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近況

ロバート・ダーントン「猫の大虐殺」を読んだ。タイトルからしておどろおどろしいが、中身はいたってまじめな歴史・文化史の本
である。本書は4つの論文で構成されているが、一番興味深いのはやはりタイトルにもなっている「猫の大虐殺」である。(以下の
括弧内は本文の引用)

1730年代のパリ。とある労働者街から一夜にして猫が消えた! ただ消えただけではない、印刷職人たちによって皆殺しにされたの
だ。貧しい住まいと長時間労働に苦しむジェロームとレヴェイェという二人の従弟奉公が話の主役だ。彼らに与えられる報酬と言え
ば親方の残り物だけなのだが、この残飯は調理人がこっそり横流ししており、従弟には猫のエサを与えていたのである。しかしそれ
は野良猫でさえ食べるのを拒否する代物だった。当時印刷業界の親方、少なくとも印刷工たちがブルジョワと呼ぶ人々の間では猫を
飼うことが人気であり、あるブルジョワは25匹の猫を飼い、その肖像画を書かせ、焼いた鶏肉をエサとして与えていたそうだ。人間
より猫の方が良いものを食っている! それだけではない。従弟たちは一晩中屋根でうなり声を上げる野良猫どもと対決しなければ
ならなかった。一日の仕事が始まる前から彼らはクタクタだったのだ。従弟はついに切れた。物まねに長けているレヴェイェは親方
の寝室まで屋根の上を這っていき、一晩中にゃーにゃー鳴き声やうなり声を上げ続けた。親方夫婦は数日にわたって一睡もできない
夜を過ごし、すこぶる信心深い親方はついに自分たちに魔法が掛けられているのだと思い込んだ。彼は二人の従弟に猫どもを一掃す
るよう命じた。このとき猫好きな親方の細君はお気に入りの灰色猫だけは絶対に痛めつけるなと言い聞かせた。二人の従弟は早速印
刷工たちの協力を得て大喜びで「猫の大虐殺」に取りかかった。まずは灰色猫に鉄棒をお見舞いして背骨を砕いた。その死体を排水
溝に隠している間、職人たちは手当たり次第に猫を棍棒で殴りつけた。逃げ出した猫も罠に引っかかって捕らえられた。職人たちは
死にかけの猫が大量に詰まった袋を中庭に放り投げると、「印刷工場の全員が集合し、それぞれ護衛兵、聴罪司祭、死刑執行人など
の役を務めながら模擬裁判を開始した。彼らはまず動物たちに有罪の判決をくだし、最後の儀式を施してやったあと、即席の絞首台
に吊した」。労働者たちが爆笑しながら裁判を演じているところに細君が現れ、金切り声を上げた。次いで、絞首台にぶら下がって
いるのが灰色猫かもしれないと思った。労働者たちは「もちろん違いますよ」と請け負う。「ご主人のご家庭には常々敬意を払って
いますから、そんなことをするわけがないじゃありませんか」そこに親方が姿を現した。彼は労働者たちが仕事をほっぽり出してい
ることに怒り心頭だったが、細君はそんなことよりもっと重大な「反抗」に自分たちが直面しているのだと説明した。やがて親方夫
婦は歓喜と混乱と笑いで狂騒状態の労働者を残して撤退した。笑いはこれで終わらず、以後数日の間に渡り少なくとも20回、最初に
猫の鳴き真似をした従弟によって虐殺事件の全場面が物まねで再演されたという。

ここまで読んでいやーな気分になった人もいるかもしれない。事実著者も「現代の読者は、この事件にあからさまな嫌悪を感じない
までも、面白いとは全然思わないだろう」と書いている。しかし「可愛い猫ちゃんを殺すなんて許せないザマス!」なんてヒステリ
ーを起こしても何も学べやしない。一体全体、労働者はなぜ猫を殺したのか。まず考えられるのは、それが親方たちに対する間接的
な攻撃であったことだ。資本主義の芽が萌え出はじめた当時、ブルジョワと労働者にはすでに隔絶たる生活の差があった。従弟は労
働者よりさらに生活が苦しかった。人間が本来位置するべき場所に猫が居座っており、猫の虐殺がブルジョワへの意義申し立てにな
る。「親方たちは猫を愛している。したがって、職人は猫を憎むのだ」。ここまではすんなり想像できる。しかしそう考えると二つ
の謎が浮かぶ。ひとつは、なぜ猫を殺すことがそんなに重大な抗議を意味するのかである。親方夫婦が猫をかわいがっていたことは
事実だが、ある程度は織り込み済みで猫の駆除を指示したはずだ。身体や財産を直接攻撃したわけではないにも関わらず、なぜ親方
と細君は自分たちへの反抗だと受け取ったのか。そしてもう一つは、猫を殺したいだけならもっと手軽で効率の良い方法がいくらも
あるはずということだ。なぜ労働者は模擬裁判を行い、死刑判決という形で猫を吊したのか? 当時の社会において猫は何を意味し
ていたのか。

著者に寄れば、18世紀前半の時点ですでに資本主義はその本質をむき出しにしつつあったようだ。印刷職人たちは親方が「アルウ
ェ」という無資格の臨時労働者をばかすか雇用し始めていることに脅威を感じていた。アルウェは安くて交換可能な労働力以外の何
物でも無い。ただでさえ不安定だった職人の生活はますます不安定になり、1週間で工場内の顔ぶれが変わってしまうことも珍しく
なかった。親方と職人が同じ屋根の下であたかも家族のように仲良く暮らし、同じ仕事をして同じ食卓を囲む生活などというのは当
時でさえ過去のユートピア扱いされていた。「職人も従弟もみな働いている。親方と奥さんだけが甘い眠りをむさぼっている。それ
がジェロームとレヴェイェを憤慨させたのだ。二人は自分たちだけが惨めな思いをするのは厭だと考えた。親方と奥さんにも仲間
[アソシエ]になって欲しいと思ったのだ」。親方と職人が一緒に働いていた「神話」を取り戻すために彼らは猫を殺したのだとい
う。しかしなぜ猫を?

実のところ「動物、特に猫を虐めることは近世初期のヨーロッパに広く流行した娯楽であった」「文学上の動物虐めは、けっして少
数の頭のおかしな作家の気まぐれなサディズムの産物ではなく、むしろ民衆文化のそこに流れるひとつの傾向の表現なのである」。
「すなわちサン・セヴラン待ちでの猫虐殺の儀式には、なんら異常なところがなかったことである。それどころか、ジェロームと彼
の仲間たちが街の猫を残らず吊そうと試みたとき、むしろ彼らは自己の文化の共通概念のひとつに基づいて行動していたのである。
それでは、その文化は猫にどのような意味を賦与していたのだろうか」近世初期、庶民はカーニバル(謝肉祭)が来ると社会の秩序
を裏返したようなバカ騒ぎで祭りを祝った。その行事の中に嫌がらせの儀式[シャリヴァリ]というものがあった。新婚者などの家の
外で鍋釜をぶったたいて騒いだり、寝取られ男、女房に殴られている亭主、はるか年下の男と結婚した花嫁、そのほか伝統的な規準
に違反している人々を嘲笑して回るものだ。このような嫌がらせの儀式のなかで猫が重要な役割を果たす場合がある。ブルゴーニュ
地方では猫の拷問がこのどんちゃん騒ぎの一環をなしていた。また猫は魔力や魔女と結びつけられていた。「百姓たちは、夜、猫に
すれ違うとしばしば棍棒で殴りつけたが、翌日、魔女と信じられている女の身体に打ち傷がついていた。少なくとも、村の伝承では
そう語られている。村人たちはまた、納屋で見知らぬ猫を見つけた百姓が、家畜を救うためにその猫の四肢を折ったという話も伝え
ている。この場合も、疑いをかけられている女の脚が、翌朝折れているのが発見された」。さらに加えて「猫の力は日常生活の最も
内輪の部分、すなわちセックスに結びついていた」「猫が生殖と女性のセックスとを暗示するのは、フランスのいずこにおいても同
じである。娘たちは、『猫のように恋をする』と一般にいわれ、妊娠すると、『猫をチーズのところに生かせた』と評された。また
猫を食べると妊娠すると信じられていた。猫をシチューにして食べた娘たちが、仔猫を産むという民話も幾つか存在する。ブルター
ニュ北部では、正しい手順で猫を埋めるならば、病気の林檎の木に実をつけさせることもできるといわれている」。このイメージが
さらに拡大され、猫から寝取られ男が連想されるようになる。

そんなこんなで「旧制度下のフランス人は、猫のうなり声を効くと直ちに魔女、夜の饗宴、寝取られ男、嫌がらせの儀式、虐殺を連
想した」親方の細君には愛人がいたようだ。老いぼれの親方、中年の細君、若い愛人という典型的な三角関係のパターンにぴたりと
符合し、親方は寝取られ男というおきまりの滑稽な役を振り当てられる。猫の虐殺はこの寝取られ男を嘲笑する嫌がらせの儀式[シ
ャリヴァリ]でもあった。謝肉祭の最終日には模擬裁判と処刑が茶番のひとつとして行われる。通常「藁人形のカーニヴァルの王」
が裁判に掛けられて処刑されるのだが、印刷工たちはそれをアレンジし、親方に対する派手な模擬裁判を行う嫌がらせをして日頃の
恨みを晴らしていたそうだ。というのも、公然と反抗すれば当然解雇の危険があったからだ。そこで労働者たちは模擬裁判という
「不在裁判」でブルジョワを断罪した。すなわち象徴を用いて自分たちの意図を示し、かつブルジョワからの報復を避けたのであ
る。
労働者たちは念入りな儀式を踏んで猫どもを処刑することで、親方の家を断罪し、ブルジョアに有罪を宣告したのである。従弟を
酷使し、不十分な食物しか与えない罪、仕事はすべて職人に押しつけ、自分は贅沢に暮らしている罪、一世代か二世代むかしのよう
に、あるいは印刷業初期の原始的な『共和国』の頃のように、労働者とともに働き、ともに食べることをせず、自分は仕事場から引
っ込んでしまい、工場を<アルウェ>で満たした罪など、弾劾の内容は広範囲である。労働者たちの批判は、親方から親方の家族、さ
らに印刷業界の制度そのものにまで及んでいた。彼らは半殺しの猫どもを裁き、懺悔させ、絞首刑に処することで、法律制度と社会
秩序をも嘲弄していたのかもしれない
まだ終わらない。「象徴としての猫は暴力と同時にセックスを喚起するが、この両者の組み合わせは親方の細君を攻撃するのに最適
である」。細君と細君お気に入りの灰色猫を同一視し、加えて先ほどのように猫とセックスを結びつけた上で猫を殺害する。すると
以下のような意味合いが生まれる。
細君は猫の処刑を目にするやいなや金切り声をあげる。さらに灰色猫が失われたことに気づいて、呆然としてしまう。労働者たちは
敬意を装って、彼女に自分たちの誠意を請け合う。そこへ親方が到着する。「『ああ、この悪党ども、仕事を放り出して猫を殺して
いるのか』。マダムがムッシューに訴える。『この悪人たちは親方を殺すことができないので、私の猫を殺したのよ』。彼女にとっ
ては、労働者たち全員の血をもってしてもこの侮辱を償うには足りない」。これは象徴的な侮辱である。現代の学童が「おまえの母
親のガードル」といって嘲弄するのに似ているが、それよりはるかに激しく、また卑猥である。労働者たちは親方の細君の猫を襲う
ことで、彼女を象徴的に犯したのだ。同時に、親方には最高の侮辱を与えたことになる。猫が細君の宝物であるように、細君は親方
の宝物である。労働者たちは猫を殺すことによって、ブルジョアの家の秘密の貴重品を冒涜し、しかも罰を逃れている。
それがこの猫虐殺の儀式の絶妙な所であった
猫殺害の意味と意義を著者はこうまとめている。
労働者たちが猫の虐殺に大笑いしたのは、この事件がブルジョアに逆捩じを食わせる絶好の機会を提供してくれたからだと考えて良
いだろう。彼らは猫の鳴き声を真似てブルジョアを悩まし、猫狩りの命令を出させた。次いで、猫の虐殺を利用して象徴的に彼を裁
判に掛けた。その罪状は不当な工場経営である。労働者たちはまた、この虐殺を魔女狩りにも活用した。すなわち、魔女狩りを口実
に細君の手先の猫を殺害し、彼女自身を魔女だと仄めかしたのである。最後に、彼らは虐殺事件を嫌がらせの儀式[シャリヴァリ]に
発展させた。これによって親方を寝取られ男として嘲笑するとともに、細君を性的に侮辱した。ブルジョアは見事なまでに愚弄され
てしまった。自分で猫狩りの命令を出しておきながら、みずからその罠にはまっただけではない。彼は自分たちがいかにひどい打撃
をこうむったのか気づかないのである。彼の細君は労働者たちから最も密やかな類いの侮辱を象徴的に受けたが、彼はそれを理解し
ていない。その頭の鈍さはまさに古典的寝取られ男の特権である。印刷工たちはボッカチオの流儀で堂々と親方をなぶりものに
し、なんら処罰を受けなかった
ところで現代でも猫を虐殺している人がたまに見受けられる。あの手この手で猫をぶっ殺す様子を動画に撮りネット上にアップす
る。それで顰蹙を買ったり、時には逮捕されたりする。先ほども記したとおり殺害するだけならもっと効率的な手段があるはずだ。

現代に蘇った「印刷工」たちは何の目的があってそんな動画を投稿するのか。あるいは逆にこう提起することもできる。我々はなぜ
猫だけを特別扱いするのか?なぜ猫が可愛い仕草をしているだけの写真や動画がニュースとしての価値を持ち、広く配信されるの
か? 猫を殺害して捕まったおっさんを実刑にしろとして署名キャンペーンが行われ16万人分の賛同が集まった。ここ数年いろいろ
大事件があったが、たとえば相模原障害者施設殺傷事件の犯人を吊せという目的の署名が行われた話は聞かない。事実同じサイト
で協力を呼びかけている千葉小3女児殺人遺棄事件の犯人に厳罰を求めるキャンペーンには2500人も集められていない。

これは一体何を意味するのか? リンク先のコメント欄では猫虐待の犯人に対して「死刑でいい」「同じ目に合えばいいと思う」
「猫達が受けた苦しみを全部そのまま味わってほしい」「心底!同じめにあわせてやりたい!」などと敵意をむき出しにしている人
が山ほどいる。しかしその「目障りな奴をぶっ殺してしまいたい」という敵意は犯人が猫に向けていたものと全く同じではないか?
念のために赤字で書いておくがおれは何も猫を虐待するのが正しいなどといっているわけではない。傍観者気取りの冷笑野郎になり
たいのでもない。猫に限らず犬や鳥の虐待・虐殺は動物愛護法や鳥獣保護法に違反しており、懲役を科される可能性がある。法はも
はや「猫の大虐殺」を許さない。だが現代日本において猫や猫の虐待が何を意味するのかを考えるのは決して無意味ではないだろ
う。「逆張り的に、中二病的反発心で可愛い生き物をぶっ殺した」「それに感情的に反応した」だけではない何かがあるはずだ。こ
こまで読んでなお「ムキー! 可愛い猫ちゃんをいたぶるなんて信じられないザマス!」と思った人は、猫好きにとっては衝撃的な
内容なのを覚悟してぜひこの本を読んで欲しい。あるいは逆に、何かの間違いで「やはり猫どもは吊されるべきである」と思いを新
たにしちゃった人も、くれぐれもそんなことせずに一読を勧める。




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