日々是栄和
麻雀 Column - 1 - 強くなるということ
最終更新:
匿名ユーザー
Column - 1 -
ハンゲームというネット麻雀に出会ってもう一年以上が経つ。
そこは雀荘とは違い、雀力の差が大きく、麻雀を打つ上での雑多な部分をコンピュータが計算してくれることで、
煩わしい計算や申告漏れのないクリアな麻雀を楽しむことが出来、僕も重宝している。
その分いろんな人が出入りするので、それなりの問題も付きまとうが、その辺りはリアルで打っていても同じことであるので
あまり気にならない。
最も大きな違いは、各打ち手の上達への情熱であろうと考える。
麻雀における上達とは何であろうか。
上達とは常に、努力の結果である。
長年麻雀に親しんできたが、人間に麻雀の素質というものはない。
あるとすればそれは「イメージする力」の差かもしれないが、実際のところそれは、 それなりの雀力が付いてからの
問題であると僕は考えている。
つまり、スタートラインはみな横一線。雀力に差などない。
そこからいろいろなことを覚え、実践し、試行錯誤を繰り返して次第に強くなっていく。
その過程でもちろん様々なことがあり、挫折したり自己嫌悪に陥ったりということは、これは麻雀でなくともある話。
「麻雀強くなりたい」という言葉はそれこそ掃いて捨てるほど聞くが、じゃあそのために何をしてるのか?
という疑問に対してきちんと答えられる人は少ない。
例えて言えば、「点数計算」が挙げられる。
ネット麻雀による点数計算は自動でコンピュータが行ってくれる。
リアルでは和了した点数は自己申告なので、点数計算が出来なければ麻雀は出来ない。
仲間内で打つ分には誰かできる人が計算してくれるが、強くなるためには必須であろう。
まずもって、自分の手の点数がどのくらいなのかわからないようでは、戦略の立てようがない。
狙うべき点差や自分の収支が把握できないようでは、勝つための算段などできようはずもない。
値札が読めないのに買い物をする人は余程財布に余裕のある人か、ただの馬鹿であろう。
つまりそれほど「点数計算」とは重要である。
麻雀の点数計算の方式は、確かに初心者には馴染みにくいものかもしれない。
しかしそれでも、表を一枚暗記するだけで事足りることであって、六法全書を丸暗記するわけではない。
その表一枚分の暗記という努力を怠るのであれば、「強くなりたい」という幻想は持たない方が良い。
本屋に行けば麻雀の初心者向け解説書は山ほどあるし、いまではネットで簡単に検索することも可能だ。
暗記そのものには個人差が付きまとうけれども、その辺りの努力は誰でも出来る。
そういった自分で出来る努力を放棄して、誰かに教わろうとする姿勢も甚だ理解に苦しむ。
基礎とは常に単純なことの繰り返しだし、場数は自分で踏む以外にない。
人の意見を聞くことはとても重要なことだが、それにはまず自分の意見を持たなければならない。
そうしてみて初めて「意見の交換」というプロセスが生まれるのだが、交換すべき自分の意見がないにもかかわらず、
ヘルプを求める姿勢はアバくれ君とさほど変わらない。
僕は麻雀が強くなりたいので、出来るだけ色々な戦術や知識を得たいと考えている。
そのためには他人の打ち筋を分析したり、広範囲で役に立つ情報を集めたりしている。
ここ最近牌効率にこだわり始めたのも、ルール上の特性を生かした戦術を組み立てるためでもある。
意外に誤解している方も多いようだが、僕は打ち手としては理論派でないと自分では考える。
シスマのように微積分を駆使できるわけでもないし、勝負事にはアツくなる方だ。
第一、理論派の雀士は四暗刻など狙わない。
「ツキ」や「アヤ」といった目に見えないオカルトチックな力学を信奉するし、どうにかそれらを掴めないものかともがき苦しむ。
閃きやインスピレーションで打つこともしばしばだ。
それでも、基礎の理論は重要視する。ゲームであり、ルールがあればそこには少なからずセオリーがあるからだ。
そして、セオリーを破るにはセオリーを知らなければならない。
○ 役の種類
○ 符計算
○ 点数計算
この3つはそれらの理論の礎となる基本中の基本である。
これらを知らずして麻雀が上達するなどということはありえない。
点数計算が出来ずとも麻雀は打てるが、いかな鋭い感性や強運の持ち主でも、一時の成績は上がるかもしれないが
トータルで強い打ち手とはなれない。少なくとも僕はいままでお目にかかったことがない。
「勝てない」とか「ツイてない」とか「ハンゲが悪い」などとは誰でも言えることだ。
プログラムやIDのせいにするなど言語道断。自分では効率やセオリーを踏襲しているつもりでも、あとから冷静に観察すれば
まったくなっていなかった例など、自分を含めていくらでもある。
問題点とは常に自分自身に存在する。
自分の努力の軌跡を、自信を持って振り返ることが出来る打ち手が、本当の意味で強い打ち手であると言える。