桜井淳 発言研究まとめ@Wiki

フジサンケイビジネスアイでの発言

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フジサンケイビジネスアイ[WEB版]での発言

 フジサンケイビジネスアイ(WEB版)2009/5/27付けで「哲学者・桜井淳 原子力発電開発の課題」と題する記事(記事本文魚拓)が掲載されている。本項ではその内容について評論を行う。なお、評論であるので敬称は略させていただく。

 

プロフィール

まず、桜井のプロフィールである。記事では写真の下に

「さくらい・きよし 日本原子力研究所で炉物理(理学博士)、東京大学で科学技術社会論(博士論文作成中)を研究。今年4月から東大で神学を研究中。現在、自然科学と人文社会科学の分野を中心とした評論活動に専念。62歳。群馬県出身。」

とある。まずここからしておかしい。「今年4月から東大で神学を研究中」とあるのに「現在、自然科学と人文社会科学の分野を中心とした評論活動に専念」とはどういうことか?
「専念」というからには他分野には注力しないということである。神学が自然科学と人文社会科学の範疇に入れば話はまだ理解できるが、神学はどちらの範疇にも入らない。
第一、「専念」したはずの評論が全く世に出てこない。桜井の個人事務所が開設しているとされるブログにすら桜井の評論は載らない。「評論」とは世の中に発信して初めて「評論」であるから,そもそも評論活動を行っていることからして怪しい。
毎度おなじみの「専念」の意味が桜井語だったというべきか、毎度おなじみの論理の破綻というべきか、解釈は悩ましい。

そもそもタイトルの「哲学者・桜井淳・・・」というのからして桜井はいつから哲学者になったのか不明であるが。今まではご存知の通り「技術評論家」だったわけだが。
あるいは「技術評論家」ではフジサンケイビジネスアイの看板に傷が付くとの判断でもあったのだろうか?
技術評論家=技術を知っている、哲学者=技術は関係ない、イデオロギーの問題である。という判断か?

論旨の一貫性

この文章はビジネス雑誌の記事であるから、あくまで評論であるので、論旨の一貫性は重要である。ところが、何が言いたいのか全くわからないのである。
サブタイトルには「米独以上の独自技術を育成せよ 」となっている。
「背景・現状・問題点・改善策・結論」
が評論に不可欠な要素だとするなら、サブタイトルは結論に当たる。しかし、それに至る過程がむちゃくちゃなのである。よって何が言いたいのか全く不明な文章になるわけだが。

内容

内容の流れについて述べる。カッコ内は原文での章のサブタイトルである。

  1. 米国での商用原子炉黎明原子炉事情
  2. 米国での黎明期から現在までの原子炉稼働率状況
  3. ドイツ・日本での原子炉導入~現在の状況比較,日米原子炉検査事情(低迷する日本の設備利用率)
  4. 日本の最近の原子炉保守トレンド(本質から眼をそらす)
  5. 雑多な内容・一応主張?(老朽化や技術管理に起因)

となっている。1~5までで、日米独の原子炉黎明期~現在の稼働率の変遷を述べている。その中では、米独は稼働率が単調増加に対し、日本では最近漸減傾向にあり、米国式の保守管理技術を導入して稼働率向上を図っている、という事実関係を述べている。

と1-5まではあまり問題ないように思われる。いや、事実関係を書き下しただけだから問題があってもらっては困る。問題はその次である。

結局何が言いたい?矛盾だらけ?

問題は先の項目で6とした結論の部分である。いかに詳細に述べる。

米国式の保守管理技術を導入して稼働率向上を図っていることを受けて、

日本は、現在の運転方式から米国方式に変更しても、設備利用率に目立った改善は期待できない。日本のいまの1サイクル1年方式の設備利用率でも約90%まで到達できる。

と米国式の状態監視保全(近年様々な分野で利用されだしている保守方式である)の導入を一蹴している。一方で、稼働率の低下を

老朽化対策や全体的な技術管理の考え方に起因していると考えるべきである。

とも述べている。保守管理の方法を考えることは技術管理そのものではないか?明らかに論理が矛盾している。

さらに極めつけがこれである。

日本は、これまで、新型軽水炉を開発し、いま、受動安全系を備えた次世代軽水炉を開発中だが、いずれも新技術ではなく、軽水炉技術を基にした合理的安全設計による大型化にすぎない。「もんじゅ」も独自の技術ではないため、独自の発電炉の開発に失敗している。

毎度おなじみの桜井の根拠なき評論(既に評論と呼べるかすら怪しいが)「日本人にはオリジナリティーが無いから駄目だ」的なにおいがプンプンするが、何も新しい技術を開発することだけが能ではない。既存のものをよりよく改良することも十分立派な技術である。

ましてや桜井が主張するように「日本の原子炉技術がアメリカのコピー」であるならば、全体的な管理技術もアメリカのコピーにすべきである。アメリカでその方式が現に上手く行っているわけで、これをそのままいただかない訳は無い。
ならば桜井の主張する「運転方式を日本式のままに」ということには矛盾する。

そもそも日本で独自に原子炉を開発できるのだろうか?お金をかければ勿論できるだろうが、その費用は結局税金と電気代に跳ね返ってくる。
勿論国策としての技術政策の問題もあるので、お金だけの問題ではないだろうが、経済的観念は重要だろう。
たとえ独自方式炉を作ったとしても下手をすると電力会社がそろって「いらん・使えない」と言うこともありうる。
なにせ現状で問題ない上に経験も豊富なわけだから、コストを下げる、とか発電容量を大きくする、といった改良は兎も角も、海のものとも山のものとも思えないものを商業用に受け入れてくれるとは思えない。

「桜井のようなわけのわからないのが原子力の研究機関で研究する人間として働いている時点で技術力が低くて既にアウトだ」などと言われなければよいのだが。

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