地下妄の手記
P線の変遷
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P線の変遷
ちょっと、息抜きに、秋庭さんの「嘘」の構造と言うか、創作方法と言うか、「嘘」を承知で書いていると言う事について、例を挙げてみようとおもう。
「帝都東京・隠された地下網の秘密」単行本130頁(2002年12月刊)
また、東急の渋谷─二子玉川間は、戦後、営団地下鉄から譲渡されている。営団はこのほかに
も、新宿-笹塚を京王に、泉岳寺-品川を京急に譲渡している。たしかP線とかいう呼び名があ
ったように記憶している。
また、東急vs西武といえば、血みどろの死闘というイメージがあるが、『五島慶太伝』に思い
がけない記述があった。東京府知事に招かれて官舎に行くと、三井物産の社長がいて、西武鉄道
を引き受けてくれないかと頼まれている。
「写真と地図で読む!帝都東京地下の謎」60頁(2004年5月刊)
戦後、営団地下鉄は新宿─幡ヶ谷に地下鉄を建設し、京王に譲渡している。
いま、京王新線と呼ばれている部分である。そのようなことは理屈に合わないが
それが戦後の現実である。公式の記録である。
政府、営団、京王が否定しても、そこにはもともと、トンネルがあったと考えるの
が常識というものではないだろうか。
「帝都東京・地下の謎86」195頁(2005年2月刊)
この区間は一般に京王新線と呼ばれている。京王新線は、戦後、営団地下鉄が建設し、京王に
譲渡したとされている。とはいえ、営団には唐突にそんなことをする理由がない。常識的に考え
て、この部分のトンネルは戦前、京王が建設していたのだろう。
「帝都東京・隠された地下網の秘密」文庫版171頁(2006年2月刊)
また、東急の渋谷-二子玉川間は、地下鉄である。当然、建設には膨大な金がかか
るが、実は、この区間はP線と呼ばれ、政府が私鉄に代わって設計、施工を行い、費
用も政府が負担した上で、譲渡【プレゼント】(Present)されたものである。京王の新宿-
笹塚間、京急の泉岳寺-品川間も、P線である。
東急vs西武といえば、血みどろの死闘というイメージがあるが、『五島慶大伝』に
思いがけない記述があった。東京府知事に招かれて官舎に行くと、三井物産の社長が
いて、西武鉄道を引き受けてくれないかと頼まれている。
619 注)上記原文は漢字「譲渡」に「プレゼント」とルビが振られ、ご丁寧にも(Present)と英標記されている。
「新説 東京地下要塞」単行本118~119頁(2006年6月刊)
都営浅草線のルートは、五反田と品川からの二つのルートが泉岳寺で合流すると先に述べた
が、泉岳寺─品川間は、いま、京急の区間とされている。しかし、この区間を建設したのは京急
ではない。都営地下鉄の誕生と同時にP線(私鉄企業が、新線建設や複々線化などの大規模投資
を行おうとする場合に利用可能な公的補助制度)が創設され、政府が私鉄に代わって設計から施
工まですべてを行い、建設費も負担したうえで、この区間のトンネルを京急に譲渡している。
本来、国がカバーすべきことを私鉄に任せているため、P線という制度が創設されたというこ
とだが、常識をはずれた優遇措置である。しかも、京急にとっては、親切の押し売りでしかな
い。京急は横須賀、横浜から品川まで地上を走る私鉄である。莫大な金をかけてこの区間に地下
鉄を建設し、何になるというのだろう。しかも、品川-新橋間は山手線、京浜東北線、東海道本
線、横須賀線などとの並走区間で、乗客はほとんどいない。京急沿線の住人は、誰もが品川で下
車している。都営地下鉄はJRより料金が高いうえに遅いからである。なぜ、国鉄各線と並んで
品川-新橋を走り、すでに銀座線が結んでいた新橋と浅草に、もう一つのルートを敷設している
のだろう。品川-新橋-浅草の地下鉄は、本当に戦後に計画され、戦後に建設されたのだろう
か。
都営浅草線のP線・泉岳寺-品川間は、日本鉄道建設公団が建設した。新幹線や青函トンネル
の建設などで知られる鉄道のプロである。その鉄建公団がわずか一駅、一キロ強の区間に五年も
かかっている。進行速度は年平均〇・二キロである。
「新説 東京地下要塞」文庫版124~125頁(2007年7月刊)
都営浅草線のルートは、五反田と品川からの二つのルートが泉岳寺で合流すると先に述
べたが、泉岳寺─品川間は、いま、京急の区間とされている。しかし、この区間を建設し
たのは京急ではない。都営地下鉄の誕生と同時にP線(私鉄企業が、新線建設や複々線化
などの大規模投資を行おうとする場合に利用可能な公的補助制度)が創設され、政府が私
鉄に代わって設計から施工まですべてを行い、建設費も負担したうえで、この区間のトン
ネルを京急に譲渡している。
本来、国がカバーすべきことを私鉄に任せているため、P線という制度が創設されたと
いうことだが、常識をはずれた優遇措置である。しかも、京急にとっては、親切の押し売
りでしかない。京急は横須賀、横浜から品川まで地上を走る私鉄である。莫大な金をかけ
てこの区間に地下鉄を建設し、何になるというのだろう。しかも、品川─新橋間は山手
線、京浜東北線、東海道本線、横須賀線などとの並走区間で、乗客はほとんどいない。京
急沿線の住人は、誰もが品川で下車している。都営地下鉄はJRより料金が高いうえに遅
いからである。なぜ、国鉄各線と並んで品川─新橋を走り、すでに銀座線が結んでいた新
橋─浅草に、もう一つのルートを敷設しているのだろう。品川─新橋─浅草の地下鉄は、
本当に戦後に計画され、戦後に建設されたのだろうか。
都営浅草線のP線・泉岳寺─品川間は、日本鉄道建設公団が建設した。新幹線や青函ト
ンネルの建設などで知られる鉄道のプロである。その鉄建公団がわずか一駅、一キロ強の
区間に五年もかかっている。進行速度は年平均〇・二キロである。
まず、2002年地下本(城市郎かよ)の最初「帝都東京・隠された地下網の秘密」から、2005年2月まで
渋谷-二子玉川
新宿-笹塚
泉岳寺-品川
は、営団地下鉄から「譲渡」されたとしておられます。
これは免許の譲渡ではないかと、
「東急の渋谷─二子玉川間は、戦後、営団地下鉄から譲渡されている。」
との記述を見て考えられる方があるやもしれませんが、
「P線」の記述があるので、完成線の「譲渡」と解して良いと考えます。
ここには、帝都高速度交通営団と日本鉄道建設公団の混同があります。と言うより、承知で営団と公団を書き換えておられるのだと考えます。勘違いでの混同ではありません。
何故なら、これも、「P線」への言及から窺えます。「P線」この鉄道公団独自の固有名詞「A・B・C・D・E・(F)・G・P」の各線は鉄道公団とセットで語られる術語だからです。
営団と「P線」を結び合わせる資料は秋庭さんの脳内以外に、この世に存在しないからです。
つぎに、「帝都東京・隠された地下網の秘密」単行本130頁(2002年12月刊)は「帝都東京・隠された地下網の秘密」文庫版171頁(2006年2月刊)で「営団」が消え、代わって「政府」が登場します。
当然P線の何たるかは、知っての上で書いておられる。
また、東急の渋谷-二子玉川間は、地下鉄である。当然、建設には膨大な金がかか
るが、実は、この区間はP線と呼ばれ、政府が私鉄に代わって設計、施工を行い、費
用も政府が負担した上で、譲渡【プレゼント】(Present)されたものである。京王の新宿-
笹塚間、京急の泉岳寺-品川間も、P線である。
これも、前述のとおり、営団を政府に置き換え、しかも、P線のPを敢えて
政府が私鉄に代わって設計、施工を行い、費用も政府が負担した上で、
譲渡【プレゼント】(Present)されたものである。
とされています。「P線」は鉄道公団とセットで語られる術語です。その意は「民鉄線」。当時の「国鉄線」との対比で民営鉄道の“Private railway”の「P線」です。
もちろん、秋庭さんの上記はれっきとした「嘘」です。だって、営団を政府に置き換えられるということは「P線」の何たるかを知った上でなければ書けませ ん。もし知らずに書いているのなら、「知らない」と言うだけで雲国際か雲国策無いかに関わりなくジャーナリストならば、最早「嘘」を書いていることになり ます。
「新説 東京地下要塞」文庫版124~125頁(2007年7月刊)は珍しく、「新説 東京地下要塞」単行本の記述の書き換えが 極めて少ない箇所です。 ですから、「嘘」が判りやすい箇所と言えましょう。ここで、初めて「日本鉄道建設公団」すなわち「鉄道公団」が登場するなど、詳細になりましたけれど、 「P線」相変わらず「嘘」ばっかりです。
まず、一貫して変わらない主張(嘘)について対比してみましょう。
「新説 東京地下要塞」単行本118~119頁(2006年6月刊)
都営浅草線のルートは、五反田と品川からの二つのルートが泉岳寺で合流すると先に述べた
が、泉岳寺─品川間は、いま、京急の区間とされている。しかし、この区間を建設したのは京急
ではない。都営地下鉄の誕生と同時にP線(私鉄企業が、新線建設や複々線化などの大規模投資
を行おうとする場合に利用可能な公的補助制度)が創設され、政府が私鉄に代わって設計から施
工まですべてを行い、建設費も負担したうえで、この区間のトンネルを京急に譲渡している。
「帝都東京・隠された地下網の秘密」単行本130頁(2002年12月刊)
営団はこのほかにも、(中略)、泉岳寺-品川を京急に譲渡している。
「帝都東京・隠された地下網の秘密」文庫版171頁(2006年2月刊)
(前略)、京急の泉岳寺-品川間も、P線である。
ここで、鉄道公団の略史を。
1964(昭和39)年 設立(日本鉄道建設公団法)
1972(昭和47)年 民鉄線建設業務の追加(6月法改正)
1974(昭和49)年 初の民鉄線開業(6月小田急多摩線)
そして、京浜急行の略史を。
1968(昭和43)年6月20日 都心乗入れ工事完成、21日品川~泉岳寺開業。
すいません、京浜急行の品川~泉岳寺間の開業は「鉄道公団」に「民鉄線建設業務」が追加される4年前なんですけど。
そして、都営一号線の略史を。
1956(昭和31)年 特許出願
1958(昭和33)年 「新説 東京地下要塞」文庫版116頁
「都営地下鉄の建設が始まっている。」
1960(昭和35)年 押上~浅草橋開業
中略
1963(昭和38)年 東銀座~新橋開業
以下略
すいません、都営地下鉄は「都営地下鉄の誕生と同時にP線が創設」と言うより、鉄道公団が創設される4年前に一部が開業してるんですけど。しかも、営団 も、東京都も鉄道公団の当時から今まで、鉄道線建設で直接、お世話になっていないんですが。だって自前で資金調達が出来るように法律で裏付けがありますか ら。
そして、昭和55年に出た、「京浜急行八十年史」196~197頁には
これより先、第2次計画において継続施工中であった都心乗入工事は、
昭和43(1968)年6月20日に完成し、翌21日から営業を開始した。
5年の歳月と66億円の巨費を投じたこの事業は、待望久しいものであ
った。その経緯は前章において記述したので、ここでは、都心乗入工事
等の概要について述べることにしよう。
当社の工事区間は、品川~泉岳寺間の1.2キロメートルにすぎなかっ
たが、総工費は66億円に達し、工事部員数は延べ18万5,250人、使用
コンクリート4万2,120立方メートル、鉄材4,025トンに及んだ。この工事
は、まず用地買収が難航し、設計、施工のうえでは、国鉄線と国道15号線
(京浜第1国道)にはさまれた狭い用地の効果的利用、国鉄との関係、都内
でも、もっとも交通量の多い国道15号線下での工事など、かなりの難工事
であった。
と自社工事であったことが書かれています。
秋庭さんは、
都営浅草線のP線・泉岳寺─品川間は、日本鉄道建設公団が建設した。新幹線や青函ト
ンネルの建設などで知られる鉄道のプロである。その鉄建公団がわずか一駅、一キロ強の
区間に五年もかかっている。進行速度は年平均〇・二キロである。
と書いておられますけど、「5年がかり、」とか、「一キロ強」とかどこで仕入れられたんでしょうか?
こんなところが、私には、
「たとえは悪いが、犯人しか知りえななかったこと」
に思えるのですが。
ねぇ、犯人。
2007年8月14日払暁