2011-06-05



はじめに

この記事では個人的経験はあつかいません。

△△という代替医療はものすごく良かったという経験の持ち主へ
→自分にピッタリの医療が見つかった幸運を噛み締めましょう。それは大変に羨ましいことです。

代替医療なんてロクでもないという経験の持ち主へ
→自分にピッタリの医療は他にあるのかもしれません。ないのかもしれません。我々人類の医療はまだまだ不完全です。

この記事における「現代医療」は根拠に基づいた医療(evidence-based medicine: EBM)を指すものとする。異論は認めない(これはネットスラング。現代医療=EBMはこの記事の前提条件のひとつです)。

EBMとは何か?

Wikipedia:根拠に基づいた医療によれば,EBMは「良心的に,明確に,分別を持って,最新最良の医学知見を用いる」医療のことです。簡単にいえば「効く」ことが分かっている医療を選択しよう,というものです。エライ先生がそう言ったから,ではなく。御先祖様がそうしていたから,でもなく。
EBMにおける医学知見=エビデンスとは医学論文のことです。論文にはさまざまな医療の成績が公開されています。その公開された論文に基づいて,そして当然のことながら患者の希望も取り入れて治療方針を決定するのがEBMなのです。EBMのエビデンスとして求められているのは,「効くことの証明」であって「効く仕組みの解明」ではありません。

では「効く治療法」をどうやって見つけたらいいのでしょうか?

3た論法が許されるのは小学生までだよね

photo from tiltti@Flickr

(「○○が許されるのは小学生までだよね」という表現はネットスラングのひとつです)
「3た論法」というのは,誰が言い出したことなのか知りませんが,「飲んだ→治った→効いた」という主張です。ある薬を飲んだら治った,だから薬が効いたことは間違いない,という主張です。一見するととても正しい主張のように思えます。では,こちらの主張はどうでしょうか?

「祈った→降った→効いた」

ある部族の長老が雨乞いの祈りを捧げたら雨が降った,だから祈りが届いたことは間違いない,という主張です。この2つの主張はどちらも同じ構造を持っています。主張はもしかしたら正しいかもしれませんが,その証明は全くないのです。
先に「個人的経験はあつかわない」と書いたのはこのことなのです。ある治療をしたら具合が良くなった,だから間違い無く効いているという個人的経験は,「3た論法」から一歩も前進していません。その経験をもとに他の患者にも同じ治療法を適応することは不誠実そのものです。だって何の効果の証明もない方法なのだから。どこかの部族の長老さんと同じレベルの主張だから。前後関係は必ずしも因果関係を含まないから。

では本当に「効く」ことをどうやって証明したらいいのでしょうか?

そんな試験で大丈夫か?

医学論文でエビデンスとして発表されているものの多くは臨床試験です(他に疫学など)。臨床試験では患者さんを2群に分け,1群には薬を投与し,投与しなかった残りの群と結果を比較します。
その結果,投与群と非投与群で結果に差が出れば薬は効いていると考えていいのでしょうか?

実はそうではありません。
患者は,医師が自分の為に何かしてくれているという思いだけで症状が良くなることがあるのです。患者は,医師が何もしてくれないという思いだけで症状が悪化することがあるのです(もちろんその逆もあり)。そこで,臨床試験では薬を投与した群(治療群)の結果はプラセボ投与群(対照群)と比較します。プラセボとは,見た目は本物の錠剤とそっくり同じで試験成分だけが含まれていない偽薬です。何かをしてくれたという思いが症状の改善につながるという効果をプラセボ効果といいます。誤解しがちなのですが,このプラセボ効果は治療群にも同じだけ含まれています。
このような比較試験をプラセボ対照試験といい,この試験ではプラセボ効果を上回る効果の有無を調べています。ではプラセボ対照試験の結果が有効であれば,薬は効いていると言っていいのでしょうか?

実はまだ不十分です。
患者が,自分が飲む錠剤がプラセボだということを知っていればプラセボ効果は失われてしまうでしょう(失われないという報告もあるようですが)。なので,どちらの群に割りつけられたのかを患者には知らせずに試験をする必要があります。これを盲検試験といいます。

が,これでも不十分です。治療期間終了後に治療効果を判定する医師が,その患者がどちらの群に割りつけられているかを知っていれば判定が歪められるかもしれません。そこで,医師も患者も,どちらもプラセボなのか成分を含んでいるのかを知らないままに試験を行います。この場合,臨床コーディネーターが患者の割りつけを行いますが,その割りつけ結果は医師にも患者にも知らせません。臨床コーディネーターは治療効果の判定に関与しません。このような試験をプラセボ対照二重盲検試験といいます。

これでカンペキ,と言いたいところですがあと一つ。臨床コーディネーターが患者を2群に割りつけるとき,症状が軽い患者と重い患者を意図的に2群に分ければ,その薬の効果は実際以上に効果的に,あるいはその反対に見えてしまいます。なので,割りつけはランダムにすることが必要です。これをランダム化プラセボ対照二重盲検試験といいます。これが現時点で考えられる最も厳密な試験方法です。

これからの「医療」の話をしよう


ランダム化プラセボ対照二重盲検試験でわかることは,その薬が効くかどうか,ただそれだけです。なぜ効くのかは一切関知しません。これは,ホメオパシーやその他の代替医療の効果判定にも有効な方法です。
ホメオパシーはこれまでにプラセボ対照二重盲検試験で効果のないことが確かめられてきました。推進団体によって何度もその効果が確かめられたと主張されましたが,その内容を詳しく見るとランダム化されていなかったり二重盲検ではなかったりで,今までのところ,無効という結果が積み上がっているだけです。

鍼治療でのプラセボは難しい問題ですが,不可能ではありません。サイモン・シン著『代替医療のトリック』では,実際にヨーロッパで行われた鍼治療のプラセボ対照試験の結果の記述があり,腰痛などの一部の症状に対してごく弱い有効性が認められるにとどまっており,その他の多くの症状に対する効果は否定されたとあります(ただしこのときの試験は二重盲検試験ではないようです)。日本国内で,二重盲検用の鍼の特許が出願されたことを知りました。今後数年のうちに,より厳密な臨床試験結果が発表されるでしょう。

私は,ランダム化プラセボ対照二重盲検試験をクリアした治療法にのみ(あるいは優先的に),保険を適応するべきだと考えています。私たちの共有財産である保険は,できるだけ有効な方法に投じて欲しいから。

これまで見てきたように,現代医療=EBMは東洋医療と西洋医療を区別しません。EBMにとっては「効く」医療が良い医療なのです。ホメオパシーや鍼灸などの代替医療が今でも代替医療のままで,現代の標準的医療に取り入れられていないのは,単に効く根拠がないからなのです。逆に言えば,効きさえすれば節操無く取り入れるのが現代医療=EBMです。EBMには,その出自が西洋のものも東洋のものも含まれています。例えば壊血病の治療薬であるビタミンCを含む果汁の投与は,当時の医師にとってはハーブ療法同然に見えたはずです。「良心的に,明確に,分別を持って,最新最良の医学知見を用いる」のであれば,西洋や東洋にこだわることにはなんの意味もありません。

これらの代替医療を大人が自己責任において自分に処置することは何の問題もありません。最初にも書いたとおり,効果が実感できるのならそれは素晴らしいことです。それは患者のQOLの改善に大きく貢献します。しかし,自分の経験を理由にその代替医療を誰かに勧めることは間違っています。
多くの代替医療実施団体は,現代医療を敵視することで自らの「治療法」をアピールできること,収益が上がることを知っています。そしてそれを実行しています。乳児が死亡させられたとして,担当した助産師を母親が訴える事件が明らかになりました。この助産師がホメオパシーの推進者であったこと,所属していたホメオパシー団体がビタミンKシロップの投与を否定したこと,被告である助産師がその指示に従って投与しなかったことが悲劇につながったようです。この裁判は,ほぼ原告の主張が認められる形で和解が成立しました。最近の妊婦の間では,病院を避け,現代医療を避け,ワクチンを否定するブームがあるようです。スピリチュアルや自然といったキーワードで惹きつけられる妊婦は少なくないようです。

繰り返しますがホメオパシーを含む代替医療を大人が自分に適応することは自由の(愚行権の)範囲です。しかし,これ以上子どもを犠牲にしないでください。お願いします。

いくつかの補足

ある方から「あなたはEM菌を批判する前に自分で確かめるべきだ」という指摘を受けました。それが間違った指摘であることは,以上の記事からも理解していただけるのではないかと思います。人は信じたいものを信じるし,その記憶は容易に書き換えられるのだから。自分が実感したことは何の証拠にもならないのだから。
EM菌の信者にしろホメオパシーの信者にしろ,いずれも自分で試してその効果を実感しているから,その効果があることを疑いもしないのでしょうし,その信念はさらに強化されてもいるのでしょう。「自分で確かめたのだから間違いない」という経験至上主義は科学でもなんでもありません。毎朝東から太陽がのぼり西に沈んでいくのを観察する現代の天動説信奉者のしていることは科学と言えるのでしょうか。

ヨーロッパのことわざに「地獄への道は善意で舗装されている」というものがあります。彼ら信者の善意を疑うものではないのですが,でもそれは環境の破壊や患者の死亡という悲劇につながるのです。たとえばEM菌の普及団体は,福島県でEM菌により放射性物質を分解できると主張しています。しかしその実態は,EM菌を噴霧後に土を耕すので,単に汚染された表土がその下の汚染されてない土壌と入れ替わって,土壌によりβ線が遮蔽されるようになっただけです。放射性物質がEM菌に分解されて減っているわけではありません(核反応を行う生物はこれまで知られていないはずです)。結果的に土を耕したことで汚染された土壌を増やしてしまっています。それまでは表土を削りとれば安全になったはずなのに,耕されたせいでさらに多くの土を処分する必要にせまられているのです。またEM菌が小学校などの教育現場に侵入していることは以前から報じられていました。しかしEM菌の環境改善効果に関する明確なエビデンスは存在せず,実際には有機物の投棄による汚染源でしかありません。このような状況で,学校へのニセ科学の蔓延に沈黙を続けることは私にはできません。

科学は,EBMは,そのような悲劇から人類を救うための,人類が創り上げた輝かしい成果のひとつではないでしょうか。




参考文献


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最終更新:2011年06月05日 16:16