桜井淳 発言研究まとめ@Wiki

新幹線脱線批判のいい加減理論2:畑村教授批判に見るイカサマ理論

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新幹線脱線批判のいい加減理論2:畑村教授批判に見るイカサマ理論

畑村洋太郎「失敗学なき組織は滅びる」
(『文藝春秋』2005年7月号)
に見るイカサマ議論

において、桜井氏は、「失敗学」の畑村洋太郎教授をして、

随所に事実に反する記述が目立ち、同氏の調査・検討能力の浅さを感じ、興ざめした。 こいつの議論はイカサマだ。

と、断じている。

 畑村教授と言えば、NTV系の「世界一受けたい授業」においても、上越新幹線の脱線は極めて良い失敗であったと述べている。
 JR各社は、阪神大震災での桁落下や、柱の損傷を踏まえ、的確に弱点を強化し(強化が間に合っていた事を「運が良かった」といえばそのとおりだが。)液状化で下水管が浮き上がる状態にも拘わらず、高架をささえる柱が傾くことも、桁や柱が致命的なまでに壊れることもなかった。つまり、適切な対策はとってあったのである。(要旨は、ここ、日経BP社のページでも読める。)
 また、確かにとき325号は脱線したが、残る新幹線は全て安全に停止した。(無論、トンネル内で缶詰になって外部との通信途絶状態になったという問題もあるが(参考))

では、桜井氏の論調のどこがイカサマか? 氏は明確に自らの理論のあやふやさを露呈している。

同氏は現場をよく見ていないのであろう。私は、事故直後、テレビ朝日「スーパーJチャンネル」取材班と一緒に震源地だけでなく、その脱線現場にも入った。その後のJR東日本の公式発表によれば、脱線した下り新幹線は、トンネル出口を起点に、500メートルの位置で脱線し、それから緊急ブレーキがかかったまま1300メートルも直進して停止したとされている。

 桜井氏は、滑走距離の記述が一向に一定しない。
 脱線後の滑走距離を、初めは2kmと記し、次には脱線起点から停車した先頭車両の先端までの距離は約1300メートルである。全車両の長さは約200メートルである。(1100メートル)となり、今度は1300メートル。
 このことだけをもってしても素人レベルの間違いに違いはないが、本題ではない。事実、「滑走距離1300メートル」は、事故調査委員会の中間報告(pdf)と比較して、このデータは正当であると見なして問題はない。

 問題は、

トンネル出口から停止位置の1800メートルの区間に、橋脚は約200組あり、そのうち耐震補強の鉄板巻き付け補修工事が行われていたものは、トンネル出口から数十メートルの高架橋の下の4メートル道路のすぐわきのものから数十メートル区間のわずか5組だけだった。脱線起点の400メートルも手前の5組である。1800メートルの区間の残り約195組は、補修していなかったものの、注意深く観察しても、亀裂ひとつ生じていなかった。

 脱線起点の400メートルも手前の5組が、補修工事をうけたとある。一方の事故調査委員会の報告書では、同付図にある、
206.07Km~206.15Km地点の柱が強化工事を受けたことが読み取れる。

 さらに報告書を読むと、脱線の痕跡が残るのは、206.191Km地点から。
=強化した柱が並ぶのは、脱線地点の40m~120m手前。
 どの車輪が206.191km地点のレールに傷を付けたかは、現在の所不明なれど、時速200km/hで通過中に地震に遭遇(これは中間報告書・桜井氏の主張、ともに合致)=秒速55.6m/s=一番後ろの車輪だったとしても強化済橋脚を全て通過した、その約1秒後に脱線が始まっていて、これでは
、「イカサマ」と称した畑村教授の

実は新幹線が脱線したのは、まさに補修を終えた橋脚の上であった。・・・もし新幹線の橋脚の補修工事がなされていなければ、脱線どころではすまなかっただろう。高架自体が崩れ大惨事になっていた可能性がある

という発言の正しさを証明してしまっている。

 では、桜井氏は何故このような計算間違いを起こしたか?

 滝谷トンネルには出口から約200mスノーシェッドがある。
 スノーシェッドの出口=トンネルの出口と考えたのであろう。
 ならば「スノーシェッドの出口数十メートルの柱が補強工事」というのは矛盾する発言ではない。

 たしかに、スノーシェッドの出口=トンネルの出口と勘違いすること自体は、土木関係者でもない限りやむを得ない。しかし、中間報告書も、鉄道ファン2005年10月号の永瀬教授の記事参考もある今、桜井氏は現場と図面との比較対象を、まるでおこなっていないという誹りは免れまい。そんなインチキ話が世の中に通用するとでも思っているのだろうか。

さらに、桜井氏は次のように述べている。

河岸の直径2メートルくらいの耐震補強なしの円柱橋脚は、中間高さ付近の表面にわずかに膨れ亀裂が生じていたものの、強度的には何の問題もなかった。それは、私だけの判断ではなく、新聞にも写真入で報道されていた。JR東日本が的確な地震危機管理を行い、橋脚を補修したために、大惨事を回避できたとするのは、誤りである。よって5組を耐震補強してもしなくても結果は変わらなかったのだ。

 桜井氏は、「すべての柱を補強しないといけない」と勘違いしている。耐震診断の結果、補強の必要なものはそれをおこない、そうでないものはそのままにする。そして、その診断は正確かつ的確であった。安全性が保障されるものまでもムダなコストをかけて補強せよというのは、「あなた、ガンになるかもしれないから、事前に危険性のある臓器を摘出しておきましょう」という、アホ話と一緒だ。

 耐震補強必要無しとの診断結果がでた柱だったからこそ、強度的に問題ない、ひび程度の損傷ですんだ。


 ここで、コンクリート構造物に関する一知識を挿入させていただく、桜井氏はその本質を理解しているかどうかはわからないが、「コンクリートは圧縮には強いものの、せん断・引張には弱い」ことはご存じのようであるらしい。
 だが、鉄筋コンクリート構造物が破壊・崩壊に至ることとと、引張応力によりひび割れが生じることとは、根本的に違うことだけを知らなければいけない。
 鉄筋コンクリート構造物は、基本的に引張力には鉄筋による応力負担で、圧縮力にはコンクリートと鉄筋との応力負担でまかなうことで設計されている。
 桜井氏は、「ひび割れ!ひび割れ!」とわめいているが、ひび割れだけで破壊・崩壊に至らなかったと言うことは、想定されていたコンクリートの応力負担限界を、鉄筋による応力負担でまかない、破壊に至らなかった言うことなのである。
 コンクリート工学を真剣に学んでほしいとは申しません。しかし、なまじ「工学博士」である以上、無責任な発言はなさらないことです。


 一方耐震補強必要有りと診断され、補強した柱は、それにより無傷、あるいは強度的に問題のない程度の損傷ですんだ。

(参考資料:長岡技術科学大 下村助教授の報告書より。pdf

 また、やたらと「柱の強化」について執拗に述べてはいるが、柱の立っている「根本」について無視・あるいは軽視している論調にも問題がある。柱は壊れなくても、土台から傾いて倒れました、というのでは柱が壊れるのと結果は同じになってしまう。
 「建築の専門家」と「土木の専門家」とで意見が食い違うことも、あり得るので、断言は危険である。

 専門家であるならば、結果を見て解説するようなことはしない方がよいだろう。
とのことだが、その台詞そっくりそのまま返却させていただく。あまり世の中をなめてはいけない。

 普通は、起きてしまったことを検証するためには、結果とその結果を生み出す原因を類推し、その過程を詳細に見直していくことが、「通常の」専門家の行う常套である。


 http://www.jsce.or.jp/report/32/index.html

 を、良く読んでから桜井氏の論調を吟味してほしい。アルミ・ステンレス車両を鋼製車両にしろと言うのど同様に、高架橋を完全なる構造物とすべきだと論ずるのは、コスト・採算を度外視せよということとおなじである。設計強度とは、本来の強度に変動係数を割り増しして作ってある。しかし、その割増率についての見直しをせざるを得ない現実を突きつけたのが、阪神・淡路震災であったのは確かだ。
 確かに、補強が間に合わなかったいくつかの構造物がせん断による破壊をうけたことは憂慮すべきことであるが、これを持ってしてすべての構造物を補強せよというのは間違いだ。彼の論調をすればいったいどれだけの割り増し設計が必要なのかと言えば、その割り増し率は無限大になってしまう。そんなことを社会が要求するだろうか。
 また、構造物を支える基礎構造や現場の土質改良も当然ながら必要となる。砂丘の真ん中にいくら強固な構造物を作ったとしても意味はあるまい。
 鉄道は様々な学術が集積した産業といってよい。当然、彼の専門とする原子力分野も同じである。もし、この指摘についてムダなものだと判断するならば、彼はまさに「アマチャ」以下である。

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