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消える悪役、消えない悪役



GOSICKは、桜庭一樹氏作のミステリー小説だ。はい、間違えてません。今回はマジでGOSICKの話。
安楽椅子モノの推理小説ともゴスロリ万歳なライトノベルとも言える良い作品で、ネットで検索すれば真面目な書評は多く出てくると思う。
興味のある人はそちらを読んで貰いたい。さて、この作品は続編・漫画等多数出版されているが、ここでは手元にある富士見ミステリー文庫版1巻で書かれた
「占いと戦争」というロジックについて書く所存である。

第1巻の重要な部分だけを抜き出して要約すると以下の通り。

1914年春、西欧に位置する架空の国家ソヴュールで、政府関係者によってある占いが行われる。国籍がバラバラな11人の孤児を「野兎」として集め、
「箱」と呼ばれる客船に閉じこめる。どの国籍を持つ者が生き延びるかで未来を読み、次の戦争の同盟国ないし敵対国が分かるというのだ。
もちろん簡単に生還して貰っては困るので、客船にはブービートラップが仕掛けられ、さらには独りでに自沈を始めるよう細工がされていた。
孤児の中には仕掛け人が「猟犬」として紛れており、互いの疑心暗鬼を煽り殺し合うよう仕向けたり死んだふりしたり隙を見せた者を殺したりとやりたい放題暴れ回る。
結果として生還したのはイギリス・フランス・イタリア・アメリカ・アラブ・ソヴュール
死亡したのはハンガリー・トルコ・オーストリア・ドイツ・中国
とどめに占いを取り仕切っていた占い師が「一人の青年がもうすぐ死ぬ、それが全ての始まり。世界は石となって転がり始める」と意味深な事を言って
人間を野兔の如く扱った占いは終わる。その数ヶ月後サラエボ事件が起こり、第一次大戦が勃発。世界は未曾有の総力戦へと突き進む。
占いは結果だけ見れば当たったのである。

うーむ。身の毛もよだつ惨劇だ。将来の明確な展望が見えなくなると占いでも何でも頼りたくなるのは人間のサガだろう。
しかし、世界大戦という巨大な出来事を陰謀論的な占いで予想出来るのだろうか? 探ってみよう。

そもそも第一次世界大戦の原因ははっきりしていない。サラエボ事件がそのきっかけとなったのは間違いないのだが、
オーストリア・ハンガリー二重帝国(以下オーストリアと略す)とセルビア間の問題が世界を巻き込むことになったのにはいくつか理由が挙げられる。

まずは複雑に絡み合った同盟関係と敵対関係。ドイツ・オーストリア・イタリアの同盟があって、ドイツと歴史的に不仲なフランスがロシア・イギリスと組んで
ドイツ包囲網を作り上げる。オーストリアは民族的、領土的問題を抱えている隣国セルビアと敵対しており、セルビアは民族や宗教の面で共通点が多いロシア
に庇護されている。そのロシアはロシアで南下政策を打ち出しているためオスマントルコと約100年で5回も戦争しているほど仲が悪い。
そしてオスマントルコ自体はドイツと蜜月関係であり……というように大変入りくんだ国際関係であった。ある国家に対する宣戦布告が、
他国の参戦を連鎖的に招いてしまう。

次に「動員」というシステムが組み込まれた戦争計画が挙げられる。19世紀半ばから鉄道技術が発達し、より多くの兵士をより集中させて
戦場に送り込むことが可能となった。このことがナポレオン以降の徴兵制と組み合わさり、
「有事あらば、国内の至るところで普通の営みを送っている予備役兵達に直ちに動員令を送り、素早く戦争準備を整えることが出来る」ようになった。
攻めるにしても守るにしても、より短期間で動員を完了させた方が有利なのは言うまでもない。兵士・武器弾薬・軍馬と輸送すべき積み荷は膨大で、行き先もてんでバラバラだ。
また機関車のために水と石炭もどこかで補給しなければならない。海軍用の石炭だって必要だし、経済に打撃を与えないよう軍需物資以外も輸送しなくてはならない。

この様な多数の要因と現代に比べれば貧弱な通信手段のせいで、動員のために用意された鉄道ダイヤは細かく入りくんでおり、不備があっても修正することすら困難で、
「一部分だけ動員を掛ける」とか「動員を途中で取りやめる」といった行為は出来なくなってしまっていた。そのため一度動員を掛けると軍人だろうと国王だろうと止める術を持たなかった。
かの名著「八月の砲声」には、当事者すら状況が飲み込めずあれよあれよという間に事が進んでいく様子が記されている。

先に挙げた同盟関係上、フランスとロシアを同時に相手にしなくてはならないドイツは、動員を掛ける速度の差に目を付けた。まず動員が素早いフランスを下し、
それから東へとって返して、動員が遅い(=行動開始が遅い)ロシアを叩く。動員というファクターが作戦の中で大きなウェイトを占めていたのだ。
つまりドイツは、ロシアかフランスが動員を掛けた時点で、その意図にかかわらず自動的に宣戦布告と動員を始めなければならないのである。
当時の軍人達の中には、戦争とはすなわち動員であり、その数十時間が戦争の勝敗そのものを決めると考えていた者もいるというから、行き過ぎという訳ではない。
もっとも、思いこみ一番激しかったのがドイツだったのだが。ロシアがオーストリアに対し威嚇のつもりで動員を掛けたことが、結果としてドイツの対仏宣戦へと繋がり、
「作戦の予定通り」中立国のベルギーへの宣戦へと繋がるのである。そしてイギリスはベルギーに独立保障しており……。

事象だけを取り上げると「セルビア人がオーストリア皇太子を殺害したので、ドイツはベルギーに宣戦した」という訳の分からない文章になる。
しかし、誰よりも訳が分からなかったのは当の本人達に違いない。

他にも英独間の建艦競争とか、普仏戦争以降欧州で正規軍同士の大規模な戦闘が行われていないとか、色々な理由はあるのだが、そのどれも個人ではなく組織の問題である。
そしてこの「組織と組織が抱える問題」は、陰謀論的戦争を決定的に行わせなくする。タバコをくゆらせた悪党達が密室で世界の行く末を決めるという古き良き展開は
最早時代遅れとなり、誰もが国家という巨大工場の歯車として総力戦に組み込まれ、個人の意志は無視される。
というより、戦争が最早個人の意志ではウンともスンともピクリとも動かせない物になっていく。タチが悪いのはその戦争を誰も予想することが出来なかった事だ。

複雑に絡み合った同盟関係、一度始めると誰も止められない動員計画。一体この機械的、事務的な戦争の何処に悪役達がはびこるスペースがあるというのだろうか。

近代戦を「産業革命による大規模な工業生産による兵器・軍需物資と徴兵制に支えられた、前線と銃後という縦深性をもつ戦争」と定義するならば、
ナポレオン戦争にその萌芽を見ることが出来るという。映像の世紀でチャーチルはこう言った。

戦争から、きらめきと魔術的な美がついに奪い盗られてしまった。アレクサンダーやシーザーやナポレオンが、
兵士たちと危険を分かち合いながら、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもうなくなった。(略)

近代戦という幕が開け、戦場から「英雄」が消えると同時に「悪の黒幕」もまた、その姿を消したのである。

では「GOSICK」で描かれたこのギミックは荒唐無稽なのかというと、そうではない。むしろ一種のリアルさすら表現されている。
ポイントは「思いこみ」と「疑心暗鬼」だ。作中では占いについてこう述べられるシーンがある。

占いは、当たる。それは客観的事実ではもちろんない。主観的事実として、当たるのだよ。
つまり”当たったように思う”のだ。

大規模な占い<野兎狩り>の結果が、心理的に、彼ら……政治家や貴族、外務官僚達の責任回避装置として作動したことは、言うまでもない。

20世紀初頭、第二次モロッコ危機・イタリアのトリポリ侵攻・バルカン戦争など、ヨーロッパとその周辺でいくつかの軍事的緊張や戦争が起こったものの、
これらはすべて最終的には外交交渉によって解決されている。これらの実績があったため、当時の国家指導者達は、
戦争や軍事的緊張は相手を威嚇する上で有効であり、また最終的には外交交渉で解決可能であると「思いこむ」ようになった。
さらに前述の通り、開戦を直接的に意味する物ではない動員という行為が、硬直した戦争計画を前提としたドイツにとっては、自らに対する宣戦布告であるという
「疑心暗鬼」となって行く。そもそも当事者となった各国の誰もが、何百万という軍隊を維持するのには途方もない費用がかかるし、
経済の国際的な相互依存がある以上長期的な消耗戦はありえず、戦争はクリスマスまでに終わると「思いこんで」いた。

作中で「野兎」達は何度も思いこみや疑心暗鬼にとりつかれ、ついには暴発的に他人を殺めてしまう。
彼らの心理状況は1914年夏の各国のそれと同じではないだろうか。

何のことはない、近代戦争に国民皆兵とか総力戦とか言う概念が出来た時から、「悪役」の居所は薄暗い密室から個人個人の心の中へと変わったのだ。
推理小説にもかかわらず、「GOSICK」は占いというガジェットを用いて戦争の現実的側面を描いている。

断じて戦争物じゃないし、そう言う風に読む作品ではないが、こういう見方も出来る、ってことでひとつ。




最終更新日 2012-01-21

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最終更新:2012年01月21日 20:11