(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】特開2005-34651(P2005-34651A)
(43)【公開日】平成17年2月10日(2005.2.10)
(54)【発明の名称】就寝時に素敵な夢を見る支援システム
(51)【国際特許分類第7版】

  A61M 21/02       H04N  5/64    
【FI】

  A61M 21/00    300 E   H04N  5/64    501 Z   H04N  5/64    581 C   A61M 21/00    300 B   A61M 21/00    300 A
【審査請求】未請求
【請求項の数】4
【出願形態】OL
【公開請求】
【全頁数】13
(21)【出願番号】特願2004-257319(P2004-257319)
(22)【出願日】平成16年9月3日(2004.9.3)
【公序良俗違反の表示】
(特許庁注:以下のものは登録商標)
1.ポラロイド
(71)【出願人】
【識別番号】304033502
【氏名又は名称】廣瀬 行博
【住所又は居所】神奈川県横浜市鶴見区生麦四丁目6番15-416号
(72)【発明者】
【氏名】廣 瀬 行 博
【住所又は居所】神奈川県横浜市鶴見区生麦四丁目6番15-416号



(57)【要約】
【課題】 本発明は、就寝時に素敵な夢を見ることを支援するシステムを提供するものである。
【解決手段】 寝ている場所から見やすい位置に自在に移動可能なパネル型テレビと、光ディスクに記録されたデジタルデータの音声・画像編集機能を備えたパーソナルコンピューターにより構成されることを特徴とする、システム。パネル型テレビを移動可能にするものとして、テレビを移動可能にするスタンドを採用することを特徴とする、システム。 自分の好むデータ記録されている光デイスクから編集した独自のライブラリーを有することを特徴とする、システム。これらの構成により、就寝時に素敵な夢を見ることを可能ならしめることを特徴とする、システム。
【選択図】図1



【特許請求の範囲】
【請求項1】
寝ている場所から見やすい位置に自在に移動可能なパネル型テレビと、光ディスクに記録されたデジタルデータの音声・画像編集機能を備えたパーソナルコンピューターにより構成されることを特徴とする、システム。
【請求項2】
パネル型テレビを移動可能にするものとして、テレビを移動可能にするスタンドを採用することを特徴とする、請求項1記載のシステム。
【請求項3】
自分の好むデータ記録されている光デイスクから編集した独自のライブラリーを有することを特徴とする、請求項1ないし請求項2に記載のシステム。
【請求項4】
請求項1から請求項3記載の構成により、就寝時に素敵な夢を見ることを可能ならしめることを特徴とする、システム。



【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、心地良い夢を見て、ストレスを解消する為の就寝時に素敵な夢を見る支援システムに関する。
【背景技術】
【0002】
夢と言えば、アテネオリンピックのことであった。テレビをかけながら、寝てしまったが、ちょうど男子100mの予選で、末続と朝原が勝てなかった夜のことである。私は、中学時代に陸上競技短距離をやっていたので、オリンピックでは、男子100mが最も関心のある種目であった。時々テレビに目をやってはいたが、寝てしまった。二人とも予選通過できなかったというアナウンサーの音声が入ってくるので、その後、嫌な夢を見てしまった。末続と朝原が勝てなかったことが、頭の中をぐるぐると回り、それによって、はっきりとは覚えてはいないが、自分が目的地になかなか辿り付けず困っているような嫌な夢を見た。嫌な夜であった。
【0003】
このとき、私は、寝ている間も、時々の目や耳からの刺激により、見る夢が左右されることに気がついた。それであれば、いい夢を見て、楽しく過ごせる簡単な装置はないかと、考えてみた。特に最近は、お年寄りや、独身のミドルも多いので、楽しい夢を見る装置は、その人の人生をより豊かにするものと考えられる。ちなみに、アテネオリンピックの期間中、本発明者の妻は、腰部および股関節手術のため長期に入院中であり、いつもオリンピックをテレビをかけっぱなしで寝ていた。日本のメダルダッシュの時は、悪い夢を見なかったが、良い夢も見なかった。男子陸上100mの競技程には興味がなかった為であろう。
【0004】
従来、就寝者の睡眠状態を判定するようにしている装置は開示されているものの、就寝者の夢を制御することについては何ら開示されていなかった。つまり、人は、就寝中に夢を見るが、どのような夢を見るかはコントロールできないのである。そして、睡眠中において、不快な夢を見ると中途覚醒を引き起こし、その後、眠れなくなり、翌日の体調の悪化をもたらす場合があるという問題がある。人生の1/3~1/4は寝ているのであるから、素敵な夢を時々見たいものである。ただし、毎日素敵な夢を見る必要もないと思う。
【0005】
特許文献について調べると、これが意外にあまりない。かなり確実性が高いものとして、
特開2003-334251号公報(特許文献1)には、睡眠制御装置を備えたカプセルベッドである。カプセルベッドの就寝者の生理量を検出し、検出生理量に基づいて就寝者の睡眠状態を判定する。一方、予め就寝者が見る夢に対応した夢誘発刺激が記憶され、就寝者がレム睡眠状態にあると、夢誘発刺激を発生する。その後、上記夢誘発刺激を発生した後の所定の睡眠状態で就寝者を覚醒させるための覚醒刺激を発生する。具体的に、就寝者がレム睡眠状態からノンレム睡眠状態に移行すると、覚醒刺激を発生する。この結果、人は、覚醒後に心地良い夢を記憶していることになるというものが開示されている。
【0006】
しかし、これはいかにも大袈裟な装置であり、通常の人は、望む夢を毎晩確実に見られる程の高度な装置は望まないと考える。むしろ、汎用的な装置を少し工夫することにより、目を覚ましている時も、寝ている時も、使えるようなシステムが望ましい。かようなシステムは、単なる組み合わせということで、なかなか進歩性は認められないのではあるが、汎用機器を組み合わせて、多目的に使用できることにこそ、真の進歩性があり、産業の発展にも寄与するものと、本発明者は考える。すなわち、産業とは本来は、大衆を幸福にするものを目的としており、わずかな工夫により、低価格のものを供給するアイデアこそが、真の進歩性であり、紙一重の着想こそが、大衆にも、産業界にも有益であると、本発明者は考える。
【0007】
夢を見る原理については、すでに定説が形成されつつあり、以下のようなものである。
(1)なぜ、夢を見るのか。睡眠中も脳は全く活動していないわけではないので、ランダムな神経活動が意識に反映され、夢になると考えられる。
(2)夢をいつ見るのか。ノンレム睡眠時とレム睡眠時のいずれでも夢は見る。ただし、ノンレム睡眠時の夢は記憶に残りにくく、レム睡眠時の夢は記憶に残りやすい。この理由は、ノンレム睡眠が大脳の休息をあたえるための睡眠であるため、大脳の活動が低下するのに対し、レム睡眠中は大脳が活発に活動するためである。また、レム睡眠中には、「ラムダ反応」が起こっていることも関係すると思われる。「ラムダ反応」とは、目でものを見たときに起こる脳内の視神経の集まる視覚野での電位活動である。つまり、レム睡眠中には、脳内で視覚情報の処理が行われているのと同義であり、それが大脳での神経活動と結びついて、視覚心像を作り出すと考えられる。
(3)夢はコントロールできるのか。
大脳の断片的な神経活動のつなぎ合わせであるということは、外部からの刺激により意図的な神経活動を起こせば,その刺激に関連した夢を見る可能性が高い。ただし、刺激により脳が同様な神経活動を行うかは、刺激に対する個人の経験等に基づくため、夢の内容自体をコントロールすることは難しい。例えば、ある刺激に対して、Aさんは快適な夢を見るが、Bさんは不快な夢を見る。しかし、個人に関しては、ある刺激に対して快適な夢を見た場合、再度同じ刺激を与えると同様の快適な夢を見る可能性は高い。
(4)夢をコントロールするには。
外部刺激に対して、ある夢を見たとする。しかし、そのまま寝つづけるともともと断片的な情報の集まりで不安定なものであり、すぐに忘却される。朝起きて覚えているのは最後に見た夢である。したがって、素敵な夢を記憶するには、就寝時の後半に刺激を与えるようにする工夫が必要である。
【0008】
人は、発生した刺激に対して大脳活動を行う。大脳活動が行われると、それに経験的に結びついた記憶が想起され、それらを脳内でつなぎ合わせて物語性のある夢となる。ここでいう経験的に結びついた記憶は、個人個人で異なるので、ある刺激が万人に同じ影響を与えることはない。個人については、刺激と経験が結びついているので、同じ刺激によって同じ傾向の夢を見る可能性が高い。例えば、ある刺激に対して心地良い夢を見たとすると、刺激に対して良好な記憶が結びついていると考えられるため、同じ刺激を与えれば物語りは異なるとしても心地良い夢を見る可能性が高い。
【0009】
私にとって、心地よい夢とは、女優冨司純子さんの夢である。しかし、アテネのオリンピックの前までは、冨司さんの夢を一回しか見たことがない。これは、真実である。冨司さんには、約200回におよぶ、多数のファンレターを出させて戴いており、その時のファンレターが真実を語っている。ほんの瞬間の夢であった。
【0010】
「冨司純子様 拝啓
お元気ですか。3日の土曜日、天花を観ておりましたら、出演されていました。小さい子供を抱いておられましたから、お祖母さんになるのでしょうか? 娘役から、母役、お祖母さん役と時の流れは早いものですね。片平なぎささん、かたせ梨乃さん、浅野ゆう子さんといったところが、早、お母さん役ですから。ただ、母役とお祖母さん役には、さほど区別がなく、ストーリーの始めは、母であったのが、途中で、お祖母さん役になってしまうという場合もあるでしょう。貴女の場合も、まだまだお母さん役で、いけると思います。財津一郎さんは、ひさしぶりに見て、(明確な印象は、「てなもん屋三度傘」ですから)最初は、財津さんであることに気がつきませんでした。・・・・・
ところで、素敵な夢を見てしまいました。夢の中に貴女が登場したのです。女性が登場する夢はほとんど見ませんが。(一番多かったのが、大学を卒業する前の単位の過不足を心配している夢(笑))。場面は、雀荘で、私の手が出来上がった後、危険杯を引いてきて、やむを得ずそれを切り、振り込んでしまったというものでしたが、振り込んだことについて別に悔やんだ訳ではありませんでした。隣の卓をふと見ると、貴女が赤い洋服を着て、背中を向けて卓を囲んでいたのです。私が、「あれ、純子さんじゃないですか。どうして、こんなところに? さすが任侠映画でならしたので、今度は、麻雀ですか?」と話ましたら、ふりむいて「なに言っているのよ。みんなあなたのせいよ。」と貴女の美しくて、恨みがましい顔がアップになったら、夢は終りでした。多分、一瞬の夢でしょうね。・・・人生、夢のまた夢。しかし、貴女が夢にまで出てくるとは、・・もちろん初めてでした。
ではお元気で。敬具。平成16年4月5日。」
要するに、大ファンの女優さんでも、なかなか夢には、出て来ないのである。夢は私の場合、嫌な夢を見ることが多く、その夢の方がよく記憶している。多分、多くの人がそうであろう。世の中嫌なことが多くなった。
【0011】
そこで、アテネオリンピックが終わった8月31日から、パソコンにDVDをセットして、藤純子さんの東映ビデオの緋牡丹シリーズを映画をかけて眠りにつくと、9月2日に、藤純子さんが夢に登場したのである。パソコンを枕元に置くと、万一寝とぼけて、トイレに行く時、パソコンを踏みつけて、壊してしまうと、パソコンはともかく、中のデータの復帰ができなくなったら、たいへんなことになり、パソコンをゲート型の枠で囲って使っている。しかし、枕の横に置かれるので、首を横に向ける必要があり、使いづらい。また、パソコンの音質もあまり良くない。もっとも、スピーカーを別途用意して接続すれば良いのだが、めんどうである。特に現代に多い独身者は、私も妻の入院により同じような境遇にあるのであるが、TVとかCDとかをかけながら寝たほうが心地よいという人も多いと推察する。
【特許文献1】特開2003-334251号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
本発明の課題は、心地良い夢を見て、ストレスを解消する為の就寝における素敵な夢を見
るシステムを提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0013】
すなわち、本発明は、以下の構成を要旨とする。
(1)寝ている場所から見やすい位置に自在に移動可能なパネル型テレビと、光ディスクに記録されたデジタルデータの音声・画像編集機能を備えたパーソナルコンピューターにより構成されることを特徴とする、システム。
(2)パネル型テレビを移動可能にするものとして、テレビを移動可能にするスタンドを採用することを特徴とする、システム。
(3)自分の好むデータ記録されている光デイスクから編集した独自のライブラリーを有することを特徴とする、システム。
(4)これらの構成により、就寝時に素敵な夢を見ることを可能ならしめることを特徴とする、システム。
【発明の効果】
【0014】
心地よい眠りをさそい、時々自分の好きな夢、例えば好きな異性の俳優が登場したり、好きな風景に囲まれている夢を見る可能性を高めることができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0015】
寝ている場所から見やすい位置に自在に移動可能なパネル型テレビと、光ディスクに記録されたデジタルデータの音声・画像編集機能を備えたパーソナルコンピューターにより構成されることを特徴とする、システムであって、パネル型テレビを移動可能にするものとして、テレビを移動可能にするスタンドを採用しており、自分の好むデータ記録されている光デイスクから編集した独自のライブラリーを有することを特徴とする、システム。これらの構成により、就寝時に素敵な夢を見ることを可能ならしめることを特徴とする、システム。
【実施例】
【0016】
以下に実施例により、本発明を説明するが、本発明は実施例によって限定されるものではない。
【0017】
1.パネル型テレビ移動用スタンド、2.パネル型テレビ、3.光ディスクに記録されたデジタルデータの音声・画像編集機能を備えたパーソナルコンピューター、4.光ディスク、5.テレビの駆動部、6.リモートコントローラー、が基本構成となる。図1。
【0018】
もちろん、これらの装置は、リモートコントローラーにより、システムの作動時間や音量調整が可能となっており、スピーカーは、テレビの両サイドに取り付けられているか、別途設置されたツインタイプのスタンド式のものが望ましい。
【0019】
パネル型テレビの移動は、天井にレールを取り付けたタイプでも良いが、よほど大きな寝室のあるリッチな人でないかぎり、天井にわざわざ工事することを好まない人が多いし、少しぐらいは、顔を横向けていればいいのであるから、電機のショップから、マイカーに載せて、持ち帰ることができる程度のスタンド式が望ましい。駆動部は、小型電動モーターが必要となるが、レールに対して、パネル型テレビの重量を支えうるだけの小型駆動部を付属する必要がある。
【0020】
本発明者は、駆動部やブレーキシステムを開発する専門家ではないので、この面に精通した人に開発をお願いしたい。市販品の組み合わせで対応可能とも思われるが。また、ディスプレイも薄型になったので、移動させるのに、大きな駆動モーターは、必要ないと考えられる。
【0021】
なお、音声・画像データの編集機能が必要な理由は、本発明者の場合、映画であると、何回もすでに見ており、ストリーはすっかり頭に入っている。要するに、自分にとってのオリジナルな名場面集を編集して、就寝時に、適当な時間帯あるいは、繰り返し一晩中流したいのである。このような、自分独自のライブラリーを持つことにより、それを就寝時に流すことは1種の趣味にもなり、痴呆の予防にも好都合である。そして、そのテレビの位置は、リモコン操作により、可能な範囲で自由に変えられるのが、見るのに楽である。
【0022】
なお、本発明中核は、かなりのものは、すでに市販されているのであるから、パネル型テレビを移動させる駆動部を備えたスタンドだけ、となるとも考えられるが、家電メーカーには、ぜひ、特に多くの独身者の為に、全体的に魅力あるデザインのシステムにして戴きたい。もちろん、ディスプレイ自体やパソコン自体は、現在市販されているもので十分ではあるが。スタンド形を図1から図4にかけて例示した。
【0023】
以下の記載は、余談になってしまうが、冨司様への思いを綴った平成11年からのファンレターを「女優冨司純子(藤純子)への賛歌」というタイトルで個人的にまとめたので、冨司純子(藤純子)ファンの方の本発明者の本アイデアに賛同戴きたく、その一部を紹介する。
【0024】
「女優冨士純子(藤純子)への賛歌」、はじめに:
「私が、始めて藤純子さんの映画を見たのは、18歳の時(1968年)の「緋牡丹博徒」であった。藤純子さんは、その後、1972年春、当時の尾上菊之助さんと結婚・引退するまでの4年間に引退記念映画「関東緋桜一家」を含め、主演作16本(緋牡丹博徒シリーズ8作、日本女侠伝シリーズ5作、女渡世人シリーズ2作)を残すとともに、高倉健さん、鶴田浩二さん、菅原文太さん、若山富三郎さんらと、数々の任侠映画や一部、戦争映画に出演されている。 1972年は、私が就職した年であり、仕事や家庭での忙殺の中で、女優藤純子のことは、忘れかけていた。ところが、1994年春に、私は、鬱病になってしまった。しばらくの間、私はなにもできなかったが、ある日、新宿TSUTAYAで、藤純子さんのビデオが在るのを見つけ、約30年前の藤純子さんの記憶を戻すことができた。それは、鬱病になった私にとって、最大の心のよりどころとなった。鬱病は彼女のおかげで回復したといっても過言ではない。
その後、新宿昭和館で、東映任侠映画が上映されているのを知り、何度も通った。新宿昭和館がなくなった後は、中野武蔵野ホールに通った。しかし、中野武蔵野ホールは、2004年5月7日をもって閉館となった。その間、私は、音羽会にも入会し、「本所深川ふしぎ草子」「祇園の姉妹」「山之内一豊の妻」「滝の白糸」「初雪の朝」「マッチ売りの少女」といった演劇を観に行った。また、冨司純子さんに会う為に、歌舞伎も時々観に行った。 また、ここ4年程、音羽会の懇親会にも参加し、冨司純子さんの写真を撮らせて戴いた。そして、平成11年8月から、膨大な数のファンレターを出させて戴いた。これは、冨司様にとって、あるいは迷惑であったかもしれない。へたなファンレターである。今後も彼女が冨司純子としての女優をやめないかぎり、ファンレターを出しつづけるつもりであるが、中野武蔵野ホール閉館を一区切りにして、まとめてみることにした。ファンレターは、いずれも短い文であるので、写真、図を挿入して、目でみても楽しんで戴けることを期待した。 冨司純子さんの良き記念品になれば幸いである。平成16年5月」
【0025】
平成11年。
「冨司純子 様、お元気ですか。12月12日は、新宿の映画館で、「総長賭博」と「死んで貰います」を見ました。「総長賭博」は、1968年の作で、若山富三郎さんの女房役で、若山さんが鶴田さんに殺されてしまう悲しい役でした。貴女の出演場面もあまり多くなく大して大きな感動を覚えませんでした。昭和残侠伝「死んで貰います」のほうは、1970年の作ですが、貴女の芸者姿が、とても色っぽくすてきでした。「止めやしません。だけど死なないで下さい。・・あとは、私の義理に生きて下さい」という最後の部分の台詞が印象的でした。とはいえ、30年ぶりに見た高倉健さんの、鍛えられた上半身の裸姿が、筋肉質の胸板といい、太い腕といい、男心に改めてほれぼれいたしました。
12月31日からは、加藤泰監督の名作「三代目襲名」が上映されます。あの映画では、たしか、初江とかいう遊郭の遊女の役だったと思います。まだ東映に所属して間も無い時期の映画だったかと思いますが、今から楽しみにしております。もちろん、1月16日の「滝の白糸」は一番の楽しみですが、映画のスクリーンには舞台にはない迫力がありますね。では、年末、お元気でおすごし下さい。平成11年12月13日」
注:「総長賭博」、昭和残侠伝「死んで貰います」、「三代目襲名」いずれも名作である。
【0026】
平成12年。
「富司純子 様、感謝感激でした。昨日、21日は、大変楽しいひとときを過ごさせていただき、ありがとうございました。菊五郎様、菊之助様、しのぶ様も近くで拝見させていただき、有意義なパーティでした。また音羽会の鈴木正義様はじめ、場を盛り上げて下さったスタッフの方々に感謝いたします。貴女に、一言挨拶させていただければよいと思い出席させていただきましたが、写真を撮っていただいたり、ダンスまで付き合っていただいたりと、夢のような時間でした。私共より少し年配の方々や、若い方々には、ダンスがお上手な人が多いのですが、私共の年代はあまりダンスをする機会に恵まれなかったように思います。もっとも、貴女以外にダンスをしたい女性などいませんが。スタアの写真撮影は、肖像権で、不許可だと思いカメラを持ってきませんでしたが、ポラロイドで写真を撮っていただき、感謝感激でした。21日の感動は、私の長男が出来たことを医者から知らせてもらった時以来です。私には、兄弟がなく、両親から孫の誕生を期待されていましたので、結婚して2年間子供に恵まれなかった時、すぐ夫婦で不妊の検査を受けたところ、間もなく子供に恵まれました。平成12年12月22日」
注:冨司様にダンスをして戴いたことは、私の生涯で最もファタスティックな時間であった。
【0027】
平成13年。
「冨司純子 様、お父様が、お亡くなりになり、謹んでお悔やみ申し上げます。ニュースで知りましたが、9月ごろから体調を崩され、胃がんの手術もされていたとか。お父様は、290本の映画プロデュースという輝かしい業績を残されましたね。貴女を日本一の女優にされたのも、お父様ですし、貴女の心の痛むところ、いかばかりかと計りかねるしだいでございます。高齢になられましてからも、現役で仕事をされておられましたので、私のように、年々きびしくなる企業環境の中におかれて、そろそろ退職も頭に入れ始めている人間にとっては、貴女のお父様は、鉄人のように思われておりましたが、人間というものには、やはり定命というものがあるものだとしみじみ感じたしだいでございます。私は、もちろん俊藤浩滋プロデューサーに直接お会いしたことはございませんが、「任侠映画伝」の本を読み、お写真では、お父様の風貌をよく存じ上げておりました。もちろん、大のファンである貴女のお父様であるということで、特別の親しみを感じておりましたし。しばらく、ご心痛の日々と思いますが、お体を大切にお過ごしになられますよう、願っております。平成13年10月16日」
注:「任侠映画伝」は、私にとって最も大切な蔵書の一つである。父、娘が歴史に残る大ヒット映画を残すとは前代未聞である。「たかがと言っては失礼だが、映画プデューサーの娘にしては藤純子は美しすぎる」という誰かの評を見たことがある。
【0028】
平成14年。
「冨司純子 様、お元気ですか。18日は、日本はとうとうトルコに負けていまいました。久しぶりに「あ・うん」をビデオで見ました。すでに何回も見ているのですけれど、はじめて気が付いた場面がありました。門倉さんが、友人の娘、さと子さんと会った後、喫茶店の前で兵隊さんの行進を眺めている場面から、南京陥落の提灯行列の場面へ移る間のワンカットですが、貴女が鏡の前で髪の手入れをしている場面です。横からのシーンが多いのですが、3秒から4秒間、貴女が髪を長く垂らした顔が鏡に写っているのをカメラが捕らえています。お竜参上の場面で、髪を垂らした時のように美しい。「あ・うん」の映画は、同じ時期の「詩城の旅びと」と異なって、貴女をあまり美しく撮ろうとはしていないような気がします。貴女の清楚な美しさを引き出しているようです。物語の内容から、妥当なことであると思うのですが。会社員の奥さんがあまり美しいのも奇妙ですから。この場面だけは、きわめて美しく貴女を撮っていることに気が付きました。
この映画のすべては、門倉さんの「みすみす実らないと判っていても、人は惚れるんだよ。」という台詞に凝縮されていると思います。男性は惚れるだけで満足、ほんとうに惚れこんだ女性には手が出せないところがあります、だけれど、女性は、それだけじゃ満足しないのでは、というのが、最近の世相から感ずるところです。平成14年6月24日」
注:「あ・うん」、「詩城の旅びと」ともに冨司純子を名乗った最初の年の作品である。多分、純子43歳の平成元年の作品であったと思う。テープが擦り切れてきている。DVDを出してほしい。冨司さんの美しさは、清楚にあり、これが日本の究極の美学である。
【0029】
平成15年。
「冨司純子 様、お元気ですか。菊五郎様が人間国宝に認定されおめでとうございます。多くの、お祝いの言葉、品々が届いていることと想像いたします。いずれ、人間国宝におなりになる方とは思っていましたが、60歳の若さでおなりになるとは、正直言って、びっくりいたしました。菊五郎さん程、粋な役者さんは、いませんから、当然なのかもしれません。芸のことは、奥行きが深くて私には、よくわかりませんが、とにかく菊五郎様は、容姿が粋ですね。しのぶ様も、菊五郎様に似て、粋な感じがありますが。東京新聞21日の朝刊の切り抜きを記念に送付致します。
ところで、私は、「激闘ひめゆり岬」を見てきました。ビデオでは、何回となく見たのですが、スクリーンで見るのは、始めてなのです。貴女の主演物あるいは、準主演物で、着物を着ていないのは、この作品と、「真赤な度胸花」の2作だけではないでしょうか。
「激闘ひめゆり岬」をスクリーンで見て、始めて気が付いたのですが、終りのほうに、濃緑のTシャツ姿のシーンが、あり、貴女の胸のラインが見えるのですね。藤純子さんが、胸のラインを見せた映画はこれ一本ではないでしょうか。感激でした。ズボン姿もかっこいいし。前にも書きましたが、スタアの存在感というのは、演技を超越したものですね。誰にも真似できないもの。ではお元気で。平成15年6月23日」
注:マキノ雅弘監督は、純子はペチャンコでしょと評していたが、私は、この映画を見てちょうどいい感じと思った。胸の大きな女性は、アメリカに行けば、ほとんどである。
【0030】
平成16年。
「冨司純子 様、お元気ですか。いよいよ、明日から5月。我々は、お休みですが、貴女は歌舞伎座とかNHKとか、お忙しい毎日と思います。28日、NHKの「その時歴史は動いた」を見ておりましたら、マダム貞奴(1871年生誕)の話がとりあげられておりました。彼女は芸者として、伊藤博文、伊藤博文は、彼女の膝枕で、憲法を草案したとい逸話があります、のお抱えになったのですが、伊藤博文も捨て、1891年にオッペケで有名な川上音二郎と結婚し、音二郎の決断で、1899年サンフランシスコ、1900年ニューヨーク、イギリス、フランスと公演。その間、ピカソも彼女のデッサンを残しているとのこと。1901年1月日本に帰国、しばらく日本では、出演を拒んでいたのですが、音二郎の願いにより、明治座にて、1903年2月11日14時に、オセロの公演にて、最初の台詞を発したとのことです。この時が、日本における女優誕生の瞬間とされているということです。その後、1910年に帝国座を設立するも、音二郎が2年後に47歳でなくなり、1925年川上児童演劇園を創設して、後身の育成に尽力したとのことです。亡くなったのは、1946年12月7日、75歳。この亡くなる一年前に、すでに貴女は、誕生していました、そして、日本女優誕生の瞬間の60年後、1963年には、「八州遊侠伝 男の盃」が上映されている。日本最後の大女優といわれる、私はこの意見に賛同する者ですが、貴女との間にさほど時間的隔たりがないというのは、NHKを見て驚いたことでした。なお、貴女は貞奴さん程、大胆不敵な女性ではないと想像しており、また顔の輪郭は異なりますが、目に魅力がある点において、お二人は、共通していると感じました。平成16年4月30日」
注:大女優という言葉は、映画の衰退により、日本史の中で、きわめて短期間に消滅した言葉かも知れない。もっとも、単に女優とか役者、タレントいう人はいくらでもいるが。
【0031】
おわりに。
「藤純子とは一体どんな女性であろうか。どうしても、緋牡丹博徒、日本女侠伝、女渡世人の主演シリーズでの完璧な女性像が浮かび上がってくる。これらに登場する女性は、空前にして絶後のすばらしい女性である。本当のご本人は、どのような女性であろうか。私の感覚では、朗らかな普通でありながら、きわめて美貌の女性、そして、がんばり屋さんというのが私の受ける印象である。とりわけ、その美貌については、凛とした品格とやさしさをかもし出しているという点において、他の女優を寄せ付けないと思う。
時間の流れは誰にも止められない。やがて、藤純子という女優が存在したことも、世の中から忘れ去られる日もこよう。しかし、私の人生は、女優藤純子とほぼ同時期の時空を生きてきたということは、きわめて偶然であり、幸運なことである。平成16年5月」
なお、藤純子の最高作は、藤純子が最高に美しいという点から、女渡世人「おたの申します」であると思う。この作品は、ビデオ化されていないので、記憶の中にしか残せない。東映ビデオには、何度もDVD化をお願いしてはいるが。
【0032】
本発明者は、何が言いたいかというと、システムに一番重要なのは、本人が夢を見たいという、元になるデータが書き込まれた光ディスクの存在が重要であるということである。
【図面の簡単な説明】
【0033】
【図1】就寝時に素敵な夢を見る支援システム
【図2】スタンドのデザイン例A
【図3】スタンドのデザイン例B
【図4】スタンドのデザイン例C
【符号の説明】
【0034】
1.パネル型テレビの移動用スタンド
2.パネル型テレビ
3.光ディスクに記録されたデジタルデータの音声・画像編集機能を備えたパーソナルコンピューター
4.光ディスク
5.駆動部
6.リモートコントローラー



【図面の簡単な説明】
【0033】
【図1】就寝時に素敵な夢を見る支援システム
【図2】スタンドのデザイン例A
【図3】スタンドのデザイン例B
【図4】スタンドのデザイン例C



【図1】

【図2】

【図3】

【図4】
最終更新:2005年11月12日 12:59