地下妄の手記 風のささやき#2

  2010年の3月頃に、鉄道トリビア本がトリビア本からトリビア本への、伝言ゲームのような劣化コピーから成り立っていることを論ずる過程で、その所業が秋庭さんと瓜二つな、梅原淳氏出会いtwitterで呟いた結果について、少しまとめて書こうかと思い、同年5月「風のささやき」として上げ、

    以下続編「風のささやき#2」で梅原淳氏の別の著書について論じてみたい。


 などど大見得を切った手前、続編を標題で掲出しようと準備しておりましたが、別途事情が生じ以降梅原氏の朝日新聞社、朝日新聞出版扱いの諸誌について本wikiでの掲出の機会を何となく失し、その後は鮮度的にどうかなとの思いもあり放置しておりました。
 しかし、生来の吝嗇な性質。当時のツイートと書いたものが勿体無いとの世知辛い考えと、梅原氏当時から少しも改まることなく、なお捏造と歪曲からなる妄念を垂れ流しておられますので、彼の手口を確認していくためにも格好の資料であります、 「朝日新書088鉄道用語の不思議」(梅原淳著朝日新聞社200712月刊)の一部の当時の検証を以下に掲出することとしました

風のささやき#2


  どうも、梅原淳氏は気色悪い。勿論基本は鉄道雑学系の方なのだけれど、「私には独自のものが存在するのだよ」みたいなことを仰りたいのか?例えば酷く言葉に拘られて、権威筋「法律」であるとか、「規格」であるとかのお墨付きを欲しがられる。
  5月16日にtwitterで挙げたが「この人の鉄道への興味は、紙に書かれたトリビアの字面の蒐集、紙の上でのディテールを追うだけのものに過ぎないんだろうな。」
  そのくせ、「お墨付き」の解釈などが杜撰であったり、そこから飛躍されて、と言うか、そのお墨付きと何の関係も無いことを牽強付会されたり、或いは捏造されて、何かを確立されようとする。

  特に、歴史的経過などについて、何の根拠も無く、憑拠も示さずに「何々であったに違いない」とか「何々だったのかもしれない」の様な秋庭俊さんも顔負けな捏造と言うか、妄想が入り、それを持って結論とされることがある。

  「朝日新書088鉄道用語の不思議」(梅原淳著朝日新聞社200712月刊)、こちらではこの様な奇妙なことを言っている。(20頁~21頁)


2 線路と軌道

──前略──軌道という言葉の意味は前項でも取り上げた軌道法の存在を知っている
人にはかえっ
てわかりにくくなっている。少なくとも筆者はそうだ。なぜなら、この法律が
あるおかげ
で、軌道とは「軌道法に基づいて開業した交通機関」も指すのではないかと
考えてしまう
からである。
 軌道法の条文から果たして軌道という言葉がどのように用いられているのかを検証して
みよう。第一条では「本法ハ一般交通ノ用こ供スル為敷設スル軌道二之ヲ適用ス」とある。
これでは、軌道は物体なのか、それとも交通機関まで含まれるのかはわからない。
 第二条に進もう。「軌道ハ特別ノ事由アル場合ヲ除クノ外之ヲ道路二敷設スヘシ」とあ
った。ここで用いられている軌道とは明らかに物体であり、「軌道法に基づいて開業した
交通機関」ではないD
第三条から第百六十四条まで、大きく飛んで第千三百条から第千
三百三条まで、さらには第千三百四十四条までを見渡しても、軌道という言葉はあくまで
も物体としての意味しかもっていないことが確認できた。
 こうなると「軌道法に基づいて開業した交通機関」が何と呼ばれているのかが気になる。
国土交通省の見解は明白だ。路面電車である。
 率直に申し上げれば、軌道法は「路面電車法」とでも命名されていれば混乱を招くこと
はなかった。実際のところ、道路上に敷設された自家用の引き込み線などには電車が走っ
ているとは限らないので、「路面鉄道法」とすればより正確だ。
 軌道法の命名の経緯について、当時の文献を見てみたがよくわからない。どうやら、軌
道法を管轄していた内務省(現在の国土交通省)と、それ以外の形態の鉄道を管轄してい
た鉄道省(こちらも現在の国土交通省)との間に「鉄道」という用語をめぐる対立があった
からだと思われる。
 何しろ鉄道省は「鉄道」をそのまま省名としていたくらいだ。はっきりとした記録は見
っからなかったが、他省庁が「鉄道」と付く法律を制定し、管轄すると言い出せば面白く
ないだろう。
 法律に「鉄道」という言葉が使えないとなると、内務省は代わりの用語を探すしか方法
はない。路面電車の最も大きな特徴といえば、道路上に敷かれた軌道だ。こうして、内務
省は軌道法と命名したようだが、おかげで軌道という用語が物体にも交通機関にも受け取
られるあいまいな用法を生み出してしまった。
現在は軌道法によって敷設された鉄道も国土交通省の管轄なのだから、「道路上に敷設
する鉄道法」とでも改めてはどうだろうか。
──後略──


取り敢えず、twitter では、前半部分について以下の様に批判した。

梅原淳はやはりおかしい。「朝日新書088鉄道用語の不思議」(梅原淳著朝日新聞社2007年刊)で、軌道と言う言葉が軌道法にどう書かれているか見に行かれているのだが、「第三条から第百六十四条まで、大きく飛んで第千三百一条から第千三百三条まで、」ええっ!軌道法って、第三十四条までじゃ?4:01 PM May 5th

梅原淳は「朝日新書088鉄道用語の不思議」「2線路と軌道」で「さらには第千三百四十四条まで見渡しても、軌道という言葉はあくまでも物体としての意味しかもっていないことが確認できた。」と書く。彼の参考書鉄道六法見て解りました。梅原淳本則と附則の区別がついていないということが。4:30 PM May 5th

梅原淳「朝日新書088鉄道用語の不思議」にある、第百六十何たら、第千三百何たら、全部「附則」の条文。梅原は鉄道六法(第一法規の「軌道法」第三十四条以降の附則として明記された条項のつまみ食いをして本法本則と並べて書いている。つまり梅原淳は大インチキ野郎なわけだ。5:01 PM May 5th

本法に第一条があるのに附則の項に「施行期日」が第一条として書かれ、その後に第百六十何たらとか、第千三百何たらとかあって梅原がそれをなぞっているだけでしかないことに気付かないでチェックもせずに本を出しちゃう朝日新聞社(現朝日出版)の編集って、アンタ馬鹿ァ!w5:15 PM May 5th

梅原淳の「大きく飛んで第千三百一条から第千三百三条まで、」、「第千三百四十四条まで見渡しても、」附則条文。国土交通省の所管法令一覧「軌道法」附則に抄録されておらず、梅原が挙げてない第二百五十条等が有ったりする。梅原附則全然読んでない。どの口が言う「第千三百四十四条まで見渡しても」1:29 AM May 6th

梅原が釈迦力になって「第千三百四十四条まで見渡し…」たのは「軌道法」上で「軌道と言う言葉はあくまでも物体としての意味しかもっていなことが確認できた」かったから。ここで言う梅原の「物体」ってのは、「レール」、「枕木」、「同床」で構成される部分「軌道」ってことらしいんだが。12:13 AM May 7th

何故、梅原が「軌道法」に書かれている「軌道」って言葉に拘るかと言うと、「軌道法」に言う、「軌道」には「軌道法に基づいて開業した交通機関」と言う意味は無い。人がその意味が有るように誤解するのは、「軌道法」と言う名前が悪いと梅原は主張したいらしいからなんだが。12:18 AM May 7th

梅原は「軌道法」の第一条と第二条を上げ、特に第二条「軌道ハ特別ノ事由アル場合ヲ除クノ外之ヲ道路ニ敷設スへシ」で「ここで用いられている軌道とは明かに物体であり、『軌道法に基づいて開業した交通機関』ではない」、「第三条から(中略)第千三百四十四条まで見渡し」て物体の意味しかないと言う12:30 AM May 7th

変なので、「鉄道六法」確認した。梅原第三条以下書かない訳だ「〔事業の特許〕第三条 軌道ヲ敷設シテ運輸事業ヲ経営セムトスル者ハ国土交通大臣ノ特許ヲ受クヘシ」、「第四条 前条ノ規定ニヨリ特許ヲ受ケタル軌道経営者ハ…後略…」、「第五条 軌道経営者ハ国土交通大臣ノ指定スル…後略…」12:49 AM May 7th

まだまだあるな「第六条 軌道経営者工事施工ノ認可ヲ…後略…」、「第七条 軌道経営者工事施工ノ認可ヲ… 後略…」、この「軌道経営者」の「経営者」の前に付く「軌道」は物体なのかい?「軌道法」本法の殆どの条文に「軌道経営者」出てくるけどこの「経営者」は「軌道」と言う物体を経営してる訳か?12:57 AM May 7th

梅原さんの手口は「地下網」の秋庭俊さんと良く似ている。法律や権威者の発言や論文類、或いはJIS規格等の自己に都合の良い部分だけ取り上げたり、歪曲や、「記述しないこと」による事実の改竄とも言うべきものが見られる点、流石、秋庭さんカルチャーの本家朝日さんが本にされるだけのことはある。1:10 AM May 7th

6っ前訂正。正)道床 、誤)同床。訂正ついでに梅原の主張のマトメ「軌道1 レール、まくらぎ、道床などから成り立つ。(中略)5軌道法でいう軌道とは、道路上に敷設された交通機関の様に思われるが、1の意味である。」「軌道法」第四条以下の「軌道経営者」についてちゃんと説明しろよ梅原9:52 AM May 7th 


「2 線路と軌道」の上記抜粋、残り部分について、ここで検証していこう。

 こうなると「軌道法に基づいて開業した交通機関」が何と呼ばれているのかが気になる。
国土交通省の見解は明白だ。路面電車である。

「軌道法に基づいて開業した交通機関」が「軌道」であると「軌道法」に書かれていることは、前掲twitterで挙げたが、さて、この「軌道法に基づいて開業した交通機関」の呼称が「路面電車である。」と言う国土交通省の見解」は何に基づいているのだろうか?
梅原さん独自の、「軌道法」本法と附則の解釈によるのか?或いは、秋庭さん同様役所等への「直接」取材がお得意の様なので、国土交通省にお問い合わせをされたのか?
普通、行政は法律に則って、その役務を遂行しますから、どの法律に「軌道法に基づいて開業した交通機関」を「路面電車」と言うか、国土交通省のどこかの部署が法と権限に基づいて明かにしたはずですが、それを言っていただかないと、具体的な憑拠のないままに、「国土交通省の見解」なるものが、私人である梅原さんによってのみ提示されていることになりませんか。「明白」って言葉はその役所の言質がないことを物語っていませんか?

 率直に申し上げれば、軌道法は「路面電車法」とでも命名されていれば混乱を招くこと
はなかった。実際のところ、道路上に敷設された自家用の引き込み線などには電車が走っ
ているとは限らないので、「路面鉄道法」とすればより正確だ。

とまで言われているけれど。誰が「混乱」しているのだろうか?ところで、

道路上に敷設された自家用の引き込み線

って、何?具体的に何処に敷設されているのだろう?「軌道法」に基づいて敷設された「物体」としての「自家用の引き込み線」って。実在するなら場所とか、事業者の名前言えますよね。出していただけますか?

 軌道法の命名の経緯について、当時の文献を見てみたがよくわからない。どうやら、軌
道法を管轄していた内務省(現在の国土交通省)と、それ以外の形態の鉄道を管轄してい
た鉄道省(こちらも現在の国土交通省)との間に「鉄道」という用語をめぐる対立があった
からだと思われる。

当時の文献」?梅原氏は別項で、「軌道法」の前身である「軌道条例」と言う言葉を提示されているのに、何故、「用語をめぐる対立」と言う話になるのかが不思議だ。まぁ、自分の意図に合わせた状況を「軌道法」と言う言葉に持たせたかったのだろうけれど。
以下に時系列で軌道法に係る出来事を挙げますけれど、


 明治13(1880)年 東京馬車鉄道設立 明治15(1882)年開業
 明治23(1890)年 軌道条例施行
 明治28(1895)年 京都電気鉄道(軌道条例準拠)開業
 明治36(1903)年 東京馬車鉄道業態変更、東京電車鉄道へ
 明治38(1905)年 阪神電気鉄道(軌道条例準拠)開業
 明治41(1908)年 鉄道院、帝国鉄道庁と逓信省鉄道局統合により内閣鉄道院発足
 明治43(1910)年 京阪電気鉄道(軌道条例準拠)開業
 明治43(1910)年 箕面有馬電気軌道(現阪急宝塚線軌道条例準拠)開業
 大正 3(1914)年 大阪電気軌道(現近鉄奈良線軌道条例準拠)開業
 大正 7(1918)年 箕面有馬電気軌道、阪神急行電鉄に社名変更
 大正 8(1919)年 地方鉄道法施行
 大正 9(1920)年 鉄道省が内閣鉄道院より昇格(内閣直轄より省へ独立)
 大正 9(1920)年 阪神急行電鉄(現阪急)神戸線(軌道条例準拠)開業
 大正10(1921)年 軌道法公布
  大正13(1924)年 軌道法施行


「軌道法」の前身「軌道条例」にはその施行当時から、

  第一條 一般運輸交通ノ便ニ供スル馬車鐵道及其他之ニ準スヘキ軌道ハ起業者ニ於テ
        内務大臣ノ特許ヲ受ケ之ヲ公共道路上ニ布設スルコトヲ得

「馬車鐵道及其他之ニ準スヘキ軌道ハ─中略─公共道路上ニ」と書かれています。もともとは、都市域内を、その事業地域とする馬車鉄道を管理監督するための法律であり、馬車鉄道は実質道路に敷設されなければ、事業として意味を成しませんので、公共道路上に敷くことが出来るとした訳で、公共道路の管理者は中央集権でしたので、当時の地方行政体=内務省ですから、当然内務大臣、内務省所管の法律だった訳です。
その軌道条例が、都市域内鉄道事業の電車化、馬車鉄道の電化によって、電化鉄道の管理監督法制の実態を帯びていきます。私設の電化鉄道の先進地域であった近畿地方では、都市域外特に都市間輸送を目的とした電化鉄道が軌道条例に拠って開業していきます。
すなわち、「軌道条例」は都市域内と都市近郊の鉄道敷設について、鉄道院、鉄道省が出来る以前から、実効性を持って機能していたと言うことです。実効性の有る法を踏襲する法律に同様の名を付ける、そして実在するその法によって監督すべき対象たるものが「軌道」で変わり無いのに、何故、梅原氏の言う様な、「内務省(現在の国土交通省)と、…鉄道省(こちらも現在の国土交通省)との間に「鉄道」という用語をめぐる対立が」発生しなければならないのでしょうか?「軌道法の命名の経緯について、当時の文献を見てみたがよくわからない。」のに、どうしたら、「「鉄道」という用語をめぐる対立があったからだ」といえるのでしょうか?この対立とやらがあったのは何時頃なのですか?
ましてや、

 何しろ鉄道省は「鉄道」をそのまま省名としていたくらいだ。はっきりとした記録は見
つからなかったが、他省庁が「鉄道」と付く法律を制定し、管轄すると言い出せば面白く
ないだろう。

はっきりとした記録は見つからなかった」のに、どうして「他省庁が「鉄道」と付く法律を制定し、管轄すると言い出せば面白くないだろう。」などと言う下世話な類推が、憑拠も無しに言えるのでしょう?

最早以下の様な何の憑拠も無い記述は、妄想としか言いようがありませんが。


 法律に「鉄道」という言葉が使えないとなると、内務省は代わりの用語を探すしか方法
はない。路面電車の最も大きな特徴といえば、道路上に敷かれた軌道だ。こうして、内務
省は軌道法と命名したようだが、おかげで軌道という用語が物体にも交通機関にも受け取
られるあいまいな用法を生み出してしまった。
現在は軌道法によって敷設された鉄道も国土交通省の管轄なのだから、「道路上に敷設
する鉄道法」とでも改めてはどうだろうか。


この辺りの表現、吾が親愛なる秋庭俊さんのこの記述にソックリなのですが。

      かつて東京には網の目のように都電の線路が張りめぐらされていた。都電の路線(系統)は三
〇も四〇もあって、同じ停留所に新宿行きもくれば、渋谷行きもきた。都電は一両編成でスピー
ドも速くなかったが、行き先にはバラエティがあった。いまの地下鉄にも勝っていた点である。
各路線の都電はしばらく同じ線路を走った後、新宿行きは右に曲がり、渋谷行きはその先で左
に曲がっていた。
曲がった先でも、それぞれが他の路線と線路を共有していた。都電の線路には、つまり、数多く
の分岐と合流があった。
仮に東京の地下にそんな都電綱ができていたとしたら、どんなことが起こるだろうか。
戦後、そのトンネルに渋谷行きの地下鉄を走らせると決めれば、その分岐点から新宿へ向かう
トンネルには、もう地下鉄はこないことになる。そこにはいくらトンネルがあっても、もう、鉄道には
利用できない。
都営新宿線の線路幅は、都電と同じである。市ヶ谷を出た都営新宿線は、新宿三丁目を通過
し、京王線へと乗り入れている。が、かつて新宿三丁目に分岐点があって、そこから新宿駅の大
ガードヘとトンネルが通じていたら、そのトンネルはもう鉄道には使えなくなる。
地下街にするか、地下駐車場にするか、地下歩道にするか、ギャラリーにでもする以外に再利用
の道はない。
先述した新宿プリンスホテルの地下駐車場は、深夜一一時に出入口が閉まってしまうが、新宿
三丁目のアドホック地下駐車場に入ると、そこからホテルまでトンネルが通じている。何もない
ところにホテルと地下街を建設したら、そんなことが起こるとは思わないが、そこにかつて都電
が走っていたなら、当然の帰結である。

               (新説 東京地下要塞 秋庭俊著講談社刊)

内務省(現在の国土交通省)と、それ以外の形態の鉄道を管轄してい
た鉄道省(こちらも現在の国土交通省)との間に「鉄道」という用語をめぐる対立があった
からだと思われる。


 秋庭さんの同項の結論は

 国民には極秘の地下都電は、関係者の間では「都営軌道」と呼ばれていたように思われる節が
ある。


でしたね。


同じ様な秋庭さんモドキの記述は「朝日新書088 鉄道用語の不思議」には随所に見られるのだけれど、まず、次の項題から見ていきましょう。(54~59頁)



 9 国鉄
  1987 (昭和62)41日午前0時、国鉄は事業をJR
各社に引き継ぎ、この瞬間
 に消滅した。国鉄の杉浦喬也総裁は、新生JR
に向けて次のようなメッセージを託し、国
 鉄との別れを惜しんだ。
 「国鉄は1世紀にわたる栄光の歴史を閉じた。これは同時に21
世紀に向けての新しい時代
 の幕開けだ。ここに、国民の期待と信頗にこたえ得る鉄道を目指し、鉄道事業を将来にわ
 たり発展させていただくべく、世界に誇るダイヤと、それを支えてきた国鉄マンの英知と
 技術と勇気とを新鉄道会社に引き継ぐ……」 (東海旅客鉄道株式会社新幹線鉄道事業本部、
 『新幹線の30年』、19952月、357358
ページ)
  杉浦総裁の言葉から判断すると、国鉄は100
年以上もの間存在していたらしい。先に
 挙げた『新幹線の30年』の356ページには「国鉄115
年の歴史にピリオドを打つ」と
 あった。1987年から見て、115年前とは1872 (明治5
)年のことだ。どうやら、
 国鉄は明治557日(旧暦、新暦では612
日) の品川-横浜間の仮営業開始と同時に
 誕生したようだ。
  さて、「国鉄」という用語ほ正式のものではなく、略語である。『広辞苑第5
版』によ
 れば、「日本国有鉄道の略称」だという。では、日本国有鉄道とは何の意味かといえば、
 同じく『広辞苑』によると「国の特別会計をもって鉄道事業およびその付帯事業を経営す
 る公共企業体。1949
年、独立採算の企業的立場で従来の鉄道省・運輸省などによる政
 府直営事業を引き継ぐ。874月に民営化、その事業は7株式会社(略称JR
)に分割し
 て継承される。国鉄」とある。
  補足しよう。日本国有鉄道ほ1948(昭和23)年220
日に公布された日本国有鉄道
 法(198741日廃止)に基づき、翌1949(昭和24)年61
日に発足した。か
 つて三公社と呼ばれる国の公共企業体があり、そのうちの一つが日本国有鉄道だったのだ。
 残る二つの公社は日本電信電話公社(現在の日本電信電話株式会社)と日本専売公社(現在
 の日本たばこ産業株式会社)である。
 194961日から1987331日まで存在した日本国有鉄道の歴史は3710
ヵ月。
切り上げても
38年だ。115年と38年とを比べると、77年もの開きが生じてしまっ
ている。
杉浦総裁やその言葉を伝えた
JR東海は、年数の計算を間違えてしまったのだろ
うか。
  筆者は長い間、日本国有鉄道法に基づいて発足した国鉄よりも前に存在した鉄道、つま
り、
政府直営の鉄道事業を何と呼んでいたのか疑問に感じていた。現在の「
JR」、日本
国有鉄道
時代の「国鉄」に相当する呼び名があったはずで、明治や大正、戦前の人たちは
一体どの
ような用語を使用していたのかという点だ。

  鉄道趣味6誌を眺めてもよくわからない。日本史の教科書などで比較的よく目にする用
語は
「官設鉄道」だ。しかし、この用語は明治政府が敷設した鉄道だけに当てはまる。

  ご存じのとおり、後の国鉄線、現在のJR線の多くは民間の鉄道会社によって建設され
た。
日本鉄道による東北線、山陽鉄道による山陽線などだ。これらは
1906(明治39331
日に
公布・施行された鉄道国有法(
198741日廃止)によって買収されて
政府直営の鉄道路線
となった。したがって、国有化によって誕生した組織を官設鉄道と呼
ぶのは誤りだ。
  さすがに鉄道趣味6誌はこの点ははっきり区別しているが、他の分野の書物を見ると案

間違いが多い。誌名は失念してしまったが、大正時代に撮影された山手線の電車の写真

説明文に「官設鉄道」とあって驚いた覚えがある。山手線を敷設したのも日本鉄道だか
らだ。
  鉄道に詳しい諸先輩方ならこう言うだろう。「省線」だと。「省線」とは鉄道省の路線と
いう
意味である。「国鉄線」や「
JR線」という用法に相当する言葉で鉄道事業全体を示
してはいない。
  それならば、「省線」から「線」を除いた「省」と呼んでいた可能性も考えられる。だ
が、省は
ほかにも設けられていた。それに政府直営の鉄道事業を行う組織名は目まぐるし
く変わっており、
 鉄道省が存在したのは1920(大正9)年515日から1943(昭18)年1031日までの235
カ月
間だけ。それより前には鉄道掛、鉄道寮、鉄道局、鉄
道庁、鉄道作業局、帝国鉄道庁、内閣鉄道
院、それより後には運輸通信省、運輸省が鉄道
事業を行っていた。そのたびに「掛」「寮」「局」「庁」
「院」と呼び換えていたのかもしれ
ないが、手間がかかる。世間の動きに疎いと、的外れな呼び方
をしてしまいそうだ。

  日本国有鉄道より前に政府直営の鉄道が何と呼ばれていたのかを、比較的容易に知る方
法が
ある。国会議事録を参照することだ。現行の憲法に基づいて第
1回国会が行われたの1947
(昭和
 22623日のこと。つまり、日本国有鉄道発足の2年前である。この日から1948531
日までの
間、国会で使用されていた用語を調べれば、非常に信
頼性の高い答えが得られるはずだ。
  調べた結果、やはり「国鉄」と呼ばれていたことが判明した。この用語も略語だが、当
然ながら
日本国有鉄道という組織の略称ではない。国が所有する鉄道、国有鉄道を縮めた
ものだ。
  1947623日から1948531日までの間、国会で「国鉄」という用語
(「国鐡」「國鉄」「國鐵」
を含む)が登場した回数は
549回。最も古いのは、194777
日に開催された衆議院運輸及び
交通委員会で、説明を行った伊能繁次郎運輸事務官の
発言中に現れる。
  いっぼう、「国有鉄道」という言葉(「国有鐵道」「國有鉄道」「國有鐵道」を含む)が登場
した
回数は
511回だ。正式な言い方よりも略語のほうが登場回数が多い。発言しやすか
ったのだろう。
  当時、国有鉄道である国鉄についてどのような議論が国会で交わされていたかというと、
莫大な
赤字の解消策だ。国有鉄道は明治以来、
1944(昭和19)年度まで黒字経営を続
けていた。
ところが、戦後になって多額の復興費用が必要となり、さらに燃料費など、諸
経費の高騰によって
赤字に転落。
1948年度だけで何と330億円(現在の貨幣価値に換算して約31751587
万円)もの
赤字を計上してしまう。こうした状態を打開する
ために独立採算制の公社とする日本国有鉄道法
の成立が急がれたのである。

  新しい公社の名は、それこそJRとしてもよかったはずだ。だが現代とは異なり、物資
不足が深刻
で情報伝達網も未整備となると、あまりに突拍子もない名称では混乱を招く。

  従来どおりの「国鉄」をそのまま使用することを前提に、日本国有鉄道と命名したという
 のが真相ではないだろうか。
  それではまとめてみよう。

  国鉄
  1 現在のJRの前身。
  2 日本国有鉄道という後者の略称。
  3 国有鉄道の略称。
  4 日本国有鉄道の発足前も用いられていた。


 と言うものだがtwitterではこんな感じに批評した。

陸 壱玖 LukYatGau
       
      「鉄道用語の不思議」の気持ち悪さの典型が「9 国鉄」。冒頭に、日本国有鉄道最後の総裁杉浦喬也の国鉄惜別の言葉に、「国鉄は1世紀にわたる…」があることから、この「国鉄」を「日本国有鉄道」と読者が錯誤する様に、広辞苑を牽いて誘導する。目的は好い加減な知識と見当外れの努力のひけらかし。 2010年5月27日 0:18:59 webから

     「筆者は長い間、日本国有鉄道…中略…よりも前に存在した…中略…鉄道事業を何と呼んでいたのか疑問に感じていた。」として、種々調べられて「官設鉄道」や「省線」を繰り出される。「官設鉄道」はその範囲の狭さを指摘し、一般性を否定。それを取り上げた紙誌を出典を提示せず欠席裁判的に批判。 2010年5月27日 0:40:19 webから

一方「鉄道省線」が鉄道省の「鉄道事業」を表す言葉にも拘らず、「国有鉄道線」=「国鉄(省略形)」+「線」と比定して「鉄道省線」=「省(省略形)」+「線」と、得意の短絡的字義解釈で、「鉄道事業」を表さないとし、使用期間が短いなどと好い加減な知識のひけらかし。 2010年5月27日 0:48:14 webから

戦後第一回国会から日本国有鉄道成立までの間の、議事録に「国鉄」、「国有鉄道」が登場することを以って、「日本国有鉄道法に基づいて発足した国鉄よりも前に存在した鉄道、」も「国有鉄道」、「国鉄」と呼ばれていてと、この、たった2年間の記録だけで、「国鉄と呼ばれていたことが判明」と普遍化。 2010年5月27日 0:54:30 webから

何か、議事録に、「国鉄」が549回、「国有鉄道」が511回出て来た事(つまりどうだ俺は勘定したぞと言いたいらしい)が「筆者は長い間」に掛けたかったらしいんだが。途方も無い徒労としか…。「鉄道趣味6誌を眺めてもよくわからない」何故、旧版地図なり古い時間表なりを眺めないんだろうか? 2010年5月27日 1:12:24 webから

梅原氏が言うように、本当に「鉄道趣味6誌を眺め」るような、普通の趣味人なら、旧版地図や汽車時間表などをひっくり返してるはずだ、昭和14年陸地測量部1万分の1「早稲田」の「凡例」には、地図記号として「国有鉄道」、「私設鉄道」、「特種鉄道(軌道線)」の表記があることを確認するだろう。 2010年5月27日 1:21:43 webから

普通の趣味人なら、大正14年鉄道省運輸局編纂の「汽車時間表」に「国有鉄道線路名称及汽船航路表」の表記があることを確認するだろう。大正10年に鉄道省が編纂した「日本鉄道史下篇」明治40年以降の記事に「國有鐵道」を探し出すだろう。なるほど、眺めるだけの梅原氏は一味違うようだ。 2010年5月27日 1:40:17 webから

「鉄道用語の不思議 9 国鉄」の「筆者梅原氏積年の疑問」は、「日本国有鉄道と言う公社の前身を『何』と呼んでいたか」と言う、「何時、何処で、誰が、どう」が曖昧なものだった。だから、本来の「積年の疑問」とは無関係に、上記3W1Hについて勝手な解の創れる自己都合ネタなのね。 2010年5月27日 8:56:13 Keitai Webから

梅原氏は杉浦国鉄総裁の「国鉄1世紀」も、JR東海「新幹線の三十年」の「国鉄115年」の「国鉄」も「公社、日本国有鉄道」の事を言っておらず、国有の鉄道の事を言っているのを百も承知、だから、これっぽっちも「日本国有鉄道の前身が何と呼ばれていたか」に疑問も何も感じちゃ居ない。 2010年5月27日 20:03:48 Keitai Webから

梅原氏は「官設鉄道」は当時の国有化された「私設鉄道」を含まないから「国鉄」に相当する言葉ではないと言う。「省線」も路線を表しており(軌道の時と同じ詭弁だが)「鉄道事業全体を表していない」と言い、また鉄道省の存続期間も短いと「省線」を否定した。呆れるほどの杜撰さで。 2010年5月28日 20:18:22 Keitai Webから

小の「官設鉄道」が大の「私設鉄道」を併呑する国有化は明治38~39年と順次実施され完了は明治40年。「国鉄」相応の事業規模となり翌明治41年末これを監督・経営する内閣鉄道院が発足し、鉄道院線が成立する。「国鉄」に相当しない「官設鉄道」が2年足らずで「国鉄線」に相当する「院線」だ。 2010年5月29日 1:14:25 webから

明治41年末、鉄道としてワン・オブ・ゼムの「官設鉄道」は2年足らずで、全国組織「鉄道院」となり、その事業体「鉄道院線」は大正9年「鉄道省」発足までの12年弱続く。昭和37年頃の「鉄道ファン」誌で、大正時代に撮影された中央線電車の写真の説明文に「院電」とあって驚いた覚えがある(笑 2010年5月29日 1:29:17 webから

先に、大正10年に鉄道省が編纂した「日本鉄道史下篇」明治40年以降の記事に「國有鐵道」を探し出すだろう。と書いた。「鉄道院線」は事業として並存していたわけだ。ところで「省線」だが「鉄道省」無き後「日本国有鉄道」発足までの、運輸通信省、運輸省時代は何て呼ばれてたんだろうね梅原君(笑 2010年5月29日 1:47:14 webから


  以上2010年当時に記したものです。改めていじっておりません。念のため。

  「朝日新書088鉄道用語の不思議」(梅原淳著朝日新聞社200712月刊)、実は梅原氏の御著書との意識もなく、2007年の刊行時に購入後一見もないまま積読となっていたものでしたが、「風のささやき」で「新幹線不思議読本」を購いその凄まじい内容に、そう言えば何か有ったなあと書棚の奥から見出したものです。あれから足掛け5年と言っても何の感慨も生まれないものですね。「駄本」なんてものには。

               OP.2015.03.17.04:00