地下妄の手記 第二章 足元に広がる嘘 ①

「第二章 足元に広がる嘘」 ① 郵政省、NTTが持つ地下道


  新説 東京地下要塞 42頁

  郵政省、NTTが持つ地下道
    地下鉄千代田線の霞ヶ関駅は、旧海軍の防空壕を改造したものだという。防空壕と地下鉄駅の
   関係を示した図が左にある。一九八三(昭和五八)年、帝都高速度交通営団が発行した建設記録
   からの引用である。
    霞が関に海軍の防空壕があったことは、その二年前、陸軍築城本部の浄法寺朝美大佐が著書
   『日本防空史』 のなかで明らかにしていた。大佐は、皇居、赤坂離宮、大本営、陸軍参謀本部
   の防空壕についても、形や大きさ、防御力、建設時期などを詳しく述べている。

 まず、千代田線建設史に拠れば、「改造」ではなく、「取壊し工事」を「爆破工法」で行っており、
昭和45年5月から11月にかけて、1日2回爆破、すなわち発破作業が1回目は朝の8時から準備を
して11時50分から12時05分まで「退避・路面交通遮断」の上12時点火。2回目は、1回目の
ずり撤去と平行して、13時から準備をし、16時50分から17時05分まで「退避・路面交通遮断」
17時点火。と結構大掛かりに、しかも公務員の一番出歩く時間帯、昼休みの、退庁時間の10分前に
行っておりますから、浄法寺氏が秋庭氏流に言えば「明らかにして」いる時期の遥か以前、工事を行って
いる時から、何やってるかは良く知られていました。
 しかも、「日本防空史」の該当箇所91頁には、頭書項題は
  a) 霞ヶ関海軍省 ( 海軍軍令部を含む ) 地下防空室
「壕」ではなく「室」となっていますし、
   空襲時 , その都度部員がここに待避した。
    戦後,通産省が書庫・倉庫とし,電機計算機を置いたが,昭和38年11月,駐車場工事
  のため , 解体した。
と「千代田線建設史」の記述とは異なるものとなっており、これらを読んでいるはずの秋庭氏はいつもの
様に、ご自分に都合の悪いこれらの記述を、お隠しになっておられます。

  郵政省、NTTが持つ地下道 42頁続き
    海軍防空壕の上に矢印がある。郵便洞道と呼ばれる地下道を指している。郵便洞道は郵便を運
   ぶための地下道で、高さは二メートルを少し超えるくらい。地表近くの浅いところにトンネルが
   つくられている。郵便洞道というものの存在は知られているが、敷設された時期やルートは公表
   されていない。

 この記述については、「斯くして郵便洞道への道」に詳述しましたが、「郵便洞道」などと言う術語は
土木・建築、郵政、逓信いずれの業界にも存在しません。これは、「千代田線建設史」霞ヶ関駅構築時の
旧海軍防空壕取壊しの「掘削工法標準図」に「〒洞道」とあるのを、「〒」=「郵便」と独り決めされ、
秋庭俊氏独自の術語として「郵便洞道」を発明されているわけです。

  郵政省、NTTが持つ地下道 42頁続き
    NTTも洞道と呼ばれる地下道を有している。洞道のなかには、各種の電話ケーブルが張られ
   ている。この地下道の高さも二メートルを少し超えるくらいで、やはり、浅いところにトンネル
   が敷設されている。NTT洞道というものの存在は知られているが、敷設された時期やルートは
   公表されていない。
  郵政省、NTTが持つ地下道 44頁
    新宿西口やサンシャインシティには、冷暖房の洞道がある。公園やビルの下に冷暖房の施設が
   あり、そこでつくられた暖気や冷気は、洞道を通じて各ビルに送り込まれている。この地下道の
   高さも二メートルを超えるくらいで、ほとんどは地表近くの浅いところに敷設されている。やは
   り、ルートは公表されていない。新宿西口の洞道のイラストが左上にある。
    それにしても、なぜ「洞道」なのだろう。「洞」という字は、洞窟、空洞、鍾乳洞など、知ら
   ないうちにできていた空間を表すもので、どうもしっくりとこない。しかも、郵便、通信(NT
   T)、冷暖房の洞道は、なぜかそろって高さが二メートルを超えるくらいで、敷設時期もルート
   も公表されていないのである。
   「洞道」という言葉から想像されるのは、戦前、陸軍が多くの地下道を有していて、戦後、各省
   庁に引き継がれたものの、そのルートは地上の道路とは無関係に延びていて、軍事上はそれが有
   効だったのだろうが、どこに行き着くのかわからないような地下道というところである。冷暖房
   の暖気や冷気を送り込むルートには、普通なら「管」という字をつけるのではないか。

 秋庭俊氏が尊敬措く能わざる尾島俊雄氏の「地域冷暖房」(早稲田大学理工総研シリーズ1早稲田大学
出版部刊1994年9月20日初版発行)には「新宿副都心の青空構想」として、
    高度に過密な新都心において、道路は立体化されたが、共同溝の完備が遅れ、インフラスト
   ラクチャーと呼べるものの完備が極度に遅れることになったのは、初めての大都市計画であり、
   あまりにも大規模な投資額と長期間の計画から、インフラストラクチャーの重要性はわかって
   いても計画時に導入しきれなかったのが実状ではなかったろうか。しかし、幸いなことにSKK
   グループや東京都の要望で、公害防止の点から地域冷暖房の推進が望まれ、東京ガスと地主グ
   ループ、行政担当の東京都の歯車がぴったり合ったのは、時の妙としか表現できない。
    かくしてすでに立体道路が完備し、一一棟の配置計画も完了していた当地に、東京ガスと東
   京都のメンツと将来の熱供給事業への進出意欲が一体化した。一九七〇年から地下七メートル
   以下という大トンネル工事を始め、直径一・五メート~の冷水主管が二本、それに加えて蒸気
   主管等が導入されることになった。
と書かれています。
ちゃんと「共同溝の完備が遅れ」と、独自に専用のトンネル(洞道)を掘らなければならなかった理由が書かれていますし、「地下七メートル以下」と言うのは決して浅くない大トンネル工事だったという様に仰っています。
 また、同書25頁には


何とは申しませんがこんな図が。
 こういうものを「公表されたルート」って言うのではありますまいか。
 まさか、詳細な配管図を公表せよと、仰るのですかね?何のために?秋庭氏得意の住民(国民?)、
すなわち日常を暮らしているものにとって、配管図の公表に何の意味があるんですか?
 いや、東京ガスの株主ですらそんな図を必要とせんのではないんでしょうか?
 この、「図1-11新宿専用洞道の実施例」ほぼ、「新説 東京地下要塞 45頁『洞道内部図 冷暖房』にそっくりですね(笑
  「3700」と何かの内径寸法を消し忘れて居られる様ですから、尾島先生もどこかの資料から複写されて居られる様ですが、要塞本の方は文字レイアウトが異 なるとか、作業員の安全帽の書き込みが消えているとかから見て、「地域冷暖房」からのトレースなのかな、と思慮いたします。何れの方も引用元をお書きに なっていないので、無断複写なんでしょうね。

そして、29頁には、
    熱供給は冷水、蒸気の四管式、年間二四時間運転とし、冷水は変流量方式を採用している。
    冷水管は径一四〇〇ミリメートル、往二キロメートル、返二キロメートル、蒸気管は径六〇〇
   ミリメートル、往二キロメートル、凝縮水管は径三〇〇ミリメートル、返二キロメートルとし、
   道路横断部はトンネル(最大部分の径四二〇〇ミリメートル)、他は地中埋設としている。地
   中埋設管は冷水管については保温せず直埋設とし、蒸気管および凝縮水管は耐圧コンジットを
   用いている。
とあります。
  このことは、新都心での熱供給網は「道路横断部はトンネル」つまり秋庭氏言うところの「洞道」となっているけれども、それ以外のビル敷地、公共用地では、 「地中埋設」つまり「直埋設」。すなわち、各ビルと「洞道」は繋がっておらず、秋庭氏が主張する様な交通路にはなっていないと言うことを意味します。
 「東京ガス百年史」にも以下の様に同様の記述があります。
   

 また、新宿新都心地区では、当時すでに道路の舗装も完了しており掘削は不可能とされたので、
  都有地への配管
の埋設許可を得ることとした。こうして、当社は四十五年一月地域冷暖房開発室
  を設置し、地域冷暖房実施のた
めの第一歩を踏み出した。
  (中略)

 四十五年三月にはプラント第一期工事の起工式が行われ、三月五日の杭打ちに続いて、六月
  には配管工事のため
一号トンネルの立坑掘削が開始された。プラントでは、当時国産最大級
  の三、〇〇〇Rtの冷凍機の製作、据付けや
小型火力発電所なみの高温高圧配管を施工した。
  また、屋外配管では道路掘削が許可されなかったので、道路横断
部はトンネルを掘ってその
  中に配管しなければならなかった。このため、地下鉄工事と同様のシールド工法や、わ
が国
  で初めてのメッセル工法による大規模なトンネル工事を行った。

      「東京ガス百年史」 昭和61年3月 東京ガス株式会社刊


  郵政省、NTTが持つ地下道 44頁
   実は、皇居前広場と日比谷公園の周辺には、かなりの数の洞道がある。左下の図は地下鉄千代
  田線の建設記録からの引用である。馬場先濠のわきに「既設」の洞道がある。「既設」といわれ

  
ても、いつ頃のことかわからないが、戦後まもなく開通した丸ノ内線は、大手町で二度、通信の
  洞道の下をくぐり、洞道が沈まないよう下から支える工事をしている。東京駅の手前では郵便洞

  道の下をくぐり、同じような工事をしている。

「丸ノ内線建設史」は下巻113頁で第二期工事(御茶ノ水・西銀座間)の「第18節地下埋設物の処理」として、主要なものについて説明していますがその中に、「大手町工区」の以下のくだりがあります。


御 覧の様に、「洞道」ではなく、「道洞」となっています。「電電公社の道洞」これは、「洞道」の誤記、誤植でしょうか?私は、誤記、誤植ではなく、それなり の「術語」として「道洞」が使われていると考えますが。あるいは、誤記、誤植であったとしても、「丸ノ内線建設史」では、後にも先にも「地下道」を「洞」 と表現している記述はこの部分だけです。
秋庭氏の大好きな、「郵便洞道」についても、「斯くして郵便洞道への道」に書いた様に、「中央郵便局郵便地下道」であり、「道洞」も「洞道」も使われていないのです。
    郵政省、NTTが持つ地下道 46頁
   以前、私はその洞道がいつ敷設されたのかと、通産省、郵政省に尋ねたことがある。どちらの

  場合も省内を転々とさせられた後、

「よくわからない」

という回答となった。
   「四〇年も前のことですから」
   と、職員の人に言われたのを覚えている。
   両当局がわからないということなので、ここで私が代わって説明する。丸ノ内線は戦後まもな
  く建設されているから、洞道が敷設されたのは戦前である。軍事目的の地下道で、しかも、歩行
  用となると、かなり時代をさかのぼらなければならない。まだ、東京の道路に都電が走っていな

  い頃のことである。

一体どの様な尋ね方をされたのだろうか?
「通産省」も「郵政省」も2001年1月の省庁再編で、組織と名称が変わっていますので、お尋ねになったのは、2001年1月以前、「地下網の秘密」単行本初版の2年以上以前と言うことになりますけれど。
省 内を転々とさせられたと言われますが、一般人が過去の行政行為について省庁を訪ねて行った場合、市町村役場に何かの申請に行く時の様に、「うちじゃわかり ませんから、あっちで」と言う様に、あちらの部署、こちらの部署と庁舎の中を転々とさせられるものでしょうか?普通窓口となる部署で受けて、回答の有無が あるのでは?
何かの伝によっての、取材だとしたら、インタビュー等それなりの担当者が応対して、調査や確認の上での回答があるのでは無いでしょうか?
そ れこそ秋庭氏得意の「危機管理」からいって、秋庭氏の様な方を庁舎内を転々とさせるとは思えません。まぁ、省庁によっては一般人利用可の食堂や売店なども ありますから、庁舎内を歩き回る事は可能でしょうが。事務室内への立ち入りはここ十年位は相当に厳しくなっていると思うのですが。
例によっての電話取材でしょうか?

公的機関への照会事項については、いつ、何処の誰に、どの様な事を尋ねたか、を明示しなければ、憑拠にはなりません。つまり、
両当局がわからない」とは両当局は「わからない」とは一言も言っていないと言う事です。

特に通産省は、秋庭氏の「洞道」とどの様な関係があるのでしょうか?
「電電公社の道洞」は郵政省(当時)ですし、「中央郵便局の地下道」はこれも郵政省(当時)ですし、「地域冷暖房」はガス、電気関連ですから、法制関係で通産省は関わりがありますけれど、丸ノ内線と係わり無いですね。
「四 〇年も前のことですから」と職員の人はいわれと言うことですが、郵政省なら、「中央郵便局の地下道」は1931年に竣工って判っている訳ですし、丸ノ内線 大手町駅がある場所は1943年まで、逓信省官衙が有った直中。今日アーバンネットやNTTデータが有る場所は、昭和6年頃の地図によれば、「中央電話 局」「中央電信局」が有った場所。戦後も今日まで「電電公社」「NTT」の牙城でありますから、これも郵政省なら、大手町の「電電公社の道洞」の竣工時期 が判らないはずはありません。
うろ覚えですが、「日本の電話」(1967年朝日新聞社刊)にも、この地下道の記事と写真が載っていた様な気がいたしますが。
要は、まともな取材をしていないと言うことでしょう。

「軍事目的の地下道で、しかも、歩行用」随分と唐突に決め付けられておられるんですが。何処にその様な根拠があるんでしょうか?
「丸ノ内線建設史」の線路図などを見る限りは、「電電公社の道洞」は「関東郵政局」と「丸ノ内地区電話局」を結ぶ目的で存在するように思えるのですが。

「まだ、東京の道路に都電が走っていない頃のことである。」丸ノ内線大手町駅直上の道路は、江戸開闢以来今日まで、市電も都電も線路敷設されたことが有りません。このフレーズにどんな意味があるのでしょう?まるで無関係な記述です。また、「中央郵便局の地下道」は「斯くして郵便洞道への道」の中央郵便局竣工当時の写真に市電が写っておりますが。確かに「都電」は写っておりませんけれども。