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郵便の細く長い路」(2007/03/14 (水) 01:17:32) の最新版変更点

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郵便の細く長い路<br> <br> 秋庭氏は「帝都東京・隠された地下網の秘密[2]単行本」(2004年洋泉社刊)116、118頁で<br> <blockquote> ・・・前略・・・一九一一(明治四十四)年、帝国陸軍は、再び、東京の精密な地図をまとめた。<br> 「東京輜輯地図」という名は、陸軍の地図ということである。矢印の先に点線が走っている。凡例<br> には「諸地界」と書いてあるものの、こんなところに地界があったのだろうか。<br> 「東京輜輯地図」の縮尺は五千分の一、以前のものと同じである。陸軍がまとめたことは間違い<br> がないが、陸地測量部の製作というわけではないようだ。麹町区、赤坂区、本郷区などと、地図<br> は各区別につくられ、その手法にも若干のちがいが見られる。それぞれの自治体が製作したとい<br> うことらしい。<br></blockquote> <br> と「東京輜輯地図」なるものについて説明されていた。ところが「帝都東京・隠された地下網の秘密<br> [2]文庫版」(平成十八年新潮社刊)134頁では、<br> <blockquote> ・・・前略・・・一九一一(明治四十四)年、帝国陸軍は、再び、東京の精密な地図をまとめた(左頁)。<br> 矢印の先に点線が走っている。凡例には「諸地界」と書いてあるものの、こんなところに地界があっ<br> たのだろうか。<br>  この地図の縮尺は五千分の一、以前のものと同じである。陸軍がまとめたことは間違いがないが、<br> 著作権者は東京逓信管理局で、「逓信地図」と通称されている。地図は各区別につくられ、その手法<br> も図ごとに若干のちがいが見られる。<br></blockquote> <br> と、「東京輜輯地図」などという言葉は影も形もなくなってしまっています。<br> <br> 単行本と文庫本刊行の間に何があったのか、秋庭氏が「東京輜輯地図」と紹介したものが、実は<br> <br> 本シリーズは、一九一一(明治四四)年に印刷・発行された縮尺五千分の一、三五鋪一組の枚葉図で、<br> 一般には「郵便地図」あるいは「逓信地図」の名称で知られる。行政区画ごとに作成された地番地図で<br> ある。<br> (5千分の1江戸-東京市街地図集成「2」地図史料編纂会編1990年柏書房刊)解題より<br> <br> と暴露されたためだと思われます。<br> <br> 「帝都東京・隠された地下網の秘密[2]単行本」(2004年洋泉社刊)118頁以降を、もう少し引用<br> しますと、<br> <br> <blockquote> 「東京輜輯地図」の縮尺は五千分の一、以前のものと同じである。陸軍がまとめたことは間違い<br> がないが、陸地測量部の製作というわけではないようだ。麹町区、赤坂区、本郷区などと、地図<br> は各区別につくられ、その手法にも若干のちがいが見られる。それぞれの自治体が製作したとい<br> うことらしい。<br>  このときの京橋区の地図が左にある。矢印は郵便局を指している。この範囲には三つの郵便局<br> があって、なぜだろう、「〒」のマークがどれも道路に突きだしている。また、二重円のなかが<br> 黒く塗られているのは「電話」であるものの、なぜか、その「電話」が道路のまんなかにあるよ<br> うだ。<br>  この地図には「東京市京橋区内河岸名一覧表」というものが付記されている。二十五か所にお<br> よぶ河岸の所在地が列記されている。<br> また、「東京市京橋区内官公署学校等ノ位置」という一覧表もついていて、陸軍、海軍、省庁、<br> 警察署、郵便局、小中学校などがずらりと並び、九十か所を越える「位置」の町名、丁目、番地<br> が挙げられている。各区の地図には備考欄が設けられ、「一」は、すべての区に共通している。<br> <br> <blockquote> 一、本図は正北方を上部とし、行政区画によりて分別したり。これを郵便区画となすには、<br>   相当境界において、裁断、または、接続するを要す。<br> </blockquote> <br>  行政区画、郵便区画というものについては、とくに説明はなかったものの、<br> どうやら、この地図の正方形、方眼がそれにあたるということらしい。四谷<br> 区の備考覧には、これに続いて以下のような「二」がある。<br> <br> <blockquote>  二、郵便集配小区画、郵便集配線路、郵便切手売下所、郵便柱凾等ノ<br>    位置は省略す。<br>    実際使用にあたり、便宜の記号を設け、これを掲載するを要す。<br> </blockquote> <br>  郵便集配線路というものは、この地図では省略されている。しかし、それはどんな線路だったのだろう。<br> まさか、集配の道順は線路とは呼ばないだろうし、そんな線路が地上に敷設されたという記録はない。<br> 郵便切手売下所も省略されているようだが、この地図の縮尺では、そんなものは初めから書けそうに<br> なかった。断る必要もないことを断っているのは、何らかの理由があったからではないのか。つまり、<br> 切手売場の下には何かがあったというような約束である。<br>  そもそも、「実際使用」とあるものの、何を実際に使用するのか。便宜の記号を設けようと提案するから<br> には、それを表すような地図の記号がなくて、もしや、それまでわが国には存在しなかったようなものが<br> 実際使用されたのではないのだろうか。<br></blockquote> <br> スゴイですねぇ、妄想力全開ですねぇ。<br> <br>  えぇ~っ。「備考“覧”」、実は、一、二どころか、四まであったんですねぇ。こんな風に。<br> <br> <img src= "http://www3.atwiki.jp/619metro?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=72&amp;file=%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%9B%9B%E5%8D%81%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E8%8A%9D%E5%8C%BA%E9%80%93%E4%BF%A1%E5%9C%B0%E5%9B%B3%E5%82%99%E8%80%83%E7%B8%AE%E5%B0%8F.jpg"> <br> <br>  さて、秋庭氏は、<br> <blockquote>  郵便集配線路というものは、この地図では省略されている。しかし、それはどんな線路だったのだろう。<br> まさか、集配の道順は線路とは呼ばないだろうし、そんな線路が地上に敷設されたという記録はない。<br> </blockquote> <br> とお書きになっておりますが、その「まさか」だったんですねぇ。<br> 郵便ポスト、郵便柱凾ですな。に収集時間が書かれているのを見かけられることと思います。この様に<br> 近代郵便制度とは時間を確然と仕切って作業する仕組みによって成り立っています。<br> 何故ならば、それは、飛脚や伝書使のように、一人のあるいは特定の者が、限られた目的地に書状を<br> 運ぶのとは異なり、郵便は諸処の拠点で離合集散し、最終の目的地にそれぞれ一定の時間で伝送され<br> るものです。そのためには、所定の経路を経ること、諸処に拠点があることが求められます。<br> これが元々の「線路」です。<br> 例えば、東京‐長崎間の郵便線路は明治5年に<br> 開設されています。長崎市内には、こんな解説のついた、その起点碑があります。<br> <br> <img src= "http://www3.atwiki.jp/619metro?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=72&amp;file=%E9%95%B7%E5%B4%8E%E3%83%BB%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%A8%98%E5%BF%B5%E7%A2%91%E8%A1%A8%E6%9B%B8%E3%81%8D%E7%B8%AE%E5%B0%8F.jpg"> <br> <br> <img src= "http://www3.atwiki.jp/619metro?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=72&amp;file=%E9%95%B7%E5%B4%8E%E3%83%BB%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%B5%E4%BE%BF%E7%B7%9A%E8%B7%AF%E7%A2%91%E6%96%87%E8%A3%8F%E7%B8%AE%E5%B0%8F.jpg"> <br> <br> <br> 郵便局全国的にネット化されたのは、明治5(1872)年。ネットが拡<br> 充した明治18年頃は、全国に通じる郵便線路を「大線路」「中線路」「小線路」<br> に分けていた。東海道など郵便利用の多い線路が「大線路」、県庁所在地な<br> ど地方の都市間を結ぶのが「中線路」、それ以外か「小線路」と考えていた<br> だければよい。その大線路と中線路の郵便逓送(運送)時間を管理するため、<br> 明治18年6月12日に「郵便物逓送時計取扱規則」を制定している。<br>  この規則により、郵便物の運送に従事する、当時「逓送人」と呼ばれた<br> 人々は時計を携行することになった。<br> 「みんなの郵便文化史」(小林正義著2002年株式会社にじゅうに刊)より<br> <br> 近代以降の我が国においては、「線路」は一般に鉄道のレールのことを指します。何故なら、物理的な存在として、多くの人の日常の目に触れる線路とは「鉄道線路」だからです。<br> 「郵便線路」は物理的な存在として、どこまでも続く二条の鉄軌のような具体的な姿はしていませんが、郵便ポストや、〒マークを付けた郵便逓送のトラックとして存在しているのです。<br> <br> 最後に現代の郵便線路について。「最新郵便用語事典」にはこうあります。<br> <br> 郵便線路 Mail route <br> 郵便物を集配局相互間に運送する線路を言う。運送機関の種類により次の6種に分けられる。<br> (1)鉄道郵便線路 鉄道または軌道によるもの<br> (2)自動車郵便線路 自動車によるもの(郵政省が軽自動四輪車を貸与するものを含む。)<br> (3)水路郵便線路 船舶によるもの<br> (4)航空郵便線路 航空機によるもの<br> (5)索道郵便線路 架空索条によるもの<br> (6)道路郵便線路 人力または畜力によるもの<br> 運送の性質により次の3種に分けられる。<br> (1)伝送郵便線路 同一行政市内(相連続する行政市内は、同一行政市内とみなすことが<br>   できる。)の各局相互間のもの<br> (2)受渡郵便線路 沿線局と受渡局間のもの<br> (3)一般郵便線路 上記以外のもの<br> 運送する郵便物の種類により次の2種に分けられる。<br> (1)小包郵便線路 小包郵便のみを運送するもの<br> (2)通常郵便線路 上記以外のもの<br> 郵便線路には、種類別に区間名を冠して、その名称とする。<br> 郵便線路上の局所は、次のとおり呼ばれる。<br>  沿線局 当該郵便線路により郵便物を運送する集配局(分室、出張所を含む。)<br>  受渡所 沿線局が受渡郵便線路を経て、伝送または一般郵便線路の運送便と郵便物の<br>       授受をする所<br>  交換所 一般郵便線路の途中において運送員が直接郵便物の交換をする所<br> <br> 「最新郵便用語事典」(郵便用語事典研究会編昭和61年株式会社ぎょうせい刊)<br> <br>
<h4>郵便の細く長い路</h4> <br> 秋庭氏は「帝都東京・隠された地下網の秘密[2]単行本」(2004年洋泉社刊)116、118頁で<br> <blockquote> ・・・前略・・・一九一一(明治四十四)年、帝国陸軍は、再び、東京の精密な地図をまとめた。<br> 「東京輜輯地図」という名は、陸軍の地図ということである。矢印の先に点線が走っている。凡例<br> には「諸地界」と書いてあるものの、こんなところに地界があったのだろうか。<br> 「東京輜輯地図」の縮尺は五千分の一、以前のものと同じである。陸軍がまとめたことは間違い<br> がないが、陸地測量部の製作というわけではないようだ。麹町区、赤坂区、本郷区などと、地図<br> は各区別につくられ、その手法にも若干のちがいが見られる。それぞれの自治体が製作したとい<br> うことらしい。<br></blockquote> <br> と「東京輜輯地図」なるものについて説明されていた。ところが「帝都東京・隠された地下網の秘密<br> [2]文庫版」(平成十八年新潮社刊)134頁では、<br> <blockquote> ・・・前略・・・一九一一(明治四十四)年、帝国陸軍は、再び、東京の精密な地図をまとめた(左頁)。<br> 矢印の先に点線が走っている。凡例には「諸地界」と書いてあるものの、こんなところに地界があっ<br> たのだろうか。<br>  この地図の縮尺は五千分の一、以前のものと同じである。陸軍がまとめたことは間違いがないが、<br> 著作権者は東京逓信管理局で、「逓信地図」と通称されている。地図は各区別につくられ、その手法<br> も図ごとに若干のちがいが見られる。<br></blockquote> <br> と、「東京輜輯地図」などという言葉は影も形もなくなってしまっています。<br> <br> 単行本と文庫本刊行の間に何があったのか、秋庭氏が「東京輜輯地図」と紹介したものが、実は<br> <br> 本シリーズは、一九一一(明治四四)年に印刷・発行された縮尺五千分の一、三五鋪一組の枚葉図で、<br> 一般には「郵便地図」あるいは「逓信地図」の名称で知られる。行政区画ごとに作成された地番地図で<br> ある。<br> (5千分の1江戸-東京市街地図集成「2」地図史料編纂会編1990年柏書房刊)解題より<br> <br> と暴露されたためだと思われます。<br> <br> 「帝都東京・隠された地下網の秘密[2]単行本」(2004年洋泉社刊)118頁以降を、もう少し引用<br> しますと、<br> <br> <blockquote> 「東京輜輯地図」の縮尺は五千分の一、以前のものと同じである。陸軍がまとめたことは間違い<br> がないが、陸地測量部の製作というわけではないようだ。麹町区、赤坂区、本郷区などと、地図<br> は各区別につくられ、その手法にも若干のちがいが見られる。それぞれの自治体が製作したとい<br> うことらしい。<br>  このときの京橋区の地図が左にある。矢印は郵便局を指している。この範囲には三つの郵便局<br> があって、なぜだろう、「〒」のマークがどれも道路に突きだしている。また、二重円のなかが<br> 黒く塗られているのは「電話」であるものの、なぜか、その「電話」が道路のまんなかにあるよ<br> うだ。<br>  この地図には「東京市京橋区内河岸名一覧表」というものが付記されている。二十五か所にお<br> よぶ河岸の所在地が列記されている。<br> また、「東京市京橋区内官公署学校等ノ位置」という一覧表もついていて、陸軍、海軍、省庁、<br> 警察署、郵便局、小中学校などがずらりと並び、九十か所を越える「位置」の町名、丁目、番地<br> が挙げられている。各区の地図には備考欄が設けられ、「一」は、すべての区に共通している。<br> <br> <blockquote> 一、本図は正北方を上部とし、行政区画によりて分別したり。これを郵便区画となすには、<br>   相当境界において、裁断、または、接続するを要す。<br> </blockquote> <br>  行政区画、郵便区画というものについては、とくに説明はなかったものの、<br> どうやら、この地図の正方形、方眼がそれにあたるということらしい。四谷<br> 区の備考覧には、これに続いて以下のような「二」がある。<br> <br> <blockquote>  二、郵便集配小区画、郵便集配線路、郵便切手売下所、郵便柱凾等ノ<br>    位置は省略す。<br>    実際使用にあたり、便宜の記号を設け、これを掲載するを要す。<br> </blockquote> <br>  郵便集配線路というものは、この地図では省略されている。しかし、それはどんな線路だったのだろう。<br> まさか、集配の道順は線路とは呼ばないだろうし、そんな線路が地上に敷設されたという記録はない。<br> 郵便切手売下所も省略されているようだが、この地図の縮尺では、そんなものは初めから書けそうに<br> なかった。断る必要もないことを断っているのは、何らかの理由があったからではないのか。つまり、<br> 切手売場の下には何かがあったというような約束である。<br>  そもそも、「実際使用」とあるものの、何を実際に使用するのか。便宜の記号を設けようと提案するから<br> には、それを表すような地図の記号がなくて、もしや、それまでわが国には存在しなかったようなものが<br> 実際使用されたのではないのだろうか。<br></blockquote> <br> スゴイですねぇ、妄想力全開ですねぇ。<br> <br>  えぇ~っ。「備考“覧”」、実は、一、二どころか、四まであったんですねぇ。こんな風に。<br> <br> <img src= "http://www3.atwiki.jp/619metro?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=72&amp;file=%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%9B%9B%E5%8D%81%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E8%8A%9D%E5%8C%BA%E9%80%93%E4%BF%A1%E5%9C%B0%E5%9B%B3%E5%82%99%E8%80%83%E7%B8%AE%E5%B0%8F.jpg"> <br> <br>  さて、秋庭氏は、<br> <blockquote>  郵便集配線路というものは、この地図では省略されている。しかし、それはどんな線路だったのだろう。<br> まさか、集配の道順は線路とは呼ばないだろうし、そんな線路が地上に敷設されたという記録はない。<br> </blockquote> <br> とお書きになっておりますが、その「まさか」だったんですねぇ。<br> 郵便ポスト、郵便柱凾ですな。に収集時間が書かれているのを見かけられることと思います。この様に<br> 近代郵便制度とは時間を確然と仕切って作業する仕組みによって成り立っています。<br> 何故ならば、それは、飛脚や伝書使のように、一人のあるいは特定の者が、限られた目的地に書状を<br> 運ぶのとは異なり、郵便は諸処の拠点で離合集散し、最終の目的地にそれぞれ一定の時間で伝送され<br> るものです。そのためには、所定の経路を経ること、諸処に拠点があることが求められます。<br> これが元々の「線路」です。<br> 例えば、東京‐長崎間の郵便線路は明治5年に<br> 開設されています。長崎市内には、こんな解説のついた、その起点碑があります。<br> <br> <img src= "http://www3.atwiki.jp/619metro?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=72&amp;file=%E9%95%B7%E5%B4%8E%E3%83%BB%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%A8%98%E5%BF%B5%E7%A2%91%E8%A1%A8%E6%9B%B8%E3%81%8D%E7%B8%AE%E5%B0%8F.jpg"> <br> <br> <img src= "http://www3.atwiki.jp/619metro?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=72&amp;file=%E9%95%B7%E5%B4%8E%E3%83%BB%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%B5%E4%BE%BF%E7%B7%9A%E8%B7%AF%E7%A2%91%E6%96%87%E8%A3%8F%E7%B8%AE%E5%B0%8F.jpg"> <br> <br> 碑の上には、こんな解説板もあります。<br> <br> <img src= "http://www3.atwiki.jp/619metro?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=72&amp;file=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%BB%E9%95%B7%E5%B4%8E%E9%83%B5%E4%BE%BF%E7%B7%9A%E8%B7%AF%E7%B8%AE%E5%B0%8F.jpg"> <br> <br> こうして、<br> <br> 郵便局全国的にネット化されたのは、明治5(1872)年。ネットが拡<br> 充した明治18年頃は、全国に通じる郵便線路を「大線路」「中線路」「小線路」<br> に分けていた。東海道など郵便利用の多い線路が「大線路」、県庁所在地な<br> ど地方の都市間を結ぶのが「中線路」、それ以外か「小線路」と考えていた<br> だければよい。その大線路と中線路の郵便逓送(運送)時間を管理するため、<br> 明治18年6月12日に「郵便物逓送時計取扱規則」を制定している。<br>  この規則により、郵便物の運送に従事する、当時「逓送人」と呼ばれた<br> 人々は時計を携行することになった。<br> 「みんなの郵便文化史」(小林正義著2002年株式会社にじゅうに刊)より<br> <br> 近代以降の我が国においては、「線路」は一般に鉄道のレールのことを指します。何故なら、物理的な存在として、多くの人の日常の目に触れる線路とは「鉄道線路」だからです。<br> 「郵便線路」は物理的な存在として、どこまでも続く二条の鉄軌のような具体的な姿はしていませんが、郵便ポストや、〒マークを付けた郵便逓送のトラックとして存在しているのです。<br> <br> 最後に現代の郵便線路について。「最新郵便用語事典」にはこうあります。<br> <br> 郵便線路 Mail route <br> 郵便物を集配局相互間に運送する線路を言う。運送機関の種類により次の6種に分けられる。<br> (1)鉄道郵便線路 鉄道または軌道によるもの<br> (2)自動車郵便線路 自動車によるもの(郵政省が軽自動四輪車を貸与するものを含む。)<br> (3)水路郵便線路 船舶によるもの<br> (4)航空郵便線路 航空機によるもの<br> (5)索道郵便線路 架空索条によるもの<br> (6)道路郵便線路 人力または畜力によるもの<br> 運送の性質により次の3種に分けられる。<br> (1)伝送郵便線路 同一行政市内(相連続する行政市内は、同一行政市内とみなすことが<br>   できる。)の各局相互間のもの<br> (2)受渡郵便線路 沿線局と受渡局間のもの<br> (3)一般郵便線路 上記以外のもの<br> 運送する郵便物の種類により次の2種に分けられる。<br> (1)小包郵便線路 小包郵便のみを運送するもの<br> (2)通常郵便線路 上記以外のもの<br> 郵便線路には、種類別に区間名を冠して、その名称とする。<br> 郵便線路上の局所は、次のとおり呼ばれる。<br>  沿線局 当該郵便線路により郵便物を運送する集配局(分室、出張所を含む。)<br>  受渡所 沿線局が受渡郵便線路を経て、伝送または一般郵便線路の運送便と郵便物の<br>       授受をする所<br>  交換所 一般郵便線路の途中において運送員が直接郵便物の交換をする所<br> <br> 「最新郵便用語事典」(郵便用語事典研究会編昭和61年株式会社ぎょうせい刊)<br> <br>

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