「P線の変遷」(2007/08/15 (水) 01:12:55) の最新版変更点
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<h3>P線の変遷</h3>
<br>
ちょっと、息抜きに、秋庭さんの「嘘」の構造と言うか、創作方法と言うか、「嘘」を承知で書いていると言う事について、例を挙げてみようとおもう。<br>
<br>
「帝都東京・隠された地下網の秘密」単行本130頁(2002年12月刊)<br>
<br>
また、東急の<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">渋谷─二子玉川</span>間は、戦後、<span style="color: rgb(255, 0, 0);">営団</span>地下鉄から譲渡されている。<span style="color: rgb(255, 0, 0);">営団</span>はこのほかに<br>
も、<span style="color: rgb(255, 0, 0);">新宿-笹塚</span>を京王に、<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">泉岳寺-品川</span>を京急に譲渡している。たしか<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">P線</span>とかいう呼び名があ<br>
ったように記憶している。<br>
また、東急vs西武といえば、血みどろの死闘というイメージがあるが、『五島慶太伝』に思い<br>
がけない記述があった。東京府知事に招かれて官舎に行くと、三井物産の社長がいて、西武鉄道<br>
を引き受けてくれないかと頼まれている。<br>
<br>
<br>
「写真と地図で読む!帝都東京地下の謎」60頁(2004年5月刊)<br>
<br>
戦後、<span style="color: rgb(255, 0, 0);">営団</span>地下鉄は<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">新宿─幡ヶ谷</span>に地下鉄を建設し、京王に譲渡している。<br>
いま、<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">京王新線</span>と呼ばれている部分である。そのようなことは理屈に合わないが<br>
それが戦後の現実である。公式の記録である。<br>
政府、<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">営団</span>、京王が否定しても、そこにはもともと、トンネルがあったと考えるの<br>
が常識というものではないだろうか。<br>
<br>
<br>
「帝都東京・地下の謎86」195頁(2005年2月刊)<br>
<br>
この区間は一般に<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">京王新線</span>と呼ばれている。<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">京王新線</span>は、戦後、<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">営団</span>地下鉄が建設し、京王に<br>
譲渡したとされている。とはいえ、<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">営団</span>には唐突にそんなことをする理由がない。常識的に考え<br>
て、この部分のトンネルは戦前、京王が建設していたのだろう。<br>
<br>
<br>
「帝都東京・隠された地下網の秘密」文庫版171頁(2006年2月刊)<br>
<br>
<br>
また、東急の<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">渋谷-二子玉川</span>間は、地下鉄である。当然、建設には膨大な金がかか<br>
るが、実は、この区間は<span style="color: rgb(255, 0, 0);">P線</span>と呼ばれ、<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">政府</span>が私鉄に代わって設計、施工を行い、費<br>
用も<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">政府</span>が負担した上で、譲渡【プレゼント】(Present)されたものである。京王の<span style="color: rgb(255, 0, 0);">新宿-</span><br>
<span style="color: rgb(255, 0, 0);">笹塚</span>間、京急の<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">泉岳寺-品川</span>間も、<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">P線</span>である。<br>
東急vs西武といえば、血みどろの死闘というイメージがあるが、『五島慶大伝』に<br>
思いがけない記述があった。東京府知事に招かれて官舎に行くと、三井物産の社長が<br>
いて、西武鉄道を引き受けてくれないかと頼まれている。<br>
<br>
619 注)上記原文は漢字「譲渡」に「プレゼント」とルビが振られ、ご丁寧にも(Present)と英標記されている。<br>
<br>
<br>
「新説 東京地下要塞」単行本118~119頁(2006年6月刊)<br>
<br>
都営浅草線のルートは、五反田と品川からの二つのルートが泉岳寺で合流すると先に述べた<br>
が、<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">泉岳寺─品川</span>間は、いま、京急の区間とされている。しかし、この区間を建設したのは京急<br>
ではない。都営地下鉄の誕生と同時に<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">P線</span>(私鉄企業が、新線建設や複々線化などの大規模投資<br>
を行おうとする場合に利用可能な公的補助制度)が創設され、<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">政府</span>が私鉄に代わって設計から施<br>
工まですべてを行い、建設費も負担したうえで、この区間のトンネルを京急に譲渡している。<br>
本来、国がカバーすべきことを私鉄に任せているため、<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">P線</span>という制度が創設されたというこ<br>
とだが、常識をはずれた優遇措置である。しかも、京急にとっては、親切の押し売りでしかな<br>
い。京急は横須賀、横浜から品川まで地上を走る私鉄である。莫大な金をかけてこの区間に地下<br>
鉄を建設し、何になるというのだろう。しかも、品川-新橋間は山手線、京浜東北線、東海道本<br>
線、横須賀線などとの並走区間で、乗客はほとんどいない。京急沿線の住人は、誰もが品川で下<br>
車している。都営地下鉄はJRより料金が高いうえに遅いからである。なぜ、国鉄各線と並んで<br>
品川-新橋を走り、すでに銀座線が結んでいた新橋と浅草に、もう一つのルートを敷設している<br>
のだろう。品川-新橋-浅草の地下鉄は、本当に戦後に計画され、戦後に建設されたのだろう<br>
か。<br>
都営浅草線の<span style="color: rgb(255, 0, 0);">P線</span>・<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">泉岳寺-品川</span>間は、<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">日本鉄道建設公団</span>が建設した。新幹線や青函トンネル<br>
の建設などで知られる鉄道のプロである。その<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">鉄建公団</span>がわずか一駅、一キロ強の区間に五年も<br>
かかっている。進行速度は年平均〇・二キロである。<br>
<br>
<br>
「新説 東京地下要塞」文庫版124~125頁(2007年7月刊)<br>
<br>
都営浅草線のルートは、五反田と品川からの二つのルートが泉岳寺で合流すると先に述<br>
べたが、<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">泉岳寺─品川</span>間は、いま、京急の区間とされている。しかし、この区間を建設し<br>
たのは京急ではない。都営地下鉄の誕生と同時に<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">P線</span>(私鉄企業が、新線建設や複々線化<br>
などの大規模投資を行おうとする場合に利用可能な公的補助制度)が創設され、<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">政府</span>が私<br>
鉄に代わって設計から施工まですべてを行い、建設費も負担したうえで、この区間のトン<br>
ネルを京急に譲渡している。<br>
本来、国がカバーすべきことを私鉄に任せているため、<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">P線</span>という制度が創設されたと<br>
いうことだが、常識をはずれた優遇措置である。しかも、京急にとっては、親切の押し売<br>
りでしかない。京急は横須賀、横浜から品川まで地上を走る私鉄である。莫大な金をかけ<br>
てこの区間に地下鉄を建設し、何になるというのだろう。しかも、品川─新橋間は山手<br>
線、京浜東北線、東海道本線、横須賀線などとの並走区間で、乗客はほとんどいない。京<br>
急沿線の住人は、誰もが品川で下車している。都営地下鉄はJRより料金が高いうえに遅<br>
いからである。なぜ、国鉄各線と並んで品川─新橋を走り、すでに銀座線が結んでいた新<br>
橋─浅草に、もう一つのルートを敷設しているのだろう。品川─新橋─浅草の地下鉄は、<br>
本当に戦後に計画され、戦後に建設されたのだろうか。<br>
都営浅草線の<span style="color: rgb(255, 0, 0);">P線</span>・<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">泉岳寺─品川</span>間は、<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">日本鉄道建設公団</span>が建設した。新幹線や青函ト<br>
ンネルの建設などで知られる鉄道のプロである。その<span style=
"color: rgb(255, 0, 0);">鉄建公団</span>がわずか一駅、一キロ強の<br>
区間に五年もかかっている。進行速度は年平均〇・二キロである。<br>
<br>
まず、2002年地下本(城市郎かよ)の最初「帝都東京・隠された地下網の秘密」から、2005年2月まで<br>
<br>
渋谷-二子玉川 <br>
新宿-笹塚<br>
泉岳寺-品川<br>
<br>
は、営団地下鉄から「譲渡」されたとしておられます。<br>
<br>
これは免許の譲渡ではないかと、<br>
<br>
「東急の渋谷─二子玉川間は、戦後、営団地下鉄から譲渡されている。」<br>
<br>
との記述を見て考えられる方があるやもしれませんが、<br>
<br>
「P線」の記述があるので、完成線の「譲渡」と解して良いと考えます。<br>
ここには、帝都高速度交通営団と日本鉄道建設公団の混同があります。と言うより、承知で営団と公団を書き換えておられるのだと考えます。勘違いでの混同ではありません。<br>
何故なら、これも、「P線」への言及から窺えます。「P線」この鉄道公団独自の固有名詞「A・B・C・D・E・(F)・G・P」の各線は鉄道公団とセットで語られる術語だからです。<br>
営団と「P線」を結び合わせる資料は秋庭さんの脳内以外に、この世に存在しないからです。<br>
<br>
つぎに、「帝都東京・隠された地下網の秘密」単行本130頁(2002年12月刊)は「帝都東京・隠された地下網の秘密」文庫版171頁(2006年2月刊)で「営団」が消え、代わって「政府」が登場します。<br>
当然P線の何たるかは、知っての上で書いておられる。<br>
<br>
また、東急の渋谷-二子玉川間は、地下鉄である。当然、建設には膨大な金がかか<br>
るが、実は、この区間はP線と呼ばれ、政府が私鉄に代わって設計、施工を行い、費<br>
用も政府が負担した上で、譲渡【プレゼント】(Present)されたものである。京王の新宿-<br>
笹塚間、京急の泉岳寺-品川間も、P線である。<br>
<br>
これも、前述のとおり、営団を政府に置き換え、しかも、P線のPを敢えて<br>
<br>
政府が私鉄に代わって設計、施工を行い、費用も政府が負担した上で、<br>
譲渡【プレゼント】(Present)されたものである。<br>
<br>
とされています。「P線」は鉄道公団とセットで語られる術語です。その意は「民鉄線」。当時の「国鉄線」との対比で民営鉄道の“Private railway”の「P線」です。<br>
もちろん、秋庭さんの上記はれっきとした「嘘」です。だって、営団を政府に置き換えられるということは「P線」の何たるかを知った上でなければ書けませ
ん。もし知らずに書いているのなら、「知らない」と言うだけで雲国際か雲国策無いかに関わりなくジャーナリストならば、最早「嘘」を書いていることになり
ます。<br>
<br>
「新説 東京地下要塞」文庫版124~125頁(2007年7月刊)は珍しく、「新説 東京地下要塞」単行本の記述の書き換えが 極めて少ない箇所です。
ですから、「嘘」が判りやすい箇所と言えましょう。ここで、初めて「日本鉄道建設公団」すなわち「鉄道公団」が登場するなど、詳細になりましたけれど、
「P線」相変わらず「嘘」ばっかりです。<br>
まず、一貫して変わらない主張(嘘)について対比してみましょう。<br>
<br>
<br>
「新説 東京地下要塞」単行本118~119頁(2006年6月刊)<br>
<br>
都営浅草線のルートは、五反田と品川からの二つのルートが泉岳寺で合流すると先に述べた<br>
が、泉岳寺─品川間は、いま、京急の区間とされている。しかし、この区間を建設したのは京急<br>
ではない。都営地下鉄の誕生と同時にP線(私鉄企業が、新線建設や複々線化などの大規模投資<br>
を行おうとする場合に利用可能な公的補助制度)が創設され、政府が私鉄に代わって設計から施<br>
工まですべてを行い、建設費も負担したうえで、この区間のトンネルを京急に譲渡している。<br>
<br>
「帝都東京・隠された地下網の秘密」単行本130頁(2002年12月刊)<br>
<br>
営団はこのほかにも、(中略)、泉岳寺-品川を京急に譲渡している。<br>
<br>
「帝都東京・隠された地下網の秘密」文庫版171頁(2006年2月刊)<br>
<br>
(前略)、京急の泉岳寺-品川間も、P線である。<br>
<br>
<br>
ここで、鉄道公団の略史を。<br>
<br>
1964(昭和39)年 設立(日本鉄道建設公団法)<br>
1972(昭和47)年 民鉄線建設業務の追加(6月法改正)<br>
1974(昭和49)年 初の民鉄線開業(6月小田急多摩線)<br>
<br>
そして、京浜急行の略史を。<br>
<br>
1968(昭和43)年6月20日 都心乗入れ工事完成工事完成、21日品川~泉岳寺開業。<br>
<br>
すいません、京浜急行の品川~泉岳寺間の開業は「鉄道公団」に「民鉄線建設業務」が追加される4年前なんですけど。<br>
<br>
そして、都営一号線の略史を。<br>
<br>
1956(昭和31)年 特許出願<br>
1958(昭和33)年 「新説 東京地下要塞」文庫版116頁<br>
「都営地下鉄の建設が始まっている。」<br>
1960(昭和35)年 押上~浅草橋開業<br>
中略<br>
1963(昭和38)年 東銀座~新橋開業<br>
以下略<br>
<br>
すいません、都営地下鉄は「都営地下鉄の誕生と同時にP線が創設」と言うより、鉄道公団が創設される4年前に一部が開業してるんですけど。しかも、営団
も、東京都も鉄道公団の当時から今まで、鉄道線建設で直接、お世話になっていないんですが。だって自前で資金調達が出来るように法律で裏付けがありますか ら。<br>
<br>
そして、昭和55年に出た、「京浜急行八十年史」196~197頁には<br>
<br>
これより先、第2次計画において継続施工中であった都心乗入工事は、<br>
昭和43(1968)年6月20日に完成し、翌21日から営業を開始した。<br>
5年の歳月と66億円の巨費を投じたこの事業は、待望久しいものであ<br>
った。その経緯は前章において記述したので、ここでは、都心乗入工事<br>
等の概要について述べることにしよう。<br>
当社の工事区間は、品川~泉岳寺間の1.2キロメートルにすぎなかっ<br>
たが、総工費は66億円に達し、工事部員数は延べ18万5,250人、使用<br>
コンクリート4万2,120立方メートル、鉄材4,025トンに及んだ。この工事<br>
は、まず用地買収が難航し、設計、施工のうえでは、国鉄線と国道15号線<br>
(京浜第1国道)にはさまれた狭い用地の効果的利用、国鉄との関係、都内<br>
でも、もっとも交通量の多い国道15号線下での工事など、かなりの難工事<br>
であった。<br>
<br>
と自社工事であったことが書かれています。<br>
<br>
秋庭さんは、<br>
<br>
都営浅草線のP線・泉岳寺─品川間は、日本鉄道建設公団が建設した。新幹線や青函ト<br>
ンネルの建設などで知られる鉄道のプロである。その鉄建公団がわずか一駅、一キロ強の<br>
区間に五年もかかっている。進行速度は年平均〇・二キロである。<br>
<br>
と書いておられますけど、「5年がかり、」とか、「一キロ強」とかどこで仕入れられたんでしょうか?<br>
<br>
こんなところが、私には、<br>
<br>
「たとえは悪いが、犯人しか知りえななかったこと」<br>
<br>
に思えるのですが。<br>
<br>
ねぇ、犯人。<br>
<br>
2007年8月14日払暁
<h3>P線の変遷</h3>
<br>
ちょっと、息抜きに、秋庭さんの「嘘」の構造と言うか、創作方法と言うか、「嘘」を承知で書いていると言う事について、例を挙げてみようとおもう。<br>
<br>
「帝都東京・隠された地下網の秘密」単行本130頁(2002年12月刊)<br>
<br>
また、東急の<span style="COLOR: rgb(255,0,0)">渋谷─二子玉川</span>間は、戦後、<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">営団</span>地下鉄から譲渡されている。<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">営団</span>はこのほかに<br>
も、<span style="COLOR: rgb(255,0,0)">新宿-笹塚</span>を京王に、<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">泉岳寺-品川</span>を京急に譲渡している。たしか<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">P線</span>とかいう呼び名があ<br>
ったように記憶している。<br>
また、東急vs西武といえば、血みどろの死闘というイメージがあるが、『五島慶太伝』に思い<br>
がけない記述があった。東京府知事に招かれて官舎に行くと、三井物産の社長がいて、西武鉄道<br>
を引き受けてくれないかと頼まれている。<br>
<br>
<br>
「写真と地図で読む!帝都東京地下の謎」60頁(2004年5月刊)<br>
<br>
戦後、<span style="COLOR: rgb(255,0,0)">営団</span>地下鉄は<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">新宿─幡ヶ谷</span>に地下鉄を建設し、京王に譲渡している。<br>
いま、<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">京王新線</span>と呼ばれている部分である。そのようなことは理屈に合わないが<br>
それが戦後の現実である。公式の記録である。<br>
政府、<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">営団</span>、京王が否定しても、そこにはもともと、トンネルがあったと考えるの<br>
が常識というものではないだろうか。<br>
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「帝都東京・地下の謎86」195頁(2005年2月刊)<br>
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この区間は一般に<span style="COLOR: rgb(255,0,0)">京王新線</span>と呼ばれている。<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">京王新線</span>は、戦後、<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">営団</span>地下鉄が建設し、京王に<br>
譲渡したとされている。とはいえ、<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">営団</span>には唐突にそんなことをする理由がない。常識的に考え<br>
て、この部分のトンネルは戦前、京王が建設していたのだろう。<br>
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「帝都東京・隠された地下網の秘密」文庫版171頁(2006年2月刊)<br>
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また、東急の<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">渋谷-二子玉川</span>間は、地下鉄である。当然、建設には膨大な金がかか<br>
るが、実は、この区間は<span style="COLOR: rgb(255,0,0)">P線</span>と呼ばれ、<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">政府</span>が私鉄に代わって設計、施工を行い、費<br>
用も<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">政府</span>が負担した上で、譲渡【プレゼント】(Present)されたものである。京王の<span style="COLOR: rgb(255,0,0)">新宿-</span><br>
<span style="COLOR: rgb(255,0,0)">笹塚</span>間、京急の<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">泉岳寺-品川</span>間も、<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">P線</span>である。<br>
東急vs西武といえば、血みどろの死闘というイメージがあるが、『五島慶大伝』に<br>
思いがけない記述があった。東京府知事に招かれて官舎に行くと、三井物産の社長が<br>
いて、西武鉄道を引き受けてくれないかと頼まれている。<br>
<br>
619 注)上記原文は漢字「譲渡」に「プレゼント」とルビが振られ、ご丁寧にも(Present)と英標記されている。<br>
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「新説 東京地下要塞」単行本118~119頁(2006年6月刊)<br>
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都営浅草線のルートは、五反田と品川からの二つのルートが泉岳寺で合流すると先に述べた<br>
が、<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">泉岳寺─品川</span>間は、いま、京急の区間とされている。しかし、この区間を建設したのは京急<br>
ではない。都営地下鉄の誕生と同時に<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">P線</span>(私鉄企業が、新線建設や複々線化などの大規模投資<br>
を行おうとする場合に利用可能な公的補助制度)が創設され、<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">政府</span>が私鉄に代わって設計から施<br>
工まですべてを行い、建設費も負担したうえで、この区間のトンネルを京急に譲渡している。<br>
本来、国がカバーすべきことを私鉄に任せているため、<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">P線</span>という制度が創設されたというこ<br>
とだが、常識をはずれた優遇措置である。しかも、京急にとっては、親切の押し売りでしかな<br>
い。京急は横須賀、横浜から品川まで地上を走る私鉄である。莫大な金をかけてこの区間に地下<br>
鉄を建設し、何になるというのだろう。しかも、品川-新橋間は山手線、京浜東北線、東海道本<br>
線、横須賀線などとの並走区間で、乗客はほとんどいない。京急沿線の住人は、誰もが品川で下<br>
車している。都営地下鉄はJRより料金が高いうえに遅いからである。なぜ、国鉄各線と並んで<br>
品川-新橋を走り、すでに銀座線が結んでいた新橋と浅草に、もう一つのルートを敷設している<br>
のだろう。品川-新橋-浅草の地下鉄は、本当に戦後に計画され、戦後に建設されたのだろう<br>
か。<br>
都営浅草線の<span style="COLOR: rgb(255,0,0)">P線</span>・<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">泉岳寺-品川</span>間は、<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">日本鉄道建設公団</span>が建設した。新幹線や青函トンネル<br>
の建設などで知られる鉄道のプロである。その<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">鉄建公団</span>がわずか一駅、一キロ強の区間に五年も<br>
かかっている。進行速度は年平均〇・二キロである。<br>
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「新説 東京地下要塞」文庫版124~125頁(2007年7月刊)<br>
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都営浅草線のルートは、五反田と品川からの二つのルートが泉岳寺で合流すると先に述<br>
べたが、<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">泉岳寺─品川</span>間は、いま、京急の区間とされている。しかし、この区間を建設し<br>
たのは京急ではない。都営地下鉄の誕生と同時に<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">P線</span>(私鉄企業が、新線建設や複々線化<br>
などの大規模投資を行おうとする場合に利用可能な公的補助制度)が創設され、<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">政府</span>が私<br>
鉄に代わって設計から施工まですべてを行い、建設費も負担したうえで、この区間のトン<br>
ネルを京急に譲渡している。<br>
本来、国がカバーすべきことを私鉄に任せているため、<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">P線</span>という制度が創設されたと<br>
いうことだが、常識をはずれた優遇措置である。しかも、京急にとっては、親切の押し売<br>
りでしかない。京急は横須賀、横浜から品川まで地上を走る私鉄である。莫大な金をかけ<br>
てこの区間に地下鉄を建設し、何になるというのだろう。しかも、品川─新橋間は山手<br>
線、京浜東北線、東海道本線、横須賀線などとの並走区間で、乗客はほとんどいない。京<br>
急沿線の住人は、誰もが品川で下車している。都営地下鉄はJRより料金が高いうえに遅<br>
いからである。なぜ、国鉄各線と並んで品川─新橋を走り、すでに銀座線が結んでいた新<br>
橋─浅草に、もう一つのルートを敷設しているのだろう。品川─新橋─浅草の地下鉄は、<br>
本当に戦後に計画され、戦後に建設されたのだろうか。<br>
都営浅草線の<span style="COLOR: rgb(255,0,0)">P線</span>・<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">泉岳寺─品川</span>間は、<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">日本鉄道建設公団</span>が建設した。新幹線や青函ト<br>
ンネルの建設などで知られる鉄道のプロである。その<span style=
"COLOR: rgb(255,0,0)">鉄建公団</span>がわずか一駅、一キロ強の<br>
区間に五年もかかっている。進行速度は年平均〇・二キロである。<br>
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まず、2002年地下本(城市郎かよ)の最初「帝都東京・隠された地下網の秘密」から、2005年2月まで<br>
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渋谷-二子玉川 <br>
新宿-笹塚<br>
泉岳寺-品川<br>
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は、営団地下鉄から「譲渡」されたとしておられます。<br>
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これは免許の譲渡ではないかと、<br>
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「東急の渋谷─二子玉川間は、戦後、営団地下鉄から譲渡されている。」<br>
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との記述を見て考えられる方があるやもしれませんが、<br>
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「P線」の記述があるので、完成線の「譲渡」と解して良いと考えます。<br>
ここには、帝都高速度交通営団と日本鉄道建設公団の混同があります。と言うより、承知で営団と公団を書き換えておられるのだと考えます。勘違いでの混同ではありません。<br>
何故なら、これも、「P線」への言及から窺えます。「P線」この鉄道公団独自の固有名詞「A・B・C・D・E・(F)・G・P」の各線は鉄道公団とセットで語られる術語だからです。<br>
営団と「P線」を結び合わせる資料は秋庭さんの脳内以外に、この世に存在しないからです。<br>
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つぎに、「帝都東京・隠された地下網の秘密」単行本130頁(2002年12月刊)は「帝都東京・隠された地下網の秘密」文庫版171頁(2006年2月刊)で「営団」が消え、代わって「政府」が登場します。<br>
当然P線の何たるかは、知っての上で書いておられる。<br>
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また、東急の渋谷-二子玉川間は、地下鉄である。当然、建設には膨大な金がかか<br>
るが、実は、この区間はP線と呼ばれ、政府が私鉄に代わって設計、施工を行い、費<br>
用も政府が負担した上で、譲渡【プレゼント】(Present)されたものである。京王の新宿-<br>
笹塚間、京急の泉岳寺-品川間も、P線である。<br>
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これも、前述のとおり、営団を政府に置き換え、しかも、P線のPを敢えて<br>
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政府が私鉄に代わって設計、施工を行い、費用も政府が負担した上で、<br>
譲渡【プレゼント】(Present)されたものである。<br>
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とされています。「P線」は鉄道公団とセットで語られる術語です。その意は「民鉄線」。当時の「国鉄線」との対比で民営鉄道の“Private railway”の「P線」です。<br>
もちろん、秋庭さんの上記はれっきとした「嘘」です。だって、営団を政府に置き換えられるということは「P線」の何たるかを知った上でなければ書けませ
ん。もし知らずに書いているのなら、「知らない」と言うだけで雲国際か雲国策無いかに関わりなくジャーナリストならば、最早「嘘」を書いていることになり
ます。<br>
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「新説 東京地下要塞」文庫版124~125頁(2007年7月刊)は珍しく、「新説 東京地下要塞」単行本の記述の書き換えが 極めて少ない箇所です。
ですから、「嘘」が判りやすい箇所と言えましょう。ここで、初めて「日本鉄道建設公団」すなわち「鉄道公団」が登場するなど、詳細になりましたけれど、
「P線」相変わらず「嘘」ばっかりです。<br>
まず、一貫して変わらない主張(嘘)について対比してみましょう。<br>
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「新説 東京地下要塞」単行本118~119頁(2006年6月刊)<br>
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都営浅草線のルートは、五反田と品川からの二つのルートが泉岳寺で合流すると先に述べた<br>
が、泉岳寺─品川間は、いま、京急の区間とされている。しかし、この区間を建設したのは京急<br>
ではない。都営地下鉄の誕生と同時にP線(私鉄企業が、新線建設や複々線化などの大規模投資<br>
を行おうとする場合に利用可能な公的補助制度)が創設され、政府が私鉄に代わって設計から施<br>
工まですべてを行い、建設費も負担したうえで、この区間のトンネルを京急に譲渡している。<br>
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「帝都東京・隠された地下網の秘密」単行本130頁(2002年12月刊)<br>
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営団はこのほかにも、(中略)、泉岳寺-品川を京急に譲渡している。<br>
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「帝都東京・隠された地下網の秘密」文庫版171頁(2006年2月刊)<br>
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(前略)、京急の泉岳寺-品川間も、P線である。<br>
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ここで、鉄道公団の略史を。<br>
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1964(昭和39)年 設立(日本鉄道建設公団法)<br>
1972(昭和47)年 民鉄線建設業務の追加(6月法改正)<br>
1974(昭和49)年 初の民鉄線開業(6月小田急多摩線)<br>
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そして、京浜急行の略史を。<br>
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1968(昭和43)年6月20日 都心乗入れ工事完成、21日品川~泉岳寺開業。<br>
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すいません、京浜急行の品川~泉岳寺間の開業は「鉄道公団」に「民鉄線建設業務」が追加される4年前なんですけど。<br>
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そして、都営一号線の略史を。<br>
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1956(昭和31)年 特許出願<br>
1958(昭和33)年 「新説 東京地下要塞」文庫版116頁<br>
「都営地下鉄の建設が始まっている。」<br>
1960(昭和35)年 押上~浅草橋開業<br>
中略<br>
1963(昭和38)年 東銀座~新橋開業<br>
以下略<br>
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すいません、都営地下鉄は「都営地下鉄の誕生と同時にP線が創設」と言うより、鉄道公団が創設される4年前に一部が開業してるんですけど。しかも、営団
も、東京都も鉄道公団の当時から今まで、鉄道線建設で直接、お世話になっていないんですが。だって自前で資金調達が出来るように法律で裏付けがありますか ら。<br>
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そして、昭和55年に出た、「京浜急行八十年史」196~197頁には<br>
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これより先、第2次計画において継続施工中であった都心乗入工事は、<br>
昭和43(1968)年6月20日に完成し、翌21日から営業を開始した。<br>
5年の歳月と66億円の巨費を投じたこの事業は、待望久しいものであ<br>
った。その経緯は前章において記述したので、ここでは、都心乗入工事<br>
等の概要について述べることにしよう。<br>
当社の工事区間は、品川~泉岳寺間の1.2キロメートルにすぎなかっ<br>
たが、総工費は66億円に達し、工事部員数は延べ18万5,250人、使用<br>
コンクリート4万2,120立方メートル、鉄材4,025トンに及んだ。この工事<br>
は、まず用地買収が難航し、設計、施工のうえでは、国鉄線と国道15号線<br>
(京浜第1国道)にはさまれた狭い用地の効果的利用、国鉄との関係、都内<br>
でも、もっとも交通量の多い国道15号線下での工事など、かなりの難工事<br>
であった。<br>
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と自社工事であったことが書かれています。<br>
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秋庭さんは、<br>
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都営浅草線のP線・泉岳寺─品川間は、日本鉄道建設公団が建設した。新幹線や青函ト<br>
ンネルの建設などで知られる鉄道のプロである。その鉄建公団がわずか一駅、一キロ強の<br>
区間に五年もかかっている。進行速度は年平均〇・二キロである。<br>
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と書いておられますけど、「5年がかり、」とか、「一キロ強」とかどこで仕入れられたんでしょうか?<br>
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こんなところが、私には、<br>
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「たとえは悪いが、犯人しか知りえななかったこと」<br>
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に思えるのですが。<br>
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ねぇ、犯人。<br>
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2007年8月14日払暁
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