在しないものである。</span><br />                                         <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">(第一章 鷗外の地図が見つかった 20頁)</span><br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">鉄道の線路も国鉄でもなければ私鉄でもなく、警察や郵便局のマークもない。つまり、この地図</span><br />          は地図の決まりにのっとっていないのである。<br /><br />   ここん所の<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">悲惨な内容</span></span>については、<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">次項</span></span><br /><br /> ──<a href="http://www3.atwiki.jp/619metro/pages/158.html"><span style="color:rgb(0,0,255);"><span style="font-size:x-large;">第一章「鷗外の地図が見つかった」ってことで。仕込んじゃいました!</span></span></a>──2012年5月14日一応完成乞うご高覧(笑<br /><br /> を<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">ご覧</span></span>いただくとして、<br /><br />   ところでこれに続くのが、室長の机の上にあったとされる<span style="color:rgb(0,0,255);"><span style="font-size:x-large;">「帝都東京・隠された地下網の秘密」</span></span>(2002年11月洋泉社刊)<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">由来</span></span>の長いだけの中身のまるで無いモノローグ<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">「ベトナムネタ」</span></span>の粗悪な<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">駄ビング</span></span>ですが…。<br /><br />          「どうですか」<br />           そう聞かれたとき、何と答えたかは覚えていない。ただ、私は以前にも、こういう地図を見た<br />          ことがあった。全長数千キロに及ぶといわれる、ベトナムの地下道を表した地図である。<br /><br />          <b>地図が入手困難だったべトナム</b><br />          一九九〇年代の後半まで、私はテレビ局で記者をしていた。社会部、外報部を経て、メキシコ<br />          とベトナムでは特派員も経験した。ベトナムでは支局を開設するにあたり、首都ハノイの地図を<br />          入手するところから始めなければならなかった。地図が市販されていなかったからである。<br />          「市内の地図が必要だ」<br />           私は現地の助手にいった。<br />           ベトナムに支局を開設すると、政府から助手が派遣されてくる。メーカーでも商社でも銀行で<br />          も同様である。彼は助手であると同時に、その企業が何をしているかを監視する役も兼ねている。<br />          それは支社、支局を持つ際の前提条件だから、断ることはできない。毎月、給料を払っていても、<br />          彼が「この企業はベトナムにはふさわしくない」と判断すれば、支局は閉鎖を命じられることに<br />          なる。<br />          「それはむずかしい」<br />           彼はそう答え、「地図は必要ないと思う」と付け足した。当時、ハノイには三、四社の通信社<br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">と新聞社の支局があったが、どこにも地図はないということだった。とはいえ、テレビは映像が</span><br />                                         <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">(第一章 鷗外の地図が見つかった 21頁)</span><br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">なければ何も始まらない。会議も式典も動物園の話題でも、現地へ行って撮影するのが仕事で、</span><br />          そのためには地図が不可欠だと説明し、<br />          「必要か、必要でないかは私が決める」といった。<br />          「わかった。やってみよう」<br />           彼が答え、二カ月後、地図が届いた。丁寧に作られた手作りの地図で、立体模型のような凹凸<br />          があった。外国企業の支社、支局では初めてだ、と彼は胸を張り、たしかに現地の駐在員たちは<br />          「ベトナムにも地図があったのか」と、決まって驚きの声を上げた。<br />           そのときはわからなかったが、半年くらいしたころ、地図が間違っていることに気がついた。<br />          よく見ると道筋が違う。橋の場所が違う。テレビ局や省庁の場所も違えば、市の中心にある湖の<br />          形も違っていた。<br />          「どういうことなんだ」というと、<br />           彼はおもむろに地図に目をやり、<br />          「だから私は必要ないと思うといったが、あなたは私に理由を尋ねることもなく、どうしても必<br />          要だといった」と答えた。<br />           その後、私はイラクやシリアでも地図が実際とは違うということを経験したが、このときは初<br />          めてだったから、そんなものに数万円も払ったかと思うと力が抜けた。<br />          「まったく……」<br />           私がソファに倒れこむと、<br />          「あなたは兵役の経験がないからだ。うらやましい」<br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp"> 慰めの言葉をかけられた。</span><br />                                         <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">(第一章 鷗外の地図が見つかった 22頁)</span><br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">「私のいとこは軍で地図を作っている」</span><br />           助手がそういって深くうなずいた。どうやら地図を作っているというのは、その年の首席か次<br />          席の成績だということらしく、そういう優秀な男たちが額をつきあわせ、この道のカーブは実際<br />          より急にしようとか、いや、逆のほうがいいとか、橋はここに架かっていることにしておこうな<br />          どと決めているという。<br />          「そんな地図を作って、いったい何の……」といいかけたところで、<br />          「あなたはこの地図がわかっていない」<br />           彼は私をさえぎり、<br />          「この地図には『ホー・チ・ミン・ルート』が描き込まれている。だから、マスコミの支局に持<br />          ってくるのは困難だった」といった。<br />           私がその 「ホー・チ・ミン・ルート」とは何のことかと尋ねると、彼はあきれはてたという表<br />          情で天井を仰ぎ、ソファに倒れた。<br />          「命知らずの記者だと聞いてはいたが、本当だ」などとつぶやいたから、<br />          「大きなお世話だ」と返した。<br /><br />          <b>地下道が描き込まれた暗号地図</b><br />           彼によれば、ベトナムがアメリカに勝利したのは、「ホー・チ・ミン・ルート」と呼ばれる、<br />          数千キロに及ぶ移動と輸送のルートを築き上げたからで、地上の道もあれば地下もあり、川を船<br />          で進むものも、密林や峡谷をロープで渡るものもあった。南部はアメリカの支配下にあったから、<br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">はとんどの道は地下に作られ、北部も爆撃が激しくなった時期には、ほとんどが地下化されてい</span><br />                                        <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">(第一章 鷗外の地図が見つかった 23頁)</span><br /><br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">たという。</span><br />          「この地図にはその地下道が描き込まれている。ここだけの話だが、そのなかには国境を越えて<br />          カンボジアを進むルートもあれば、サイゴンの沖合二キロを進んでいるものもあって、当時は<br />          『サイゴン・ルート』と呼ばれていた。観光名所のクチのトンネルなどは、全体から見れば十分<br />          の一にもならない」<br />           その地図には三分の二にべトナム全土の地図が描かれ、左上三分の一がハノイの市街図になっ<br />           ていた。<br />          「つまり、これはベトナムの勝利を記念する地図で、党本部の壁に飾られているものと同じもの<br />          だ。党本部と交渉するには、どうしても仲介役が必要だから、そのために私は聞き飽きた武勇伝<br />          を最初から聞き直し、何度も何度も夜を明かして、その仲介役のおかげでようやく地図を持ち出<br />          す許可を得て、いまハノイでもっとも優秀な業者に同じものを作るよう頼んだ。だから、二カ月<br />          近くもかかった」<br />          「そういう勝利を記念するとかいう大それたものじゃなくて、そのへんのどこにでもあるような<br />          地図でよかったんだ」というと、<br />          「あなたは、まだわからないのか。そういうものは存在しない。そういうものがあったら、初め<br />          から何もむずかしくない」<br />           彼は努めて冷静にいった。<br />           この話はどう考えても彼に分があった。私が日本の常識を持ち込んで、彼を振り回していたに<br />          違いなかった。たしかに正確な地図が簡単に入手できたら、優秀な男たちを集めて改描(地図の<br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">改竄している意味がなくなってしまう。だから、ふつうの地図などというものは、どこにもな<br />                                         </span><span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">(第一章 鷗外の地図が見つかった 24頁)</span><br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">いということである。</span><br />           私は事前に説明を聞くべきだったと述べ、彼の交渉力を称えた。ソファから立ち上がり、栄光<br />          の、しかし何の役にも立たない地図を見上げた。いわれてみれば、タイトルらしきところに「ホ<br />          ー・チ・ミン」とあった。<br />          「とはいえ、アレキサンダー大王の時代じゃないんだから、サイゴンをホー・チ・ミンに変えた<br />          のはやりすぎだろ。二十世紀はケネディだって空港の名前までで、都市名を変えるようなことは<br />          していない」というと、<br />          「私も家族と旅行しているときなどは、サイゴンと呼んでいる。今日はレニングラードの話はし<br />          ない」<br />           彼が答えた。<br />          「で、どれがその『サイゴン・ルート』なんだ?」と尋ねると、<br />           彼は笑いながら首を振り、答えようとしなかったが、<br />          「どうせ撮影できないんだろ」というと、ふりかえって私を見た。<br />           それから「できない」というふうに首を振り、地図に指をすべらせた。<br />           表面上は何も描かれていないが、文字と記号で表されているということらしかった。文字は大<br />          きさがふぞろいで、思い思いの方向を向いていた。党本部や外務省などという文字はあっても、<br />          建築物のマークはなく、位置を示す点もないから、どこにあるのかわからない。どうやら市の中<br />          心にある小さな湖の下に、かつての北ベトナムの中枢があって、そこから四方八方に地下道が延<br />          びていたらしかった。<br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp"> ベトナム戦争時、西側のメディアはサイゴンにいた。ハノイのことは何も伝わってこなかった。</span><br />                                         <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">(第一章 鷗外の地図が見つかった 25頁)</span><br /><br />          <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">第二次大戦の総量を上回る爆弾を投下されながら、北ベトナムがしっかりと生き延びていたのは、</span><br />          この小さな湖のおかげだったのかもしれない。<br />          「とはいえ、そんな話は聞いたこともなかった」というと、<br />          「じっは、以前、あなたの国の『赤旗』の記者がそれに気づいて、記事を送ろうとしたことがあ<br />          った」と彼がいった。<br />           その記者はベトナム語が堪能で、ほとんどベトナム人と変わらなかったため、はじめに地図上<br />          の丁寧語の使い方がおかしいと気づき、文字の配置や角度が暗号になっていることを突き止めた<br />          という。だが、記者の助手が察知したため、記事は送信されなかった。<br />           この件は特派員を管轄する外務省を飛び越し、党中央で議論され、拘束、強制送還という話も<br />          出たが、その記者は党中央にも食い込んでいたため、友人の一人が「戦争はもう過去のことだ」<br />          と周囲をなだめ、処罰を免れたということである。ハノイの地下基地と地下道の報告は、こうし<br />          て闇に葬られた。<br />           その後、私は当の記者に会う機会があって、湖や地下基地について聞くと、<br />          「何だ、その話か。あれは釣りのポイントを書いただけだ」<br />           記者はそういって大笑いした。<br />           私が笑わずに黙っていると、<br />          「ほら、釣りの雑誌にはいろんな形のマークがついているだろ。あのマークをつけただけの話だ」<br />           記者はまた大笑いした。<br />           私は笑わなかったが、それ以上は聞かなかった。もちろん、ハノイの釣りのポイントを紹介す<br />           <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">るほど、ヒマな新聞があるはずはなかった。</span><br />                                         <span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">(第一章 鷗外の地図が見つかった 26頁)</span><br /><br />    さて元ネタの、<span style="color:rgb(0,0,255);"><span style="font-size:x-large;">「帝都東京・隠された地下網の秘密」(2002年11月洋泉社刊)</span></span>の<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">記述</span></span>を新潮社で文庫化されて2006年1月に出されたものから<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">挙げ</span></span>ておきましょうか。<br /><span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">  普通コピーとかダビングって、データ量が増えたり減ったりしないもののはずですが…、<br /></span></span><br />   <b>        偽りの原図</b><br />             以前、私はベトナムに支局を開設したことがある。どこに何があるかもわからない<br />            頃で、ハノイ市の地図を壁に貼りたいと考えていた。ところが、ベトナム人の助手が<br />            それは難しいだろうと答え、一人で市内を回ってみたものの、地図は売っていなかっ<br />            た。<br />            一週間後、外務省からハノイ市の地図が送られてきた。しかし、この地図がどこか<br />            おかしいと気がつくまでに六か月もかかった。<br />             テレビ局の場所、各省庁の並び、道路や鉄道のライン、方位方角、距離にいたるま<br />            で、実際とは大きく異なっていた。<br />            「正確な地図を出すわけにはいきませんから」<br />                    (「帝都東京・隠された地下網の秘密」(2006年1月新潮文庫刊56頁)<br />             助手はそう答えて、微笑を浮かべた。<br />             社会主義国では、記者の助手は政府当局から派遣される。<br />            勝手に人を雇うことはできない。もちろん、日々記者のために働いてはいるものの、<br />            助手には記者を監視するという任務があった。<br />             この特派員助手という人種は、日本で言えば、東大法学部-大蔵官僚、現役理三<br />            医学部教授というようなスーパーエリートであり、しかも、スポーツ万能だからまっ<br />            たくガッカリする。助手が「それはできないですね」と言えば、それはベトナム政府<br />            の方針ということだった。<br />            「地図は機密事項になりますから」<br />            「どこが」<br />             助手の説明をさえぎると、<br />            「あなたは兵役に行かなかったんですか」<br />             質問が質問で返ってくる。<br />             日本には兵役などないと答えると、なんと恵まれた人生だろうと助手はしばらく感<br />            心し、世界の歴史を振り返ってみても、軍隊に行かずにすんだ男は一パーセントにも<br />            ならないだろうと解説した。<br />                     (「帝都東京・隠された地下網の秘密」(2006年1月新潮文庫刊57頁)<br />             それはそうに違いなかったが、私はエルサルバドルの内戦を取材した。ニカラグア<br />            の内戦にも行った。米軍がパナマに侵攻したときはパナマに入り、湾岸戦争時はバグ<br />            ダッドで空襲を受けていた。政府軍と麻薬組織の戦争とか、クーデターとか、ビザな<br />            しの国境突破は得意とするところで、深夜に銃声を聞けばその銃の型に見当がつく。<br />            距離もそうは外れない。<br />             と、助手はしばらく感心した後、その間、地図はどうしていたのかと尋ねてきた。<br />            言われてみると、地図では何度も痛い目にあっていた。中東ではなかなか地図が手に<br />            入らず、やっと見つけても実際は橋がなかったり、テレビ局が二〇キロも離れていた<br />            りした。中国、カンボジア、タイなどでも似たりよったりだった。<br />             なんと勇敢な記者だろうと助手が感心したようにつぶやき、そのとき私は壁の地図<br />            を徹底的に検討すると心に決めていた。<br />             このように地図を改ざんすることを改描という。この言葉が載っている辞書は少な<br />            いが、その筋の人たちの文章には当たり前のように出てくる。戦前の陸地測量部の主<br />            な任務は、改描と敵の改描を見破ることにあった。<br />            「戦前、どういう訳か白抜きを嫌っていました。このため、見えない山の背後にウソ<br />            の等高線を書くもとになりました」<br />                     (「帝都東京・隠された地下網の秘密」(2006年1月新潮文庫刊58頁)<br />             先日、『地図ニュース』が陸地測量部出身者の座談会を催していた。それによると、<br />            測量部では貯水池は芝生に、火薬庫は桑畑に改措していたという。<br />                     (「帝都東京・隠された地下網の秘密」(2006年1月新潮文庫刊59頁)<br /><br />   <span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">不思議なこと</span></span>に、秋庭さんの場合は、<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">倍ぐらいに増えて中身も変わっちゃい</span></span>ます。<br /><br />   さて、2002年11月洋泉社刊──<span style="color:rgb(0,0,255);"><span style="font-size:x-large;">帝都東京・隠された地下網の秘密</span></span>──でのご発表<br /><br />            <span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">一週間後、外務省からハノイ市の地図が送られてきた。<br /></span></span><br />   「ハノイ市」の<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">地図と</span></span>2011年11月洋泉社刊──<span style="color:rgb(0,0,255);"><span style="font-size:x-large;">森鷗外の「帝都地図」隠された地下網の秘密</span></span>──でのご発表<br /><br /><span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">         その地図には三分の二にべトナム全土の地図が描かれ、<br />          左上三分の一がハノイの市街図になっていた。</span></span><br /><br /> 「三分の二に<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">べトナム全土</span></span>」と「左上三分の一が<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">ハノイの市街図</span></span><span style="font-size:x-large;">」</span><span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">って</span></span>──右上三分の一は南沙諸島の地図かな(笑──<br /><br />  ことに<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:x-large;">成長された地図</span></span>は一体<span style="font-size:xx-large;"><span style="color:rgb(255,0,0);">何語で書かれて</span></span>いたんでしょうか<span style="color:rgb(255,0,0);"><span style="font-size:xx-large;"><span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp">(笑</span></span></span><span lang="ja-jp" xml:lang="ja-jp"><br /><br />                                                          OP.平成24年2月20日<br /></span></p>

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
記事メニュー
目安箱バナー