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近況

津野海太郎「物語・日本人の占領」を読み終わった。日本占領下のフィリピンについて書かれた本だが、誰それが強制連行されたとか
どこそこで住民の虐殺があったとかいう物騒な話ではなく、「支配者」としての日本人が何を考えていたか、スペイン・アメリカ・日
本と支配者が移り変わっていく中で「被支配者」フィリピン人が何を考えていたかを扱った話だ。維新を経て西洋化・近代化を成し遂
げた日本とアメリカの「保護」の下で西洋的な文化と風習を咀嚼したフィリピンという二つの「脱亜」のぶつかり合い、互いに互いを
野蛮なアジア人として見下す話でもある訳だ。そのうち書評としてまとめたいが、個人的にもうどうしようもないものを感じた部分を
抜粋してお茶を濁す。

1942年のマニラ、ケソン大通りにあったライフ劇場での一コマ。人気コメディアンのプゴとトゴが劇場に上がる。カーキ色の軍服を着
たトゴが一言。「ぼくが何国人か、あててみな」。プゴが返事をして「イタリア人のまねだろ?」
「ちがう」
「ロシア人?」
「ちがう」
「インド人?」
「ちがう」
「中国人?」
「ちがう」
「ナチ?」
「うん、いい線行ってるぞ」
ここでトゴが気をつけの姿勢を取り、袖をまくり上げる。両腕の肘の所まで腕時計が何十個もはめられている。さらにズボンをまくり
上げるとそこにもたくさんの腕時計。プゴが「ああ、わかった。日本人だ」とオチを言う前に観客は大笑い。二人はその日のうちに
「ケンペイタイ」に連行されみっちり油を絞られたあげく、トゴは東郷元帥の名を汚すと訳の分からないことを言われ今後は芸名をト
ギンとプギンに変えるよう命じられた。事件は瞬く間にマニラ中に広まり、二人はちょっとした英雄になったそうである。

おくれた国家の兵隊がすすんだ国家を侵略すると、そこでかならず腕時計の略奪がはじまる。腕時計の略奪は近代戦争に特有の神話的
イメージのひとつであるといっていい。敗戦の年の旧満州や樺太で、ソ連兵たちが先をあらそって日本人の腕時計を強奪したというた
ぐいの話を、子どものころから私もなんどとなく聞かされてきた。熊みたいに太い毛むくじゃらの腕にいくつもはめられた男ものや女
ものの腕時計は、ロシア人の貧しさと野蛮さをさししめす記号として理解された。この種の話をくりかえすことによって、私たちは文
明化された日本人は腕時計を奪われる側ではあっても、けっして奪う側ではありえないと考えることに慣れてきたように思う。食料を
まきあげ女を犯すかもしれない。ひとつの村をまるごと焼きつくすことだってやるだろう。しかし日本人は腕時計だけはとらないので
ある。プゴとトゴによって演じられた腕時計の場面は、こうした日本人の自己イメージをかんたんにひっくりかえしてしまう。誤解の
余地はない。これまで私たちがなんどもくりかえしてきた「自分の物語」の型によって、ただしここでは、ほかならぬ日本人が野蛮で
貧しい民族としてまっすぐ指名されているのだ。しかも、われわれよりはるかにおくれた民族であるはずのフィリピン人によって。

もう一コマ。国民のバンザイの声や衆参両院からの感謝決議に見送られて帰国したマッカーサーが、直後に上院の委員会で「東洋人は
勝利者に追従し、敗者を軽蔑する傾向がある」「日本人の精神年齢は12歳」と発言したことに対して、少なくない国民がいらだち、失
望、不愉快さを感じた。占領者が被占領者を馬鹿にするのはままあることとはいえ、なぜここまで反発したか。それは国民が彼を「偉
大なおやじ」(『朝日新聞』天声人語)と思っていたからである。偉大だと思っていたからこそ「名誉国民」の称号を送るために「終
身国賓に関する法律案」が閣議を通ったり、東京に「マッカーサー元帥記念館」を建設するための準備が進められていた。しかし…
…。

もういちどトレンティーノの「昨日、今日、明日」を思い出して欲しい。アメリカ植民政府を象徴するバゴンシボルという人物が「わ
れわれの援助なしに諸君は生きていくことができない」とフィリピン人にせまる場面が、あの戯曲の最後の山場をかたちづくってい
た。この台詞は、「フィリピン人が独立国の国民にふさわしい能力を獲得したら、ただちに独立をあたえる」というフィリピン委員会
タフト委員長の一九〇〇年四月の声明を下敷きにしたものだった。自治能力を欠いた国民が百鬼夜行の国際政治のなかを生きのびて行
くためには、親切なおとなの保護が必要である。そう断定することで、アメリカ人は太平洋におけるかれらの位置を正当化しようとし
た。しかし、ながいあいだ植民地住民として生きてきたフィリピン人は、この種の約束にはすでにあきあきしていた。したがって「あ
なたたちもかつてはイギリスの助けをこばみ、自分の足で立つ決心をしたではないか」という戯曲の女主人公の反論がしめすように、
新来の支配者が発する恩きせがましいことばの詐術をうちやぶること――それが即時独立をねがうフィリピン人にとっての第一の課題
になった。アメリカによる同化教育というのは、なによりもまず、このような反論を時間をかけて消滅させていくための教育だったの
である。
かれらの計画はみごと図にあたって、おおくのフィリピン人がアメリカ合州国との「特別な関係」(コンスタンティーノ『フィリピ
ン・ナショナリズム論』)という神話を、なんの抵抗もなく信じるようになった。この神話を背景に、父親としてのマッカーサーにた
いする精神的な血縁意識が生じてくる。このフィリピンで成功をおさめた支配の技術を、マッカーサーは戦後の日本にそのままのかた
ちで適用しようとした。そして六年ののち、案の定、日本人はかれを「偉大なおやじ」という愛称で呼ぶようになった。だからこそ、
かれも安心して日本人を「十二歳の少年」と呼ぶことができた。勘定はそれでピタリと合っていたのである。
にもかかわらず、日本人はマッカーサーの発言に苛だち、とまどい、腹を立てた。日本にとってのアメリカがそうであるように、アメ
リカにとっても日本は特別の存在なのだという神話が、こともあろうに、当の神話の直接の作者ともいうべき人物によってくつがえさ
れてしまった。おそらくはそれが日本人の苛だち、とまどい、腹立ちの第一の理由だったのだろう。かつてのフィリピン人同様、戦後
の日本人もそれほどまでに深くアメリカ合州国との「特別な関係」を信じたがるようになっていたのである。それだけではない。思い
がけず「偉大なおやじ」に十二歳のガキ呼ばわりされた瞬間、まだ気持の奥深いところに淀んだままになっていた過去が不意によみが
えってきた。よみがえったのは、自分たちが大アジア一家の「偉大なおやじ」――いや、より正確には、精神的な兄として他国の人々
を十二歳の子どもあつかいしていたころの苦い記憶である。

米比関係・日比関係・日米関係はそれぞれがそれぞれの似姿なのかと思うと色々感じ入るところがあるが、語彙力が足りなさすぎて表
現しづらい。ぶっちゃけおれが細々書くより実際読んでもらった方が速いな!





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