桜井淳 発言研究まとめ@Wiki

大惨事・死者

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大惨事・死者


 本来なら「いたたましい事故」を意味するが、桜井氏の場合、危機管理を怠った結果としてではなく、自分の意見が通らない、もしくは聞きいれられない場合の脅し文句として用いる。
 このことは、その大惨事を防ぐにあたっての具体的方策・提言が、全くと言って良いほどない事を根拠とした。

 

 

◆◆例文◆◆

 

 

 

そのような状況だからこそ、さらなる大惨事が発生するのである。今度は近いうちに山陽新幹線で数百名も死亡する大惨事が発生するだろう。(参考)

 


いまのJR事業者ばかりか、労働組合も安全に対する認識は低く、まともな安全論の展開などまったくできていないと痛感した。だからこそ、尼崎脱線事故のような大惨事が起るのだ。(参考)

JR西日本の福知山線脱線・転覆事故のみならず、つぎつぎと事故・トラブルを起こすJR東日本も、JR西日本と同じ安全上の不安材料を抱えていると言えそうです。問題をこのまま放置すれば、また、近くいうちに、大事故が発生することでしょう。参考

 この類語で「死者」もあり。この場合も、同様に、トラブルに際して方策を述べるのではなく、大量の死者(桜井氏は「数百名の死者」と言う表現を好んで使用している)が発生すると恐怖を煽るいわば脅し文句として使用している。

(新潟県中越地震のデータ誤りの指摘に対して)JRのひとたちは、車両メーカーの技術におんぶに抱っこの体質になっており、自身で何も考えられないような体質になっているのでしょう。たとえるならば、お猿の電車のお猿さん体質なのです。

そのようなJRによって運転・管理されているからこそ、今度は、在来線でなく、東海道新幹線や山陽新幹線、上越新幹線、東北新幹線で、数百名規模の死者を出す脱線・転覆事故が起るにちがいありません。(参考)

(新潟県中越地震による、脱線防止ガイドレールの設置検討をふまえ)東海地震で東海道新幹線が横転型脱線転覆し、数百名の死者が出るのも時間の問題である。(参考)

(山陽新幹線トンネル内コンクリート片落下事故・ICEエシュデの事故に対して)日本で新幹線の脱線事故が起こったら、乗客の7割が死亡すると言われています。そうなったらもう遅い。覚悟はしておかなければいけません。システムが老朽化しているにも関わらず、高速化だけを目指している新幹線は、安全性という面をほとんど考えていないように思うのです。(参考)

(レールの傷・破断に対して)そのような技術管理をしているからこそ、JRは危ないのです。大事故により、数百名規模の死者が出なければ、安全管理に対して、本気になれないのであろうか。(参考)

同様なトラブルは、今後くり返されます。次回は、きっと、脱線・転覆事故につながり、多くの死傷者が発生することになるでしょう。参考
 

それは、民営化後、効率性と経済性を優先した当然の帰結なのです。

今後、さらに悪化することでしょう。長時間運行停止どころか、数百名も死亡するような脱線・転覆事故さえ起りえる状況になってきました。参考

 では不幸にして、死者が出た場合どうなるか。
 

もし私に社会的に大きな権限が与えられていたならば、絶対に犠牲者を出さないような社会制度を確立しておくのだが、実際には何の権限も力もないため、非常に歯がゆい思いをしつつ、日々を過ごしており、マンションに激突してL字形にペシャンコになった2両目の車両を見た時、涙が止らず、ただ自身の非力さを恥じたものである。(参考)
 

 己の危機管理の研究成果をもって社会的に行使する、と言うのではなく、社会的権限によって・・と言う意見も怖いが、本題ではない。

「非力さを恥じ、涙を流す」のが、「小説の登場人物=桜井淳」ではないことを信じたいが(桜井氏は自称するところでは小説家、ただし処女作未刊行)次の一文が桜井氏の本音なら、非常に恐ろしい。
 

一度に5名もの死亡者が出た原発事故は世界でもまれな悪しき事例である。我々は、プロであり、プロの主張が崩れたとき、どのような形で責任を負わなければならないか、それも十分承知しているものと思う。

 思えば、過去約15年間、石川君からさまざまないやがらせや妨害行為を受けたが、根拠のない主張に精神状態を疑うとともに、住む世界が違うとなかば同情さえして来た。はっきり言えば、石川君は軽薄人間である。事故のたびごとに狼狽し、女々しく言い逃れをしてきた。それは見苦しい。君には何も期待していない。ただ君がいますべきことはこれ以上インチキ情報を世に出して国民に迷惑をかけないことである。言っておくが、拙著『原発の「老朽化対策」は十分か』(日刊工業新聞社、1990年)は、事故のたびごとに価値を増し、光り輝いている。私が責任を取らなければならないことは永久に来ないだろう。(参考)

 5人もの事故死者が出て「拙書は事故のたびごとに価値を増し、光り輝いている。」
 
果たして、死者が出て自分の主張が正しいことが証明されて、喜べるのだろうか・・?事故死者を踏み台にして喜んでるのでは無かろうか、と読めてしまう一文である。

 その意味では、

福知山線脱線・転覆事故の時のJR西日本の記者会見に対し、読売新聞社の記者の発したこと、すなわち、「心の中ではベロを出しているのだろう」という言葉、新聞記者仲間からも批判の的になりましたが、決して的外れなことを発言したわけではありませんでした。むしろ的確でした。

エンジニアも技術系事業者も冷酷なのです。参考

は、まさに的確な一文だ。
「心の中では、石川氏の失敗にベロを出しているのだろう。」
とも言えよう。

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