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奪われた宝刀「リセット」 ゲーム「ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣」

「手強いシミュレーション」
ファイアーエムブレム(以下FE)というゲームを端的に表すには、うたい文句となっているこの一言で足りる。
シミュレーションゲームと言うよりは、将棋やチェスを複雑にしたもの、と言った方が分かり易いかもしれない。

難しいと言われる所以は、「死んでしまったキャラは生き返らない」こと、「ステージの途中でセーブは出来ない」こと、
そして「武器に使用回数が決まっている」ことなどが挙げられる。

戦闘結果は戦闘前にチェックすることが出来る。ダメージ量や命中率は基本的に簡単な足し算引き算で求めることが出来る。
敵の反撃でやられてしまうかどうかさえ、事前に分かってしまう。

これは将棋やチェスに近い。「運」といったものが直接的には介入せず、結果として「こうすれば勝てる」「こうすれば負ける」といったロジックが生み出される。
しかし、将棋やチェスと違い相手はAIである。必ず勝てる、あるいは必ず負けるような事にならないよう、開発側もギリギリの難易度になるよう調整を重ねる。
必ず勝てれば面白くない。難しすぎればただの理不尽だ。バランス調整には多くの時間と人手をかけたことだろう。

FEの世界に「たまたま負けた」は存在しない。戦闘結果などが事前に知らされていることなどから分かるとおり、キャラの死はプレイヤーのミスとイコールになる。
愛情のあるキャラや軍の大黒柱であるキャラが死んでしまった時、自らが引き起こしミス、しかも慎重になれば予知できた故に、心情的に堪え難いという気持ちになった
プレイヤーはその最期のセリフを見ながらリセットボタンへ手を伸ばすのだ。

難しい難しいといわれるFEシリーズだが、作品を重ねるごとにプレイヤーのレベルも上がり、今や全員生存は当たり前となっている。
無論その裏には幾度ものリセットが行われて居るであろうことは想像に難くないが、インターネットによる攻略情報の広がりからしても、相対的な難易度は下がっていると言える。
そんな中、この「新・暗黒竜と光の剣」は発売された。この作品は今までのFEシリーズのあり方に一石を投じている物に仕上がっている。
ユーザーからの反響で最も大きかった物は「キャラが死なないと外伝に行けない」というものだろう。

キャラクターデザインの是非とかポリゴンにする意味はあったのか、音楽のアレンジ具合は、wi-fiを用いたネット対戦の出来は、バグやバランスは…
といった点でも評価はすべきだが、ゲームの評価はさておき本稿ではこの「シリーズのアイデンティティを崩す試み」という点のみに的を絞る。

マップ中、特定の条件を満たせば外伝という特殊なマップへ行くことが出来る。その条件は、過去のシリーズなら「○ターン以内にクリア」とか
「○○というキャラが生存している」等というポジティブなものだが、今作に限っては全く異なる。「マップ終了時に生存キャラが計○人以下なら外伝に行ける」というのである。

過去の作品をプレイしたことのある人が見れば驚くような条件だろう。外伝へ行くことでしか仲間にならないキャラもいるというのに、そのために
今まで生存させてきたキャラを死なせなければならないのだ。今までもルートや選択いかんで仲間に出来ないキャラというのはいたが、プレイヤー自ら
キャラを死なせるというのは前代未聞だ。驚きはこれだけにとどまらない。

序章において、主人公達は敵軍に囲まれてしまう。そこで仲間の内一人が囮となって敵軍を引きつけるというのだ。
もちろん、この仲間は敵に捕らえられ、殺されてしまうだろう。そしてこのゲームがFEである以上「生き返ることはない」

「仲間を全員生かすためにリセットをする」という行為に正面から殴りかかっているのだ。
シリーズで長年プロデューサーを務める成広通氏は言う。参照
「1人のユニットも失わずにクリアすることは「パーフェクトプレイ」と呼ばれているのですが、それにこだわるあまり、仲間のユニットが倒されたら
 リセットボタンを押して、章のはじめからやり直すという遊び方も珍しくありませんでしたよね」

そして「それが普通のFEプレイヤーなのでは?」という質問にこう切り替えす。

「失うことの美学のようなこともこのゲームを通じて感じ取ってほしいんです。仲間になるユニットは50人くらいいるんですけど、
 愛情をもって育てられるのは、せいぜい15人くらいでしょう。もし、不幸にも仲間を失ったとしても、
 また新しい出会いがあるのが『エムブレム』なんですね。」

彼の言うとおり、今作は仲間の数が一定以下になると外伝へ行ける。つまり「味方が死ぬことで初めて登場するキャラクター」がいる。
これをネガティブに捉えるファンは多い。しかし彼の考えは違うのだろう。
プレイヤーはあまりに「全員生存」にこだわるあまり、FE本来の自由な楽しみ方を忘れてしまったのではないだろうか?
そもそも「全員生存」はプレイヤーが自らに課した「縛り」である。それがいつしか共通認識になり、「仲間を失うこと」は邪道と認識されるようになってしまった。

「縛り」はもっと自由で良いはずだ。女性キャラクターだけを使ったり、高齢なキャラだけを使ったり、はたまた「イラナイツ」と呼ばれる能力地の低いキャラだけを使ったり。
今作ではマップの途中、数とタイミングが限られてはいるもののセーブが行える。無論旧作のファンからすれば噴飯物だろう。
しかし、そんなものは初心者救済用だと割り切り、いつでもやり直せるという誘惑を断ち切り「セーブせずに挑む」というのも立派な縛りだ。

あるいは開発者は、「全員生存」に変わる共通認識として、「ノーリセットプレイ」をプレイヤーに行わせようとしているのかもしれない。
今作はファミコン版のリメイクだ。過去にプレイしたことのある人も多いだろう。同じマップ、同じキャラである。
戦略の稚拙さを味方の死という形で突きつけられたプレイヤーはさぞかし悔しがるに違いない。
むしろ自らのミスで倒れていくキャラ達の屍を踏み越え、その先のマップに進むという「タブー」に挑戦しろ、という開発者からのメッセージであるように見える。

そのために「仲間を失うことで仲間になる」キャラクターが存在し、仲間を失うことで行ける外伝マップが存在する。
成広氏の言う「失うことの美学」=「タブーを超えること」ではないだろうか。
そのタブーを超えることは、決してプレイヤーの失敗の重みを軽くすることではない。キャラを失う悲しさと戦略ミスをプレイヤーに痛感させ、
そして仲間を増やすことの喜びを教える。「リアルさ・シビアさ」に「死んだキャラは生き返らない」だけではなく、新しく
「過去に戻ることは出来ない」という項が付いたとも考えられる。ここで新システムの兵種変更が生きてくる。

このシステムは若干の条件があるものの、味方のクラスを自由に変更出来る、というものだ。剣士が魔導士になったり騎兵が歩兵になったりと恐ろしく幅が広い。
キャラクターの個性丸つぶれだ! とも言えるが、「仲間が倒れたため泥縄的に別のキャラでその穴を埋める」というシチュエーションにはぴったりだ。
キャラがバンバン死んでいく→兵種変更で穴埋め、というのは非常に良くできた流れになっている。
変更の際にそのクラスに応じて能力値が修正されるため、「剣を握る力もない元魔導士」という状況は起こりにくくなっている。

ここまでは意図して肯定的に捕らえた文章にしてみたが、システム的に一貫性のないネガティブな要素もある。

前述の通り仲間の屍を超えていくプレイをしていくと、自軍のメンバーは激減するわけだが、あまりにその数が減ると専用グラフィックを持たない量産型兵士が勝手に加わる。
「一人一人に個性があるという点で将棋やチェスと決定的に違う」という、FEのアイデンティティを投げ捨ててしまっている。
しかもこの量産兵は味方の総数に数えられるため、外伝に行くためには味方の計画的殺害が求められることになる。

そして最大の問題が、縛りプレイの如何である。縛りプレイは全く個人の意志決定によって行われるプレイであるが、その定義とはなんであろうか。
インタビューにあった「使いたくないシステムは使わなければいい」という発言。これはこれで説得力はある。
だが、せっかく用意されたシステムを使わずにプレイするのはもったいない気もするし、第一意図的に全てのシステムを活用しないというのは既に縛りプレイではないだろうか。 
プレイヤーチートは縛りに含むのか。リセットはどうだ。攻略サイトを見てもいいのか。縛りプレイとは「ゲーム側からは設定されていない制限を自ら科す」事なのか?
では用意されている救済機構をあえて使わないのは縛りプレイではないのか。「ゲームを歯ごたえのあるものにするための自主的な制限」と
「本当にクリア出来るのか分からない制限を課した上で知恵を絞る」のを同一の枠組みで見て良いのか、等々。

スタッフ的には初心者は数多く用意された救済システムを利用し、古くからのファンはそれらを使わない事、さらには計6段階も用意された難易度によって
両者の棲み分けを図ろうとしたのだろうが、どうにも上手くいっていない。「今まで通りのやり方」「昔と同じFE」をプレイしようとすると、
本来自由意志で行われる縛りプレイがゲームを始めた瞬間からプレイヤーに強制されてしまう。多くのプレイヤーが抱いた違和感はこれではないだろうか。
キャラを死なせるというマイナスの行為で新キャラが加入というプラスの現象が起きることに対するプレイヤーの嫌悪感や、
キャラを死なせたまま進行、というアイデアそのものに対する反発はスタッフの想像以上に大きかった。それだけだ。
キャラが一人でも死んだらリセット、というのはFEをプレイする上でよくあることだが、それら「リセット派」は
「同じマップを2回もやるのは面倒だからそのまま進行」「リセットなど邪道」という考えを持つプレイヤーと比べた際、圧倒的多数派を形成しているという事がありありと見て取れる。

初心者にも取っつきやすくすると言うのは重要な話で、高難易度化は無条件で素晴らしいなどと勘違いされるとジャンルは一瞬で滅んでしまう。
携帯機としての前作「聖魔の光石」といい今作といい、初心者も楽しめるよう試行錯誤している様子が見られるが、まだ実を結んではいないようだ。
クソゲー、劣化移植などと切り捨ててしまうのは余りに惜しい。

縛りプレイと難易度。深い問答だ。FEはやはり「手強いシミュレーション」で、それでいて極上のゲームに違いない。

最終更新日 2010-04-27








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最終更新:2010年04月27日 16:18