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積みゲー告白記


はじめに

「テレビゲームを買ったはいいがプレイしない。あるいはほんの少しだけプレイしてそのままにしている」
積みゲーなる行為は大雑把にこう定義されるだろう。少ない小遣いの中からどんなゲームを買おうかと鼻息を荒くしている
小学生が見たらさぞ羨ましく思うかも知れないし、そんな事するなんておかしい、バカじゃないのか、ぐらい言われるかも知れない。
事実おれもそう思っていた。が、今見てみるとおれのまわりには「積みゲー」が数本ある。数えたことがないので概数だが。
一見大したことがないように見えるが、おれの所有しているゲームの母数からすると結構あるんじゃないかと疑っている。
常時小遣い銭と新作ゲームに飢えていた小学生のおれが何故ゲームを積んでしまう大人になったのか、懺悔する訳ではないが回顧的に記しておきたい。
他人が見ても、あるゲーマーが積みゲー道へと至る過程が見て取れるようにはなっていると思う。

昔々…

大半の人がそうだったと思うが、小中学生にとって一本数千円のテレビゲームは結構大きな金額だ。
記憶が定かではないが、新作ゲームを購入するのは数ヶ月から10ヶ月くらいに一本のペースだったと思う。
安い店を探して回るとか中古を買うとかいう知恵は回らず、基本的にはデパートなどのゲーム売り場で買っていた。
兄弟と折半して買っていたり、クリスマスのプレゼントとしてゲームを買って貰ったような記憶があるが、これは
全国津々浦々で見られる光景だろう。おれの家はゲームに結構厳しく、確か水曜日と土曜日(日曜だったかな?)
しかプレイさせて貰えなかったはずだ。しかも休日のプレイ時間は朝の10時からと決まっており、兄弟とビデオデッキの時計を見ながら
10時になった瞬間に電源スイッチを入れていた。こっそりゲームをプレイするのは御法度で、見つかれば叱られる。
ゲームをしてはいけない日にこっそりプレイするのだが、そう言う日に限って親がいつもより数時間早く帰ってきたりする。
ある時は一階でプレイする弟を見殺しにして二階へ逃げたこともあった(弟よ、すまぬ)。
で、あまりに勝手にプレイしようとするので親はACアダプタを隠してしまった。そうなるとなんとかしようとするのが悪ガキである。
祖父の血圧計にもACアダプタが着いていることを見つけるとSFCにぶっさしてスイッチを入れる。すると画面に緑色の横線が入るが
無事にプレイできた! それから数日は心ゆくまでゲームが出来たが、例によって親に見つかりそのACアダプタも隠されてしまった。
それ以降祖父は血圧計が使えなくなってしまったが、使っている所を見たことがないので別に困らなかったのかも知れない。
ゲームのプレイ時間に関しては中学高校と経るにつれ緩くなっていき、中学時代にはリビングの押し入れに常時ゲーム機とソフトとが入った
袋がおいてある状態だった。つまり好きな時にゲームが出来る訳だが、宿題や部活に追われるためまとまった時間は
平日にはあまり取れなかったと記憶している。ゲームの時間を確保してもその枠を互いに食い合うのが兄弟の存在であり、
複数人同時プレイが出来るゲームをするか交代しながらプレイするかして時間を譲り合わざるを得なかった。
「早く変われよ」「この面が終わるまで待って」なんてやりとりは、リビングにパソコンが設置され、そちらでPCゲームや
インターネットが使えるようになるまでは続いた。もっとも今度は今度でパソコンを使う時間を巡って
交代するしないの騒ぎが起こったのだが、それはそれだ。

さて、苦労して手に入れ、苦労してプレイ時間を捻出したゲームなのだからしゃぶりつくすまでプレイしたと思うかも知れないが、
最後までプレイ、ないしクリアすることなく中古屋に売ったゲームが何本かある。難しくて詰んだ、というゲームは多くなく、
時間がかかるとかやる気がなくなったとか飽きたとかいうのがその原因だったと思う。逆に「スマブラ」「マリオカート」のように
複数人でプレイできてすぐ終わるようなゲームは今も手元に残っている。攻略本まで買ったのにクリアにまで至らなかったゲーム、
あと僅かでクリア出来たゲームもあるのだが、今思い返してもなぜ最後までプレイしなかったのか不思議だ。
今思えばこの時既に積みゲーの種は蒔かれていたのかも知れないが、「クリアまで至らない」のはいわゆる積みゲーとはややニュアンスが異なる。

そして今

で、話はぐっと最近になる。自分のパソコンを持ち、好きな時に好きなだけプレイでき、お金も自由になった今のおれは
小学生の時にあったゲームを縛る3要件、すなわち交代を迫る兄弟・プレイする時間・足りない小遣いの全てから解き放たれている。
にもかかわらず、積むゲームの数は逆に増えてしまっている。購入したゲームの数が多いのは確かだが、同じくらい時間は余っているはずだ。
その理由は探せば幾つかある。steamで75%引きだから買うとか、衝動買いするとか、後先考えずに買うとか……。
ゲームに対するギラギラした脂っぽい情熱が無くなったのか、と聞かれればそうではない。だって今この瞬間だってプレイを続けているゲームはあるし。
毎月買っているゲーム雑誌の、持ってもいないゲームの攻略記事を眺めて妄想にふけるような情熱はさすがに無くなった。
というかそもそもゲーム雑誌を買うようなことはなくなった。が、その割に持ってないゲームのプレイ動画をネットで見たりするし、
ゲーム情報サイトは時々見ているのだから根本的な所ではあまり変わっていないと思う。

だけど、小学生の時のような、一種のヤケクソじみた熱狂は確かになくなったと思う。親に怒られるくらい朝から晩までテレビに張り付くような、
回し車を全力疾走するハムスター的パワーが今もあるか? と聞かれると正直分からない。
事前の情報収集が幸いしてか、小中学生を通してプレイしたのは今見ても名作と呼ばれるゲームが多い。
ここでとんでもない駄作を掴んでいればその後のゲーム人生が変わったかも知れないが、今更何をか言わんや、だ。
良くも悪くもゲームに対してドライになり、斜に構えるようになったのだろうか。だって小学生の時は今プレイしてるゲームが
良作か駄作かなんて気にもしなかったもん。

今、手元にはネットであんまり評判のよくないゲームが幾つかある。正直言ってプレイするのがキツイのもある。
だけどそれはそれで結構楽しめているし、悪い所も「これ明らかにテストプレイしてねーだろ…」みたいに愚痴りながらも飲み込んでいる。
2chなんかで手ひどく言われていても、「この部分だけはめっちゃ面白いだろ」みたいに感じるゲームもあるし(全体を肯定してないのがミソだ)
逆に世間一般で良作と言われているソフトを何十時間とプレイしておきながら「ここの仕様だけなんとかなんねーのかよ」みたいに思ってるゲームもある。
あんまりガツガツしなくなったとも言うし、丸くなったとも言うのだろうか。ゲームをプレイしていてコントローラーやマウスを
叩き付けるような怒りを覚えたことはここ数年あんまり無いと思う。いやごめん嘘ついた。そこまで怒ることはなくても苛つくことは結構ある。
でもFPSをプレイしていて理不尽に死んだり味方が芋っていても「これだよ」と言って流せるような人間になってしまったのは間違いない。

「ゲームを買うという最後のゲーム」とおれが勝手に呼んでいる行為がある。セールが来る度に豪快な割り引きが行われるsteamで、
所有していないゲームを可能な限り安く可能な限り多作品手に入れる、ほとんど買い物中毒な行為だ。
サマーセールやウィンターセールが来る度2chのsteamスレでは阿鼻叫喚の叫びが繰り返され、
「steamの所有ゲームリストを眺める瞬間が一番楽しい」なんて冗談なのか本気なのか分からない書き込みが飛び交う。
steamで(ほとんどプレイしていない)ゲームを大量に積み上げる人のことを自虐的にプロスチーマーと呼ぶようだが、
実は彼らは「ゲームを買うという最後のゲーム」をものすごくエンジョイしているのではないだろうか。

何時かプレイしなきゃ、と思いながら結局プレイできていないゲームもある。steamで捨て値で売られていたので記念品的に買っただけのゲームもある。
ネットでボロクソに言われながら「いや、お前らこの作品の凄さを分かってないだろ」と心の内で勝手に思っているゲームもある。
小中学生の頃に比べて、ゲームに対する心構えや態度が変化した。それがゲームを積んでしまう理由なのかも知れない。
だけど言い訳するなら「クリアするだけがゲームの目的じゃないんだよ」とも言える。小学生の自分が聞いたら呆れそうではあるが。




最終更新日 2014-10-05








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最終更新:2014年10月05日 14:27