地下妄の手記

BY WHOM DOES TRUST HIM?

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By whom does trust him?


秋庭氏は「内田祥三先生作品集」に「満州農業移民居住地試案」とあるのを、そのまま単行本での複写元に使われたのだけれど、その時、ついうっかり、「内田祥三先生作品集」に入っていない、「村落配置図」を「近代日本建築学発達史」から、この様に複写元の記述も無しで持ってきてしまわれたのでしょう。


    帝都東京・隠された地下網の秘密[2]秋庭俊著 洋泉社刊2004年 177頁

何だか、どなたかから叱られたか、文庫版では一応複写元を下の様に「村落配置図(『近代日本建築学発達史』より)」とお入れになっておられます。


    帝都東京・隠された地下網の秘密[2]秋庭俊著 新潮社刊2006年 203頁

さて、私が単行本176頁、文庫版202頁の、

   この試案の作成には、内田祥三、笠原敏郎、加藤鉄夫、岸田日出刀、
   
菱田厚介と、戦前の建築界の巨頭がずらりと並んでいる。

と言う記述に対して、2ちゃんスレッドで

「加藤鉄夫」さんって、戦前の建築界の巨頭さんなんですか?私はてっきり陸軍一等主計の「加藤鐵矢」さんだとばかり。出自をご承知なら星主導のもっと凄い陰謀論が書け
たのに残念でした。

と揶揄したのは、「内田祥三先生作品集」に「満州農業移民居住地試案」として、「近代日本建築学発達史」に「満州の農業移民に対する居住地計画の一試案」として紹介された論文の本稿、すなわち、昭和八年四月の「建築学会大会」論文「滿洲の農業移民に對する居住地計畫の一試案」の目次に以下の様にあるからです。



    建築雑誌 建築学会大会論文(昭和8年)


まぁ、
「内田祥三先生作品集」の解説にはその資格の紹介無しに、「協力者としては、笠原敏郎、加藤鉄夫、岸田日出刀、菱田厚介の諸氏があげられ」なんて並べて書かれているし、しかも「鐵矢」じゃなくて、「鉄夫」と書かれているから、例によって秋庭氏はよく確かめもせず、「内田祥三、笠原敏郎、岸田日出刀、菱田厚介」と言う見掛けの権威にパックンと食い付いてしまったんでしょうな。

「加藤鉄夫」さん。

しかし、この「滿洲の農業移民に對する居住地計畫の一試案」に対する、秋庭氏の見てきた様な嘘の中で一番困るのは、何と言っても次の部分についてでしょう。

単行本176頁、文庫版204頁

   村落の中央には村役場がある。上の図では黒い四角、下の写真では白い四角、村役場は百メートル四方の正方形である。一五〇戸の農家がこの周りに広がり、一戸あたりの耕地は一〇ヘクタール。耕地面積は同じでも形はいろいろで、村落は六角形につくりあげられる。

   六角形の村落を蜂の巣のように並べ、三方向の道路で村役場を結ぶ。水平方向の道路では、となりの役場まで五〇〇メートル。右ななめ、左ななめの道路では、次の役場まで五三〇メートル。

二つのななめの道路は、役場の地下を通過している。この試案においては、地下立体交差のポイントは役場の地下である。

   村落が三つで、ここでは一つの町になる。その中心に築かれるのは、町役場である。町役場は、なぜか、道路から見放されているが、線路のようなカーブがうっすらと見える。本書の写真ではよく見えないときは、出典のオリジナルをご覧いただきたい。

ダイヤモンドカットをイメージさせる、六角形の村落配置図は、秋庭氏にとっては、「地下網の秘密[2]」の論述の重要な部分を占めるものと思われるのですが。多分。

それがこの為体です。




    建築雑誌 建築学会大会論文(昭和8年)

この図の三つの六角形部分を拡大したのが次の図です。





秋庭氏は、村落の中心間の距離を
    水平方向の道路では、となりの役場まで五〇〇メートル。右ななめ、左ななめの道路  
   では、次の役場まで五三〇メートル。
     
と仰るのだけれど、この六角形一辺は、この拡大図では2.95KM。
でまぁ、原典には何処にも「村役場」なんて言葉が無くて、「中央部に集団的の住宅」と言っておりますけど、その集団的住宅間の距離は、拡大図見ての通り、一寸潰れてますが、5.1KM(キロメートル)と書かれています。

六角形の中を細かく見ると、


    建築雑誌 建築学会大会論文(昭和8年)



秋庭氏が、
    村落の中央には村役場がある。上の図では黒い四角、下の写真では白い四角、村役場
    は百メートル四方の正方形である。
と言う、「村役場」、本当は「住宅区」の黒い四角部分の大きさは、「百メートル四方の正方形」どころか、550メートル×500メートルもあるんですね。
なるほど、「本書の写真ではよく見えないときは、出典のオリジナルをご覧いただきたい。」とは良く書かれた。

オリジナルを見ると本当のところが、実の良く見えてきます。
さらに、言えば、秋庭氏が「出典のオリジナル」と仰る、「内田祥三先生作品集」の「満州農業移民居住地試案」には、この住宅区の鳥瞰図が「城壁のある村落計画」と言う標題で挙げられています。
秋庭氏はこの折角の図を、何で複写掲載されなかったんでしょうかね。
一応、出典元の「建築学会大会論文」から同図を挙げておきます。

推察するに、住宅区と住宅区の中心間の距離が500メートルでなく5100メートルもあったら、
「何で、満州の片田舎で、そんな大層な地下道が要る訳?」
との疑問が読者に涌くと思ったんでしょうね。
ご同様に、住宅区鳥瞰図、当初は、何となく、斜めの道路地下に潜っている様に見えたので、
   二つのななめの道路は、役場の地下を通過している。この試案においては、地下立体交
  
差のポイントは役場の地下である。
とお書きになったんだろうけど、普通に見たら、と言うか、陰影で「地下に潜っている様に見える部分がある」と言う程度だし、第1、役場としたものの中に集合住居群と役場風の建物(原典では「中央館」と書かれています)が存在しちゃうと言う困った絵柄になるんで割愛されたんでしょうね。
念のため、この中央館のサイズを原典にある「第10図 中央館平面図」で測ると約80メートル×80メートルの建物です。
    
私が、「省略による改竄」と言っているのは、こう言う手口に対して申し上げている訳です。

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