コラム > アパムと征くラメル紀行

アパムと征くラメル紀行


       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       | アパム!アパム!弾!弾持ってこい!アパーーーム!
       \_____  ________________
                ∨
                       / ̄ ̄ \ タマナシ
      /\     _. /  ̄ ̄\  |_____.|     / ̄\
     /| ̄ ̄|\/_ ヽ |____ |∩(・∀・;||┘  | ̄ ̄| ̄ ̄|
   / ̄ ̄| ̄ ̄| ̄|  (´д`; ||┘ _ユ_II___ | ̄| ̄ ̄| ̄ ̄|
   / ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄|( ” つつ[三≡_[----─゚   ̄| ̄ ̄| ̄ ̄|
  / ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄| ⌒\⌒\  ||  / ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄|
 / ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄] \_)_)..||| | ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄

というAAで有名なティモシー・E・アパム伍長だが、彼に関する話を少々。

まずよくある勘違いなのだが、アパムが見逃し、ラストに撃ち殺したドイツ兵と
メリッシュを見殺しにしてしまった際に階段ですれ違ったドイツ兵は別人だ。

中盤で見逃してやった兵士は国防軍、階段ですれ違った兵士は武装SSに所属しており、
よく見ると襟元にSSのワッペンがついている。

じゃあ何でアパムをスルーして去っていったのか、という疑問が浮かぶかもしれないが、
メリッシュと取っ組み合いしている最中に「暴れるんじゃない! お前は楽に死ねるんだ」などと言っているし、
銃ではなくナイフで刺し殺すという生々しい体験をしたために、戦意喪失しているアパムを殺す気にならなかった…という所だろうか。

そして、見逃したドイツ兵が戦線復帰したあげくミラー大尉を撃った所を目撃したアパムは
自分がした行為がどういう結果になったのか、戦争とは何なのかを理解し、両手を挙げて投降してきたそのドイツ兵を撃ち殺すのである。
ドイツ兵が両手を挙げつつ「アパム」と呼ぶ際に微妙に笑っているようにも見え、「コイツのことだからまた見逃してくれるだろう」的な
考えを持っているのかもしれない。実際のところアパムが撃ち殺したのは助けたドイツ兵だけであり、
他にも数人いたドイツ兵達は武装解除するだけで見逃しているのだが、これが逆に
「戦争をなめてかかっていたり、役目を果たせなかった自分に対する憤りや罪悪感」のうっぷん晴らしにも見える。

アパムは正直、かっこわるい。

登場シーンからして気弱な発言をしたりオドオドしたり、スラングの意味を辞書で探そうとしたり、おおよそ戦争映画に出てくる兵士っぽく無い。
ラメルでの戦闘場面では多くの人が彼のヘタレっぷりに憤ったり腹が立ったりしただろう。

だが、彼に向けられた怒りや失望こそが、アパムがこの映画に存在している理由なのだろう。
我々は兵士というものに「英雄的行動力」とか「底なしの勇気」とか「素晴らしい判断力」とかをついつい求めてしまう。
しかし、それらは軍服を着て小銃を持てば勝手にわき上がってくる物という訳ではない。
戦場に放り込まれれば急に人間として逞しくなるわけでもない。

アパムという存在を通して観客は「自分が戦場に立ったとき、『兵士はこうあるべき』と思い描いていたように振る舞えるだろうか?」
という問いを嫌でも押しつけられる。戦争映画という作り物の中で一人だけ浮いてしまっているアパムは、しかし現実の我々に近い場所にいる。
一見現実感を感じさせる登場人物であるミラー大尉やホーヴァス軍曹も、実は相当に「作られた」キャラクターであるのだ。
銃で撃ち合いしているのは生身の人間であり、「こうあるべき」というに型にはめることが一方的な押しつけでしかないのだから、
アパムに同情せざるを得なくなるし、また彼がキャラの立った人物であることも分かってくる。

戦争・戦場という非日常の中にいる、我々に近い存在のキャラクター。
戦争映画にあるまじき「普通の人間」っぽさ。それがアパムがネタにされ愛される理由ではないだろうか。



最終更新日 2013-12-31






.
最終更新:2013年12月31日 01:28