「地下鉄の起点はいくつある」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「地下鉄の起点はいくつある」(2006/04/07 (金) 23:57:26) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
「地下鉄の起点はいくつある?」<br>
「地下網の秘密」文庫版112頁以降の「地下鉄の起点は二つある」とか、そのようなことが普遍的に起こっている様な項目見出しを付けておられます。<br>
すなわち、センセはいくつかの営団線に、起点が二つあるとして、当該地下鉄の一部が「戦前」の地下鉄既成線の再利用、合法的顕在化と、明確には仰ってはいないが、匂わせていらっしゃいます。<br>
しかし、センセの説明は、その路線の免許に至るプロセス、あるいは建設に至るプロセスの無視、設計、施工の上での起点・終点の位置名と駅名の混用など、例によって、お得意の時間的経過の無視や、作為的な時制利用等を駆使されて騙られる、何らの根拠も無いものです。<br>
ところが、これもお得意の手法ですが、上記の様な説を当該章で匂わせることで、その自作自演の仄めかしを根拠に、後の章でそれがほぼ真実であると仰っておられるのです。<br>
2ちゃんレスで挙げました概要について、いま少し詳細に説明すると。<br>
<br>
十三号線について:センセは有楽町線の小竹向原へ十三号線が直通する可能性が<br>
有ることを挙げて、池袋起点以外に起点があるように牽強付会<br>
されようとしておられるようです。<br>
しかし、池袋―小竹向原間は、当初丸ノ内線で、池袋―<br>
新宿間が開通後の昭和36年に免許された池袋―「向原」<br>
部分を有楽町線に変更した免許で十三号線の免許ではありません。<br>
<br>
丸ノ内線について:昭和21年の「都市計画決定」で一旦計画に上って以降は、<br>
丸ノ内線の「起業目論見書」にも「免許」にも、池袋―<br>
小竹向原間は現れません。計画ではあったのでしょうが、<br>
実際の免許は丸ノ内線の延伸として、池袋-新宿開通後2年<br>
経った上記のとおり36年です。<br>
ですから以降でセンセが多用される線路平面図の複数起点<br>
と言う様な記述は丸ノ内線の線路縦断面図、平面図には<br>
存在しません。センセのお示しになっている根拠そのもの<br>
が丸ノ内線に関しては、他とは異なると言うことです。<br>
<br>
東西線について:中核となる高田馬場―東陽町間の「免許」が戦前で、しかも、<br>
元々は、池袋から早稲田を経て洲崎に至る営団が東京市<br>
から譲り受けた路線免許を高田馬場接着、東陽町接着に<br>
変更したものです。<br>
それに両端部分である中野―高田馬場間、東陽町―西船橋<br>
間が新たに免許されたため、路線図上で起点が中野、<br>
高田馬場、東陽町に三分されていることを良い事にしての<br>
牽強付会。<br>
しかも、高田馬場、東陽町の二つの起点が同名駅所在位置<br>
と異なって場所にあること、特に東陽町は、東陽町駅を越え、<br>
深川車庫分岐の手前が夫々の免許の起・終点になって<br>
いるため、線路平面図の主要地点の表示が免許上の起点<br>
「東陽町」ではなく、「南砂町起点」と記されている事をもって、<br>
「戦前、南千住は貨物の要所だった。南砂町には飛行場<br>
ができるはずだった。」(地下網の秘密文庫版117ページ)<br>
などと、根拠もなく牽強付会されている。<br>
<br>
日比谷線について:これも中核となる東京市からの譲受、荏原郡目黒町―南千住を<br>
恵比寿―南千住間に変更して、東武、東急との相互乗り入<br>
れが可能なように、両端部の恵比寿―中目黒間、北千住―<br>
南千住間の免許を戦後得たものですね。<br>
南千住は隅田川貨物駅があり、確かに貨物の要衝でしたが、<br>
戦前の免許でも南千住側は常磐線南千住接着が目的なん<br>
ですが。<br>
<br>
千代田線について:面倒なのでそのうち気分が乗った時に書きますが、同様に<br>
免許が複数なことからの牽強付会です。<br>
<br>
つまり、時期も条件もみな異なる要素を無理矢理に同一視して、「起点は二つある」などと一律化した表現で現すと、人は事実かどうかの検証も無く、解りやすいと言うことだけに乗っかって、それが正しいものと断じちゃう。そんな特性を利用してセンセは嘘を語る訳ね。<br>
だって、当たり前に、免許の関係で複数の起点がある他の営団線、銀座線、有楽町線(これが一番起点が一杯あるのだけど)、半蔵門線、南北線については言及なし。<br>
十三号線なんかは、章の冒頭で飛ばしてたくせに、起点池袋―終点渋谷で複数の起点すらないのに。<br>
その一方で「昭和の宿題」と都営地下鉄のOB氏が仰ったと言う大江戸線については、東京都交通局が、営団(現東京地下鉄)ほど精緻な「建設史」を出していないので、牽強付会のしようがなかったと見えて、「起点は二つある」とは仰せになっておりません。<br>
さて、東京メトロ(東京地下鉄株式会社)は2004年12月に「帝都高速度交通営団史」を出していますが、私が2ちゃんレスでセンセを挑発した根拠の一つが、この「営団史」の520頁。<br>
こ
こに地下鉄免許の一覧が載っています。上記のとおり、東西線など、戦前に得た、当初の免許を相当に変更して利用するなどしているのですが、この表では免許
の変更などの記述が無いと言う欠点、あるいは、判り易い所では、「向原」の免許が理解され易い様に「小竹向原」と書かれていたりで、まぁ、これも、却って
センセの妄想を刺激する危険性はありますけれども、「都民(秋庭氏流に言えば市民)に知らされていないものの」「都営線」の免許状況まで参考として示され
ていましたので引用しておきます。<br>
まぁ、こんなものは、東京都交通局90年史を参考として、官報をきちんと洗えば確認できることなんでしょうし、公文書館でも簿冊が出てくるとは思いますから、二次資料頼みの某雲虚臭いジャーナリスト以外ならお茶の子で確認できるもんでしょうけどね。<br>
<br>
<a title=
"http://www3.atwiki.jp/619metro/?cmd=upload&act=open&pageid=21&file=%E5%85%8D%E8%A8%B1.pdf"
name=
"http://www3.atwiki.jp/619metro/?cmd=upload&act=open&pageid=21&file=%E5%85%8D%E8%A8%B1.pdf">
</a><img style="width: 725px; height: 1331px;" src=
"http://www3.atwiki.jp/619metro/?cmd=upload&act=open&pageid=21&file=%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E7%B7%9A%E5%85%8D%E8%A8%B1.jpg"><br>
「帝都高速度交通営団史」 2004年12月 東京メトロ(東京地下鉄株式会社)刊520頁。<br>
「地下鉄の起点はいくつある?」<br>
「地下網の秘密」文庫版112頁以降の「地下鉄の起点は二つある」とか、そのようなことが普遍的に起こっている様な項目見出しを付けておられます。<br>
すなわち、センセはいくつかの営団線に、起点が二つあるとして、当該地下鉄の一部が「戦前」の地下鉄既成線の再利用、合法的顕在化と、明確には仰ってはいないが、匂わせていらっしゃいます。<br>
しかし、センセの説明は、その路線の免許に至るプロセス、あるいは建設に至るプロセスの無視、設計、施工の上での起点・終点の位置名と駅名の混用など、例によって、お得意の時間的経過の無視や、作為的な時制利用等を駆使されて騙られる、何らの根拠も無いものです。<br>
ところが、これもお得意の手法ですが、上記の様な説を当該章で匂わせることで、その自作自演の仄めかしを根拠に、後の章でそれがほぼ真実であると仰っておられるのです。<br>
2ちゃんレスで挙げました概要について、いま少し詳細に説明すると。<br>
<br>
十三号線について:センセは有楽町線の小竹向原へ十三号線が直通する可能性が<br>
有ることを挙げて、池袋起点以外に起点があるように牽強付会<br>
されようとしておられるようです。<br>
しかし、池袋―小竹向原間は、当初丸ノ内線で、池袋―<br>
新宿間が開通後の昭和36年に免許された池袋―「向原」<br>
部分を有楽町線に変更した免許で十三号線の免許ではありません。<br>
<br>
丸ノ内線について:昭和21年の「都市計画決定」で一旦計画に上って以降は、<br>
丸ノ内線の「起業目論見書」にも「免許」にも、池袋―<br>
小竹向原間は現れません。計画ではあったのでしょうが、<br>
実際の免許は丸ノ内線の延伸として、池袋-新宿開通後2年<br>
経った上記のとおり36年です。<br>
ですから以降でセンセが多用される線路平面図の複数起点<br>
と言う様な記述は丸ノ内線の線路縦断面図、平面図には<br>
存在しません。センセのお示しになっている根拠そのもの<br>
が丸ノ内線に関しては、他とは異なると言うことです。<br>
<br>
東西線について:中核となる高田馬場―東陽町間の「免許」が戦前で、しかも、<br>
元々は、池袋から早稲田を経て洲崎に至る営団が東京市<br>
から譲り受けた路線免許を高田馬場接着、東陽町接着に<br>
変更したものです。<br>
それに両端部分である中野―高田馬場間、東陽町―西船橋<br>
間が新たに免許されたため、路線図上で起点が中野、<br>
高田馬場、東陽町に三分されていることを良い事にしての<br>
牽強付会。<br>
しかも、高田馬場、東陽町の二つの起点が同名駅所在位置<br>
と異なった場所にあること、特に東陽町は、東陽町駅を越え、<br>
深川車庫分岐の手前が夫々の免許の起・終点になって<br>
いるため、線路平面図の主要地点の表示が免許上の起点<br>
「東陽町」ではなく、「南砂町起点」と記されている事をもって、<br>
「戦前、南千住は貨物の要所だった。南砂町には飛行場<br>
ができるはずだった。」(地下網の秘密文庫版117ページ)<br>
などと、根拠もなく牽強付会されている。<br>
<br>
日比谷線について:これも中核となる東京市からの譲受、荏原郡目黒町―南千住を<br>
恵比寿―南千住間に変更して、東武、東急との相互乗り入<br>
れが可能なように、両端部の恵比寿―中目黒間、北千住―<br>
南千住間の免許を戦後得たものですね。<br>
南千住は隅田川貨物駅があり、確かに貨物の要衝でしたが、<br>
戦前の免許でも南千住側は常磐線南千住接着が目的なん<br>
ですが。<br>
<br>
千代田線について:面倒なのでそのうち気分が乗った時に書きますが、同様に<br>
免許が複数なことからの牽強付会です。<br>
<br>
つまり、時期も条件もみな異なる要素を無理矢理に同一視して、「起点は二つある」などと一律化した表現で現すと、人は事実かどうかの検証も無く、解りやすいと言うことだけに乗っかって、それが正しいものと断じちゃう。そんな特性を利用してセンセは嘘を語る訳ね。<br>
だって、当たり前に、免許の関係で複数の起点がある他の営団線、銀座線、有楽町線(これが一番起点が一杯あるのだけど)、半蔵門線、南北線については言及なし。<br>
十三号線なんかは、章の冒頭で飛ばしてたくせに、起点池袋―終点渋谷で複数の起点すらないのに。<br>
その一方で「昭和の宿題」と都営地下鉄のOB氏が仰ったと言う大江戸線については、東京都交通局が、営団(現東京地下鉄)ほど精緻な「建設史」を出していないので、牽強付会のしようがなかったと見えて、「起点は二つある」とは仰せになっておりません。<br>
さて、東京メトロ(東京地下鉄株式会社)は2004年12月に「帝都高速度交通営団史」を出していますが、私が2ちゃんレスでセンセを挑発した根拠の一つが、この「営団史」の520頁。<br>
こ
こに地下鉄免許の一覧が載っています。上記のとおり、東西線など、戦前に得た、当初の免許を相当に変更して利用するなどしているのですが、この表では免許
の変更などの記述が無いと言う欠点、あるいは、判り易い所では、「向原」の免許が理解され易い様に「小竹向原」と書かれていたりで、まぁ、これも、却って
センセの妄想を刺激する危険性はありますけれども、「都民(秋庭氏流に言えば市民)に知らされていないものの」「都営線」の免許状況まで参考として示され
ていましたので引用しておきます。<br>
まぁ、こんなものは、東京都交通局90年史を参考として、官報をきちんと洗えば確認できることなんでしょうし、公文書館でも簿冊が出てくるとは思いますから、二次資料頼みの某雲虚臭いジャーナリスト以外ならお茶の子で確認できるもんでしょうけどね。<br>
<br>
<a title=
"http://www3.atwiki.jp/619metro/?cmd=upload&act=open&pageid=21&file=%E5%85%8D%E8%A8%B1.pdf"
name=
"http://www3.atwiki.jp/619metro/?cmd=upload&act=open&pageid=21&file=%E5%85%8D%E8%A8%B1.pdf">
</a><img style="width: 725px; height: 1331px;" src=
"http://www3.atwiki.jp/619metro/?cmd=upload&act=open&pageid=21&file=%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E7%B7%9A%E5%85%8D%E8%A8%B1.jpg"><br>
「帝都高速度交通営団史」 2004年12月 東京メトロ(東京地下鉄株式会社)刊520頁。<br>
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: