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その時歴史が動いた…り、しない?


日本には陰腹という文化があったらしい。あらかじめ自らの腹を切り、「もう半分死んでいる、助かる見込みのない人間」となることで
格や身分を超えた発言権を手に入れるという行為だそうだ。社会的地位のある人間はその地位が自動的に発言の正当性を保証してくれる。
すなわち「白を黒と言う」事が出来るわけだ。地位のない人間はどうするか。発言に「もう引き返しようがないこと」すなわち命をセットにすることで
ようやく注目を受け発言を認識される。日本古来の自殺文化と言おうか、死地ギリギリまで踏み込んだ*1主張の仕方だ。

さて、21世紀の日本ではなんとこの陰腹が復活しつつあるらしい。と言っても会社や組織の為に命を犠牲にする訳ではない。
復活しつつあるのはいわゆるサブカル、平たく言えば漫画やゲームを愛する人々、正しい日本語を使えと言うならオタクの世界において、だ。

自分の発言に「重み」が付与される程度に名のある人物ならば、その発言は嫌が応にも慎重にならざるを得ない。
ネットが普及したおかげで特定個人の発言は永久に残り続けるし、「反論」に身を晒さねばならない。
無名で匿名な人物*2なら勝手気ままに好き放題物事を言えるが、そこに価値や権威はまるで無い。
説得力ある理屈を展開できれば意見のひとつとして認められもしようが、それすらも出来なければ「お前の好みなんか知った事じゃない」と
ばっさり切られてしまう。タチが悪い奴になると、常識だとかマナーだとか言う単語を引っ張り出してきて
「いや俺の好みの問題じゃないし。常識的な問題だし」なんて予防線を張ってみたりもする。

で、

自分をクールに装いつつ前述の「もう引き返しようがないこと」を手に入れるにはどうすればいいのか?
それだけではない、世間に自分の主張を兼ねた強烈なインパクトを与えねばならないのだ。その主張は分かり易くなくてはならない。
答えは簡単だった。「対象物を完膚無きまでに破壊してしまう」事であった。これなら命を投げ打ってまで主張しなくても、
身銭を切るだけで済むし、個人が特定されることもほぼ無い。こういう事を平気でやったってバレはしないのだ。
時々自分の名前と地位を公開した上でやらかす奇特な人もいるが。

さて、漫画やゲームを粉々にしようが煮て喰おうが八つ裂きにしようが釘を打ち込もうが電子レンジに入れようが
どうこうするのは身銭を切って購入した以上個人の勝手だが、それを写真に収めたあげくネットで公開して、どうなるというのか?

一応「カッとなってやった行為で抗議の意味はないんですぅ」との言い訳も可能だし、そういう人も多分いるのであろうが、
わざわざネットにアップする時点で、何らかの主張を持っているだと見なされる事を回避できない。

ヤケクソ的だろうがヒステリー的だろうが本質的にみみっちぃ事だろうが
「取り返しの付かないこと」をやってのける事で自動的に発言に重みが出る。上手くいけば正当性のある意見と見なされる。
でなくとも、騒ぎが起これば議論も起こる。誰かが勘違いしてくれて自分の意見に賛同しよう物なら最高だ。
世間≒インターネットという訳ではないが、そういったサブカルを語るコミュニティの多くがネット上に存在するのだから、
良くも悪くも効果的に火の手は広がっていく。ついでに自分の自尊心を満たす事も出来よう。「反論が無いなら俺の勝ちだ!」と虚しく踊る権利すらある。
とにかくお手軽に目立つ行為をしたいのだから、その作品をぶっ壊してみるというのは単純でわかりやすい。
写真を撮ってネットに流すのも、携帯電話とパソコンがあればすぐだ。目立てばそれでいいという点で、他国の国旗を燃やしてみるのと根本は同じだ。

だが、この行為には重大な欠点がある。陰腹しかり作品デストロイしかり、このコミュニケーションは絶望的に正しく伝わらない。
当てつけで自殺*3したり漫画を破ったところで、それをどう解釈するかは他人にゆだねられている。
火の手が広がる速さこそがこの行為の特徴であり、大量に生み出された意見や議論、誰かの反論に名乗りを上げて反撃することはノイズの海に阻まれて難しい。
例えばブログなんかで「実はこれには深い理由が……」なんてエントリを書くことは出来るが、だったら最初からそうしろよと言われて終いだ。
まともな意見交換は成り立たず、ひたすら炎上を繰り返すに決まっている。壊した後に、あるいは壊すと同時にそれなりの説得力のある
文章を付け加えたとしても、余計な行為であるのは否めず、無駄な火種を蒔く以上の意味は存在し得ない。
インパクトを勝手に受け止められ、2chにスレッドが立ったりブログに書かれたりこんなコラムに取り上げられても、もはや自分の真意を伝えることは出来ない。
知らないところで自分のやった行為について勝手にあれこれ言われ、しかも弁明の余地はない。それは自分がまさしく死んでいることに他ならない。
行為の解釈が正しく行われず、また双方向の意見交換が出来ない*4時点でもはやコミュニケーションとは言えない。
割られたディスクを見て「何かが気に入らなかったんだな」以上の感想が他人から生み出されることはない。やった本人も、最初はすっきりするだろうが
自分の主張が全く異なった形で認識される様子を見ればどのみちストレスがたまる。恐ろしく不毛な行為だ。

しかも。

ディスクやマンガをぶっ壊してしまう行為が、そのあまりの簡単さ故に散々繰り返されたせいで、最早誰もこの行為に新鮮さや驚きを感じなくなってしまった。
今ディスクを割って見たところで、「ああ、またどっかの基地外が暴れてるんだな」と言われるだけだ。
その内、「気に入らないゲームディスクを片っ端から割る人/ブログ」なんてのが出てくると思う。自殺は文化なんて物騒な言葉を出さなくとも、
作品デストロイが陳腐化してしまえば、セットとしてくっついている主張も自動的に陳腐化してしまう。
そうなれば、割ったり破ったりしたものをネットにアップする行為は自慰以外の何者でもない。

ソクラテス曰く「大工と話すときは大工の言葉を使え」だそうだ。主張は自分だけでは完結せず、他人に受け取られ理解され初めて「私の」主張となる。

文字でのやりとりは、書いてあること以上の中身は受け手が想像するしかない。自分の意見を正しく伝えるためには、多少の面倒と気苦労を背負ってでも、
根気強いやりとりと丁寧な言葉遣い、誰もが納得できる論理が必要だ。投げっぱなしでは頂けない。
幸い、ネットなら匿名でも顕名でも意見の交換が出来るし、運が良ければ話を真摯に聞いてくれるだろう。

だから漫画を破ったりDVDを割る暇があったら、ブログにでもチラシの裏にでも自分の意見をまとめて、平和的な手段で他人に見て貰っては如何か。
目の前の箱を無価値な煽りと叩きとAV機器として使うだけでは相当に勿体ないではないか。




まとめる。

  • 作品デストロイはひたすらにインパクト重視の行為である
  • インパクト重視過ぎて言いたいことが全く伝わらない
  • しかも最早そのインパクトも無くなってきた
  • 普通の手段で平和的に意見主張出来ない物かね


参考

3ToheiLog: 武士のハラキリと生徒の自殺文化
http://semiprivate.cool.ne.jp/blog/archives/000524.html




2011/10/15 あまりに感情的な中身だったので改訂。多分最初の面影はもう無い。


最終更新日 2011-10-15




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最終更新:2011年10月15日 20:54

*1 もう死んでるけど

*2 あなたや私のような

*3 =陰腹

*4 する気もない