地下妄の手記

一つ二つは面倒だ束にして燃してしまえ。 その1

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一つ二つは面倒だ束にして燃してしまえ。 その1


      PART1 JR東日本「東京地下駅」の謎


     1 地下総武線のホームが地下5階の深さに造られた謎

 相変わらず、地下の深さを表すのに「地下○階」を使っておられるようで。お使いになるのは嘘を合理化しやすいからかな?

 都立中央図書館東京室入り浸りの秋庭さんのことだから当然
    「東京駅関係工事記録類集」(日本国有鉄道東京第一工事局編 1974年刊)
は読んでおられますよね。
  その789頁に東京地下駅の地下1階平面図と地下駅の縦断面図があるのはご存知ですよね。これによると駅本屋に相当する部分では、階層が4階層のところ もあれば、5階層のところもあり、そのため各階層の天井高が異なっていて、「地下5階」と言うのが、申請とか概要説明用の階層表示上のものというのがよく わかります。特に、丸ノ内線が入ってきている地下2から3階ぶち抜き部分など、トンネル躯体とか三階部分の床との間に、インシュレーション用に間詰めコン クリートが分厚く張られているのがよく解るので、秋庭さんの言うように他に地下鉄や道路がこの地下3階、4階に入って来ているとしたら、この階層では高さ が足らない。間詰めコンクリート等でのインシュレーション無しでは隠された地下鉄や隠された道路上の車両の走行音は耐え難い騒音なので、一遍にバレるで しょう。
 また、同書の784頁には「東京地下駅の施工」概要の記述があり、「ハ)各階設備」として「B3階:機械電気室」、「B4階:コンコー ス」、「B5階: ホーム」として、「B1階とB4階は直通エスカレーターで、B4階とホームは階段及エスカレーターで連絡する。」と書かれています。
 秋庭さん自身も本項では、

     その地下ホームは、丸の内口駅前広場の地下5階、地下27メ-トルの
    ところにある。地下1階、地下中央口の手前にある下りエスカレーターで一
    気に地下4階へ。これだけでもかなり深いところに来た感じだが、ホームに
    降りるには下りエスカレーターをもうひとつ乗り換えなければならない。
       中略
     トイレだけしかない地下4階はどうなのだろうか?疑問はふくらんでいく。

と、地下4階がコンコースである事を具体的にお書きになっておられますが?何が謎なんでしょう。
 馬喰横山と新日本橋では地下3階に総武快速線が発着しているのに、東京駅では地下5階の発着で東京駅の地下3階と地下4階の2フロアーに何かが隠されていると仰るんですが、先ほどの
    「東京駅関係工事記録類集」(日本国有鉄道東京第一工事局編 1974年刊)
755頁~767頁に、「総武本線東京、津田沼間線路増設計画」と言う記事があり、その761頁の線路縦断面図に拠れば、馬喰横山、新日本橋、東京駅の地表から路盤下の最深部までの深さが書かれているんですけど。
 「計画」だから駅名表示が異なっていますが、秋庭さんの「馬場先門」駅とはちがうんだから、勝手に別線を線増しないように。

    馬喰町st 32.6m(馬喰横山駅の仮称。正確な深さの記述は32,600)
    本町st   25.6m(新日本橋駅の仮称。正確な深さの記述は25,600)
    東京st   26.7m(東京駅。        正確な深さの記述は26,700)

馬喰横山地下3階の方が、東京駅地下5階より6メートル深いし、新日本橋と東京の差1メートル10センチの間に2フロアー入るものなんでしょうか?だから、「地下○階」で嘘を合理化しなきゃならないわけですね。

     
     2 地下横須賀線の「東京トンネル」は、100年近く前に造られていた?

         地下鉄のトンネル工事で活躍するシールド工法は、線路の下にトンネルを掘る作業では
        有効だが、ホームなどがある駅の下にトンネルを掘る場合には、駅の重量にトンネルが耐
        えられないため使われない。
         こうした場合は駅を避けるルートに変更されるのだが、都営浅草線五反田駅のように、
        地下鉄が駅の真下を走っていることがある。これは、そこのトンネルが駅が造られたとき
        か、それ以前に造られたことを示している。

 駅の下にトンネルを通す場合、シールド以外に工法が無いんですか?開削してアンダーピニングとか、色々な工法があるんじゃないでしょうか?
 例えば、駅の下に新たに駅を作ろうとしても、上の駅の重量を支えられないから駅造れないんですか?
 あるいは、その100年前のトンネルの上に駅を造っても、100年前のトンネルは駅の重量を支えられるんですか。既設のトンネルなら後からの駅構造の重量を支えられるって根拠は何なんでしょう?
 単純化して申し訳ないんですが、10メートルの深さで駅の構築物の重量が上から被さるシールド工区と、40メートルの深さで上が土砂だけのシールド工 区、どっちの方が下のシールドの先端に懸かる土圧は高いんだろうか?まぁ、先端の土圧だけの問題ではないかもしれないが。
 秋庭さんの仰っているのは、

  シールド工法では上方に重量物がある場合、それを支えられないから、その重量物を避けて
  掘進することになるので、重量物の下にトンネルがある場合はその重量物が存在する以前
  にトンネルが存在した。だから地表の有楽町駅建立以前に「東京トンネルは掘られていた」。

 ということになりますが、一体どこの世界の物理法則なんでしょうか?秋庭ワールドだけの法則?


     3 かつて池袋~東京地下~月島を直線で結ぷトンネルがあった?

        有楽町線月島駅の項で詳しく述べるが、大江戸線が開通したことで、駅の上に交差する
       トンネルが古くからあったことがわかった。

 と仰るので、
  「79 「月島駅」新設の地下鉄が旧設の地下鉄の上を走る謎」

をみると、秋庭さんは

       あとで建設される地下鉄は古い地下鉄のトンネルを支えなければならないので下にトン
      ネルを造る。となれば、大江戸線のトンネルは有楽町線が造られるより以前に造られてい
      たことになる。

 すなわち、

 「重量物が上にある場合は、その下のトンネルは重量物より新しい。」

と仰っています。

 上記「2 地下横須賀線の「東京トンネル」は、100年近く前に造られていた?」では、

 「重量物が上にある場合は、その下のトンネルは重量物より古くから存在する。」

と逆の事を述べておられるのですが、これじゃー

        有楽町線月島駅の項で詳しく述べるが、大江戸線が開通したことで、駅の上に交差する
       トンネルが古くからあったことがわかった。

ってことになりません。

  しかも、「3 かつて池袋~東京地下~月島を直線で結ぷトンネルがあった?」読むと有楽町線の月島駅が大江戸線より古くからあるから、その向きが、東京 駅や東池袋の方を向いていると読めるんですが、でも、「79 「月島駅」新設の地下鉄が旧設の地下鉄の上を走る謎」の説明は有楽町線の月島駅の「トンネル が古くからあったことがわかった。」んじゃなくて、大江戸線の月島駅の「トンネルが古くからあったことがわかった。」って仰っているんですが。

 なお、武蔵野鉄道と旧西武鉄道の関係についてはこちら他 を参照ください。西武高速鉄道なるものは存在しませんし、もし、西武高速鉄道なるものが旧西武の関係組織だとした場合、昭和20年まで、旧西武と武蔵野鉄 道はライバル関係にこそあれ、同年に陸上交通整理法で合併させられるまでは、武蔵野鉄道とは何の関係もない存在ですから、戦前に西武高速鉄道(通称として 旧西武の新宿・立川間の未成免許線のことを指す様なのだが)が東池袋駅を造ることは有り得ません。


     4 地下京葉線の東京駅は、かつての都庁建設以前に掘られていた?

      1990(平成2)年に開業した地下京葉線の東京駅は、山手線の東京駅と有楽町駅の中
     間に、山手線と交差するように造られている。
      この駅の不思議なところは、同じ東京地下駅なのに地下総武線からの乗り換えに改札を
     出ない場合は20分もかかることだ。
     地下中央口の改札を出て丸の内自由通路を歩けば半分の10分で行ける、というのも不思
     議だ。利用者の利便性など考えもしないで造ったJRの見識を疑いたくなる駅なのだ。
      なぜ、JRがこんなところに駅を造ったかを考えるには、かつてここに何があったかを
     知らなければならない。

と書いているから、次に来るのは、

 「かつてここには成田新幹線の東京駅が来る予定であった。」

となるのかと思いきや、意表を衝かれましたネェ(笑

      東京に長く住んでいる人なら、すぐそばに東京国際フォーラムがあるから、かつてここ
     に東京都庁があったことに気づくはずだ。
      ここは東京都社会局があった場所で、その地下4階にホームがある。ちなみに、丸ノ内
     線は東京駅を出ると、かつての東京都労働局の地下を通って銀座駅に向かう。
      駅の下にトンネルを掘ることができないように、都庁というコンクリート造りの建物の
     下にトンネルを掘ることもできない。つまり、地下京葉線のトンネルも丸ノ内線のトンネル
      も、戦後に造られたものではない。かつての都庁が建てられたとき以前に造られたもの
     なのだ。
      ここに駅を造ることのできるトンネルがあったから、JR東日本は地下京葉線の東京駅を
     ここに造った、というわけだ。

 ですって。
 あの、すみません、京葉線東京駅のホームのある場所は「鍛冶橋通り」(厳密には鍛冶橋交差点と馬場先門を結ぶ戦前からある道路)の路下に当るんですけど。
 丸ノ内線の「東京都労働局」建物下受け(下支え)による工事については、「東京地下鉄道丸ノ内線建設史下巻」に詳細な施工記事がありますが。


     5 東京地下駅から広がる「大東京地下ネットワーク」の謎

      これらの地下鉄のいずれかが東京地下駅の地下3階、地下4階に発着していた可能性が
     ある、と私は考えている。

 前述のとおり「東京地下駅の地下3階、地下4階に発着していた可能性」は皆無です。

      こうした一直線のラインを東京の地図に書きこんでいるうちに、東京地下駅と地下鉄各駅
     を結ぶ直線の多くが、前ページの既にある私の考えた江戸城を中心にした五角形の辺や
     対角線、中心線に平行していることを見つけた。

 先に、五角形の変(辺)だとか、対角線、中心線との閉口(平行)だとかと言う思い付きが有って、その思い付きの源泉は、

      五角形の辺や対角線と平行に地下道を造るというのは中世ヨーロッパの要塞理論で、
     ウイリアム・アダムス(三浦按針)とヤン・ヨーステンによって江戸時代に伝えられ、江戸
     幕府が地下道のネットワークを造ったと思われる。

って、妄想なんだけど、それについては、こちら他一連の「水の下に眠る城は 何故燃えた?」で否定させていただきました。

 その思いつきに従って、後からあっちこっちに定規を当てて、検証したとする後出しジャンケンについては、こちらで mori-chi さんに虚仮にされています。

      東京地下駅のように、造ったことが秘密にされている地下鉄は、誰にも知られずに
     工事を進めなければならない。となれば、古くからあるトンネルに線路を敷くのが最も
     ふさわしい方法ではないか。

 このことを秋庭さんは今まで一度たりと実証した事がありません。「古くからあるトンネルに線路を敷く」技術の実例(具体的な方法)すら挙げられたことがありません。

      東京の地下には、私たちの知らない地下トンネルがたくさんあり、東京地下駅のよう
     に現在も隠されている地下駅が他にもあるはずだ。

 秋庭さんの脳内にしか存在しないために、「私たちの知らない地下トンネル」はどれだけあるのか、脳内の事だけに私たちはうかがい知る事が出来ません。
 盗人仲間の「二見書房」には、「本が売れる分」だけ「私たちの知らない地下トンネル」、「現在も隠されている地下駅」はあるんでしょうねぇ。

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