地下妄の手記 粗大ゴミには有料ゴミ処理券が必要 その3

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粗大ゴミには有料ゴミ処理券が必要 その3

        64」[霞ヶ関駅]ホームから上りの階段やエスカレーターがないのは、なぜ?

        千代田線の国会議事堂前駅も特異な駅だが、隣の霞ヶ関駅も東京の地下鉄では珍しい駅
       のひとつである。ホームは地下1階にあるから、同じ階の改札を通れば地上にすぐに出る
       ことができる、この駅を知らない人間ならそう思ってしまう。ところが、ホームのどこを
       探しても改札が見つからない。あるのは地下2階に降りるエスカレーターとエレベーター
       だ。地上に出るには、一度地下2階に降りて改札を出て、そこから地上まで2階分を上が
       らなければならない。

 あの~ぉっ。「この駅を知らない人間なら」、「ホームは地下1階にある」なんてことも知らないんじゃなかろうか?

        ふだんならさして気にはならないが、緊急時は心配だ。
        1995(平成7)年3月20日、地下鉄サリン事件があったとき、この駅に停まった地
       下鉄車内に「地上に避難してください」という緊急放送が流れたのは、3分以上も経った
       ころだった。数少ない客がひとり、またひとりとホームに降り立った。この駅に不慣れな
       人はどう行動したのだろうか。ホームの中央に売店があり、その向こうは見えない。しか
       たなく前に進むと下りのエスカレーターで大いに迷ったに違いない。

 この辺については、mori-chiさんのマトモなレポートを是非御覧下さい。ここで普通に読んでも可笑しいのは、

       この駅に停まった地下鉄車内に「地上に避難してください」という緊急放送が流れた

 普通、車内放送なら、「車外に非難してください」とか、「直ぐに電車から降りてください。電車から離れてください」って言うのが普通じゃないかと。どんな状況で、人がバタバタ倒れたのか?それが判らないのに、「地上に避難してください」と言う放送を車掌が流せたのか?緊急放送を車掌が独断で流せる状況と、そうでない状況があるんじゃないでしょうか?火災とか直接に見える状況なら、車掌は緊急放送を流せるでしょう、もちろん状況を指令に通報してですけど。でも、情報が無い状態の時、車掌は何を緊急放送で流せるんでしょうか?前後に電車が居る中で、自分の電車だけ独自の対応が出来るのでしょうか?指令との情報交換無しには車掌も運転士もどうしたら良いのか判らないんじゃないでしょうか?つまり「地上に避難してください」と言う状況ならば、駅務員は誘導のためにホームに居るんじゃないでしょうか?だからその場合は下に下りることについて、乗客は大いに迷うことなく避難できたのではないかと思うのですが。実際には、サリンの入ったビニール袋を車外に持ち出すと言う献身によって、お二人が倒れられるという状況でしたが。

        迷っているとサリンのガスを吸ってしまうかもしれない。一刻を争うとき、この駅は利
       用者にとって「危険な駅」になりかねないのだ。なぜこんな危険な構造になっているのだ
       ろうか? そう思ったとき、この駅が海軍の防空壕を改築して造ったことを、私は知らな
       かった。

        なぜこんな危険な構造になっているのだろうか? そう思ったとき、

 いつ秋庭さんは「そう思った」のでしょうか?サリン事件の時?霞ヶ関駅の構造を知った時?この駅が海軍の防空壕を「改築」して造ったことを知った時?   旧海軍防空室についてはこちら
 随分と思わせぶりな書き方ですが、mori-chiさん指摘のとおりの後出しジャンケン、論理矛盾判りますよね。あの日は霞ヶ関駅と言うよりも、営団が狙われた。千代田線だけでなく、丸ノ内線、日比谷線の列車が乗客が狙われた。被害は日比谷線が一番大きかった、不謹慎な言い方だが、駅の構造と「一刻を争うとき」は関係ないとしか言いようが無いのですが。
 あの朝東京、地下鉄を使って仕事に向かった誰もが、あの惨状と隣り合わせに居た自分を見い出して、戦慄したはずだ。私もどこかで引っ掛かっていたかもしれない。前日から東京に出張していて、新宿に泊まり、午前に日本橋、昼に大手町、午後に日比谷と回ることになっていたのだから。
多くの都心に働く男女があの日を共有していたのではないか?都心は一日中サイレンの行き交う音が鳴り止まなかった事の記憶とともに。
 改めて言う、秋庭さん貴方はあそこには居なかった。だから、平気で、自己の主張の合理化のために牽強付会にあの日を持ち出し、駅の構造に非を鳴らせるのだ。
 車両の中での出来事だったのだ。駅の構造は何らの関係も持たなかった。そして以下では、貴方は、防空壕があろうとなかろうと、地下2階に線路を敷けなかった(地下2階がコンコースになっている)と、言っておられるんだがね。

        この駅は防空壕のへりにのっかるようにトンネルが造られていて、防空壕の地下
       1階を線路とホームに、地下2階を改札に改造した、という。
        なぜ線路を丸ノ内線と同様に地下2階に敷けなかったのだろうか? その理由は明らか
       にされていないが、この防空壕の周囲にはたくさんの地下道があり、秘密の地下施設が隠
       されている。これらを壊すことができなかったからではないか、と私は思う。
        そういえば、日比谷線の霞ヶ関駅も線路とホームは地下3階に造られており、改札は地
       下1階にある。なぜか地下2階を外している。これも同様の理由によるものと、私は考える。

 丸ノ内線は地下2階に線路を敷いているとお書きになって居ながら、千代田線のコンコースが地下2階にあることを指摘しておきながら、日比谷線が地下2階を外していると書いておられるが、霞ヶ関駅は丸ノ内線、日比谷線、千代田線でコの字を描いていて、しかも、

 古い丸ノ内線の下に新しく日比谷線が、
 新しい千代田線が古い日比谷線の上を

走っていることはダンマリですか?


 【追記】:平成20年8月7日【追記】

 元営団地下鉄車両部長 里田 啓氏は鉄道ピクトリアルに「私の鉄道人生75年史」を連載されておられますが、2008年9月号に、昭和53年2月の東西線荒川中川橋梁での脱線事故の顛末「竜巻事故発生!」の中でこの様なエピソードを記されています。


   一方、何処の大学かは詳らかにしないが、車両の軽量化と、橋梁の下方から吹き上げる風によって車両が持ち上がって転覆したのだとの指摘があったらしい。そのことが委員会(東西線列車災害事故対策研究会:619注)でも話題になったが、レール上には、脱線が始まったと思われる痕跡の個所から横転した位置まで、長くて連続した條痕があったから、完全に浮き上がったとも考え難かった。建設本部の意見は、風を遮断するために橋梁下部を塞ぐと、今の構造では強度が不足するので膨大な補強工事が必要になること、また、新設の場合でも、その重量が極めて重くなり、建設費も飛躍的に増大するとのことだった。
   車両設計でも検討の結果、教えていただいた下からの風速でも浮き上がらないようにするためには、20m級車両の重量が、記憶だが、1両あたり256tにもなり、現実の自重の20数tから40t弱とはかけ離れ、実用上、とても困難だった。それらを委員会にお諮りした結果でも、1000年に1回という確率だし、その必要なしという結論になった。
   この問題でも、先に新造車両の国鉄線経由での搬入の時にお世話になった運転部の吉村新吉先輩には、その大学からの説に動かされた警視庁への説明に相当な苦労をかけたことを、前出の著書『もぐらの履歴書』で初めて知ったのだった。


 吉村新吉氏は昭和13年東京地下鉄道入社以降43年間営団に勤務され、運転部次長で定年された叩上げの地下鉄の申し子この「もぐらの履歴書」では運転部次長時代のこの行を以下のように書かれています。


   それ(上記事故対策研究会)とは別に運転関係の責任者として運輸省鉄道監督局、東京陸運局鉄道部、さらに警視庁、消防庁、気象庁に連日参上して報告し、あるいは叱られ、あるいは褒められ、唾を飛ばして説明し、陳謝する日が続いた。特に警視庁では当初、どこかの大学の先生の理論とかで車両の過度の軽量化と、橋梁の下部の間隙から突風が吹き上げたことによるとして構造上の問題、さらには異常気象時の運転規則の適用、警報の伝達など取り扱いに違法の疑いありとして、少なくとも営団担当理事および関係部長に来庁を求めるとの話であった。
   私は計画課長とともにほとんど日参して、担当官に車両の軽量化が世界の鉄道の趨勢であり、たとえば強風に耐え得る重量の車両を想定する時、それに対応する線路構造、運転効率の問題など、橋梁構造についても全国の橋梁の構造を考慮しても、安易にその非を云々し得ないこと、運転規則は国鉄、他の私鉄に比して厳しく制定していること、警報の伝達について異常気象掲示板の使用など、個々について営団の検討結果を詳しくご説明申し上げ、その都度上司の出頭について問い合わせた。ついに「もういい、わかった。取りあえず責任者の呼び出しはやめる」と言ってもらった。事故の処理もやはり熱意と勉強であると、これは相棒の計画課長とともに教えられたことだった。
    「もぐらの履歴書 吉村新吉著2005年1月文芸社刊)
 
 つまり、第三者が好い加減な事を無責任に発言すると、当事者にとってはとんでもない事になる。と言う事です。勿論それが事故の原因であるならば、また、十分に検証された結果として事故の原因あるいは、被害の拡大の大きな要素と言う事ならば、そしてそれが、予見可能性の下にあるならば、大いに仰ってくださって結構なのですが、それらを見ずに、現実と懸離れた原因なるものをでっち上げるのは、無責任の謗りを免れないと思われるのですけど如何でしょうか?
 秋庭さんの言に拠れば、千代田線霞ヶ関駅は

        迷っているとサリンのガスを吸ってしまうかもしれない。一刻を争うとき、この駅は利
       用者にとって「危険な駅」になりかねないのだ。なぜこんな危険な構造になっているのだ
       ろうか?

と言う事ですから、もし、サリン事件で無用なほどに被害が広がった場合、オウムが、「被害の拡大は駅の構造にも」などと責任逃れを言い立てたとき、秋庭さんが無責任に自己の利益のためだけに指摘しているところの「危険な駅」、にした営団の刑事責任が問われかねない事になりますが、秋庭さんはその事に責任を負えるのでしょうか?もちろんサリン事件の霞ヶ関駅の行は秋庭さんの後出しジャンケンが明白で、誰もが取り合わない話ではありますけれど。
 【追記】:終わり【追記】

 さて、正しい事に言い掛かり、因縁を付ける、秋庭さんにそっくりな対応をする人々が居る。しかも彼らはそのことを批判されると開き直ると言う芸まで見せてくれます。やはり秋庭さんはこの文化に育てられていたのかと得心がいく対応でしたね。秋庭的世界を概観するのに最適かと思いますので以下少し論評します。

朝日新聞2008年7月2日朝刊

素粒子への批判 厳粛に受け止め 犯罪被害者の会に本社

2008年7月2日3時14分

 死刑執行にからんで鳩山法相を「死に神」などと表現した朝日新聞の夕刊コラム「素粒子」を巡り、「全国犯罪被害者の会(あすの会)」が「我々に対する侮辱でもある」と抗議していた問題で、朝日新聞社は6月30日付の文書で同会の質問に回答した。

 回答はコラムについて、死刑を巡る鳩山法相の一連の言動を踏まえたものと説明。「犯罪被害者遺族にどんな気持ちを起こさせるか考えなかったのか」との質問には、「お気持ちに思いが至らなかった」とし、「ご批判を厳粛に受け止め、教訓として今後の報道に生かしていきます」と答えた。

 また、朝日新聞は死刑廃止の立場をとっていないとしたうえで、執行にあたっては慎重な対応を求めてきたことを説明。鳩山法相が昨年9月の記者会見で、「半年以内に死刑は執行されねばならないという規定が自動的に進むような方法はないのか」「ベルトコンベヤーと言ってはいけないが、順番通りということなのか、それとも乱数表なのか、わからないけれど」と述べた後、ほぼ2カ月間隔で死刑の執行を命じ、就任から1年足らずで13人の死刑が執行されたことを指摘。こうした一連の言動を踏まえ、社会の様々な出来事を短行で批評する「素粒子」筆者の視点から「死に神」などと表現したと答えた。

 鳩山法相については「中傷する意図は全くありませんでした。法相が『侮辱』『中傷』とお受け取りになったとすれば、残念です」とした。

 被害者の会の代表幹事である岡村勲弁護士は6月25日の記者会見で、「私たち犯罪被害者遺族は、死刑囚の死刑執行が一日も早いことを願っている。(コラムは)鳩山法相に対する批判であるが、そのまま犯罪被害者遺族にもあてられたものだ」と抗議していた。


 素粒子子が短絡的にか意図的にか?誤ったプロパガンダを行った結果で批判を受けているのであって、朝日がやった例(ためし)の無い正しい報道について批判されているのではない事に何故気がつかないのかね?
 「死刑」の判決を下したのは裁判所であって鳩山邦夫ではない。素粒子子は裁判官を「死に神」と呼ばわらないのは何故なんだろうね?鳩山邦夫は行政の長として裁判所の判決に忠実に、為すべき命令を下しているのであって、政治屋鳩山邦夫の発言と、行政の長としての命令は切り離して本来考えるべきでしょ。

 「また、朝日新聞は死刑廃止の立場をとっていないとしたうえで、執行にあたっては慎重な対応を求めてきたことを説明。」って、その前提たる、何故、朝日は死刑廃止の立場をとっていないのか?一方、何故、執行に当っては慎重な対応を求めてきた、のか?朝日の言っている事は、司法には法の適用は厳格に、行政には運用は弾力的にってことでしょ?なんでダブルスタンダードなんだよ?それが法治国家に求める朝日の見解かよ?なことを抜かしてきた根拠までちゃんと「全国犯罪被害者の会(あすの会)」なるものに説明したのかい?「執行にあたっては慎重な対応」ってことは、基本的には執行者のキャラクターに基づく裁量に委ねるってことですよね、「慎重な対応」がどんなものかも示さず、責任を示さずに、その人物がその任に応じて行動した場合、人を「死に神」とくさす訳だ。


 鳩山法相については「中傷する意図は全くありませんでした。法相が『侮辱』『中傷』とお受け取りになったとすれば、残念です」とした。


 いやぁ、見事な開き直りですな。「中傷する意図は全くありません」?(゚Д゚)ハァ?「死に神」と書いた段階で中傷でしょうが。重ねて重ねて言いますよ「鳩山邦夫は行政の長として忠実に、裁判所が決定した量刑について執行を命じているだけであって」、そのことに対して、朝日の主張する「慎重な対応」がどんなものかも具体的に示さないで「死に神」呼ばわりは「中傷」以外の何者でも無いんじゃありませんかね。

 あっ、言っときますけど、私は鳩山邦夫と言う特定のキャラクターに良い感情も悪い感情も持っていませんが、政治屋(家業として政治をする奴は皆政治屋)は嫌いです。


       65」[大手町駅]東京都が許可を取り、営団が線路を敷いた謎

        千代田線は、霞ヶ関駅から左にカーブして日比谷通りに出ると、都営三田線と合流して
       大手町まで薄い壁を挟んで仲良く並んで走っている。同じ道路の下に2つの地下鉄、それ
       も上下でなく水平に並んで、都営と営団が皇居を左にしながら走る。この珍しい光景はど
       うして造られたのだろうか?
        地下鉄の工事は、同じ道路同じ区間の場合、2つの路線を同時に行なうことはできない
       決まりになっていて、どちらかが終わらないともうひとつの工事は始められない。


 そんな決まりはありません。秋庭さんが何を以ってそう仰っているのか?法にもそんな定めはありませんし、謎です。普通に考えてください、決まりで、AとBを同時に着工できないとしたら、どんだけ無駄か?秋庭さんの主張通りなら、1号線(日比谷通り)を倍の時間地下鉄工事で占有する事になりますよね。

        つまり、千代田線と都営三田線のような場合は、2~3年のタイムラグができる。とこ
       ろが、この区間の地下鉄建設は、東京都が許可を取り営団が2つの地下鉄線路を同時に建
       設することで、問題をクリアしてしまった。

 免許、営団、都と夫々の建設主体が取ってます。道路に地方鉄道を敷設の許可は、営団が取ってます。これは秋庭さん自身が、「1-8計画」とやらの戯言の中で、

        その3年前に営団が取得した千代田線の建設許可には、路線の一部として「千代田区丸
       の内1-8先から有楽町2-2先まで一般国道1号線1198メートル」という記述がある。

と書いていることですが。少なくとも千代田線については営団が取ってますので、「東京都が許可を取り」なら、秋庭さんの主張と資料提示は矛盾じゃないでしょうか?



        このカラクリは、地下鉄の建設許可に線路の数に制限がないことを知らないと理解でき
       ない。ひとつの許可で4本の線路を敷くことは許されており、工事が終わったあと、それ
       を2つの路線で分け合うこともできるのである。

 地下鉄であろうと、地上の鉄道であろうと、「単線」、「複線」、「複々線」、線路の数ってのは免許で決まってます。

        地下鉄の建設許可に線路の数に制限がない

        ひとつの許可で4本の線路を敷くことは許されており、

「制限がない」と言った口から「ひとつの許可で4本の線路」と制限があると仰っているのは何なんでしょう?

この妄想の源についてはここを参照。

        しかし、東京都と営団が連携して線路を敷き、営業を分け合う、というのは、過去の両
       者の関係からは理解しづらいことだ。実は、その許可はもともと営団が持っていて東京都
       に譲ったというから、さらにわからなくなる。

譲った区間は別と言う事についてはここを参照 。

        そこで登場するのが「1-8計画」である。「1-8計画」とは、1960年代に国によ
       って立てられた東京の地下に関する秘密計画で、丸の内1丁目8番地を中心に戦前に造ら
       れた地下拠点を結ぷ地下トンネル網を造ることが目的だった。「丸の内1-8」は、
       1969(昭和44)年4月に新住居表示が施行されるまで現在の大手町交差点付近で、
       新御茶ノ水から来る千代田線と神保町から来る都営三田線の合流点である。

         新御茶ノ水から来る千代田線と神保町から来る都営三田線の合流点

 は、「現在の大手町交差点付近」ではありません、千代田線建設史の線路縦断面図では、日比谷通りも三井生命ビルのまだ北側、神田橋の辺りです。ですから当時の地番、「丸の内1-8」とは何の関係もない場所です。



 御覧の様に6号三田線との合流点「大手町一丁目」と縦書きの辺りは現在の大手町交差点から北に200mはずれております。


        その3年前に営団が取得した千代田線の建設許可には、路線の一部として「千代田区丸
       の内1-8先から有楽町2-2先まで一般国道1号線1198メートル」という記述がある。


その記述とは別に41年3月の建設省40東道第228号で

千代田区神田駿河台4丁目2番地から
同   区大手町1丁目8番地先まで
       都道第403号線    1,433メートル

千代田区大手町1丁目8番地先から
同   区丸の内1丁目8番地先まで
        一般国道1号線     50メートル

と言う記述があります。前をネグってどうするんでしょうか?

       しかし、これには不思議なことが2つある。ひとつは「有楽町2-2」が千代田線のルー
       トから外れていること。戦前の資料を見ると「有楽町2-2」は地下拠点があり、そこか
      らの地下ルートのひとつが「丸の内」1-8を通過している。

「有楽町2-2」に地下拠点があると称する戦前の資料、一度も示された事が有りませんけれど、有楽町2-2がどんな場所かはこちらを御覧ください。

       そこからの地下ルートのひとつが「丸の内」1-8を通過している。

AMS何たらにも「丸の内」1-8を通過している状況も見えないんですけどね。

        もうひとつは、都営三田線と路線が重なること。営団は、この区間の工事を2年で完成
       させるよう命じられていて、都営三田線の完成を待っていられなかった。同時着工するに
       は東京都の協力が必要。持っていた許可を東京都に譲渡し、この区間の許可をひとつにし
       て工事を始めるしかなかったのだ。

 上記でも免許区間について示しておりますが、この営団が東京都に譲った免許区間は、極めて数奇な運命を辿った免許です。元々は大正14年に東京市が得た4路線の免許の内の第3線、渋谷~巣鴨の免許、この内の南半分、渋谷~東京駅前間は、五島慶太の東京高速鉄道に譲られ、銀座線の新橋以西として完成します。残り部分は昭和16年帝都高速度交通営団発足時に、東京市から営団に譲られます。
 戦後東京都にも地下鉄線の建設が認められる事となった時、都営三田線の大手町~巣鴨の免許と言う事で、営団から東京都に譲渡されますが、あくまでも、「大手町~巣鴨」の免許ですので、秋庭さんの言うこの区間、大手町~日比谷には当てはまりません。そうです、東京都もこの大手町~日比谷の区間は新たに免許を取っており、千代田線に至っては、全線について免許を新たに申請して取得しています。




 つまり、この区間の許可を一つにしていないのです。工事の方は、普通、既存の鉄道に係る区間に、例えば、既存A線上を立体交差するB線を新設する様な時などは、既設線の既存の構築や権利を侵すことにならない様、新設線の事業者は既設線の事業者に工事を委託します。では二路線を同時に着工する場合はどうするか?まぁ、どちらの会社が委託会社、受託会社になっても良いのですが、大手町での5号線との交差とか、あるいは東京都より工事に経験が深かったとか営団を受託会社にする委託工事にした方が都合がよかったんでしょうね、免許は営団、都、夫々が取り工事は営団が一本化して請け負った訳です。
 だって、営団がもし大手町~日比谷間の免許を持っていて、それを東京都に譲ったら、営団どうやって千代田線を大手町~日比谷間で引けたんでしょうね。自分の分がなくなっちゃいますよ。免許。
 重ねて言いますよ、「大手町~日比谷」には既存の免許、戦前からの免許はありませんでした。あったのは「大手町(厳密には東京駅前)~巣鴨」の免許これが三田線建設に当って、営団から東京都に譲られています。だって、千代田線と被らないもの。

       地下鉄の工事は、同じ道路同じ区間の場合、2つの路線を同時に行なうことはできない
      決まりになっていて、どちらかが終わらないともうひとつの工事は始められない。

とか

       このカラクリは、地下鉄の建設許可に線路の数に制限がないことを知らないと理解でき
      ない。ひとつの許可で4本の線路を敷くことは許されており、工事が終わったあと、それ
      を2つの路線で分け合うこともできるのである。

 何てことは、全然無い。「きまり」?小学生じゃないんだから、「工事2つの線路で同時にできない」って法令が有るか無いかでしょ?そんな「きまり」が有ったら次のケースは矛盾だらけじゃないですか。
 同様な平行路線の例としては、営団半蔵門線と、都営新宿線の九段南(九段の坂上)から神保町の間があるが、これは都の委託工事、東京都が営団から工事を受託して半蔵門線のこの区間を造っている。半蔵門線には大手町以外にも、開通まで長い時間眠っていた区間それも、反対運動の直ぐ横でとうの昔に完成していた区間があった訳だ。別に免許のやり取りもしていないし、工事だって同時にやっている。
 秋庭さんのカラクリ、旧3号線「大手町~巣鴨」の免許の営団から東京都への譲渡を「日比谷~大手町」にすり替えると言う、捏造以外の何者でもない、この様な卑怯なやり口には、もう言う言葉もありません。


       結果、千代田線は予定どおりに都営三田線と同時に建設され、「有楽町2-2」までの工
      事も終わって、営団は国の命令もクリアしたのである。

ホントに、よくもまぁこれだけ嘘が垂れ流せる事よ。


       66」[新御茶ノ水駅]千代田線と丸ノ内線が交差している地点は?

        大手町駅から本郷通りを北上してきた千代田線は、新御茶ノ水駅を出ると本郷通りから
       はずれて日立本社ビルの下を縦断し、中央線、神田川をくぐると昌平坂から神田明神わき
       を抜けて湯島駅に向かう。
        一方、淡路町駅から左にカープしてくる丸ノ内線は日立本社ビルの東北角をかすめるよ
       うにして神田川の橋を渡り、御茶ノ水駅に入る。この2つの線路はJR御茶ノ水駅、中央
       線の下あたりで交差しているはずだ。

mori-chiさんの所にコメントさせていただいたように、どこで交差していようと何の意味も無いのですが、営団の記録では

    千代田線建設史に拠れば神田川の所。
    千代田線は神田川の下、丸ノ内線は神田川の上を渡っている
    部分。

で、交差しています。秋庭さんも千代田線建設史を読んだ上で、

       この2つの線路はJR御茶ノ水駅、中央線の下あたりで交差しているはずだ。

なんて平気でお書きになって、あの地図が、この地図が変だと仰る。

        ところが、その交差している地点が地図によって違っている。東京メトロのホームペー
       ジに使われている昭文社の地図では、中央線の線路と神田川のあいだ、土手のところで交
       差しており、ヤフージャパンの地図を見ると、中央線の線路の下で交差している。
       『ニューウエスト】 の中央区の地図は昭文社の地図と同じだが、千代田区の地図はヤフー
       と同じだ。どちらが正しいのか、われわれは判断に困ってしまう。

 「われわれ」?私ら別に困ってませんが、アンタ一人が変にアヤを付けているだけで、私達には地下鉄の線がどこで交差していようと、どうでも良いことじゃないですか、何か実用上で困る事があるんでしょうか?ってか、自分一人で困りゃ済む話に、無理矢理「われわれ」を仲間入りさせるんじゃない。民主主義だ、同意者の多い方が勝ちとかって話しかい?地下で交差する地下鉄は地図上の何かのランドマークになるんでしょうか?見えないのに。

        異なる地図が生まれる理由については国会議事堂前駅の項で詳しく述べたが、こんなこ
       とがあっていいのだろうか? 地下の測量を許可して地下の正しい地図を作らせることが
       できないのだろうか?

 わたしも、「粗大ゴミには有料ゴミ処理券が必要 その2」で、地下の正しい地図をつくる無意味さを懇切丁寧に説明してあげたが、測量許可が下りないんじゃなくて、コストばかり掛かって、一般民生用地図に正しい地下の状態を表示するのは無意味だから、やらないだけ。正確な地下を表わす地図って、地下鉄と地下道路だけ描きゃ良いってぇもんじゃ無い、秋庭さんの好きな下水や、共同溝、電灯線やガス、水道の幹線の配管は描か無きゃならんだろうし、それらの起伏勾配も表わさなきゃならないし、一般民生用地図にそんな書込みが増えたら、ゴチャゴチャしちゃって地図として使えないから誰も買わないよ。


        余談になるが、神田錦町から北へ聖橋につながる本郷通りと神田明神下を走る本郷通り
       は、まるで方向が違っている。
        実は、神田明神下の交差点で直角に折れて、本郷通りは西へ向かうのだが、私には同じ
       本郷通りとは考えにくく、どうつながっているのか、判断に戸惑ったことがある。
       とにかく地図には、こんなことがたくさんあるのだ。

 本郷通りは地図がおかしいんですか?本郷通りを構成する道路の実際の経過順路がおかしいんですか?実際の道路の経過順路がおかしいのなら、そりゃ地図の責任じゃありませんな。

       とにかく地図には、こんなことがたくさんあるのだ。

ってのは地図に対する、べら棒な言い掛かりじゃないんですか。


       67」[湯島駅]不忍池の地下車庫は「横穴式防空壕」を利用した?

        湯島駅をすぎると100メートルほどで千代田線は不忍池の下に入り、左に少しカープ
       して池の端2丁目付近で.不忍通りの下に出て、根津駅まで北に進む。

 100メートルってどこから持ってきたんでしょうか?千代田線建設史の線路平面図及び縦断面図では200メートルありますが。

        上野公園の南端にあり散策コースとして賑わう不忍池の下には、千代田線から分かれて
       車両を留めておく車庫がある。

 すいません、1列車分の中線、A線とB線の間にあるんですけど、確かに本線から分かれてと言えなくも無いですが、中線でも

        千代田線から分かれて車両を留めておく車庫がある。

ってことになるんでしょうか?

        この車庫のトンネルは千代田線が造られたときに掘られたものではないらしい。

中線なんで、千代田線が造られたときに掘られたとしか言い様が無いんですが、千代田線建設史には「不忍池」開削工事の写真までありますけど。

        かつて陸軍築城本部にいた浄法寺朝美元大佐の著書『日本防空史』によると、「上野公
       園1号地の横穴式防空壕は、西郷隆盛像から東照宮下、動物園に向かう。枝壕を併せ、総
       延長は2キロ(本壕858メートル)、地下2メートル、幅2メートル、高さ2・2メート
       ル。旧陸軍が構築したといわれ、入り口は埋め戻された」と書かれている。
        上野公園は端から端まで測っても6~700メートルしかない。そこに総延長2キロと
       なると、上野公園の下の防空壕は縦横無尽に枝を伸ばしていたはずである。

 秋庭さんが、端から端まで測って6~700メートルしかないと仰る上野公園に、本壕858メートルが掘られたと書かれてますね「日本防空史」。300メートルの枝壕4本引いたら総延長になっちゃいますな。どの辺が縦横無尽なんでしょうか?

        京成上野駅近くの京成地下線の上には地下駐車場があり、不忍池の脇にかつてあった岩
       崎邸の建物やビリヤード場は地下道でつながっていた。千代田線が不忍通りに出たところ
       にある横山大観美術館にも地下道の入り口がある。
        不忍池の下の千代田線車庫はこの防空壕の一部に違いない。

 岩崎邸って、明治29年(1896年)にコンドル設計で竣工したんじゃなかったかな?ビリヤード場もコンドル設計で、母屋とビリヤード場が地下道でつながっていたのは有名な話だが、防空壕の出来る約50年も前の話なんですが。秋庭さんのずるいところと言えば、匂わせるだけの何の根拠にもなら無い事象を挙げて、

        千代田線が造られたときに掘られたものではないらしい。
        不忍池の下の千代田線車庫はこの防空壕の一部に違いない。

と何の根拠も無く断定するところだな。


        68」[綾瀬駅]霞ヶ関の地裁と東京拘置所を結ぶ地下鉄計画があった?

        「ミスター検察」と呼ばれた伊藤栄樹氏が1972(昭和48)年、国民には極秘の地下鉄建
       設計画が進められていたことを朝日新聞の記者に語っている。
        日比谷公園に面した霞ヶ関にある東京地方裁判所から小菅にある東京拘置所まで、ノン
       ストップで容疑者を護送する地下鉄を建設しようという計画があったというのだ。それは
       千代田線霞ヶ関駅の建設工事が始まる直前のことである。
        その計画はこうだった。東京地裁の地下に線路を敷き、それを千代田線につなぐ。一方
       で綾瀬駅から東京拘置所まで分岐線を延ばして、朝夕2回、地裁~拘置所にノンストップ
       の地下鉄を走らせようとするものだった。
        青写真ができると営団に実行可能かどうかの打診があり、営業的な利益はまったく期待
       できないことから営団は、工事費は国が負担し車両も国が買いとげる、という条件をクリ
       アできれば可能という回答を出した。
        ちょうど、わが国は列島改造ブームで、「金の心配はまずなかった」ことから計画は
       着々と進んだ。だが、寸前のところでこの計画は挫折する。地裁の地下に駅を造るには14
       年前に建てられた庁舎を改築する必要があった。
        しかし、「ここは、その昔、日比谷の入江であった。地盤は砂ばかりで、昭和34年に地
       検庁舎を建設するときもふんだんに鋼のパイルが打ちこまれた。地下駅を設けるにはこの
       鋼のパイルを突き抜けなければならない」ということで、予算はあったが「手間をかけて
       建てたばかりの庁舎をつぶすことはできない」という結論になったのだという。

 ここまでの記述は「地下鉄物語」(昭和58年朝日新聞東京本社社会部著 朝日新聞社刊)の引き写し。引き写しがこの項全体のほぼ8割じゃあ、引用には当りませんね。人様の著述をそのまま使って、さも自分の記述の様に装う、もう、病硬膏に入る、な盗用ですね。


        しかし、駅は必ずしも庁舎の地下に造る必要はなく、地下駐車場に造るなど他に方法が
       考えられたはずで、寸前で壊れたのには技術的な問題でなく政治的な問題があったのでは
       ないか、と私は思っている。

 すんません、「地下駐車場」ってどこにあったんですか?と言うか、あるんですか?駐車場。第一、どっちの建物の地下に線路を引くつもりだったでしょうか?地裁のビル?地検のビル?朝夕二回運行しなきゃならなかった理由って、地検の取調べのためじゃなかったんでしょうか?送検された被疑者を起訴前に拘置所に入れて取調べをする必要がある。当時安保絡み学園紛争絡みで急増する未決。その取調べは地検に被疑者を連れて来るか、小菅に検事が出向くか、代用監獄の留置所のある警察署に行くか、数が増えている上に、連れて来るにしろ、出向くにしろ道路の渋滞とかあるし、過激派の奪還行動ってのがあるかもしれないし、代用監獄は何かと左から叩かれるし、なので護送専用地下鉄って発想になったんじゃないんですか?伊藤。ならば地下鉄を通す先は地裁じゃなく地検じゃないんでしょうかね。
 まぁ、地検の取調べも、裁判も拘置所から連れ出すことについては同じだから区別は無かったのかもしれないが、伊藤が法務省の刑事局総務課長だかの時(昭和41年頃)の話なら、地裁の地下って話もありかもしれないけど、何か違うんじゃないのかなぁ、朝日の記事(地下鉄物語は新聞連載を単行本に纏めたもの)を丸々信用するのもどうなのかなぁ?

        たとえば、利用しようと考えていた地下道を他の省庁に奪われ、使えなくなったとか。
       戦前に造られた地下道の利用は、地下道そのものが秘密だけに公にできないとか。
        地下道の問題で計画がダメになったとは、さすがの伊藤氏もいえなかったはずである。
       でなければ、計画前からわかっていることを理由にこの計画を取り止めるはずがない。

 この四行は何を根拠に言っているんだろうか?何にも無いじゃないですか。

        「ここは、その昔、日比谷の入江であった。地盤は砂ばかりで、昭和34年に地検庁舎を
       建設するときもふんだんに鋼のパイルが打ちこまれた。 地下駅を設けるにはこの鋼の
       パイルを突き抜けなければならない」

 このことについて、「計画前からわかっていること」とする記述が「地下鉄物語」のどこにあるんでしょうか?判ってなかったから、計画頓挫の原因になっているんじゃないんですか?憑拠があるだけ、少なくとも、秋庭さんの四行より確かな説明だと思いますけれどね。


       都営三田線

       69」[目黒駅]開業から30数年も経って起点駅に決まった謎

        地下鉄の建設は時間がかかる。最初の部分開業から全線開業まで、戦前にできた銀座線
       が12年かかり、戦後最初の丸ノ内線は8年かかっている。

 銀座線はそれぞれの終点駅が異なっていましたので、ここで時間がかかる根拠に挙げるのは不適当です。また、以下の記述の主旨から言えば、丸ノ内線も適切な説明ではありません。この部分は秋庭さんオリジナルですか?ウィキペディアからの受け売りじゃなく(笑

        最短は日比谷線の3年で、最長は都営三田線だ。都営三田線の目黒駅の開業は2000
       (平成12)年9月26日、同じ三田線の巣鴨~志村の運転開始から32年近くもあとのことで、
       半蔵門線の25年より長い。その建設の経緯を調べてみると、1962(昭和37)年に決ま
       った最初の計画では、起点が目黒でなく西馬込になっている。2年後に起点は泉岳寺に変
       わり、東急線に乗り入れて桐ケ谷から池上線を経由して田圃都市線(いまの大井町線)と接
       続する計画が出された。その計画も翌年になると東急の方針変更でつぶれ、三田駅以南は
       未定のまま高島平~三田の工事が始まった。
        1973(昭和48)年に高島平~三田間は開業しても三田駅以南は定まっていなかった。
        運輸政策審議会の答申で、起点が目黒に決まったのは1985(昭和60)年。駅は違った
       が、当初から東京都が望んでいた東急目黒線との相互乗り入れも実現した。東京都の公文
       書で起点が泉岳寺から目黒に変更されたのは、三田~目黒間が開業した2000(平成12)年
       9月26日で、高島平~三田の工事着工から30数年もかかっている。東京都としてはまさに
       「悲願達成」といえる。

 何を以って「悲願達成」と言うのだろうか?「他線区との相互直通が実現した事?」、起点が「目黒」に決まったこと?へぇっ、人の心を勝手に斟酌するだけじゃなく、事業体の意志も勝手に斟酌するんだ?

        そんな東京都の切なる思いが感じられるのが、目黒駅である。JR目黒駅の西側に隣接
       している建物の地下3階、4階にある。地上出入ロから階段かエスカレーターで地下3階
       の改札口まで下りると、そこには、東急目黒線、東京メトロ南北線、都営三田線の3種類
       の券売機があり、3社の定期券で自動改札を通過できる。ホームは島式で、都営三田線は
       南北線と同じホームを使っている。実は、目黒~白金では東京メトロが第一種鉄道事業者
       で、東京都は第二種鉄道事業者。つまり、東京メトロが所有する南北線の駅や線路を東京
       都が使わせてもらって、都営三田線の営業をしているのである。

 「使わせてもらって」?それって、東京メトロから見れば、「使って頂いている」ってこと?

        戦前の東京市の時代から民間の地下鉄や営団地下鉄とは一線を引いて、同じルートを走
       っていても線路も駅も別にし、運賃も別の料金体系で営業してきた東京都としては、画期
       的なことだ。それだけ実現させたかったのだろう。

 戦前の東京市の時代に東京市には営業していた「地下鉄」があったんですか?
 同じルートって「大手町~日比谷」のことかな?線路も駅も別、運賃体系も別なのには、他と一線を引くためじゃなく、普通の理屈があるんじゃないんでしょうか?「大手町~日比谷」は千代田線、三田線それぞれの区間の一部であって、線路も分けないとそれぞれに所要の列車本数確保できないじゃないですか。運賃は先行路線が沢山あってコストの回収を終わっている営団と後発で高い建設費用が掛かった都で同じに出来んでしょ。
 「3社の定期券で自動改札を通過できる。」相互乗り入れ区間の均一運賃のことを言っているのかな?「目黒~白金高輪」を除いた部分では東急も含めて、各社の運賃になりますが。「東京の地下鉄がわかる事典」で「特定区間」についてお勉強してなかったんですか?

        東京都としては、コストをかけないで懸案が解決できたわけであり、東京メトロにして
       みても、最も建設費のかかった南北線だけに東京都に使わせて建設費を早く回収したかっ
       たのかもしれない。

 コストかけないで懸案解決?第一種鉄道事業者に対して、線路の使用料を支払っていますし。ご自身でも次の行で仰ってますけど、「東京都に使わせて建設費を早く回収したかったのかもしれない。」
 南北線の建設費この区間を東京都に使わせることで早期の回収?南北線にとって、目黒~白金高輪ってそんな大きなウエイトがある区間?だったら何故、線増して複々線にしなかったんだろう?

        しかし、戦前からの東京の地下をめぐる、さまざまな争いを知っている私は、戦前、長
       く突っ張り合っていた陸軍と海軍が最後の最後になって協力し合ったことと、よく似た話
       だと、思えてならない。

 「陸軍と海軍が最後の最後になって協力し合ったこと」の具体例を挙げてください。「良く似た話」の例を挙げてください。戦後の引揚だって「第一復員省」、「第二復員省」、突っ張り合っていたんじゃないんですか陸・海軍は。最後に協力し合ったとか言う事、一般論としても説明と言うか、根拠を示していただけていないんですけど。
 東京地下鉄と東京都の関係を、何故帝国陸・海軍に準えられるのか、
 昭和16年帝都高速度交通営団発足時「東京市出身の役員が6名」も入っていたって知ってました?「東京市出身」ったって「エストニア出身」何て言うような、生まれや育ちが東京市って意味じゃありませんよ。発足時国策たる営団の主導権を握っていたのは東京市だったんですよ。
 あまりに仰っている事が何の根拠も無い、単なる印象に過ぎず、如何なる憑拠もお示しになれない中で、「謎」でも何でも無いことを「謎」と論って、何が「謎」なのかすら説明できないこの最後の項は一体何なんでしょうね。