コラム > scrap4

近況欄なんかで書いたちょっとした文章の切り抜きページその4。短い割に書くのに滅茶苦茶時間の掛かったもの、
長いけどサクサク書けたものなど読み返すと新たな発見があったりなかったり。



世界地図の隅にだって人は住んでいるの巻

かなーり昔、HoI2のコミュニティで「デンマークのようにほとんど戦闘らしい戦闘をせずに降伏した国、あるいは中南米各国のように
大戦にほとんど関わらなかった国のプレイヤーは第二次大戦を扱ったこのゲームをどういう風にプレイしているのか?」という話が持
ち上がったことがある。その時の結論としては「日本人が中世ヨーロッパを扱ったCrusader Kingsをプレイしているのと同様に各々が
思い入れやロマンのある国でプレイしている(=必ずしも自分の国でプレイする必要は無い)のだろう」というものになったのだが、
おれ自身のプレイを振り返ってみると、HoI2にしろVicにしろ中南米、とくに中米の国をさっぱりプレイしていないことに気がつい
た。ゲーム的に小国で活躍しにくい、つまらないという理由はある。しかしそれ以上にその国に対する「思い入れ」が欠けているのも
事実であった。

おれのHoI2におけるプレイの多くが欧州の国家、でなければカナダやアメリカのような大戦に参加するのが確実な国家、はたまた日本
や中国と言った大戦関係国であり、中南米の国家はたまにブラジルやアルゼンチンのような地域大国で遊ぶ程度であった。ストラスブ
ールやスモレンスクがどこにあるか地図上で指さすことの出来る一方、中米の国家を正しく配置せよと言われると正直困り果ててしま
う。興味が湧かないから知識がないのか。知識がないから興味が湧かないのか…。

中南米諸国は対日・対独宣戦布告はしているものの最前線で戦闘に加わっていたというわけじゃない。だから大戦にまつわるエピソー
ドが無くて興味が湧かないという感想はそれはそれで正しい。対照的なのがエチオピアで、プレイヤーはゲームをプレイする度に世界
大戦の前哨戦としてイタリアに併合されてしまうのを見ることになるため関心が湧き、ためになんとかイタリアを撃退しようとするプ
レイレポが多く投稿されている。ゲーム内におけるアルバニアの悲惨っぷりを見てアルバニア史に興味が湧いたなんてプレイヤーはご
まんといるはずだ。しかし中南米にはゲーム的なイベントすらほとんどない…。

おれはホンジュラスとエルサルバドルの位置すらごっちゃになる自分を恥じる。サントメ・プリンシペがどこにあるのかさえ分からな
い自分を恥じる。カリブ海に浮かぶ島、モントセラトの住人が火山の噴火により首都を放棄せざるを得なくなり、今も島の南半分には
住むことが出来ないとwikipediaを読むまで知らなかったことを恥じる。そこにどんな人たちが住んでいて、何を喰っていて、何で暇
を潰して、どんな風景が広がっているのか、何も知らないことを恥じると同時に、思いをはせる。「日本人は人口500万人しかいない
フィンランドについて凄く詳しいのに、どうして人口1億7千万のナイジェリアについて何も知らないのか?」「どうして日本の漫画や
アニメにパラグアイ人やガボン人やイエメン人が出ないのか」という想像上の尋問に、おれは手も足も出ない。

おれはまだまだ何も知らない。だが少なくともこう言うことはできる。世界は知らずにおけないことだらけだ!


真の勇者は石を投げられるの巻

イギリスのチェンバレン首相がナチスドイツに対して取った宥和政策は現在に至るまで死ぬほど叩かれており、やれ無能だの失政だの
弱腰だのと好き放題言われている。しかし、仮に1938年9月にミュンヘン協定を蹴っ飛ばして対独宣戦布告を行っていたら、第二次大
戦は1945年を待たずして終結したのだろうか?あるいは逆に、チェンバレンを擁護する数少ない説が唱えるように、1939年9月までの1
年間を彼が稼いだおかげでイギリスは英本土航空戦に勝利でき、それが後の連合国の勝利へと結びついたのか? 例によって新潮文庫
「バトル・オブ・ブリテン」からの受け売りだが、38年秋からの1年間でRAFは大きく力を付けた。

38年9月当時、新型の阻塞気球はまだ一基も設置されておらず、計画が承認された高射砲のうち配備が完了していたのは3分の1。小口
径の高射砲や機関銃の類は事実上皆無。チェーンホームレーダーはテムズ河口域に5台だけ。それに移動式のレーダーは3台あるのみ
で、レーダーはダンジェネスからウォッシュ湾をカバーしているだけだった。第一線機400機に対して予備機は160機だけ。補充パイロ
ットの内実戦参加できるのは1割以下。戦闘機軍団は29個の飛行中隊を保有していたが、そのうち5個中隊のみがハリケーンを装備して
いるだけで、残りは全て複葉戦闘機だった。またチェコスロヴァキアの危機の際に動員を掛けて初めて分かったことだが、防空システ
ム用の通信回線がひどく混乱する有様で、数分以内に決断を要するような事項が数日間ほったらかしだったりもした。

しかし1年後には、レーダー網はサウスハンプトンからフォース川まで途切れなく続いており、ロンドン周辺に150基あっただけの阻塞
気球は十数カ所の主要港湾や工業地帯にのべ624基配備されている。高射砲・高射機関砲の類はまだまだ数量が不足していたが、それ
でも高射砲695門、小口径火砲253挺が確保された。1年前には取るに足らない存在だった民間防衛も、39年9月には150万人の男女が空
襲警報員のほか地元消防団とか救急隊の補助要因として登録されていた。37年から始まった「RAF志願予備兵制度」にチェコスロヴァ
キアを巡る危機のせいで志願者が殺到し、39年には訓練済み・訓練中合わせて5千名のパイロットがこの制度により養成された。また
民間の飛行クラブが38年から設立され、後にこの民間人パイロット達が航空機のフェリーを行うことになる。飛行場が各地に増設さ
れ、39年9月にはフランスへと派遣された4個中隊を除いて35個飛行中隊が本土防空の任に就き、うち17個中隊がハリケーン、12個中隊
がスピットファイアを装備していた。

さて、ここまで書くと当然次のことが気になってくる。「なるほど39年9月までの1年間でRAFが大きく力を付けたのは分かった。しか
しそれはドイツの陸海空軍も同じではないのか?」もっともな疑問である。ズデーテン危機がこじれ38年9月に英仏とドイツとの間に
戦端が開かれたとして、果たしてフランスは史実のような敗北を喫しただろうか。フランスが潰されていなければ史実のような形のバ
トルオブブリテンが起こることはなく、あるいは複葉機と貧弱な防空システムでも事は足りたかも知れない。チェコスロヴァキア・イ
ギリス・フランスの三カ国、そしてフランスが先に動くという条件がクリアされればチェコの保護に協力すると約束していたソ連も加
えてなお勝ち目は無いのか。後世に生きる我々はこのようなたらればを好き放題言えるが、当時のイギリスははるかに醒めた目で事態
を見ていた。

チェンバレンは連合国によるチェコスロヴァキア防衛が現実的かどうかについて統合参謀本部に命じて意見を求めたが、彼らは歯に衣
着せずにこう答えた。「我が国及び考えられる連合諸国がどのような圧力を陸海空において加えたとしても、ドイツがボヘミア地方に
進行し、これを制圧することを阻止することはできない」さらに続けて「イギリス地上軍及び空軍は現状において長期戦を持続する能
力を全く保有していない。陸軍はその規模が不十分であり、空軍は大規模な戦争の場合、数週間を超えて作戦を行う能力を持たない。
戦闘開始の後、かなりの期間を経過しなければ、飛行機工業において大規模な戦闘による消耗分を補充する能力は期待できない」

この絶望的な意見を聞いた後、チェンバレンはいやが応でも自身の外交力に一途の望みを掛けざるを得なくなったのである。話が長く
なったがしょせん後知恵だ。「チェンバレンは貴重な1年を稼いだ外交家」という見方は個人的には嫌いじゃないが、胸を張って歴史
的事実と叫べるかというとはっきり言ってかなり怪しい。だが乗りかかった船だ。こう強弁させてもらおう。チャーチルはユーモアの
分かる男だから笑って見過ごしてくれるはずだ。バトル・オブ・ブリテンの真の勝者はチャーチルではない。チェンバレンだ。

ちなみに著者の見解は以下の通り。メンタル面を解決するための時間が必要だったんだよ、という話。
そこで、どうしても一つ疑問が生ずる。果たしてミュンヘンのお蔭で時間を稼ぐことができて、その時間を上手に利用したから二年後
に本土決戦で勝つことが可能になった、と言えるのかどうか? 一見して当然と思われる結論を出せばいい、そういう気持ちになるこ
とは確かである。しかし、もし一九三八年に、フランスが二年後よりは遙かに準備の程度の悪いドイツを敵に回して介入に踏み切って
いたとしても、フランスは一九四〇年と同じように無残な形で潰れていた、と断言することはできない。(略)そんな推測よりも遙か
に確実だろうと思えるのは、もしイギリスが一九三八年九月に戦争を始めていたら、国民の大部分の強い意向を無視することになって
いただろうという見方である。一九三九年九月までには、度重なるヒットラーの侵略行為の結果、極く少数の人たちを除いて国民の大
多数はヒットラー阻止の必要性を確信するようになっていた。(略)確かにチェンバレンは、「宥和政策」を採り自己満足の態度を示
すことによって多くの人間から深い反感を買ったが、最終的には、首相は世論の統一を果たした国を率いて戦争に突入した。


そして支配者も支配され…の巻

津野海太郎「物語・日本人の占領」を読了した。日本占領下のフィリピンについて書かれた本だが、誰それが強制連行されたとかどこ
そこで住民の虐殺があったとかいう物騒な話ではなく、「支配者」としての日本人が何を考えていたか、スペイン・アメリカ・日本と
支配者が移り変わっていく中で「被支配者」フィリピン人が何を考えていたかを扱った話だ。維新を経て西洋化・近代化を成し遂げた
日本とアメリカの「保護」の下で西洋的な文化と風習を咀嚼したフィリピンという二つの「脱亜」のぶつかり合い、互いに互いを野蛮
なアジア人として見下す話でもある訳だ。そのうち書評としてまとめたいのだが、個人的にもうどうしようもないものを感じた部分を
抜粋してひとくちブックレビューとして書き付けておく。

1942年のマニラ、ケソン大通りにあったライフ劇場での一コマ。人気コメディアンのプゴとトゴが劇場に上がる。カーキ色の軍服を着
たトゴが一言。「ぼくが何国人か、あててみな」。プゴが返事をして「イタリア人のまねだろ?」答えて「いや、ちがう」
「ロシア人?」「ちがう」
「インド人?」「ちがう」
「中国人?」「ちがう」
「ナチ?」「うん、いい線行ってるぞ」
ここでトゴが気をつけの姿勢を取り、袖をまくり上げる。両腕の肘の所まで腕時計が何十個もはめられている。さらにズボンをまくり
上げるとそこにもたくさんの腕時計。プゴが「ああ、わかった。日本人だ」とオチを言う前に観客は大笑い。二人はその日のうちに
「ケンペイタイ」に連行されみっちり油を絞られたあげく、トゴは東郷元帥の名を汚すと訳の分からないことを言われ今後は芸名をト
ギンとプギンに変えるよう命じられた。事件は瞬く間にマニラ中に広まり、二人はちょっとした英雄になったそうである。

おくれた国家の兵隊がすすんだ国家を侵略すると、そこでかならず腕時計の略奪がはじまる。腕時計の略奪は近代戦争に特有の神話的
イメージのひとつであるといっていい。敗戦の年の旧満州や樺太で、ソ連兵たちが先をあらそって日本人の腕時計を強奪したというた
ぐいの話を、子どものころから私もなんどとなく聞かされてきた。熊みたいに太い毛むくじゃらの腕にいくつもはめられた男ものや女
ものの腕時計は、ロシア人の貧しさと野蛮さをさししめす記号として理解された。この種の話をくりかえすことによって、私たちは文
明化された日本人は腕時計を奪われる側ではあっても、けっして奪う側ではありえないと考えることに慣れてきたように思う。食料を
まきあげ女を犯すかもしれない。ひとつの村をまるごと焼きつくすことだってやるだろう。しかし日本人は腕時計だけはとらないので
ある。プゴとトゴによって演じられた腕時計の場面は、こうした日本人の自己イメージをかんたんにひっくりかえしてしまう。誤解の
余地はない。これまで私たちがなんどもくりかえしてきた「自分の物語」の型によって、ただしここでは、ほかならぬ日本人が野蛮で
貧しい民族としてまっすぐ指名されているのだ。しかも、われわれよりはるかにおくれた民族であるはずのフィリピン人によって。

もう一コマ。国民のバンザイの声や衆参両院からの感謝決議に見送られて帰国したマッカーサーが、直後に上院の委員会で「東洋人は
勝利者に追従し、敗者を軽蔑する傾向がある」「日本人の精神年齢は12歳」と発言したことに対して、少なくない国民がいらだち、失
望、不愉快さを感じた。占領者が被占領者を馬鹿にするのはままあることとはいえ、なぜここまで反発したか。それは国民が彼を「偉
大なおやじ」(『朝日新聞』天声人語)と思っていたからである。偉大だと思っていたからこそ「名誉国民」の称号を送るために「終
身国賓に関する法律案」が閣議を通ったり、東京に「マッカーサー元帥記念館」を建設するための準備が進められていた。しかし…
…。

もういちどトレンティーノの「昨日、今日、明日」を思い出して欲しい。アメリカ植民政府を象徴するバゴンシボルという人物が「わ
れわれの援助なしに諸君は生きていくことができない」とフィリピン人にせまる場面が、あの戯曲の最後の山場をかたちづくってい
た。この台詞は、「フィリピン人が独立国の国民にふさわしい能力を獲得したら、ただちに独立をあたえる」というフィリピン委員会
タフト委員長の一九〇〇年四月の声明を下敷きにしたものだった。自治能力を欠いた国民が百鬼夜行の国際政治のなかを生きのびて行
くためには、親切なおとなの保護が必要である。そう断定することで、アメリカ人は太平洋におけるかれらの位置を正当化しようとし
た。しかし、ながいあいだ植民地住民として生きてきたフィリピン人は、この種の約束にはすでにあきあきしていた。したがって「あ
なたたちもかつてはイギリスの助けをこばみ、自分の足で立つ決心をしたではないか」という戯曲の女主人公の反論がしめすように、
新来の支配者が発する恩きせがましいことばの詐術をうちやぶること――それが即時独立をねがうフィリピン人にとっての第一の課題
になった。アメリカによる同化教育というのは、なによりもまず、このような反論を時間をかけて消滅させていくための教育だったの
である。
かれらの計画はみごと図にあたって、おおくのフィリピン人がアメリカ合州国との「特別な関係」(コンスタンティーノ『フィリピ
ン・ナショナリズム論』)という神話を、なんの抵抗もなく信じるようになった。この神話を背景に、父親としてのマッカーサーにた
いする精神的な血縁意識が生じてくる。このフィリピンで成功をおさめた支配の技術を、マッカーサーは戦後の日本にそのままのかた
ちで適用しようとした。そして六年ののち、案の定、日本人はかれを「偉大なおやじ」という愛称で呼ぶようになった。だからこそ、
かれも安心して日本人を「十二歳の少年」と呼ぶことができた。勘定はそれでピタリと合っていたのである。
にもかかわらず、日本人はマッカーサーの発言に苛だち、とまどい、腹を立てた。日本にとってのアメリカがそうであるように、アメ
リカにとっても日本は特別の存在なのだという神話が、こともあろうに、当の神話の直接の作者ともいうべき人物によってくつがえさ
れてしまった。おそらくはそれが日本人の苛だち、とまどい、腹立ちの第一の理由だったのだろう。かつてのフィリピン人同様、戦後
の日本人もそれほどまでに深くアメリカ合州国との「特別な関係」を信じたがるようになっていたのである。それだけではない。思い
がけず「偉大なおやじ」に十二歳のガキ呼ばわりされた瞬間、まだ気持の奥深いところに淀んだままになっていた過去が不意によみが
えってきた。よみがえったのは、自分たちが大アジア一家の「偉大なおやじ」――いや、より正確には、精神的な兄として他国の人々
を十二歳の子どもあつかいしていたころの苦い記憶である。

米比関係・日比関係・日米関係はそれぞれがそれぞれの似姿なのだろうか。アメリカ人がフィリピン人にしたこと、日本人がフィリピ
ン人にしたこと、アメリカ人が日本人にしたことの三つがイコールで結ばれるとしたら、皮肉どころの話じゃない。


今日はニンジンとブルーベリーをやけ食いだ、の巻

「ブルーベリーが目に良いというのは第二次大戦中にイギリス軍が流したデマ」という話をご存じの方も多いと思う。英空軍の夜間戦
闘機パイロットであるジョン・カニンガムへの取材において、機上レーダーの存在をドイツ側に知らせないために「彼はネコの目のよ
うに特殊な視覚がある」「彼はよくニンジンを食べているので夜間視力が優れている」という嘘の話を広めたのが真相だ。だけどこの
話、日本に入ってくる際にそうとうおかしくなったらしい…。英語でググってみるとあくまで「ニンジン」を食べたという作り話であ
って「ブルーベリー」を食べたわけじゃない。一体いつ話が変わってしまったのか、ようわからん。

しかもそれだけではない。

日本語で書かれた「ブルーベリーが目に良いというのは嘘」と解説している話の中でさえカニンガムのことを「モスキートのパイロッ
ト」と書いているものが相当ある。これも明確な間違いである。「カニンガムがニンジンをよく食べている」という作り話がイギリス
で広められたのは英語版wikipediaによると1941年1月。しかしモスキート試作機の初飛行は1940年11月25日で、カニンガムがその試作
機を自分の手で飛ばしてみたのは1941年2月9日。そして最初の量産タイプである偵察型PR.Mk Iが第1写真偵察隊に配備されたのは1941
年7月31日。9月中旬に5機揃うまでは1機配備されたのみで、訓練しかできなかったという。当時カニンガムが在籍していた第604スコ
ードロンが使用していたのはボーファイターであり、事実彼はこの機体で撃墜記録を挙げている。つまり取材を受けた時点でカニンガ
ムはモスキートのパイロットでないし、そもそもイギリス中探してもモスキートのパイロットなどいないのだ。誤りが二重三重に積み
重なっててとても手を出せない。世の中には関わると泥沼に引きずり込まれる話もある。イギリスはナチを騙すどころか75年後の日本
でさえ混乱を招くほど上手い偽情報を発信した。ここまで目論んでのプロパガンダだとは思いたくないのだが、相手があのイギリスな
だけにちょっとあり得そうな気になってくる…。


涙なしには語れないFirefox移行の巻

Firefoxは2017年11月のバージョン57から旧式のアドオンが使えなくなった。セキュリティや速度、安定性の関係で昔からのアドオン
すべてが使えなくなり、新たにWebExtensionsと呼ばれる仕組みを使ったアドオンへと切り替わった。もちろんユーザは阿鼻叫喚に陥
った。ある者はあきらめてアップデートし、ある者は代替のアドオンを探しまくり、ある者はWaterfoxやVivaldiに移行した。しかし
少なくないユーザがバージョン56のまま使い続けていた! かくいうおれもその一人であり、代替となるアドオンを探しても「○○が
無いじゃん!」「××もねぇ!」となるばかり。具体的にはTabMixPlusがそれだ。「多段タブもできないくせにタブブラウザを名乗る
んじゃねぇよ!」と叫んだところでどうしようもない。しかし1年近くブラウザを更新しないのはセキュリティの面から極めてよくな
いことも理解していた。移行することも考えたが、たとえば旧式の拡張機能が使えるWaterfoxへ移行したとしても、その旧式のアドオ
ンがいつまでもメンテされ続けるとは限らないし、そもそもCyberfoxみたいにプロジェクトが終了してしまわないかも心配だった。

そしてある日のこと、「WaterfoxはFirefoxのSyncがそのまま使えるから便利」との話を聞いたおれは「とりあえずインストールし
て使えるようにだけしておくか」と軽い気持ちでWaterfoxをインストールした。自動でFirefoxから設定を引き継いでくれたのだが、
いくつか細かな設定が引き継がれていない。「だったらSyncでコピーすれば一発じゃん」と思い同期させると、Waterfoxの設定がFire
foxの設定を侵食し始めた。何言ってんだコイツと思われたかもしれないがおれもよう分からん。なぜか大昔のブックマークが蘇った
りFirefoxの設定が上書きされたり…。毎週バックアップしていたファイルから慌てて設定を元に戻そうとあれこれしていたら、今度
は更新しないように設定変更していたFirefoxが自動更新を始め最新版アップデートされてしまった。マジで発狂しそうになりました
よ。ええ。結局設定を元に戻せず、すべてを諦め泣きながら最新版へと移行しましたとも。

javascriptもCSSもさっぱり分からないおれでも出来た移行メモ。
  • Classic Theme RestorerはここのuserChrome.cssを利用することで大部分再現できる。ロケーションバーの下にタブを置いたりとか。
  • ただし↑に含まれている多段タブはかなり使いにくい(列をまたいだタブの移動ができないなど)のでここのMultiRowTabLiteforFx.uc.jsを使っている。
  • userChrome.jsの導入はこいつを使えば誰でもできる。
  • タブの上でマウスホイールを上下させてタブを切り替える機能はこれを使っている。
  • 結果としてTabMixPlusでやっていたことがほとんど実現できるようになった。やったぜ。
  • 要らないコンテキストメニューを消すのはここ参照
  • Autoclose Bookmark&History Foldersの代替はこれこれ
  • FireGesturesはFoxy Gestures、スーパードラッグ系はGlitter Dragへ切り替えた
  • mactypeが無いと生きていけない体にされてしまったのであれこれ調べてみたのだがいまいち要領を得ない。このエントリを参考に
    stylus用のスタイルを導入したら満足のいく結果になった…が、ここまでごんぶとなフォントでなくともいい気がしてきた。

数日ポチポチいじることを続けかなり満足度の高い仕上がりになった。いやほんとに疲れたよ。たださぁ、アドオンやCSSを一生懸
命探していると「これはFirefox本体のバグだから出来ない」「API実装やバグ修正のために投票を!」なんてコメントがかなり目につ
いた。Mozillaはやる気あるんですかね…。古いアドオンをユーザごとぶった切ることについて、Mozillaが「もっとも人気のある主要
なアドオンはすでに互換性が保たれており、多くのユーザーはこの変更に気づくことはないでしょう。」とか舐めきったことをぬかしてた
のは絶対に忘れないからな。Classic Theme Restorerを使っていた40万人のユーザ、Tab Mix Plusを使っていた36万人以上のユーザ、
FireGesturesを使っていた15万人以上のユーザ、Menu Wizardを使っていた12万人以上のユーザは「多くのユーザー」に含まれないの
かよと。確かに起動は速くなった。しかしそれがブラウザの改良のおかげなのか、ただ単に動作しているアドオンが少なくなったせい
なのかは分からん。体感的に早さの向上が分かるのはそれくらい。こんなニュースがあったりするし、「アドオン切り捨てておしゃれ
なデザインに変えたところで、結局劣化Chromeになるだけじゃねぇの?」という「多くのユーザー」の予想はかなり当たっているよう
に見える。

…なんか今回の近況欄、怨念入ってるな。笑って見逃して!

追記:1年と4ヶ月でユーザ数が3億人から2億5千万人に減ったそうだ。当然の結果である。

さらに追記:
Firefoxがアップデートのたびにどこかしら不具合が出て困る。といってもその不具合というのは
ほとんどが自分で追加しているCustomCSSforFxに関するものなので自分でなんとかするほか無い。
しかし更新のたびに「あの機能が使えなくなった!」「○○出来なくなったので代替案教えて!」などと
redditやら技術系ブログやらに書き込まれる悲痛な叫びは見ていて辛い。

もちろん叫びを通り越してMozillaに対する批判、さらには罵倒だって当然ある。
しかしそういう書き込みにはテンプレート的な反論がいつも続く。
いわく「だったらChromeを使って個人情報を抜かれてろ」
いわく「Mozillaはインターネットの自由のために活動しているんだから文句言うな」
いわく「(スニペットという広告じみた物が表示される件について)ブラウザの開発者は金を稼がなければ廃業せざるを得ないんだから文句言うな」
これで擁護になると思っているのならどうにかしている。「あんたの所のラーメン最近不味いよ」と漏らす客に
「向かいのラーメン屋の方がもっと不味い!」「あのラーメン食ったら体を壊す!」などと返すだろうか?

同業者の悪口を言ったところで自分の客の満足度は上がらないし、そういう態度がさらに客離れを加速させかねない。
「頼まれてもいないスポークスマンたち」(いちユーザーとして信者という言葉は使いたくない)はどうもその辺を間違えている気がする。
ちょっと前Chromeで広告ブロッカーなんかが使えなくなるかも、というニュースがあった。その話を引き合いに出して
「これでChromeからFirefoxにユーザーが移るぞ!やったぜ!」なんて喜んでる書き込み(もちろん全体から見ればごく一部だけど)
があってげんなりした気分になった。今やFirefoxは敵失でしかシェアを伸ばせないのか…と思った訳さ。
最近だとIE+Edgeにシェアを抜かれたなんてニュースもあったしさ…。

「利益ではなく、人々のためのインターネット」を目指す前に、足下のユーザーのためのブラウザを目指して欲しいとネットの片隅で思っております。


街の声に関する街の声を聞いてみよう、の巻

ニュース番組によくある「街の人のインタビュー」がなんとなく苦手だ。どこそこの有名人が結婚しました、亡くなりました、と言
って街の人に話を聞く。「そうなんですか! おめでとうございます!」とか「ええっ! 残念です…」と皆が口を揃えたように同
じことを言う。何かの催しに参加した小学生へのインタビュー(ご存じの通り感想の9割9分が「楽しかった」である)じゃないんだ
から、もう少し別のことを言ったらどうなのか。「は? 自分に関係ないんでどうでもいいです」とか「昔からあいつは嫌いだった
んで、くたばって清々してます」といった感想を持つ人間は少数であれ常に存在するし、もしかしたらカメラの前で実際にそうしゃ
べったかもしれない。けれど決して放送されない。放送しちゃいけない道理は無いはずだが、何かの法案とか取り決めとかいった
「賛否両論あることが前提のテーマ」を除けば街の声は恐ろしく均一化している。どこそこの老舗が閉店しますとか、なじみの鉄道
車両が引退しますとか、ご当地のスポーツ選手が活躍しましたといったニュースに対してどんな「街の声」が放送されそうかはこれ
を読んでいるあなたも想像できるだろう。「街の人のインタビュー」はみんなが当たり障りの無い感想を述べていることを確認する
だけの、なんの意義もありがたみも無い行為になっていやしないか。SNSに投稿されて炎上した画像をわざわざ街行く人に見せた上
で「うーん、こんなことするなんてマナー違反ですね」なんて分かりきったコメントを手間暇掛けて引き出して、それでどうしよう
というのか。いや、確かに「政治家の不正は許せないですね」とか「けが人が多くて心配です」とか、それ自体はまったく穏当で、
適当で、妥当な、良識ある社会人としてふさわしいコメントなのだろう。しかしだからなんだと言うんだ? そんな感想とおれとの
間に一体何の関係が?

ところで中国のインターネットスラングに「打醤油」というものがある。2008年に生まれたこのスラングは「醤油を買う」という意
味なのだが、そのころ有名女優のプライバシー写真がネットに流出するという事件があった。広州テレビのインタビューを受けた男
性がカメラに向けて言い放った「关我屌事,我出来买酱油的」(俺と関係ねぇよ、醤油を買いに来ただけだ)という台詞がその由来
だ。この言葉はネット上で流行語となり、「(とりわけ政治に関する)敏感な話題に触れない」、「自分と関係ない」、「関心が無
い」、「興味が無い」という意味で使われるようになった。確かにつれない態度かもしれない。しかし好きでも無いアイドルグルー
プの脱退だ解散だという話題について「それらしい」表情をして「それらしい」言葉を紡ぐよりかは、ある意味よっぽど誠実じゃな
いか? わざと「人と違うおれ」を気取れと言ってるのではない。「寂しいですね」とか「上手くいくと良いですね」とか、言葉と
してはありきたりでも心からそう思っているならそれはそれで構わない。だがおれは世間全ての事柄に明るいわけじゃない。世の中
には「恐ろしく興味がないこと」が確かに存在する。どうでもいいよと思ったらそう言いたい。みんなが分かりきっていることをまた
繰り返す必要なんてまったくないのだ。「ネットの声」に取り上げられたい訳じゃない。「街の人」としてテレビに出たいわけでも
ない。おれはただ醤油を買いに出かけたい。


猫とは一体何なのか、の巻

ロバート・ダーントン「猫の大虐殺」を読んだ。タイトルからしておどろおどろしいが、中身はいたってまじめな歴史・文化史の本
である。本書は4つの論文で構成されているが、一番興味深いのはやはりタイトルにもなっている「猫の大虐殺」である。(以下の
括弧内は本文の引用)

1730年代のパリ。とある労働者街から一夜にして猫が消えた! ただ消えただけではない、印刷職人たちによって皆殺しにされたの
だ。貧しい住まいと長時間労働に苦しむジェロームとレヴェイェという二人の従弟奉公が話の主役だ。彼らに与えられる報酬と言え
ば親方の残り物だけなのだが、この残飯は調理人がこっそり横流ししており、従弟には猫のエサを与えていたのである。しかしそれ
は野良猫でさえ食べるのを拒否する代物だった。当時印刷業界の親方、少なくとも印刷工たちがブルジョワと呼ぶ人々の間では猫を
飼うことが人気であり、あるブルジョワは25匹の猫を飼い、その肖像画を書かせ、焼いた鶏肉をエサとして与えていたそうだ。人間
より猫の方が良いものを食っている! それだけではない。従弟たちは一晩中屋根でうなり声を上げる野良猫どもと対決しなければ
ならなかった。一日の仕事が始まる前から彼らはクタクタだったのだ。従弟はついに切れた。物まねに長けているレヴェイェは親方
の寝室まで屋根の上を這っていき、一晩中にゃーにゃー鳴き声やうなり声を上げ続けた。親方夫婦は数日にわたって一睡もできない
夜を過ごし、すこぶる信心深い親方はついに自分たちに魔法が掛けられているのだと思い込んだ。彼は二人の従弟に猫どもを一掃す
るよう命じた。このとき猫好きな親方の細君はお気に入りの灰色猫だけは絶対に痛めつけるなと言い聞かせた。二人の従弟は早速印
刷工たちの協力を得て大喜びで「猫の大虐殺」に取りかかった。まずは灰色猫に鉄棒をお見舞いして背骨を砕いた。その死体を排水
溝に隠している間、職人たちは手当たり次第に猫を棍棒で殴りつけた。逃げ出した猫も罠に引っかかって捕らえられた。職人たちは
死にかけの猫が大量に詰まった袋を中庭に放り投げると、「印刷工場の全員が集合し、それぞれ護衛兵、聴罪司祭、死刑執行人など
の役を務めながら模擬裁判を開始した。彼らはまず動物たちに有罪の判決をくだし、最後の儀式を施してやったあと、即席の絞首台
に吊した」。労働者たちが爆笑しながら裁判を演じているところに細君が現れ、金切り声を上げた。次いで、絞首台にぶら下がって
いるのが灰色猫かもしれないと思った。労働者たちは「もちろん違いますよ」と請け負う。「ご主人のご家庭には常々敬意を払って
いますから、そんなことをするわけがないじゃありませんか」そこに親方が姿を現した。彼は労働者たちが仕事をほっぽり出してい
ることに怒り心頭だったが、細君はそんなことよりもっと重大な「反抗」に自分たちが直面しているのだと説明した。やがて親方夫
婦は歓喜と混乱と笑いで狂騒状態の労働者を残して撤退した。笑いはこれで終わらず、以後数日の間に渡り少なくとも20回、最初に
猫の鳴き真似をした従弟によって虐殺事件の全場面が物まねで再演されたという。

ここまで読んでいやーな気分になった人もいるかもしれない。事実著者も「現代の読者は、この事件にあからさまな嫌悪を感じない
までも、面白いとは全然思わないだろう」と書いている。しかし「可愛い猫ちゃんを殺すなんて許せないザマス!」なんてヒステリ
ーを起こしても何も学べやしない。一体全体、労働者はなぜ猫を殺したのか。まず考えられるのは、それが親方たちに対する間接的
な攻撃であったことだ。資本主義の芽が萌え出はじめた当時、ブルジョワと労働者にはすでに隔絶たる生活の差があった。従弟は労
働者よりさらに生活が苦しかった。人間が本来位置するべき場所に猫が居座っており、猫の虐殺がブルジョワへの意義申し立てにな
る。「親方たちは猫を愛している。したがって、職人は猫を憎むのだ」。ここまではすんなり想像できる。しかしそう考えると二つ
の謎が浮かぶ。ひとつは、なぜ猫を殺すことがそんなに重大な抗議を意味するのかである。親方夫婦が猫をかわいがっていたことは
事実だが、ある程度は織り込み済みで猫の駆除を指示したはずだ。身体や財産を直接攻撃したわけではないにも関わらず、なぜ親方
と細君は自分たちへの反抗だと受け取ったのか。そしてもう一つは、猫を殺したいだけならもっと手軽で効率の良い方法がいくらも
あるはずということだ。なぜ労働者は模擬裁判を行い、死刑判決という形で猫を吊したのか? 当時の社会において猫は何を意味し
ていたのか。

著者に寄れば、18世紀前半の時点ですでに資本主義はその本質をむき出しにしつつあったようだ。印刷職人たちは親方が「アルウ
ェ」という無資格の臨時労働者をばかすか雇用し始めていることに脅威を感じていた。アルウェは安くて交換可能な労働力以外の何
物でも無い。ただでさえ不安定だった職人の生活はますます不安定になり、1週間で工場内の顔ぶれが変わってしまうことも珍しく
なかった。親方と職人が同じ屋根の下であたかも家族のように仲良く暮らし、同じ仕事をして同じ食卓を囲む生活などというのは当
時でさえ過去のユートピア扱いされていた。「職人も従弟もみな働いている。親方と奥さんだけが甘い眠りをむさぼっている。それ
がジェロームとレヴェイェを憤慨させたのだ。二人は自分たちだけが惨めな思いをするのは厭だと考えた。親方と奥さんにも仲間
[アソシエ]になって欲しいと思ったのだ」。親方と職人が一緒に働いていた「神話」を取り戻すために彼らは猫を殺したのだとい
う。しかしなぜ猫を?

実のところ「動物、特に猫を虐めることは近世初期のヨーロッパに広く流行した娯楽であった」「文学上の動物虐めは、けっして少
数の頭のおかしな作家の気まぐれなサディズムの産物ではなく、むしろ民衆文化のそこに流れるひとつの傾向の表現なのである」。
「すなわちサン・セヴラン街での猫虐殺の儀式には、なんら異常なところがなかったことである。それどころか、ジェロームと彼
の仲間たちが街の猫を残らず吊そうと試みたとき、むしろ彼らは自己の文化の共通概念のひとつに基づいて行動していたのである。
それでは、その文化は猫にどのような意味を賦与していたのだろうか」近世初期、庶民はカーニバル(謝肉祭)が来ると社会の秩序
を裏返したようなバカ騒ぎで祭りを祝った。その行事の中に嫌がらせの儀式[シャリヴァリ]というものがあった。新婚者などの家の
外で鍋釜をぶったたいて騒いだり、寝取られ男、女房に殴られている亭主、はるか年下の男と結婚した花嫁、そのほか伝統的な規準
に違反している人々を嘲笑して回るものだ。このような嫌がらせの儀式のなかで猫が重要な役割を果たす場合がある。ブルゴーニュ
地方では猫の拷問がこのどんちゃん騒ぎの一環をなしていた。また猫は魔力や魔女と結びつけられていた。「百姓たちは、夜、猫に
すれ違うとしばしば棍棒で殴りつけたが、翌日、魔女と信じられている女の身体に打ち傷がついていた。少なくとも、村の伝承では
そう語られている。村人たちはまた、納屋で見知らぬ猫を見つけた百姓が、家畜を救うためにその猫の四肢を折ったという話も伝え
ている。この場合も、疑いをかけられている女の脚が、翌朝折れているのが発見された」。さらに加えて「猫の力は日常生活の最も
内輪の部分、すなわちセックスに結びついていた」「猫が生殖と女性のセックスとを暗示するのは、フランスのいずこにおいても同
じである。娘たちは、『猫のように恋をする』と一般にいわれ、妊娠すると、『猫をチーズのところに生かせた』と評された。また
猫を食べると妊娠すると信じられていた。猫をシチューにして食べた娘たちが、仔猫を産むという民話も幾つか存在する。ブルター
ニュ北部では、正しい手順で猫を埋めるならば、病気の林檎の木に実をつけさせることもできるといわれている」。このイメージが
さらに拡大され、猫から寝取られ男が連想されるようになる。

そんなこんなで「旧制度下のフランス人は、猫のうなり声を効くと直ちに魔女、夜の饗宴、寝取られ男、嫌がらせの儀式、虐殺を連
想した」親方の細君には愛人がいたようだ。老いぼれの親方、中年の細君、若い愛人という典型的な三角関係のパターンにぴたりと
符合し、親方は寝取られ男というおきまりの滑稽な役を振り当てられる。猫の虐殺はこの寝取られ男を嘲笑する嫌がらせの儀式[シ
ャリヴァリ]でもあった。謝肉祭の最終日には模擬裁判と処刑が茶番のひとつとして行われる。通常「藁人形のカーニヴァルの王」
が裁判に掛けられて処刑されるのだが、印刷工たちはそれをアレンジし、親方に対する派手な模擬裁判を行う嫌がらせをして日頃の
恨みを晴らしていたそうだ。というのも、公然と反抗すれば当然解雇の危険があったからだ。そこで労働者たちは模擬裁判という
「不在裁判」でブルジョワを断罪した。すなわち象徴を用いて自分たちの意図を示し、かつブルジョワからの報復を避けたのであ
る。
労働者たちは念入りな儀式を踏んで猫どもを処刑することで、親方の家を断罪し、ブルジョアに有罪を宣告したのである。従弟を
酷使し、不十分な食物しか与えない罪、仕事はすべて職人に押しつけ、自分は贅沢に暮らしている罪、一世代か二世代むかしのよう
に、あるいは印刷業初期の原始的な『共和国』の頃のように、労働者とともに働き、ともに食べることをせず、自分は仕事場から引
っ込んでしまい、工場を<アルウェ>で満たした罪など、弾劾の内容は広範囲である。労働者たちの批判は、親方から親方の家族、さ
らに印刷業界の制度そのものにまで及んでいた。彼らは半殺しの猫どもを裁き、懺悔させ、絞首刑に処することで、法律制度と社会
秩序をも嘲弄していたのかもしれない
まだ終わらない。「象徴としての猫は暴力と同時にセックスを喚起するが、この両者の組み合わせは親方の細君を攻撃するのに最適
である」。細君と細君お気に入りの灰色猫を同一視し、加えて先ほどのように猫とセックスを結びつけた上で猫を殺害する。すると
以下のような意味合いが生まれる。
細君は猫の処刑を目にするやいなや金切り声をあげる。さらに灰色猫が失われたことに気づいて、呆然としてしまう。労働者たちは
敬意を装って、彼女に自分たちの誠意を請け合う。そこへ親方が到着する。「『ああ、この悪党ども、仕事を放り出して猫を殺して
いるのか』。マダムがムッシューに訴える。『この悪人たちは親方を殺すことができないので、私の猫を殺したのよ』。彼女にとっ
ては、労働者たち全員の血をもってしてもこの侮辱を償うには足りない」。これは象徴的な侮辱である。現代の学童が「おまえの母
親のガードル」といって嘲弄するのに似ているが、それよりはるかに激しく、また卑猥である。労働者たちは親方の細君の猫を襲う
ことで、彼女を象徴的に犯したのだ。同時に、親方には最高の侮辱を与えたことになる。猫が細君の宝物であるように、細君は親方
の宝物である。労働者たちは猫を殺すことによって、ブルジョアの家の秘密の貴重品を冒涜し、しかも罰を逃れている。
それがこの猫虐殺の儀式の絶妙な所であった
猫殺害の意味と意義を著者はこうまとめている。
労働者たちが猫の虐殺に大笑いしたのは、この事件がブルジョアに逆捩じを食わせる絶好の機会を提供してくれたからだと考えて良
いだろう。彼らは猫の鳴き声を真似てブルジョアを悩まし、猫狩りの命令を出させた。次いで、猫の虐殺を利用して象徴的に彼を裁
判に掛けた。その罪状は不当な工場経営である。労働者たちはまた、この虐殺を魔女狩りにも活用した。すなわち、魔女狩りを口実
に細君の手先の猫を殺害し、彼女自身を魔女だと仄めかしたのである。最後に、彼らは虐殺事件を嫌がらせの儀式[シャリヴァリ]に
発展させた。これによって親方を寝取られ男として嘲笑するとともに、細君を性的に侮辱した。ブルジョアは見事なまでに愚弄され
てしまった。自分で猫狩りの命令を出しておきながら、みずからその罠にはまっただけではない。彼は自分たちがいかにひどい打撃
をこうむったのか気づかないのである。彼の細君は労働者たちから最も密やかな類いの侮辱を象徴的に受けたが、彼はそれを理解し
ていない。その頭の鈍さはまさに古典的寝取られ男の特権である。印刷工たちはボッカチオの流儀で堂々と親方をなぶりものに
し、なんら処罰を受けなかった
ところで現代でも猫を虐殺している人がたまに見受けられる。あの手この手で猫をぶっ殺す様子を動画に撮りネット上にアップす
る。それで顰蹙を買ったり、時には逮捕されたりする。先ほども記したとおり殺害するだけならもっと効率的な手段があるはずだ。

現代に蘇った「印刷工」たちは何の目的があってそんな動画を投稿するのか。あるいは逆にこう提起することもできる。我々はなぜ
猫だけを特別扱いするのか?なぜ猫が可愛い仕草をしているだけの写真や動画がニュースとしての価値を持ち、広く配信されるの
か? 猫を殺害して捕まったおっさんを実刑にしろとして署名キャンペーンが行われ16万人分の賛同が集まった。ここ数年いろいろ
大事件があったが、たとえば相模原障害者施設殺傷事件の犯人を吊せという目的の署名が行われた話は聞かない。事実同じサイト
で協力を呼びかけている千葉小3女児殺人遺棄事件の犯人に厳罰を求めるキャンペーンには2500人も集められていない。

これは一体何を意味するのか? リンク先のコメント欄では猫虐待の犯人に対して「死刑でいい」「同じ目に合えばいいと思う」
「猫達が受けた苦しみを全部そのまま味わってほしい」「心底!同じめにあわせてやりたい!」などと敵意をむき出しにしている人
が山ほどいる。しかしその「目障りな奴をぶっ殺してしまいたい」という敵意は犯人が猫に向けていたものと全く同じではないか?
念のために赤字で書いておくがおれは何も猫を虐待するのが正しいなどといっているわけではない。傍観者気取りの冷笑野郎になり
たいのでもない。猫に限らず犬や鳥の虐待・虐殺は動物愛護法や鳥獣保護法に違反しており、懲役を科される可能性がある。法はも
はや「猫の大虐殺」を許さない。だが現代日本において猫や猫の虐待が何を意味するのかを考えるのは決して無意味ではないだろ
う。「逆張り的に、中二病的反発心で可愛い生き物をぶっ殺した」「それに感情的に反応した」だけではない何かがあるはずだ。こ
こまで読んでなお「ムキー! 可愛い猫ちゃんをいたぶるなんて信じられないザマス!」と思った人は、猫好きにとっては衝撃的な
内容なのを覚悟してぜひこの本を読んで欲しい。あるいは逆に、何かの間違いで「やはり猫どもは吊されるべきである」と思いを新
たにしちゃった人も、くれぐれもそんなことせずに一読を勧める。


されど誰がためのブラックジョーク、の巻

「ふしぎの国の世界大戦」にちょっと書いたけど、wikipediaを流し読みしているうちに面白いことを発見したのでちょっと書き記
しておく。1807年、イギリスで奴隷貿易法が成立し、奴隷貿易が違法になった(奴隷制度自体が廃止されたのは1833年)。奴隷の
「密輸」を防ぐため1808年にロイヤルネイビーはWest Africa Squadron、西アフリカ隊とでも言うべき部隊を創設しアフリカ沖に軍
艦を展開させた。1808年から1860年の間に1600隻の奴隷船を拿捕し15万人以上のアフリカ人を解放したとある。創設当初の戦力は極
めて貧弱であり、1818年時点では5000キロに及ぶ海岸をパトロールするのに6隻しか船がない有様だった。翌年には現シエラレオネ
首都のフリータウンに海軍基地が設置され、アセンション島、ついでケープタウンが補給地として利用できるようになる。

取り締まりは徐々に成果を上げ始めたが、密輸業者たちも黙っておらず、ボルチモア・クリッパーと呼ばれる高速船を使うことで網
の目をかいくぐるようになった。これらの高速船をしばしば取り逃がしてしまったロイヤルネイビーは、運良く捕獲した高速奴隷船
を軍艦として用いることで勢力を巻き返した。そのような船の中で最も成功したのが"Black Joke"という名前からしてブラックジョ
ークのような船である。さるブラジル人が1825年に購入したヘンリケッタ号(Henriquetta)は奴隷船として使われていたが、1827
年に英海軍に拿捕された。これを軍艦として再利用したわけだ。海賊船と撃ち合ったり奴隷商人を追い回したりを繰り返し、1年間
で11隻の奴隷船を拿捕したという。1840年代には実用化が始まったばかりの外輪式蒸気船まで持ち込まれ、最盛期には全艦隊と海兵
隊の6分の1(兵員の数なのか船舶の数なのかは分からん)が割り当てられる大所帯になっていた。17世紀には世界最大の奴隷貿易国
だったイギリスが200年後には奴隷制度廃止のために軍隊を動かすんだから歴史は分からない物だ。マッチポンプの感はあるが、自
国の汚点に自分でケジメを付けたという意味では、イギリス近代史において指折りの善行だろう。

「ふしぎ」でも取り上げたが、奴隷制度が廃止されたのも最初の実効力のある工場法が制定されたのも共に1833年のことだ。ロイヤ
ルネイビーは拉致され奴隷になりかけた人間は助けてくれたが、過酷で危険な長時間労働にあえぐ賃金労働者は助けてくれなかっ
た。ひょっともすると、そこまで含めて「ブラックジョーク」なのかもしれない。


「リッツパーティ」と「おやつはリッツ」の間に、の巻

この頃突然、リッツパーティーというものに矛盾を感じるようになった。リッツパーティーとはリッツのCMでやっているようなリッ
ツに何でも乗せて食べる立食形式のパーティーのことだ。プレミアムクラッカーでも似たようなことを宣伝していた。だが何か違和
感がある。ホームパーティー、それもクラッカーを囓るだけの優雅でおしゃれで奥ゆかしい軽食パーティーなんて、君は出席したこ
とあるか?日本で庶民がする軽食パーティーというのは、「町内会の打ち合わせついでに肴とビール」「子供会のイベントの後にお
菓子とジュース」なんてレベルじゃないのか? あるいは万難を排して「馬肉スモークとマヨネーズと一味唐辛子」とか「丁字麩と
赤こんにゃくのからし酢みそ和え」なんていう舌を噛むほど長いリッツを用意し、シャンパンやワインを片手におセレブなパーティ
ーを開催したとする。しかしおそらく、そこに現れるのは「金と手間の掛かった酒盛り」「SNSへアップするための自意識と承認欲
求がダダ漏れな撮影会」であって「ハイソで華麗でエレガントなパーティー」ではないだろう。

ここからはおれの想像だけで書くが、本当のセレブはリッツなんぞが出るようなホームパーティーなどしないし、リッツを食べる庶
民はお上品なホームパーティーに縁がない。上記のCMのような「子どもからお年寄りまでがそれぞれ具材を持ち寄ってリッツを食べ
るパーティー」なんて話もどうにもうさんくさく、現実的には「乾き物や缶詰やお菓子のように開けてすぐ食えるもの、手間を掛け
てもせいぜいレンチン調理くらいで済むものを職場や友人同士で持ち寄って飲み食い」といったあたりに落ち着くんじゃないだろう
か。要するに、「ちょっとアレンジしたリッツが出てくるパーティー」と「CMみたいなリッツパーティー」には結構な開きがあるの
ではとおれは言いたいのだ。想像を飛び越えて妄想の領域にまで話を広げると、ナビスコ(今はモンデリーズ)は「どうせお前らは
リッツパーティーなんてしねぇんだろ?」と高をくくった上であえて小難しいレシピを公開しているのではないだろうか。やれ穴子
の天ぷらだ、うずらの目玉焼きだ、さすの昆布じめだ、などとクラッカーに乗せて食うにはどうにも手間の掛かるレシピをわざと公
式サイトに乗せる。可哀想な庶民は「リッツパーティーって凄いんだ!」と勝手に勘違いしてくれる。そうしてブランドイメージを
維持する……。まー、流石にここまで来ると陰謀論の領域だが。

ところでこの文章には一つ重大な欠点がある。もし「リッツパーティー? しょっちゅうしてますよ」という人間が世間の大半を占
めていた場合、図らずもおれが社会の最底辺の階級に属することを全世界に公言してしまうことだ。毎週末、日本中の人間が
神戸ステーキ牛とわさび」を乗せたリッツを食べながら「大学生の娘にベンツをせがまれましてね、ハハハ」なんて会話をしている
のだとすれば、おそらくおれの精神はその現実に耐えられない。リッツを食うのか。リッツに食われるのか。それが問題だ。


奪われたのは犬だけではない、の巻

かなり前の話なので覚えている人も少ないだろうが、パリで動物愛護団体がホームレスの男性から犬を奪い去るというニュースがあ
った。日本のメディアでは少し触れられただけであり(こことかここ)、そもそもそんな事件知らないよという人の方が多いだろ
う。本題に入る前に事件のあらましをここから引用してちょっと説明する。

2015年9月19日、フランスの動物愛護団体「Cause Animale Nord」のメンバーがホームレスの男性(厳密には住所不定者)から犬を
奪い去るという事件が発生した。一部始終は第三者によって撮影されており、その動画がfacebookに投稿されると5日間で180万回以
上視聴され、愛護団体への非難が巻き起こった。翌20日、愛護団体はfacebookに保護した犬にVeganと名前を付けたこと、そしてこ
の犬の里親を募集するとの内容の投稿を行った。当然のごとくこの投稿は炎上し、その後削除された。事件が起こってから数時間後
にはオンライン署名サイトChange.orgに当局による調査を求める請願キャンペーンが立ち上がり、最終的には25万人近い署名を集め
た。

22日、愛護団体の会長が公式の声明を発表。男性ホームレスが物乞いに利用するために犬を使っており、犬をおとなしくさせるため
に薬漬けにし、さらに予防接種を受けさせていないと主張。加えて警察に訴えたが何もしてくれなかったため犬を保護したと正当性
をアピールした。しかしネット上からの度重なる要求にも関わらず薬漬けにしたという証拠を提示しなかったこと、そもそも団体が
21日に投稿した動画では犬が元気そうに走り回っていたことから、反発を強めるだけに終わった。

23日、団体はfacebookのページを更新。再び犬の里親を募集することを発表した。しかし今度は195ユーロの「里親料」を支払えと
の一文が付け加えられておりさらなる炎上を招いた。この投稿は数日後に削除された。24日、Vincent Defivesというフランス人男
性が件のホームレスを探しだし接触に成功。ホームレスの男性はロマであるため言葉のやりとりに問題があったそうだが、このホー
ムレス(Ulianeという名前であることが後に判明した)のために大勢の人が動いていること、募金活動や弁護士による支援運動も行
われていることを伝えられるととても喜んだという。同日、フランス国家警察がfacebookの公式アカウント上にてこの事件の動画に
ついて繰り返し通知されたこと、ホームレス男性への暴行と盗難の容疑でCause Animale Nordに対する調査が開始されたことを発表
した。この投稿には2時間で5000いいね!が付いたという。

国家警察が個別の事件についてコメントするわけであり、いやが上にも世間の注目を引くこととなった。リベラシオンやルモンドと
いった新聞メディアもこの事件を伝え始め、良くも悪くも「炎上」は規模を拡大していく。一週間後の10月1日、警察はCause Anima
le NordのリーダーAnthony Blanchardを取り調べのために拘留した(custody for questioning)。彼は盗難については認めたが、暴
力行為については否定した。最終的には犬をホームレス男性に返還することを条件として拘束を解かれた。翌2日、ついにホームレ
ス男性と犬は再会することができた。その写真がこちら

最終的にホームレスは子犬を取り戻し、頭のおかしい動物愛護団体にはお灸が据えられたわけだ。めでたしめでたし。

……本当にそんな雑な結論でいいのか? この話はそんなに単純なものか? もっとえげつない物が見え隠れしてはいないか? 愛
護団体は「ホームレスの男は物乞いに犬を利用しており、犬を薬漬けにしていた」という理由で奪った。結局何の証拠も示されなか
ったが、百歩譲ってその主張が本当だったとしよう。この主張の元で犬をホームレスから引き離す――それはホームレスに飢えて死
ねと言っているに他ならない。この団体がホームレス男性にシェルターに入れるよう手配したとか、物乞いのための新たな道具をプ
レゼントしたとかいう話は聞かない。相手が乞食だろうと浮浪者だろうと、生命をつなぐための道具を奪うことを肯定していいのか?

Cause Animale Nordのメンバーはきっとこう言って反論するだろう。「いや、ホームレスの連中は犬を薬漬けにして利用できるだけ
利用したら捨てるに決まっているし、どうせろくなエサも与えていないさ」。だったらなおさらホームレスの救済を優先するべきだ。
そうすれば「物乞いに使うために薬漬けにされる犬」を減らすことが出来る。愛護団体が何度犬を奪おうと、ホームレスがいる限り
(そして野良犬がいる限り)「薬漬けにされた犬」とやらがなくなることはない。この事件がおれの記憶に残っていたのは、動物愛
護団体が図らずも「人間の命よりも犬猫の命の方が大事であると行動によって主張してしまったから」だと思う。もし時間と法律が
それを許すのなら、彼らは喜んでパリ中のホームレスから犬猫その他ペットを強奪するだろう。

同じことはおそらく日本にも当てはまる。ホームレスより野良犬・野良猫の方に優しくする人間の方がたぶん多い。家の近くの公園
に犬が2匹住み着くのとホームレスが2人拠点を構えるのとでは、あなたの反応は全く異なるものになるだろう。気持ちは分かる。お
れだっていい顔はしない。警察には通報せずとも役所には相談すると思う。ネット上に「犬畜生の命より人間の命の方がはるかに大
事だろ!」とヒューマニズムあふれる文章を書き込んでホームレスの人権を擁護するのは実にたやすい。しかし現実にはどうだ。小
銭を渡すどころか目も合わせないのではないか。あれほど口を酸っぱくして批判していた「想像上のステレオタイプ的動物愛護団
体」とおれには、「ホームレスから犬を奪うか否か」という程度の差しかない。人から物を盗らないことを自慢したってどうにもな
らない。不良生徒が「俺達ホームレスを襲撃しませんでした、偉いでしょ?」と言うようなものだ。

自分自身が人に説教できるほど偉くもなければ、憤っていた相手と本質的にはさほど変わらない……。そのことを痛感させられて
布団の中で丸くなっている。




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最終更新:2021年06月14日 07:35