地下妄の手記 連絡側線は何処にありや?

連絡側線は何処にありや? 世界はそれを知らんと欲す。


   「銀座線」は子供には面白く無い乗り物でした。

   リベットだらけの、その無骨な姿。

   駅到着直前に、主照明から補助灯への切り替わりで暗くなる車内。

   お互い、がなる様な声でも会話が成り立たない騒音。

   貫通扉はあっても、幌は無く日常は通行禁止。

   神宮前などホームの長さが足らず、部分戸締め停車。

   壁の色を楽しむなどと言う、乗り鉄趣味の新知識など無い我々には
   車窓を楽しめぬ地下鉄は、単なる移動手段であり、子供の興味の対象にはならないものだったのです。

随筆や、小説として書くならば、こんな風に書いても、何の問題もありますまい。事実の検証等不要。書き手の記憶による情景の描写ならば、誤っていても、記憶ですから。
しかし、ノンフィクションならば、この文章に個々に注解は不要だとしても、事実であったことの裏付けは必要でありましょう。従って一応、私、上記を書くにあたって、状況証拠を含め記録の確認はいたしました。
ただ、そうであっても、車内の暗さに、気休めですらない補助灯の明滅や、窓の開け閉めに拘わらない騒音の凄まじさ等、記録の裏付けが及ばない事実と言うものも無いとは申しませんが。

さて、秋庭俊氏は、自称ノンフィクション「地下網の秘密」文庫版153頁に以下の様にお書きです。

    営団地下鉄はこれまでに八路線の地下鉄を建設している。そのうちの七本が
    この霞ヶ関、永田町をとおる。『丸ノ内線建設史』には、銀座-新宿に二十二本
    の連絡側線を敷いたとある。

どうも、この連絡側線でもって、戦前?秘密に創られた地下鉄と丸ノ内線が繋がっていると言う様なことを仰りたい様で、即ち戦前?秘密に創られた地下鉄が、二十二本以上有る憑拠と仰りたい様なんですね。
困るんですよ。出典箇所の明示も無くお書きになられたら。
本当にそんな記述があるか確認するとなると。なにしろ、「丸ノ内線建設史」上・下巻合わせて、本文730頁もあるんですよ。しかも、そうそう市井に出回って居ない同書。
誰もよう確認しませんはね、普通。
ですから、原典は「丸ノ内線建設史」、と名を上げて、そこで「銀座-新宿に二十二本の連絡側線を敷いたとある。」、こう書かれた日には、そりゃあ、誰もが信用しますわな。
ところがどっこい、無いんですな、「丸ノ内線建設史」に、「銀座-新宿に二十二本の連絡側線を敷いた」なんて記述。
確認いたしました。
最も近いと思われる記述は、「丸ノ内線建設史下巻」(帝都高速度交通営団刊)第3編軌道の250頁の表1「軌道敷設延長並びに分岐器敷設数」



「丸ノ内線建設史」上・下巻、一通り全部読みましたけど、これ以外に、「連絡側線」はおろか、「側線」についての具体的な記述は一切見あたりません。
しかもこれ、新宿の中線形式の引上線への分岐、「記事」に有る様に、「後楽園」の側(留置)線2線分への分岐も含めての、あくまでも「分岐器」の数です。「側線」の数ではありません。
これ何ですか?
誰も読まない、確認しないだろうということで、こんな捏造をされるんですかね?
確かに、この様に、意図的に、虚実の確認が非常に困難な書き様をされれば、
そのことによって、原典に無い事をいかにもあった様に捏造が可能になりますね。
秋庭俊氏のこの手の遣り口には本当に感心させられます。


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