地下妄の手記
粗大ゴミには有料ゴミ処理券が必要 その1
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619metro
粗大ゴミには有料ゴミ処理券が必要 その1
「東京地下駅」、「銀座線」、「丸ノ内線」と、一項、或いは一路線一章建てで来たものが、前章辺りで、「巻き」が入ったか?2路線建てに。本章では「東西線」、「千代田線」、「都営三田線」の3路線建てと、秋庭さん自身が「一つ二つは面倒だ束にして燃してしまえ。」状態になられた様で。
前章ではまぁ、「日比谷線」と「都営浅草線」、ほぼ同時期に着工の路線ということでの対比的な意味があったのかなと思ったりしたんですが。
ところで、この3路線建てに意味があるのかと。まぁ、「千代田線」と「三田線」は大手町から日比谷間の工事委託状況が引っ掛かる程度で、東西線に至っては関連なんて、「大手町周辺」でどうよ?位。
まぁ、ゴミはゴミなんで、「束にして燃して」と思ったんですが、どうも、この項、粗大ゴミ(嘘のカタマリ)臭いんで、東京23区のゴミ処理のルールに引っ掛けた章題でしばらく行ってみる事にしました。
東西線
57」[高田馬場駅]駅のトンネルの上に「街路」=地下道新設の不思議
東西線高田馬場駅の線路断面図がある。東西線はJRと西武の線路の下を通って地下2
階のホームに入る。駅のトンネルは、ゆるやかな上り坂を左から右に走っていて、そのト
ンネルの上、駅の右手に「都市計画街路」と書かれている。
「街路」とは、地上の道路ではなく地下の道路のことで、ここでも地下1階部分にそれは
ある。「都市計画街路」と書かれている場所は、明治通りと早稲田通りが交差する馬場下
町交差点の下である。
まず、再々申し上げている事ですが、
「都市計画街路」と書かれている場所は、
明治通りと早稲田通りが交差する「馬場口」の交差点付近であって、「馬場下町交差点の下」ではありません。
秋庭さん、一旦は正しい場所に書き直しを行ったんですが、
「新説・東京地下要塞」の新旧比較(単行本・文庫本対比)
単行本90頁
「馬場下町の交差点には、はじめに「都市計画街路」があった。東西線はその下をくぐり、下から支える工事をしている。」
文庫版96頁
「馬場口の交差点には、はじめに「都市計画街路」があった。東西線はその下をくぐり、下から支える工事をしている。」
いつのまにか元の木阿弥。自身の公式HP
ttp://homepage3.nifty.com/norikoakiba/kinnkyou.htm
とやらの近況報告でも同じ間違いを言っておられます。
で、秋庭さんが、言う「東西線高田馬場駅の線路断面図がある。」として、自分に都合の良い部分だけ挙げている133頁の図、正確には「線路縦断面図」なんで、関係部分を全部挙げてみました。
東京地下鉄道東西線建設史(帝都高速度交通営団1978年刊) 別図 東西線線路平面図および縦断面図(中野・神楽坂間)
明治通何処か分かるよね。戸塚二丁目の「目」がかぶっている道路、高田馬場起点1Kの表示のあるチョッと手前、で、そこは馬場口。
馬場下町交差点は、そこから東に約一キロ早稲田駅手前に2Kの表示があるチョッと手前、半径203mのカーブの入り端の所です。
「街路」とは、地上の道路ではなく地下の道路のことで、ここでも地下1階部分にそれは
ある。
「街路」は別に「地下の道路のこと」ではありません。そんな定義は「秋庭さんの妄想」の中にだけあるもので、もし「街路」が「地下の道路」なら田舎道なんぞによくある「街路灯」って何よってことになりますな。
断面図には、あたかも将来建設されるかのように「街路」は点線で書かれている。しか
し、地下建設においては、道路でも地下鉄でもあとから造られるトンネルが古いトンネル
の上に造られることはない。上の重みで下のトンネルが沈んでしまうからである。
拙図、真に字義通り拙い図ですが、チョッと次の図を見てください。上の重みって何なんでしょう?「土砂」が「コンクリの空洞」に置き換わると「下のトンネル」は沈むんでしょうか?
この原則に反して新しい地下鉄が古い地下鉄の上を走っている場合があるが、それは、
新しいとされている「トンネル」が、実は古いほうより前に造られていたことを示している。
「この原則」?「道路でも地下鉄でもあとから造られるトンネルが古いトンネルの上に造られることはない。」は秋庭さんの脳内でのみ証明された原則つまり「秋庭則」(あきばのり)ってぇことです。
池袋から明治通りを走ってくる副都心線(13号線)の場合も、馬場下町交差点で東西線
と交差するが、トンネルは東西線の下に造られている。しかし、断面図にある「街路」は
東西線の上にあるから、東西線が造られる以前からここにあった、ということになる。
再々言う様ですが、「馬場下町交差点」は明治通りから東に約一キロ行った「馬場下町」の北にあります。
ところが、副都心線(13号線)の工事で、ここに 「街路」 が建設された、という。
副都心線は東京メトロの路線だが、営団時代にその建設計画が決まっていたので、建設
工事は国の直轄事業として行なわれている。
本来、国の直轄事業に東京都は出資しないものだが、なぜか東京都は国の道路特定財源
からの156億円の補助を含めて多額の出資をしている。おかしなことがあるものだな、
と思って調べてみると、出資の理由は「街路」を建設することにあったのだ。
一体何を調べた事やら?
国の直轄事業とは、本来都市の交通インフラの整備は都道府県以下の役目だけれど、特に大事なところは道路特定財源と言う国費を使ってもやりましょうと。だから、本来主体たる自治体は当然に応分の負担をしてね?っー話なんですね。つまり、
「本来、国の直轄事業に東京都は出資しない・・・。」あり得ねー!どこで聞いたか確認したのか?環状5号の1の整備って理由で、道路特定財源引っ張って、副都心線ごと明治通りを整備しようって名目で副都心線造っちまおうって話なんだから。
以下の話も「わけのわからない答弁」と言う秋庭さんの見解こそが「訳が分らない」
この件を審議した都議会の議事録を読むと、担当者のわけのわからない答弁が出てくる。
「駅舎及びトンネルの躯体等インフラ部を道路の一部として、国の補助を受け、道路管理
者である東京都が整備するものでございます」
駅舎やトンネルなど、地下鉄に関連するものは国が建設するが、インフラ部は東京都が
「道路の一部」=「街路」として整備するらしい。
誰も、── 駅舎やトンネルなど、地下鉄に関連するものは国が建設するが、インフラ部は東京都が「道路の一部」=「街路」として整備するらしい。── 何てことは言っていない。上の答弁普通に読んでも、
駅舎及びトンネルの躯体等=インフラ部
ここで言うインフラの意味判ってますか?秋庭さん。秋庭さん曰くところの「駅舎やトンネル(なんで躯体を省くの?)」がインフラ部そのものなんですが。
しかし、整備する「街路」が戦前からあった地下道であることは語っていない。
この議事録は今から3年前、2004 (平成16)年のものである。整備を担当する
のは都の道路計画部長であり、管理するのは都の道路管理部長であるが、真美
は隠したまま工事は行なわれてしまった。
戦前に造られた地下道は他にも東京の地下にたくさん眠っていて、何かあるごとにその
存在が明るみに出てくることは、本書のなかで何度も指摘していることである。
「街路」別に地下道じゃないし、地下道戦前から無いんだから、誰一人として(秋庭さんを除く)そんなものを語れるわけが無い。
整備を担当するのは都の道路計画部長であり、管理するのは都の道路管理部長
であるが、真実は隠したまま工事は行なわれてしまった。
ここで言う、「道路管理者」と「整備」は、都の官僚の役職の話ではなくて、東京都そのものの役回りの話だから、担当の役人がどんな所属かなんて書き振りは、都の役割を担当者の役職にって、得意のすり替えってことです。
58」[神楽坂駅]勾配ゼロのトンネルと奇妙な2段重ね構造の駅の謎
神楽坂は早稲田通りと大久保通りが交差する神楽坂上を頂点にした 「坂の町」 である。
東西線神楽坂駅は、その神楽坂上の少し手前に造られたため、珍しい2段重ねの構造にな
っている。地下2階に中野方面行きのホームがあり、地下3階に西船橋方面行きのホーム
がある。
西船橋寄りの改札は地下1階にあり、中野行きのホームへは階段で、西船橋行きのホー
ムにはエスカレーターで上り下りするようになっている。
ところが、中野寄りの改札は地下2階の中野行きホームに隣接していて、西船橋行きの
ホームからは階段ひとつ上がるだけでいい。不思議なのは改札から階段をひとつ上がれば
一気に地上に出られることだ。
いかにも「坂の町」らしく地表の高さが駅の前後で大きく違っているせいだが、ホーム
の前後の違いを知らないと、駅を間違えたのではないかと戸惑ってしまいそうだ。
もうひとつ、この駅には珍しいことがある。地下鉄のトンネルは、通常、地下水がトン
ネル内に溜まらないように細かく上下している。
しかし、神楽坂駅のトンネルには勾配ゼロ、上下のない個所がいくつかあるのだ。
エートッ、以下のように神楽坂駅には勾配があります。
東京地下鉄道東西線建設史(帝都高速度交通営団1978年刊) 別図 東西線線路平面図および縦断面図(中野・神楽坂間)
私の平面図および縦断面図コピーでは数値が読み取り難いかも知れませんが、+6かな?+8かな?駅勾配有りますでしょ。この勾配、計算して出せない事も無いんです。神楽坂駅のA線、B線とも中野側は高田馬場起点3K260mから上りが始まっていて、B線は3k510mまでの250mで軌条面交点高111.705mから113.705mと西船橋向きに上がっていきます(実際は中野に向けての下り勾配ですが)。A線は3k505mまでの245mで軌条面交点高105.755mから107.715mと西船橋向きに上がっていきます。
つまり、B線の勾配は、250mで2m上ってますから、8‰。A線の勾配は、245mで1m96上がってますので、これも8‰の上り勾配になります。
勾配ゼロって何なんでしょう?秋庭さん何から駅構内勾配ゼロと言う戯言を見付けて来たんだろう?
このようなトンネルの建設は国の許可を得られるはずがない。最も古い地下鉄である
銀座線にも勾配ゼロのトンネルはない。ということは、銀座線より前に造られたのだろ
うか? そう思って見ると、たしかにトンネルは汚れていて、いかにも古そうだ。
ただ、私は「このトンネルは地下鉄を走らせるために造ったものではない」と考えてい
る。なぜなら、東西線の駅でここだけが2段重ねの構造になっているからだ。このトンネ
ルは、700メートルほど北、江戸川橋の下を流れる神田川の支流に蓋をして造ったもの
ではないのだろうか。
戦前の地下鉄新宿線で新宿三丁目~上野が計画されていたとき、神楽坂で分岐して東京
駅に向かうルートも申請されている。
私は、このときすでに神楽坂にトンネルがあったのだろう、と思っている。
えぇ~っと
戦前の地下鉄新宿線
ってどの「戦前の地下鉄新宿線」ですか?小田急こと旧東京高速?それとも五島慶太の東京高速?相変わらず、計画も、申請も、免許もゴッチャゴッチャなんだから(笑
ただ、私は「このトンネルは地下鉄を走らせるために造ったものではない」と考えてい
る。なぜなら、東西線の駅でここだけが2段重ねの構造になっているからだ。このトンネ
ルは、700メートルほど北、江戸川橋の下を流れる神田川の支流に蓋をして造ったもの
ではないのだろうか。
あれぇ、この項の冒頭で、秋庭さん
東西線神楽坂駅は、その神楽坂上の少し手前に造られたため、珍しい2段重ねの構造にな
っている。
って、2段重ねの理由のようなものを書いておられるんですが。
だって駅だけが二段重ねになっているわけじゃない。線路だって二段重ねになってなきゃおかしいわけで、その二段重ねの理由は早稲田通りが狭くなっているからで、早稲田駅を出た所から始っているのに。何処で神田川の支流(そんなもんありゃしないのだが)が紛れ込むのかね?
59」[竹橋駅]東西線が道路を避け、お濠の下を走るのは、なぜ?
東西線は、飯田橋から九段下に出ると濠に沿って竹橋に向かう。竹橋駅は皇居・平川門
から濠を渡ったところにあり、そこから皇居・大手門の前あたりまで東西線は道路を避け
るように濠の下を走って大手町駅に入っている。なぜ、濠の下を走っているのだろうか?
そういえば、半蔵門線も濠に沿った道路を走らず、カーブの前後で道路を横切るように
走っている。この道路の下に、何か地下鉄を拒むものが隠されているのだろうか?
もちろん、自然な曲線がきれるからに決まってるでしょう。道路に並行してお濠と言う公有地があるならば、秋庭さんの大好きな「地下補償」とやらをしなくとも、路線の設計に自由度が出る。無理な曲線を置かずに地下鉄を走らすことが出来る。誰にも自明な事が秋庭さんには見えない。可哀想に。
もうひとつ不思議なことがある。
竹橋駅のそばに毎日新聞社の本社があるパレスサイドビルが立っている。このビルはな
ぜか地下7階まであるという。かつて毎日新聞の記者から聞いたところによると、同社の
印刷所は地下6階、地表から27メートルの深さのところにあって、地下7階には印刷所で
働く人のための大浴場がある、という。なぜ、地下をこんなに深く掘ったのだろうか?
面倒くさいので、その昔2ちゃんねるで「帝都東京・地下の謎86」のパレスサイドビルについて書いた記事を、焼き直しておきましょうね。
298 619 ◆METROwYLVU sage 05/01/28 22:19:54 ID:folIfOSY0
>>297 >旧約・新約・祈祷書はこれでお役ご免かな。
イエイエまだまだ、嘘の塗り替えを確認するためには必要かと(w
では項番順に「02◆パレスサイドビルの地下七階には大浴場がある。」
「このビルには毎日新聞社の本社があり、同社の印刷所は地下六階にある。地下二七メートルという
ことになるのだという。なぜ、それほど深いところに印刷所があるのか、誰に聞いてもよくわからない。
(中略)。最近、同社の記者から、さらに不思議な話を聞いた。パレスサイドビルには地下六階まで
しかないことになっているが、実は、このビルには少なくとも地下七階があって、地下七階には
印刷部員のための大浴場があるのだという。」
パレスサイドビルの自社サイトttp://www.palaceside.co.jp/には、
「地上2階から9階まではオフィススペース。耐震壁でほぼ正方形に北棟5ブロック、南棟6ブロックに分割された
二つの棟は、東西二つの円筒コアを結ぶ幅3.2メートルの中央廊下で接続されている。
北棟地下2階から地下5階までは毎日新聞社印刷工場、南棟地下2階から地下4階は駐車場となっている。」
って書いてあるんですけど。
だから、大浴場はあったとして地下六階でしょ。ジャーナリストならウラとってから書けよ。
そっから、竹橋で十把一括りにして築城本部とやらに牽強付会してっけど、
パレスサイドビルの場所は戦前・戦中は「外国語学校」(現東京外大)の校地、戦災で廃墟同然
に。戦後はリーダスダイジェスト東京支社(レイモンド設計だぜ)。そしてパレスサイドビル。
地図「AMS L874」の斜線は他の斜線に書かれている様に“RUINS”戦災廃墟のしるしだろ?
秋庭さんの「地下鉄99の謎」の記述は「帝都東京・地下の謎86」(洋泉社刊2005年)の「02◆パレスサイドビルの地下七階には大浴場がある」の焼き直しですから、当然に、私の焼き直しも、以下の「地下鉄99の謎」の嘘について、ちゃんと対応しちゃってるのが笑えますね。
この2つの不思議を解き明かすには、戦前、竹橋に陸軍の築城本部があったことを思い
起こす必要がある。築城本部は、市ヶ谷にあった陸軍の防空壕や霞ヶ関にあった海軍の防
空壕など、戦前の地下施設を数多く建設している。その築城本部が、現在のパレスサイド
ビルのある場所にあったらしい。
GHQ(連合軍最高司令官総司令部)が航空写真を基に終戦後作成した地図にも、その付
近に太い斜線の引かれた部分がある。
陸軍が竹橋の築城本部から市ヶ谷や霞ケ関などにある重要な地下施設に向けて、資材や
人員を密かに運ぷ地下道あるいは地下鉄のトンネルを建設し、網の目のように東京の地下
に地下交通網を張りめぐらしていたことは、まず間違いない。
パレスサイドビルの地下は新たに掘られたものでなく、築城本部が造った地下施設をビ
ル建設と同時にリフォームしたものだろう。
東西線がわざわざ濠の下を走っているのも、半蔵門線が道路を避けているのも、そこに
戦前に造られたトンネルがあったからで、道路に何かが埋まっているからではないと、私
は考えている。
パレスサイドビルの構造の説明については、現在は
ttp://www.mai-b.co.jp/palaceside/information/heritage_03.html
に移っていますのでアドレスを挙げておきます。
しかし、築城本部、「あったらしい」のか?「あった」のか?わかんないですネェ。第一、作った本部がそこにあるからって、何でそこを中心に
市ヶ谷や霞ケ関などにある重要な地下施設に向けて、資材や人員を密かに運ぷ
地下道あるいは地下鉄のトンネルを建設し、網の目のように東京の地下に地下
交通網を張りめぐらしていたことは、まず間違いない。
地下交通網を張りめぐらさなきゃならないんだろうか?軍事的な交通網って築城本部中心に回ってんのね。秋庭空間では。