Novel

神風2

最終更新:

匿名ユーザー

- view
管理者のみ編集可

2(Epi.神風雛-II)

出立の日。私は結局眠れず朝を迎えた。
今日は拓馬さんが行ってしまう日だ。

今までで一番きれいな顔で行きたかった。
なのに、今の私はどうしようもないほど不細工で。
寝不足で隈が出来ている。泣き腫らした目は赤くなっていて、拓馬さんにあきれられてしまいそうだ。
お母さんが、「拓馬くんの見送り、行くんでしょう」と言って、やっと布団から這い出した。

行きたくない。

お別れなんて。さよならなんて言いたくない。
けれど、行かないと拓馬さんは悲しむだろうか。きっと悲しんでしまう。
もう枯れたと思っていた涙がまたでてきて、思わず顔を覆った。

『もし俺が…特攻隊になっても。雛と同じ名前だ。雛に守られてるんだ』

昨日の言葉が反芻される。

汽車の時間は10時。今は7時だ。
もうそろそろ準備をしないと、間に合わなくなる。駅までは遠い。

用意していた千人針※を荷物に入れる。拓馬さんに渡すためだ。
願いをこめて、一針一針縫った千人針―――。もちろん、ご近所のおば様にも頼んで縫って貰った。
私が縫ったのは、千に足らない分だけだったけれど、それでも6割は縫ったと思う。
お母さんに言われて初めてしった千人針だけど、拓馬さんは知っているだろうか。

そもそもこの辺は田舎で赤紙※2が来た人はまだいなかった。
だから、戦争に行くのは拓馬さんが初めてで。
父以外の初めての別れ。初めての万歳。
私は笑顔でそれが出来るだろうか。

そうして考えているうちに、準備が済んだ。
見送りは家族総出。お母さんと手をつないで弟の弘が家を出る。
道を行く道程、昨日途中まで拓馬さんと通った道だったので、ますます顔が歪んだ。
あの時山際だった太陽は、今は反対側に、白い日を照らし続けている。

(曇らないで…)

私の心も曇ってしまわないよう。
願いが届いたのか、空はずっと、雲ひとつない快晴だった。






「進藤拓馬に送る、万歳三唱!バンザーイ!」

拓馬さんのお父さまが叫んだ。みんなが一斉に万歳を唱える。
駅のホームで響く万歳三唱。皆思い思いの表情で、拓馬さんを見送っている。
私は…うまく顔を見られなくて、下を向いて、手だけは大きく万歳をしていた。

何が万歳なんだろう。拓馬さんが行ってしまうのに。
そう思った私は、声をだせず。

昨日のことが嘘のように、拓馬さんは誇らしく、キリリとした顔でおじ様のほうを向いている。

「父さん、母さん。行って来ます」
「立派になって…」

おば様も涙ぐみ、拓馬さんの成長を喜んでいた。

「しっかり、お国の役に立って来るんだよ」
「はい」

ああ、いよいよそのときなんだね。私はどうしたら良いだろう?
千人針を渡して、それから?

「雛」

呼ばれてハッと上を向いた。お母さんが呼んでいる。拓馬さんのほうを指差して。
長い髪で良かったと思った。ゆがんだ顔が髪に隠れて、拓馬さんに見えなくて良い。

「あの…これ。手紙ちょうだいね」
「ありがとう。手紙、必ず書くよ」

拓馬さんは笑顔でそういった。千人針を渡したとたん―――ジリジリジリ、と汽車が来る合図が来て、私は離れざるを得なくなった。
行かないで。そう声に出したかった。出せばよかった。

「それでは」

拓馬さんが言う。皆が整列する。私も皆に習い、気をつけの姿勢をとった。

「進藤拓馬、お国のため、言ってまいります!」

敬礼。拓馬さんは堂々としていた。私は、額につけた指先や、手のひら全体がぶるぶると震えてどうしようもない。
みっともなくて恥ずかしくて悲しくて、女の私に彼を守るすべもないことが、心底恨めしかった。






汽車に乗る彼の姿も目に焼きついたまま。
ドアが閉まる音も耳に張り付いたまま。
私の時は風より速く速く流れた…。


※ 千人針…兵隊に行く人の無事を願って、近所の人たちなどが一人一針縫っていった布。
※2 赤紙…戦争に行く勧告が書かれた紙の事。紙の色が赤かったためこう呼ばれた。


記事メニュー
目安箱バナー