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お前の代わりは何者だ?

ダメな上司の定型句として使われる「お前の代わりなんかいくらでもいる」という言葉。
言われた方はムカッと来るものだが、いざ言い返すとなると少し頭を捻る必要がある。
20世紀的大量消費社会を象徴するようなこの言葉についてぬるく考えてみたい。

まず大前提から問わねばならないことは「代わりのない人間などいるか?」ということだ。
産業革命以降、労働の場所は工房から工場へと移り、労働の担い手も職人から工員へと変化していった。
機械を使った労働はそれ以前のものに比べはるかに効率が上がり、
また「誰でも出来る労働」であるため労働者の大量確保も容易であった。

組織が巨大で複雑になると、誰かが突然抜けても仕事がちゃんと回るように、
その穴を埋めるためのシステムが生まれる。副大統領とか副社長と言った肩書きの人間がいるのはそのためだ。
むしろ、誰かが抜けただけでガタガタになる組織は「なっとらん」として非難の対象にすらなり得る。
第二次世界大戦中の1945年4月12日、アメリカ合衆国大統領ルーズベルトは脳卒中のために急死する。
戦争中に大統領が突然死亡するという緊急事態が起きたわけだが、同日中に副大統領のトルーマンが
事前に決められていたルールに則って大統領へと昇格する。これにより途切れることなく意思決定を行えた。
ここで凄いのは、仮に大統領と副大統領が同時に死亡したとしても下院議長が、下院議長すらだめでも上院仮議長が……
という具合に継承順位が18位まであらかじめ決められており
大統領のポストが空白になって組織が回らなくなるのを防ぐためのセーフティになっている。
露骨に言えば「大統領の代わりなんていくらでもいる」のだ。

過疎地の医師を取り上げるドキュメンタリーなどでは「代わりの医師がいない」という内容が映し出される。
これなら確かに言葉通りの意味になっているが、「特殊技能を持つ働き手の数が決定的に不足している」から代わりがいないのであって、
ダメ上司が(恐らく)意図するところである「仕事が上手いか下手か」とはやや論点が異なる。

画家や陶芸家を挙げて「代わりのいない人間」と言うことは出来るが、今問題としているのは会社や企業という集団におけるそれだ。
他者と一緒に仕事をすることが常の仕事人と、基本的に個人技である芸術家を比べるのは論点がずれているし、あまり意味が無い。
小さい企業とか、小規模な農業組合とか、あるいは家族の中でなら「あの人が抜けると仕事が回らない」ということが起きうる。
これは「労働者の頭数は減るし、特殊技能を持つ人が他にいないし、抜けた穴を埋めるシステムもない」というトリプルパンチだからだ。
「代わりのいない人間」が存在するとしたら、こういうミニマムな集団の中にいるのだろう。

「仕事上代わりのない人間」として、スポーツ選手が挙げられるだろうか。
例えば、実力が全てのプロ野球選手を考えてみても「絶対この選手の代わりはいない」と呼べる選手が
一つの球団に5人も10人もいるわけではない。仮に大エースが故障したとしても、
先の通りその穴を埋めるためのシステムが働き、例えばローテーションを組み直すとか
2軍の選手を1軍に引っ張ってくるといった手段が講じられる。その意味ではやはり「代わりはいくらでもいる」。

誰もが代わりはいないと納得してくれる選手、マリナーズのイチローを挙げてみよう。
イチローのおかげでひたすら勝ちまくっているイメージのあるマリナーズだが、実はそういうわけでもない。
以下はイチローが入団した2001年以降の、マリナーズが属するアメリカンリーグ西地区4球団中で見た
マリナーズの順位である。
年度 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011
順位 1 3 2 4 4 4 2 4 3 4 4
この間イチローは2011年以外の全ての年で200本安打を達成し、また7回のリーグ最多安打を記録している。
野球が集団競技である以上、代わりのいない逸材であるイチローですら
自分一人でチームの勝ちを引っ捕らえることは出来ないというわけだ。

会社組織や社会といった数多くの人間が属する集団は、その構成員一人がいくら頑張ったところで
劇的な変化をもたらすことは難しい。「社長のアイデアで新製品を~」という事例は確かにある。
しかしそれは「社長の椅子に座っていた人間の声」だったからこそ生まれた事例であって
「誰が社長だったか」はあまり関係がない。その人が平社員だとしても同じような結果になるよう
意見を吸い上げるためのシステムがなければ
「ダメな組織体制のせいで『代わりがいない』ことの根拠である彼ら彼女らの個人的能力が潰された」という残念なオチが待っている。

「仕事上代わりのいない人間」なんて、そうそういないのではないかと個人的には思うのだ。



まとめ
・ごく限定された状況でないと「代わりのいない人間」は出てこない。
・この言葉を平気で使える人間は相当に態度と面の皮が厚かましいのは間違いないだろう。




最終更新日 2013-12-31







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最終更新:2013年12月31日 01:29