地下妄の手記 日本築城史からの下品な捏造

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日本築城史からの下品な捏造


以前に2ちゃんねるスレッドにも書きましたが、私は、秋庭俊氏が地下網シリーズをお書きになっている根源的な理由は、

 >彼の本心は、「詰らんことで俺を裁いた、日本国は、こんな大きな悪い事をしてるんだ   
  >ぜ。」じゃないかなと思えてしょうが無いんですがね。

と言う怨恨に兆したものと思っています。

従ってその目的を達するためには、元々法規範の無い方ですから、原資料の無断複写、盗用、それらを更に改竄、歪曲、資料あるいは事実関係などの捏造など当たり前に実行されます。

何より問題なのは、秋庭氏は声無き方々、例えば「丸ノ内線の設計士」や「地下鉄10号線の設計士」の方々の意志、或いは以下の幽冥相隔たる方々の遺志を勝手にお創りになることです。

まぁ、私も上記の様に秋庭氏の意志を勝手に忖度いたしておりますが、「あんたは、生きとんねんから、文句があるなら言うて来いや」と申し上げておきましょう。

この度、秋庭氏が「帝都東京・隠された地下網の秘密[2]」の「あとがき」に

追記

陸軍の浄法寺朝美大佐、建築家の内田祥三。二人の巨頭の反骨の遺志に導かれ、本書ではその足跡を克明にたどった。関係者および出版社の方々の多大なるご尽力に感謝し、この場を借りてお礼の言葉に替えさせていただきたい。


と書かれ、「地下網の秘密[2]」に多々複写された、浄法寺朝美氏の「日本築城史 近代の沿岸築城と要塞(昭和46年12月 原書房刊)」を確認出来ることとなりましたので、

取り敢えず判明した、同書からの「地下網の秘密[2]」における改竄、歪曲、捏造の一部を以下に対比して提示することとしました。

そして、自己の品性下劣な自己正当化の手段として、浄法寺朝美氏の「遺志」なるものの捏造が如何に罪深いものか、を知らしめることとしました。

青字は「地下網の秘密[2]」、「日本築城史」それぞれ秋庭氏がいじった部分を、赤字は改竄部分を示しました。)

地下網の秘密[2]単行本78~79頁、文庫版89~90頁、

帝 国陸軍の要塞は、つまり、砲台が主体である。砲台は主に地下に築かれ、弾薬庫なども同様に地下につくられていた。これらの施設は、敵の砲撃や爆弾投下から の被害を小さくするため、分散配置されていた。分散配置された施設間は地下道で結ばれ、その距離は、通常、一キロ前後、長いところでは二キロを越えるトン ネルが築かれていた。このような地下砲台が建設されていたところには、周囲八キロにわたって要塞地帯法が適用されている。東京湾の全域がこの法律の対象となっていた。以下、浄法寺大佐。

    要塞の周囲一帯の一定区域を要塞地帯という。要塞の防備状況は、国の最重要な機密事項として公表されず、ただ、1899(明治32)年制定公布の要塞地帯法に基づいて、要塞の建設されている地帯のみが公表された。

    要塞地帯内の水陸の形状の測量、撮影、模写、録取、および、航空、堆土、開墾など、地表の高低を変更する土工、溝渠、塩田、排水、灌漑、公園、畑、耕作地の新設には、要塞司令官(参謀本部次長)の許可を必要とした。堤防、運河、道路、橋梁、鉄道、トンネル、桟橋の新設、変更には、陸軍大臣の許可を必要とした。

   この法律の適用範囲は、東京では渋谷から綾瀬までのほぼ全域とされ、以後、その範囲はさらに拡大されている。陸軍の地下道がある以上、勝手な工事はさせないということである。


さて、一寸長文ですが、上記秋庭氏による要塞地帯の範囲についての記述と、「以下、浄法寺大佐。」とする7行と「
この法律の適用範囲は、東京では渋谷から綾瀬までのほぼ全域とされ、」の原典は次の様になっています。

日本築城史(浄法寺朝美著 昭和46年 原書房刊97頁~99頁

2 要塞地帯

要塞の周囲一帯の一定区域を要塞地帯という。要塞の防備状況は,国の最重要な機密事項として公表されず,ただ明治32(1899)年制定公布の,要塞地帯法に基づいて,要塞の建設されている地帯のみが公表された。ま た要塞軍機の保護と防御営造物の保安を確実にするため,要塞地帯法と同時に・軍機(軍事機密)保護法が定められた。要塞地帯法では・各種のきびしい制限を 設け・軍楼保護法では,各種のきびしい処罰が定められた。要塞内にある各種砲台の位置・種類・性能・形式・兵備・強度と付属機関の編成・配置・種額・性 能・強度が判明すれば,攻め易く,要塞の価値は半減するからである。

 要塞地帯の幅員は,防御営造物の各突出部を連絡する線を基準として,この線から外に,一定の距離250間(約455メートル)を第1区,750間(約1,370メートル)以内を第2区,2,250間(約4,100メートル)以内を第3区といい,第 1区においては,可燃物質の家屋・倉庫および高さ2間(約3.6メートル)以上の営造物・客室・固定かまどの新設が禁止された。埋葬地,高さ1.5メート ル以上の可燃物質および石炭類,高さ4メートル以上の薪炭・木材の累積,水面における漁獲,採藻,艦船の繋泊,土地の掘削には,要塞司令官の許可を必要と した。第2区においては,第1区よりも制限が緩和されて,可燃質よりなる家屋・倉庫,高さ1メートル以上の築造物,埋葬地の新設,高さ2.4メートル以上 の不燃物および石炭類,5メートル以上の薪炭・竹・木材の累積は,要塞司令官の許可を必要とした。第1・第2区を通じ家屋・倉庫その他築造物の増改築に も,要塞司令官の許可を要した。

 なお,各区を通じて,要 塞地帯内の水陸の形状の測量・撮影・模写・録取および航空と堆土・開墾など地表の高低を永久に変更する土工・溝渠・塩田・排水・灌漑・公園・育樹場・桑 園・畑・耕作地の新設・変更には要塞司令官の許可を必要とした。堤防・運河・道路・橋梁・鉄道・トンネル・桟橋の新設・変更には陸軍大臣の許可を必要とするなど,土地所有権に対する制限および一般国民に対する作為禁止など相当厳重な制限が課せられていた。

  なお航空は第3区の境界線の外方6,400メートルまでの上空を制限とした。犯した者は軍機保護法によって罰せられた。一般人の撮影や映画のロケーション には,許可あるいは立会を必要とし,不便ではあったが,漁業に従事し,あるいは半農半漁の部落民には,漁場や海草採取場を保護され かえって有利な面も あった。ただ要塞地帯内で,築城実施中の区域(工事現場)や,砲台およびその付属構築物(防御営造物)の周囲には警戒柵を廻らし,一般人の立ち入りを禁止 したから,一般にはどんな工事が行なわれていたか,何があるかなどを窺い知ることができなかった。

 要塞地帯の区域は,その区域の要所要所に掲示され「許可なくして圏内における水陸の形状を測量,撮影,模写,録取し,または航空することを禁ず」の注意と区域範囲の要図が公示されていた。陸 上要塞のみのところは陸軍省の名において,軍港・要港のあるところは海軍省の名において,陸上要塞と軍港・要港のあるところは陸軍省と海軍省の両者の名に おいて掲示した。東京湾要塞は,要塞と軍港を包含し,両省連名で,東京湾要塞地帯区域要図を示した。これには三浦半島全部・東京湾・千葉県の西側を含み, その区域は,海上の相模湾から茅が崎姥島より北上,綾瀬町・渋谷町を通って東に向い,横浜市保土ガ谷区・神奈川から東京湾を渡り,千葉県姉が崎に至る,江 の島・鎌倉・大船・戸塚・横浜を含むものである。姉が崎から南総町,ここから南下して房総中央の山々を連ね,加茂町・上総町・清和村・長狭町を経て,外房 州の江見町・千倉町に至り,ここから海上にでて,野鳥崎沖6キロ,洲崎沖20キロ,城が島西方沖18キロを通って北上し,先の茅が崎姥島に連なる線に包含 された陸海の区域が,東京湾要塞の区域であった。千葉県においては,木更津市・富津町・天羽町・富山町・富浦町・館山市・白浜町・千倉町・丸山町・和田 町・江見町などが要塞地帯内にあった。鎌倉・江の島でロケーションをするとき,要塞司令部から立会者がでるという次第であった。

 大島には大島第1と第2砲台建設のための,用地買収が終ったが,未着工のため要塞

地帯法は敷かれなかった。

「以下、浄法寺大佐。」が如何に省略されているかが良くお判りいただけると思います。引用文って、事実の説明をしている部分について、途中勝手に省略して良いのかしら?

長年の疑問でありました、要塞地帯法の適用範囲に、「東京では渋谷から綾瀬までのほぼ全域とされ、」と言うのが、嘘っぱちであり、秋庭氏が上記原典を何故全文引用していないのかも「日本築城史」原典を当たって氷解しました。

浄法寺氏に導かれた結果がこの歪曲、と言うより捏造ですか?他者の労作を自己正当化のためにここまで貶めることが出来るなんて、秋庭センセって、凄―ィ!

それを焚き付ける編集者と出版社ってもっと品性下劣で、ご立派!

この稿続きます。