地下妄の手記 斯くして郵便洞道への道

斯くして郵便洞道への道


 秋庭氏は「帝都東京・隠された地下網の秘密[2]」において、地下通路網、地下鉄網の類が、政府によって都内の郵便局間に構築されていると主張されています。
 その萌芽と言いますか、妄想の出発点が、「帝都東京・隠された地下網の秘密」文庫版155頁以降の以下の記述でしょうか。

    「〒洞道」というところに矢印がある。洞道というのは地下道のことで、代表的なも
   のがこの郵便洞道になり、この他に電々洞道(NTT洞道) などがある。
   この郵便地下道については『丸ノ内線建設史』 からイラストを引用した(157頁)。
    高さ二・三メートル、幅四メートルほどの地下道には、イラストにあるようなバッテリー
   を搭載したカート (小型の自動車) が引っ切りなしに行き来しているとある。   
    また、土木関係の専門書によれば、永田町、霞ヶ関、丸の内、大手町にはこの郵便
   洞道が張りめぐらされていて、官公庁、地方自治体の施設、主要な建築へと延びてい
   るという。じつは、このあたりはもともと、地下にある郵便局も多く、意外なところでは、
   東京駅八重洲口、日比谷シティ、日本都市センター、山王グランドビル周辺などがあり、
   地図の「〒」を拾っていくだけで、何となく洞道の存在が実感できたりする。

 で、秋庭氏は
「千代田線建設史」霞ヶ関駅構築時の旧海軍防空壕取壊しの「掘削工法標準図」に「〒洞道」とあるのを「〒」=「郵便」と独り決めされ「郵便洞道」を発明されます。
 上記の記述のすり替えの過程を図表によって検証していきましょう。
 秋庭氏の言う文庫版157頁のイラストは次の様なものです。

    「帝都東京・隠された地下網の秘密」文庫版(2006年1月新潮社刊)157頁

では、引用元、丸ノ内線建設史の図を見てみましょう。

     丸ノ内線建設史下巻90~91頁「第12節中央郵便局郵便地下道の処理」より

この図は御覧頂いて判る様に、「郵便地下道施工順序図」とあります。
上記の通り、秋庭氏は例によって元の図についての説明を省略され、「復旧順序b図」について勝手に「郵便洞道(『丸ノ内線建設史』より)」と書かれている訳です。
この地下道は、鉄道郵便の取り扱い減少により、本スレ7に書込みがある様に、現在は使われていませんが、元来は、下記の「東京中央郵便局舎」の説明の通り、丸の内の東京中央郵便局と、東京駅構内を結ぶ、郵袋運搬用の地下電車(実際は、専用の電気機関車にパレット台車の様なものを繋いだ列車)用の隧道として造られたものです。
後に、軌道を撤去して通路化し、バッテリーカーに置き換えたものでした。
そ れが、東京―西銀座間、正確には東京駅を出た直後、で丸ノ内線が交差するため、下受け工事が必要となりましたが、昭和6年から使われていたので、相当に老 朽化しており、交差部において地下道そのものの構築をやり直さなきゃならなかった。だから、工事の概要図が丸ノ内線建設史に残った訳です。


   逓信省五十年略史(昭和11年逓信省刊)より

「東
京駅歴史探見」(JTBキャンブックス)とか、「東京駅探検」(新潮社トンボの本)とかに、往事の機関車と貨車の写真と記事が載っていたかと記憶しています。
すなわち、郵便輸送が殆ど鉄道と航路に担われていた時代の、列車への積み降ろしによる頻繁な郵袋の往来が、街頭や、駅構内の交通を妨げないためと言う、極めて限られた目的に資するためのユニークな施設だったのです。
現 在、我々が航空機を利用する時に手荷物を預けたりする様に、当時大きな荷物は旅客手荷物として、客車輸送してましたし、小荷物なんてものもありましたか ら、長距離列車のターミナル駅には、駅構内プラットホーム下を横断する荷扱いの通路とホームまで揚げるエレベータがありましたね。
駅構内では、その様な用途としての地下道でもあったのです。
こんなものが、
永田町、霞ヶ関、丸の内、大手町に張り巡らされている訳が無いんです。量的にも、質的にもこれを利用して運ばなきゃならないものが無いんですから。

秋庭氏は引用元の説明を「郵便洞道」と書かれていますが、上記第12節をはじめ、丸ノ内線建設史には何処にも、「郵便洞道」と言う記述はありません。他に、地下鉄建設史(大阪等含む、都営を除く)を捜しましたが有りません。
また、「土木関係の専門書」とやらに「郵便洞道」と言う記述があるのかと、「建築雑誌」や「土と基礎」等、或いは「地下施設」等の季語で書籍検索を掛けるなどして「土木関係の専門書」を幾つか渉猟しましたが、見当たりません。
別にそれを以って、「郵便洞道」なんて術語が無いと断じるつもりは無いですが(ひょっとしたら、東京中央郵便局の地下道に限って、これを語る上で「洞道」と言う事があるかもしれませんから。)、でも、多分「郵便洞道」は秋庭氏による創作でしょう。
この手の、妄想は、例によって、無いものを無いと、一事を以って論証することの困難性から、この様に一つ一つ異論を積み上げていくと言うことで論証するしかありますまい。

         千代田線建設史572頁

さて、秋庭氏に倣って矢印を付けてみました(w
秋庭氏は、「高さ二・三メートル、幅四メートルほどの地下道には、」とお書きになっていますが正確には、中央郵便局の地下道は「郵便地下道施工順序図」の取り毀し順序①にある様に、秋庭氏得意の内張りをした結果で「高さ二・二五メートル、幅三・八メートルの地下道」です。元の幅については四メートルと図にありますが、元の高さについては見ての通り記述がありません。
じゃあ、二・三メートルと書きたかった理由が矢印の2,300じゃなかったのかと邪推してみました。右側の「〒洞道」の高さに,何となく符合しているように見えるじゃありませんか。見掛けだけは(w