地下妄の手記 一つ二つは面倒だ束にして燃してしまえ。 その8
前章、前々章でふれなかったことどもを

──36」[銀座駅]山手線の外側にあえて駅を造った秘密──のもう一つのポイント、当時の丸ノ内 線の西銀座駅(現銀座駅)周辺がどのような地形だったの か?丸ノ内線建設史の図41御茶ノ水・西銀座間線路平面図及び縦断面図の平面図と以下の文章を対比してみて欲しい。秋庭さんの言う、「有楽町2-2」は平 面図で「ニュー東京」と書かれている場所であることは、どこかで秋庭さん自身が書いていたと思う、その「有楽町2-2」と丸ノ内線西銀座駅の間に何がある か?薄墨で現されている場所が何なのか?

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 国鉄と外濠に囲まれた狭隘の地がどうしたら地下の拠点たりえるのか?

 
    36」[銀座駅]山手線の外側にあえて駅を造った秘密

      ──前略──
      丸ノ内線が開通したあと、1960年代に密かに国は戦前の地下施設や地下道の整備を
     地下鉄工事と称して行なう「1-8計画」を実施して大きな成果をあげた。千代田線の工
     事と称して千代田線とは無関係な工事をした話は千代田線の項目に譲るとして、そのとき
     に出された命令書にしばしば出てくる「有楽町2-2」は、丸ノ内線銀座駅に近く、丸ノ内線と
     山手線のあいだにある。
      ここは、かつて大きな地下拠点があり、丸の内1-8や大手町1-8などへ地下ルート
     が造られていた可能性がある場所。
      ──後略──

しかも、「有楽町2-2」に「何かがあるのだ」と仰る根拠として挙げられている、憑拠は、千代田線建設史の道路に地方鉄道敷設許可申請の「千代田区有楽町2丁目2番地先」と言う話しかないのですが。他に何かあるんですか?

      ここは、かつて大きな地下拠点があり、丸の内1-8や大手町1-8などへ地下ルート
     が造られていた可能性がある場所。

だと言う事の憑拠。
 道路には地番が付けられないと言うか、住居表示で記述するのもおかしいから、目安として最寄の地番に「先」を付けて敷設申請と許可や命令書には、敷設工事の位置として書かれているんだけど。
 公共物にいつまでも際限もなく工事をされちゃたまらないから、期限を切って完成を命令せざるを得ない。そこで「命令書」になって居る訳で、申請の承諾であって、「其処に敷きなさい」と言う命令ではないんですが。
 その「先」の路下に地下鉄を敷くと、元の地番にまで「地下拠点」が出来ちゃう根拠、「帝都東京・隠された地下網の秘密[2]」以来、全然説明してくださらないんですね秋庭さん。
 秋庭さんの「1-8計画」の歴史を紐解いて見ましょうか?まっ、紐解くまでもなく、秋庭さん一人が「1-8計画」、「1-8計画」と騒いでいるだけだと言うことが良く判ると思うんですが。
  以前からお尋ねしているのですが、「1-8計画」なんて読むんですかと。小耳に挟んだのが「いちはちけいかく」と言う言葉なら「1,8計画」とか、「一 八計画」とか、色々な書き方があろうかと。なんで「1-8計画」と書けるんですかと。「いちのはちけいかく」?「いちはちけいかく」?「いちハイフンはち けいかく」?、秋庭さんは一度として、この記号の読み方を明らかにされたことがありません。

「帝都東京・隠された地下網の秘密[2]」単行本207頁の文末では

      「1-8]と言う文字を目にしたとき、住所のことだとピンときた。

とおっしゃる。するとこれは丁目地番で「いちのはちけいかく」と読むことになるのでしょうか?でも、どこで、何の資料から──「1-8]と言う文字を目にした──
のか、どう言う機会に目にされたのか?全然明らかにしていただいていない。
 秋庭さんしか目にしたことのないものを資料だと言って持ち出されても、、資料性の無い、秋庭さんだけの確認、それも言葉の上だけでのものを、──「はい、そうですか」と簡単に認めるわけにいかない。──のですが。
  戦後史の中で、大きな成果を挙げたという「1-8計画」とやらについて、誰も語っていないし、記録も無い。秋庭さんは何等の憑拠も示してくださったこと が無い。秋庭さんが根拠と主張されるものは、歪曲、捏造、改竄ばかり。特に「1-8計画」はホンの些細な伝聞(空耳かもしれない)と後は全部「千代田線建 設史」から紡ぎ出した妄想だけ。
 なんなら、「帝都東京・隠された地下網の秘密[2]」の「1-8計画」の項全部お浚いしましょうか?妄想を紡ぎ出す装置は全部、歪曲、捏造、改竄によるものだと明らかにしていきましょうか?ご自身ここまで嘘を並べてこられて、馬鹿馬鹿しくならないんでしょうかね?


     37」[東京駅]「行幸地下通路」は、以前は「秘密の地下道」だった?

       丸ノ内線東京駅(20ページの地図参照)の改札を出ると、目の前に地下広場が広がって
      いる。大きな地下街のある八重洲口とは比較にならないが、丸の内の再開発で新丸ビル、
      丸の内オアゾなど新しい高層ビルが建って地下広場もぐっと明るくなった。とくに丸ノ内
      線の改札から右側は新丸ビルの改築とともに大きく変わっている。

大東京の地下鉄道99の謎の20ページの地図には、

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 「丸ノ内線東京駅」も「目の前に地下広場」も見当たりません、それはそうでしょう。20ページの地図は秋庭さんによれば、「内務省」の「戦前の東京駅周辺地図」なのですから。
 「燃えないゴミは木曜収集(第二週)」で示したとおり、「麹町區詳細圖(復刻大東京三十五区分詳図)」の原版は昭和16年の地図なのですから、

       丸ノ内線東京駅(20ページの地図参照)の改札を出ると、目の前に地下広場が広がって
 
こ こで、(20ページの地図参照)と書かれている意味が判りません。わざわざ盗用までした地図の扱いがこれですか?丸ノ内線東京駅の位置すら表していない 地図、戦後に建った[旧]新丸ビルの位置さえ表示の無い昭和16年の地図で以って何を説明されようと言うのか?まるで意味不明です。

      一方、中央郵便局のある方向の左側は、柱も紺色で照明も少なく、暗く寂しい印象を拭
      えない。その明暗の分かれ目、新丸ビルの左側に「行幸地下通路」が2007(平成19)
      年4月にできた。

 新丸ビルの左側って、丸ビルの右側、丸ビル側ってそんなに寂れたところだったっけ?ってか、ここでは「丸ビル」がすっかり抜け落ちている。

 では、まず、丸ノ内線東京駅改札の西側(新丸ビル正面側)改札の実際の様子を御覧ください。

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 この改札を出たところの実際の様子は。

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 はいっ、これが現在の丸の内線東京駅の西側(行幸地下通路側)改札を出たところから撮った丸ビル側。

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 そしてこれが、新丸ビル側と言うか、改札の正面が新丸ビルなんで、oazo側って言うべきかも、

 丸の内なんてオフィス街だから、時間帯によって人の動線著しく変わるし、実は、

      一方、中央郵便局のある方向の左側は、柱も紺色で照明も少なく、暗く寂しい印象を拭
      えない。その明暗の分かれ目、新丸ビルの左側に「行幸地下通路」が2007(平成19)
      年4月にできた。

      とくに丸ノ内線の改札から右側は新丸ビルの改築とともに大きく変わっている。

とあるけど、右側って言うか、新丸ビルの正面のとこも、新丸ビルの完成前は、

      柱も紺色で照明も少なく、暗く寂しい印象を拭えない。

状態だったんですが。

  何でこんなおかしなことになるのかといえば、一つには、丸の内側、特に中央郵便局側の地下については、ここに書かれた嘘を、実際の様に見せたい思惑と言 うか。実際(現実)がどんどん秋庭さんの主張と異なって来るので、取り繕わなきゃならなくなっていること。もう一つには、

  2002年8月 [新]丸ビルの新築完成・・・丸ビル(1923年竣工)を1999年取り壊し跡地に新築。
  2004年9月~oazo A街区竣工
  2007年4月 [新]新丸ビルの新築完成・・・新丸ビル(1952年竣工)を2004年取り壊し跡地に新築
  2007年4月 「行幸地下通路」開通

と言う事実関係をネグったと言うか、西側改札の変化を実際に観察していないってことなんですね。だから見てきたような嘘になる。

 ちなみに、秋庭本の91頁にはこんな写真が、

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 行幸地下通路の構造コンセプトが西側改札前の地下通路と同じだと言うことが良く判ると思います。 

       これまであった地下駐車場の1階を地下通路に造り替えたものだが、地下通路といって
      も普通の地下通路ではない。
       両側の壁がギャラリーになっていて、常時芸術性の高い作品を無料で楽しめるようにな
      っている。
       絵を見ているあいだに千代田線や都営三田線が走る内堀通りの地下にたどり着けるので、
      地下鉄利用者には便利な通路と喜ばれている。

 また、見てきたような嘘を、

       「地下鉄利用者には便利な通路と喜ばれている。」

 自分で取材して聞いたんかい?と言うか、取材してないだけじゃなく、日本語がおかしいんだなこれは、

    正)掲示されている作品を辿りながら、いつしか千代田線や都営三田線が走る内堀通りの地下に出られるので、地下鉄利用者には好評であろう。
    誤)絵を見ているあいだに千代田線や都営三田線が走る内堀通りの地下にたどり着けるので、地下鉄利用者には便利な通路と喜ばれている。

 見掛けだけで、或いは伝聞だけでもの書いて、ジャーナリストを僭称されてもねぇ、ヤッパ雲国際ジャーナリズムは違いますなぁ。

       しかし、東京駅からまっすぐ行幸通りを車で走ったとすると、皇居の壁にぶつかってし
      まう。皇居内に入るには内堀通りで左折して二重橋に向かわなければならず、広い道路を
       造った意味がわからない。壁をぶちぬくわけにはいかないが、行幸道路の下に皇居内に通
      じる地下道があればどうだろう?

 皇居内って言うけど、御所がどの辺にあるのか?あの広い皇居のどの門が御所の最寄なのか?坂下門だってあるでしょうに。皇居の壁って何?濠じゃないのか?
 第一、地下道があれば、「広い道路を造った意味」が余計不明になるんじゃないのかしらん。

       そんなことを考えながら内務省が1941(昭和16)年に作った地図(20ページ参照)を見
      ると、点線が八重洲口から東京駅を越えて行幸道路を通り、お濠の前までつづいていた。
       この点線は地下道路ではないかと、私は考えた。

 秋庭さん曰くところの「内務省」の地図、「凡例」ではご覧の通り、この点線は、「界目丁界町」を表すとされています。

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 そして、この点線は行幸通りのところ だけでなく、この地図の丁目の境目あちらこちらで見ることが出来ます。もしこの点線が地下道路ならば、麹町區には丁目の界にピッタリ合う様に、随分と地下 道路が建設されていたことになるのですが。

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      現在、東京駅八重洲口地下1階には大きな地下街があり地下2階には駐車場がある。丸
     の内口の行幸道路の下には地下1階に地下通路があり、その下には日本初の地下駐車場が
     ある。いずれも地下道路を造ろうと思えば造れるスペースがある。
      もし、この点線が地下道なら、皇居内から一直線で皇族は誰にも邪魔されず東京駅に来
     ることができたはずであり、地下に「秘密の行幸道路」があったことになる。

丸の内の地下駐車場については、こちらを参照ください。