地下妄の手記
♪盗用は続くよどこまでもぉ
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♪盗用は続くよ何処までも
地下鉄はおろか、鉄道のことも良く理解していない秋庭センセ。特に、初歩的な技術すら
良く解っていない秋庭センセは、「東京の地下鉄がわかる事典」からの盗用で9×9の謎を
捻り出すしか、手がありませんでした。なかには、「71 地下鉄のトンネルの掘り方を一目
で見破る方法は?」などと、何で「見破らなならんの」な、これ謎かい?と言うものも。
「93 南北線の後楽園~東大前間のフシギな『扉』の謎」でトンネルの掘り方が一目で見
破れない人に、見破る法を説明されてもなぁ。と思っちゃイカンのでしょうな、雲国際ワールドでは。
さて、盗用の確認を引き続き。
「大東京の地下99の謎」(二見書房2006年刊)148~150頁
64」地下鉄トンネル内もクーラーが効いている?
かつて、真夏の地下鉄では、車両の窓が全開だった。若い人には信じられない話かもし
れない。地下鉄車両の冷房化が進みはじめたのは1990年代に入ってからで、1988(昭和63)
年の時点では、旧営団地下鉄(東京メトロ)の冷房化率はまだ10・9%だったのだ。同じ頃、
JRや各私鉄の冷房化率は80~100%に達していたことと比較すると、その遅れぶりが目立つ。
なぜ、地下鉄車両の冷房化は進まなかったのか。
大きな理由は、冷房化した際に生じる排熱の行き場がないということだ。
家庭用のクーラーでも、室外機からムワッとした排熱が出てくることはご存知だろう。
冷房機器を備えたものは、建物であれ、自動車であれ、排熱を生じる。
ただし、これらのものは、たいてい地上に存在しているので、オープンスペースに熱を
逃がすことが可能なのだ。
しかし、地下トンネルではそうはいかない。全車両で冷房を十分に効かせるとなると、
トンネル各所で大量の排熱が生じ、その熱は逃げ場を探して、スペースのある駅へと向か
う。そうなれば、駅は蒸し風呂状態だ。
そこで、当初、旧営団地下鉄は、地上への排熱ルートを駅やトンネルに設置することに
した。車両が冷房化されていなかった時代でも、駅構内の冷房化は進んでいた。ラッシュ
時の暑苦しい満員車両が駅に到着すると、スーツと涼しい風が流れこみ、乗客のイライラ
も一瞬おさまる……といった具合だった。
駅の冷房化に続き、トンネルの冷房化も進みはじめた。冷房化されたトンネル内では、
窓を開けると、涼しい外気が車内に送りこまれる。真夏の地下鉄車両の窓が全開されてい
たわけはここにある。
地上から乗り入れている車両では、地下トンネルに入ると、乗客に窓を開けるよう、車
内アナウンスが流れたものである。
JRや私鉄などの乗り入れ車両の場合は、冷房搭載車両であるにもかかわらず、地下に
入ったとたん、車内の冷房が切られ、窓開けを余儀なくされることになり、乗客の不満も
大きかった。
また、同じような乗り入れ線で、地下鉄車両が地上に出た際、窓を開けても涼しさは期
待できず、かといって冷房装置もない、ということで、他社とのサービス格差が目立つよ
うになる。
結局、「冷房つきトンネル」にも限界がみえ、しだいに廃止されていった。
その後、発熱量を抑えられる車両が開発されるなどして、排熱の問題も解消されはじめ
てきた。
そして、1988 (昭和63)年を皮切りに冷房搭載車の導入が開始され、1996年、
旧営団地下鉄全線で冷房化率100%を達成するに至った。
「読む・知る・愉しむ 東京の地下鉄がわかる事典」(青木栄一
監修 日本実業出版社刊 2004年)188~190頁
地下鉄の車両冷一房化が遅れたわけ
▼トンネル内の温度上昇対策で駅・トンネル冷房を優先
●冷房化率の数字の謎
いまや鉄道車両に冷房はあって当然といった感があるが、1980年代までは冷房のない車両も多く、
各社各線の「今夏の冷房化率」が毎年ニュースになるくらいだった。
ところが、その頃に日本民営鉄道協会が発表していた民鉄各社における車両の冷房化率の統計
をみると、営団の数字が他社と比べて著しく低くなっている。たとえば1988(昭和63)年の夏では、
他社が軒並み80~100%とほぼ冷房化の最終段階なのに対し、営団はわずか10%程度しかなかっ
た。
●地下空間をどう冷やすか
地下鉄はその昔、いまとなっては信じられないことだが、「夏涼しくて冬暖かい」をキャッチフレーズ
にしていた時期もあった。いまほど運転本数も多くなく、地下水が潤沢にあった時代は、地下はむしろ
涼しく快適な空間だったようである。
だが、地下水位の低下と走行する車両から発せられる熱の増大は、トンネルを蒸し風呂状態に変
えていった。とくに、地下終点駅における熱上昇は著しいものがあったという。地下鉄への冷房の必要
性は、地上の鉄道と同様であった。
ただし、地上と地下の決定的な条件の違いがある。それは、排熱の行き先だった。オープンスペー
スの地上と違い、狭い地下トンネル内で冷房を動かせば、その排熱は行き場を失う。車両冷房を
ガンガンに効かせれば、その熱は乗客の待つ駅のホームヘなだれ込んでいくしかなくなる。また、銀
座線や丸ノ内線のように第三軌条式を採用している線区ではトンネル断面が狭いため、屋根上に
冷房装置を置くスペースがないという問題もあった。
●当初は「トンネル冷房」を推進
そこで営団は「駅冷房」「トンネル冷房」という考え方を打ち出した。車両に冷房装置を積むのでは
なく、地上への排気ルートを確保した冷房装置を駅やトンネル内に設置し、車内へは窓を開けて冷気
を取り入れようというものであった。前述の統計は「車両」の冷房化率を示すものであったため、あの
ような数字になっていたのである。
ところが、地下鉄の車両といっても地下だけを走っているのではない。地上を走ることもある。車両
冷房の装置をもたない地下鉄車両による乗り入れ先での運転区間が長いと、その会社にとっては
サービスの低下となる。国鉄や民鉄各社はサービスの指標として冷房化率の数字を重視しており、
毎年のように冷房車の数を増やしていた。各線区の冷房化率が上がり、冷房車が当たり前のように
なってくると、その格差が目立ってくるようになった。
また、当時の乗り入れ各社の冷房搭載車両は、せっかく動いていた冷房を地下鉄線内に入ると止
めていた。トンネルの冷気を取り込むためには窓を開けなければならず、せっかくの冷気を逃がすこと
になり、乗客の不満も多かった。
●車両冷房に方針を転換
そこで営団も、ついに車両の冷房化に本格的に取り組むようになつた。駅冷房が進んだこと、後述
する発熱の少ない車両の開発で、トンネル内の排熱問題も以前ほどは深刻でなくなったこともその背
景にある。すでに1981(昭和56)年の新製車から車両冷房の準備工事がなされていたが、晴れて1988
(昭和63)年度新製分から本搭載となった。また、同時に在来車への取り付け工事も順次進められた。
一方、他社への乗り入れがなく、トンネル断面という制約があった銀座線、丸ノ内線車両についても、
薄型クーラーの開発で冷房搭載が可能となり、1990(平成2)年の新製車を皮切りに冷房車が増えて
いった。そしてようやく1996(平成8)年7月に、丸ノ内線方南町支線用の車両を置き換えることで車両
冷房化率100%を達成している。
都営地下鉄もその足取りは近いものがあり、1988(昭和63)年に都営新宿線で冷房車の導入を開始、
浅草線の5000形引退で全線の車両冷房化率100%を達成したのは1995 (平成7)年7月であった。
なお、冷房使用時の車内の設定温度は東京メトロが26度(弱冷房車28度)、都営地下鉄は25度(弱
冷房車27度)となつている。ただし、車両の小さい大江戸線は冷房車23度(弱冷房車25度) である。
暖房については都営の場合、22度に設定されているが、東京メトロはとくに設定していない。
まぁ、これは微妙に似ているレベルだが、「事典」は「大東京」のベースになっている事は間違いなく、
日時、数字データなどは「事典」からの盗用ですね。違うと言うなら数字データの原典が何なのか?
提示説明して欲しいですね。
以下の文、
「大東京の地下99の謎」の「よく知られているのは、・・・」以降と、
「東京の地下鉄がわかる事典」の「●車庫の出入庫線にある踏切」以降はそっくりだが、
偶然かなぁ?
「大東京の地下99の謎」(二見書房2006年刊)150~152頁
65」地下鉄にも踏切があるってホント?
東京都心では、地上を走る電車でさえ、踏切を通過するという光景はめずらしい。
たとえば、JR山手線を1周するあいだに、踏切を何ヵ所通過するか、ご存知だろうか。
なんと、たったの2回だけなのである (1ヵ所は池袋駅~目白駅間、もう1ヵ所は駒込駅
~田端駅間)。
これが地下鉄ということになれば、ますます踏切とは縁遠くなる。地下鉄路線の場合、
他の路線などと平面交差することが原則としてないため、踏切は無用なのだ。地下鉄電車
に揺られながら、警報機の音を耳にしたことのある人はいないだろう。
たしかに、地下鉄の営業線区には、踏切は存在しない。しかし、営業線区以外の場所で
は、踏切を目にすることができる。
よく知られているのは、銀座線の上野にある車庫の出入り口である。この車庫は地下と
地上に分かれているが、地上の車庫につながる線路が道路を横切っているため、そこに踏
切が設けられているのだ。実際にこの踏切で警報機が鳴り、遮断機が降りるのは、朝夕の
ラッシュ時間帯を中心として、1日20回程度だという。
この踏切が一風変わっているのは、遮断機が道路側だけでなく、線路側にも設置されて
いるという点だ。線路側についている遮断機はフェンスのような形のもので、電車が来な
いあいだ(道路側の遮断機が下りていないあいだ)は、このフェンスが線路を遮っている。
銀座線の場合、電気を送るケーブルがレールと一体化しているため、もし、フェンスが
なく、踏切を渡る人が線路内に入ると高圧電流に触れるおそれがある。それを防止するた
めに、フェンスが設けられているのである(当然だが、踏切部分には、電気が流れるレールは
敷かれていない)。
銀座線の電車が車庫に向かい、この踏切内に入ろうとするときは、まず、道路側の遮断
機が降り、そのあと線路側のフェンスが上昇して、その下をくぐるようにして、電車は踏
切を渡る。電車が踏切を通過したあと、線路側のフェンスが降りてきて線路をふさぎ、そ
れに続いて道路側の遮断機が上がるというしくみである。
かつては、都営浅草線の終点、西馬込駅から、馬込車両工場に続く線路上にも3ヵ所の
踏切があった。こちらも、車両工場は地上にある。西馬込駅から地下トンネルを徐々に上
り、地上に出た線路が車両工場に至るまでに、3本の道路を横切るため、それぞれの場所
に踏切が設置された。
しかし、2004(平成16)年に新工場がつくられ、馬込車両工場が使われなくなった
ため、この踏切も使用されなくなっている。
「読む・知る・愉しむ 東京の地下鉄がわかる事典」(青木栄一
監修 日本実業出版社刊 2004年)136~137頁
地下鉄と踏切
▼地下鉄の「営業路線上」にはないものの、意外なところに存在する
●地下鉄は立体交差が原則
地下鉄がそもそも地下を走る理由には、既存の市街地では新たな鉄道を地上に建設することが
困難であるというやむを得ない面と、地下であればほかの地上の交通機関との平面交差を避けて、
定時かつ安全・高速な輸送を実現できるという積極的な面がある。そう考えれば、地下鉄に踏切が
ないのはある意味で当然のことだろう。現に、東京メトロにせよ都営地下鉄にせよ、その営業線上
に踏切は存在しない。
ただし、相互乗り入れ先の線区では地下鉄車両が踏切を渡ることもよくある。他社との乗り入れ
がない銀座線、丸ノ内線、大江戸線はともかく、日比谷線、千代田線、有楽町線、浅草線、新宿線
には、乗り入れ区間に踏切がある。西武池袋線飯能駅付近などはごくわずかな距離とはいえ、10両
編成の地下鉄車両が単線を走っている光景を見ることができる。
これまでずっと踏切なしだったのに、乗り入れ先が広がったおかげで踏切を渡る羽目になつたの
が半蔵門線、南北線、三田線の各線。半蔵門線が西側で相互乗り入れしている東急田園都市線は
建設時期が比較的新しい路線なので、全線を通して立体交差でつくられている。そのため、ずっと
踏切とは無縁だったが、2003 (平成15)年3月19日に東武伊勢崎線と直通するようになったため、
踏切を渡るところができた。南北線、三田線も東急目黒線内に踏切があるが、こちらは立体交差
工事が進展しており、近い将来、踏切無縁に戻ることになりそう。
現在、乗り入れ先を含めて完全に踏切なしを実現しているのは東西線である。JR中央線中野
~三鷹間、JR総武線西船橋~津田沼間、東葉高速鉄道西船橋~東葉勝田台間のいずれも立体
交差で、踏切はない。
●車庫の出入庫線にある踏切
冒頭に「営業線上に」と限定したのには訳がある。実は、厳密にいうと、地下鉄にも踏切はある。
銀座線の上野検車区は、地上と地下の2層式になっており、地上部に入出庫する電車が道路を
横切っている。銀座線は第三軌条式だが、踏切部のサードレールは人や自動車の通行を妨げるの
で設置されていない。
また、道路側だけでなく、線路側にも遮断機があるのが特徴である。通常は線路側だけフェンス式
の遮断機が下りており、電車が通行するときには道路側に遮断桿(ルビ:かん)が降りたあとで線路
側の遮断機が上がるしくみになっている。踏切が降りるのは主に朝夕のラッシュ前後で、1日に20回
くらいだという。
また、都営浅草線の馬込車両研修場の検車場と車両工場を結ぶ連絡線にも踏切が3か所あった。
工場が西馬込駅を挟んで検車場と対角線上の位置にある工場に入る車両が月に数回通るだけの
ものである。ただし、浅草線、大江戸線車両の一体的、効率的な整備を図るため、馬込検車場を
馬込車両工場と一体化し、馬込車両基地として整備することになり、2004(平成16)年に新工場が
完成したため、これら3つの踏切も廃止された。