地下妄の手記 五島運輸通信相

※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

第三代運輸通信大臣五島慶太


文庫版192頁

 「以下、五島慶太『私の履歴書』から。」とする引用

   二月十九日、突然東條首相から召電があり、すぐ来てくれないかということであった。

  何事かと思ってすぐ首相官邸に行ったところ、いきなり東條自身が入って来て、素裸に

  なってくれという。そしていま八田嘉明の辞表をとって来たから、君が運輸通信大臣を

  やってくれ、今晩九時に親任式をやる、ということであった。

  地下鉄の雄・五島はその日のうちにすべての役職を下りて素裸になり、運輸通信相に就任

 した。二十年前に五島が退官した鉄道院はその後、鉄道省に格上げされ、運輸通信省に変っ

 ていた。これだけの波乱万丈、大出世には恐れ入ってしまうものの、このポストがそれまで

 「通信」出身者に占められていたことにも注目し、この大抜擢の理由を探らなければならな

 い。

なのだそうですが、

運輸通信省って、逓信省と鉄道省が昭和18年11月1日に統合されて設置されたもんで、

鉄道相の八田嘉明が留任して初代運輸通信相。上記東條に辞表を取られた八田さんですね。

その八田嘉明さんは鉄道省次官から貴族院議員、満鉄副総裁、拓務大臣、昭和16年12月

鉄道相就任。

「このポスト」って、どのポスト?まぁ、逓信省が「通信」出身者に占められておらず、

鉄道省が「鉄道」出身者で占められていないとなれば、何によって占められているのかは、

実に私も、知りたいところではありますが。

同じ場面を三鬼陽之助の「五嶋慶太伝」(日本財界人物伝全集 東洋書館刊1954年)は

次の様に描いていますので参考までに。

  当日、彼は行政査察使として内閣に出頭、星野書記官長に報告や打合せをして帰ろうとした

 ら、星野が「もうしばらく待ってくれ」という。そこで、五時から六時頃まで書記官長室で待

 っていた。すると、隣室の東條総理から呼ばれて「今八田嘉明氏が辞表を出したが、君も迷惑

 であろうが、真裸になって運輸通信大臣になって国務のために働いてくれないか」といわれ、

 さらに「今夜九時に服装を改めて皇居に出頭してほしい」と急がれた。

 中略

  彼は、木造船の査察を終えて、まもなく運輸通信大臣となったが、この運輸通信省という省

 は、彼が大臣になる直前にできた省で、戦時体制を確立するため鉄道省と逓信省とを一本にし

 てその監督を強化し、その仕事を合理化せんとして運輸通信省としたものである。その初代の

 大臣は海軍中将の寺島健で、二代は八田嘉明、彼は第三代の大臣となったのであった。

秋庭氏は参考文献に「五嶋慶太伝」を挙げているばかりでなく、西武軌道についての歪曲をこれを引用

して書かれていますから、上記事実は承知されているはずですので、

  「このポストがそれまで『通信』出身者に占められていたことにも注目し、大抜擢の理由を探らなければならない。」

は捏造と申し上げるしかありますまい。

なお、2ちゃんねるでの報告当時確認した記録は、八田嘉明鉄道相からの横滑りで初代運輸通信相と

理解しておりましたので上段はそのままにしています。寺島の初代かどうかの裏取りはしておりません。念の為。