桜井淳 発言研究まとめ@Wiki

【参考】似非科学

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匿名ユーザー

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(先ず、疑似科学については、こちら、本家wikiの記述を参考にして頂きたい。)
 

疑似科学者の偏執的傾向

(1)自分を天才と考える

(2)自分の仲間たちを、例外無しに無学な愚か者と見なす。

自分の敵をまぬけ、不正直、あるいはほかのいやしい動機を持っていると批難し、侮辱する。もしも敵が彼を無視するなら、それは彼の論に反論出来ないからと妄想する。もしも敵が同じように悪口で仕返しするのなら、自分がならず者たちと戦っていると妄想を強める。)

(3)自分が不当に迫害され、差別待遇を受けていると信じる。

(論文のデフォルトは、自分たちの正当なる思想がひっくり返されることを恐れる高僧共の盲目的偏見と確信している。また自らをガリレオやコペルニクス、パスツールやメンデルに準える。)

(4)偉大な科学者や理論に攻撃を集中する強い衝動を持つ

(5)複雑な特殊用語を遣って文を書く

(原典:「奇妙な論理・1」マーティン=ガードナー(ハヤカワ文庫・市場泰男訳) 原典は1952年に刊行されている。)


 当初、「疑似科学者」として桜井氏を扱うのは、どうかと考えたが、JR福知山線脱線事故の衝撃(IV)
―私の社会対応記録―
で、その考え方を改めさせてもらった。

(1)(2)については傲岸不遜編を参考に
(3)は論文却下で八つ当りを参考にして頂きたい。
また(4)については、畑村教授を「イカサマ」 としたり、曽根教授を「おひなさま」と言ってみたり…気分が悪くなってきたので、ここまでにしたい。
(5)であるが、「インテリジェントATC」(参考:中程)って?


似非科学は、科学的方法や科学の知見を装(よそお)ってはいるけれども、その実、科学の大切な部分をないがしろにする。というのも、不十分な証拠だけでどんどん話を進めたり、他の可能性を示す手掛かりに目をつぶったりしがちだからだ。似非科学は、人々の軽信性をくすぐる。しかも、新聞・雑誌・本・ラジオ・テレビ・映画などが、うかうかとお先棒をかつぐものだから(物知り顔で黙認することも多い)、似非科学は至る所に転がっている。
(中略)
 科学に比べると、似非科学はなんと言ってもお手軽である。なぜなら、出来ることなら避けたいような現実との対決は、あっさり回避されているからだ。(現実と対決すれば、否応なく比較結果を突きつけられる。)議論のレベルも低いし、「証拠」を採用する時の基準もずっと甘い。だからこそ科学よりもずっと、一般大衆にアピールしやすいのだろう。

(原典:「人はなぜ エセ科学に騙されるのか・上」カール=セーガン(新潮文庫・青木薫訳))

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