地下妄の手記 後生 だからやめてくれ 新宿・都営軌道 陸

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後生 だからやめてくれ 新宿・都営軌道 陸



 前項で「大東京の地下99の謎」四刷と言いましたが、本日池袋のジュンク堂書店で、書架に架かっていたのを見掛け奥付を見ると五刷だそうです。
 そして、ご本人が、「二見書房がこれに味をしめて」と言うニュアンスを「はじめに」に書かれている「大東京の地下鉄道99の謎」なる新著をお出しになりました。今回は盗用よりも、自著焼き直し部分をさらに歪曲、捏造されて構成された嘘の山のような代物です。
 一体この国の出版界は自浄と言う事がないのでしょうか?現今マトモな会社なら、コンプライアンスとかで過剰に、かつ人死にが出そうなくらい順法とやらに四苦八苦していると言うのに。そのことを時として論う人達があの体たらくとは。

 天皇の名がつけられた道

 本項は無意味に長いので幾つかに分割して取り扱うこととしたい。

      天皇の名がつけられた道

      帝都復興の事業を指揮していたのは後藤新平である。後藤は震災の翌日に帝都復興院の総裁に
     就任、東京中の道路を敷き直す計画を立てていた。この計画はおおよそ内務省と東京市に受け継
     がれ、当時の東京の外周をまわる道路を「明治通り」、東京を南北に縦断する道路を「昭和通り」
     などと名づけられている。
     道路に天皇の名を冠するというのは、後藤が市長時代に何度も軍部に計画をつぶされたことか
     ら思いついたものだといわれ、つまり、軍部の反対を突破するための秘策だったということであ
     る。

単行本でこの「天皇の名がつけられた道」と言う項題を付けた秋庭さん、文庫版では、

      元号がつけられた道

      帝都復興の事業を指揮していたのは後藤新平である。後藤は震災の翌日に帝都復興院の総裁に
     就任、東京中の道路を敷き直す計画を立てていた。この計画はおおよそ内務省と東京市に受け継
     がれ、当時の東京市の外周をまわる道路は「明治通り」、東京市を南北に縦断する道路は「昭和通り」
     などと名づけられている。
     道路に元号を冠するというのは、後藤が市長時代に何度も軍部に計画をつぶされたことか
     ら思いついたものだといわれ、つまり、軍部の反対を突破するための秘策だったということであ
     る。

 すっごい改竄ですね。呆れてものも言えません、これじゃあ、「後藤の秘策」の意味がまるっきり変わっちゃいます。
 天皇の名と言う権威で、軍部の反対を黙らせる。と言う仕立てじゃなかったんですか?「明治、大正、昭和」。
 元号にも、軍部の反対を黙らせる権威が有ったと言うことですか?日めくりで毎日でも消費されちゃう元号が?

 誰かに言われたのかな?
「秋庭さん、アンタ歴史を書いていると言う触れ込みだけれど、明治とか大正、昭和って、天皇の名ってのは諡号『おくりな』って言って、亡くなられてから付けられる名前なんだよ、あれじゃー無知をさらけ出してる様なもんだ。」とか?

 大正と昭和で禁忌に触れちゃったあ!?
 「公安だけじゃなく、右翼にもマークされますよ、あんな不敬をお書きになったんでは。」と言われてビビったのかな?
 国家の悪を暴こうかと言う覚悟の雲国際ジャーナリストともあろう人が。
 ヘッ!チキンかよ!!

 まず、

      帝都復興の事業を指揮していたのは後藤新平である。後藤は震災の翌日に帝都復興院の総裁に
     就任、

  何で、後藤は震災の翌日に帝都復興院の総裁に就任できるわけ?それじゃー、震災の翌日に帝都復興院が出来ていたことになりますが、震災後に発生した猛火 の中で、最早復興の算段を?被害の実態も判っていない中で。そりゃー、私の様な阪神淡路大震災で実家が全壊した人間から見れば、「幾らなんでも」な話じゃ なかろうか?
 後藤新平が震災の翌日に親任されたのは山本権兵衛内閣の内務大臣。これは8月に大命が下った第二次山本内閣の組閣、これが難航して 9月1日が組閣の日、 その日に震災が起きちゃった。皇居にも火が及ぼうかと言う状況で、この親任式は赤坂離宮で行われたくらい大変な状況の中での山本内閣の船出。
 復 興の詔書が出たのが9月12日。たしかに、救援活動も行われている最中の、被災から日の浅い時期でしたから、早いと言えばそうなのですが、あまりの被 災状況に、「東京はもうダメポ」っと言う様な気分が出て来てるし、遷都論みたいなものも人々の口に上される様な、政治的、経済的、社会的な安定を欠きそう な危うい事態になってたから、それを沈静化させるためにも、東京を帝都として復興させるのだと言う宣言を早々に出す必要があったんでしょうね。
  そして、後藤は帝都復興院総裁に「就任」したんじゃないんだもんね。先に9月2日山本内閣の内務大臣に天皇から任じられていて、兼職として、9月27日 に官制としての帝都復興院総裁に任じられたから、内務大臣と兼任したんだもんね。だから、虎ノ門事件で山本内閣瓦解して内務大臣を免じられたら、兼職とし ての帝都復興院総裁じゃなくなってる訳でしょ。後藤の恣意に由って帝都復興院総裁になったんじゃなくて、内務大臣になると復興院総裁が付いてくるというこ となんですね。
 こういう風に実際をはっきり書くと

      東京中の道路を敷き直す計画を立てていた。

 何ぞと言う、言い方は出来ないはずなんだが。しらっと言っちゃうところが秋庭流の歪曲なんだもんな。復興を要したのは、道路だけかぁ?
  総合的な都市インフラの整備、特に、壊滅状態の東京の下町、東京の東半分を如何に立て直すかそれを考えるのが復興計画、その方針をたすける為に道路もい じる、西半分もいじる。最終形が東京市域内全体の都市インフラ整備となったかもしれないが、復興の本来はそこにあったはずでしょ。秋庭さんみたいに趣味で 定規当ててるわけじゃない。

      この計画はおおよそ内務省と東京市に受け継がれ、当時の東京の外周をまわる道路を「明治通り」、
     東京を南北に縦断する道路を「昭和通り」などと名づけられている。
     
 ここは、極めて丁寧に説明を要する箇所なんだが。少なくとも、復興計画の推移を説明しなければ、「受け継がれ」が意味不明になるんですが。
 この復興計画の推移については、mori-chi氏の適切な考究がありますので、そちらを御覧になれば、秋庭さんが何故ネグっているか、地下鉄の金とか アホな事には労を掛けられているのに、復興計画の推移その意味を、軍部の妨害などと言う戯言を捏造して如何に歪曲しているかが、理解いただけると思いま す。

 ところで、「昭和通り」、「明治通り」何時名付けられたんでしょうか?
復興計画は大正12年の計画です。「明治通り」と後で出てくる「大正通り」(現靖国通りの東の部分)はその時点で名が付いたと言うことかもしれませんが、

     道路に天皇の名を冠するというのは、後藤が市長時代に何度も軍部に計画をつぶされたことか
     ら思いついたものだといわれ、つまり、軍部の反対を突破するための秘策だったということであ
     る。

「昭和通り」はこの説明と矛盾しますけど。「大正通り」も諡号ですから、この説明からは矛盾となりませんか?「天皇の名」を「元号」と変えてみたところで、「昭和通り」は矛盾じゃありませんかね。

  復興計画案が策定された当時には道路(街路)には「明治、大正、昭和」などの名称は付いていませんでした。「幹線第1号」とか「幹線第2号」と言うよう な呼称が為されていました。そして、通常「明治通り」は、復興計画案に一応の線引きはあるものの、実際には昭和2年に整備が決定しており、「後藤の秘策」 と言う事とどのようにつながるのか?謎です。

     後藤が市長時代に何度も軍部に計画をつぶされたことから 

 何を根拠に

     ①後藤が市長時代に

        具体的にいつ?時期の憑拠は?

     ②何度も

        何回? 何を何回?

     ③軍部に

        軍部って、誰よ?陸軍?海軍?

     ④計画を潰された

        何の計画? 民地や公道の地下深くに、人知れずシールド工法で掘られたと、秋庭さんだけが
        何の根拠も無しに主張される、地下鉄網だか?道路網だか?の相当上層になる、それらの地
        下妄に何の影響も与えない地上の道路等運輸交通機関の整備を目途とした後藤新平の「八億
        円計画」?あるいは、これも秋庭さんの妄想で実際の計画とは異なるのだが、開削程度に掘れ
        る浅い地下に地下鉄だか地下道を敷設、施工しようとしたらしい、やっぱり後藤新平の「八億円
        計画」の事ですか?

と仰っているのだろうか?

 ①後藤が市長時代(1920年12月~1923年4月)に計画した都市のインフラ整備に関するものは、後藤は
   「東京市政要綱」と呼んでいたが、一般には「八億円計画」と言われる「新事業及其の財政計画の要綱」に
   なろうかと思うのだけれど、これは1921年5月の発表。これ以降に潰しが入ったってことかな?憑拠は何
   ですか?

 ②この「八億円計画」の何に何回潰しが入ったのか?憑拠は何ですか?

 ③軍部って?後藤新平は、相馬事件連座による失権から、日清戦争の復員兵の検疫業務で、衛生警察に掛
   かる内務官僚として復権したとき以降、陸軍幹部と密接な関係に有ったことは、児玉源太郎との二人三脚
   による植民地経営とかで有名だし。主要閣僚としてその地位を占めたのは、桂、寺内、山本と軍人上がりの
   首班の時だったんだけど。
   で、一般的には「ガチガチの長州陸軍本流桂太郎」派と目されていた人なんだけど。
   秋庭さんの歴史認識というか、歴史改竄に、
   「藩閥」⇒「陸の長州、海の薩摩」⇒「軍部」
   と言う操作がある。しかも、それらは「地下網」と言う妄想を説明するためのみに資料的裏付け無しで大衆的
   歴史認識、歴史についての「噂」から発生して存在している。

 ④「八億円計画」の何を潰されたんだろう? 「街路の新設」?「地下構造物の整理」?「下水改良事業の完成」?
   大体秋庭さんは「八億円計画」の具体的な内容を知ってるんだろうか?あるいは「八億円計画」以外の後藤の
   東京市に関する都市計画を承知されているのだろうか?「市区改正」は後藤の計画ではない事は言うまでも
   無いし。

 はっきり申し上げれば、

     道路に元号を冠するというのは、後藤が市長時代に何度も軍部に計画をつぶされたことか
     ら思いついたものだといわれ、つまり、軍部の反対を突破するための秘策だったということであ
     る。

は、其の出典は秋庭俊著「帝都東京:地下の謎86」であり、それ以前には誰も言った事がありません。秋庭さんのオリジナルです。しかも、秋庭さんは上記について、何等の憑拠もお示しになったことが有りません。つまり、この部分は秋庭さんの捏造です。