桜井淳 発言研究まとめ@Wiki

【草稿】上坂冬子氏発言

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
[時評・ウエーブ]上坂冬子 報道のレベルアップを
2005.05.17 電気新聞 10頁 (全1,594字) 

 かねがね原子力の周辺の事故やトラブルをめぐる報道に疑問を抱いていた私は、JR西日本の脱線事故に対しても、自ずと報道ぶりに関心が向いた。

 ゴールデンウイークの最中も、テレビはしきりに事故の原因究明を報じていたが、あの段階で視聴者に原因を知らせることが必要不可欠の報道だったのであろうか。事故直後に社長の進退について質問した様子が報じられたのも、私には余計なお世話に思われた。

 事故にはそれなりの原因があるから専門家による追及は必要だが、事故直後にいわば素人の報道関係者が原因究明の争奪戦を展開すれば、無用の混乱を招く。当初、JR側が線路の上の白い粉に言及したときに、ただちに「置き石」 による口実工作として騒がれそうになったときにも、それを痛感した。いみじくも、あの段階で「原因なんか、知りたくない」と言い放った遺族がいて、私には その言葉がいまも強烈に胸に残っている。また、JRに言いたいことは?という質問に答えて、妻を亡くした中年の男性が、

 「いまは何も考えられません。それよりも、私たち一家はきょうまで何一つ悪いことなどせず生きてきたのに、どうしてこんなヒドイ仕打ちを受けねばならないのかと神に怒りたい」

 と吐き出すように言ったとき、かつて親族を事故で亡くしたことのある私は息を呑んだ。遺族が事故原因に心が向くのは、天を恨み地をののしり悶え苦しんだあとだと思うにつけても、脱線事故に関する根拠の曖昧な原因追及報道は空々しい気がした。

  批判を承知で言わせていただくと、起こした側にとっても被害者側にとっても事故は“運命”だ。努力の死角をねらって事故は起きる。不運をどう受け止め、ど う立ち直るかが先決であろう。冷たいようだけれど、取り返しのつかない運命に対して被害者は第1段階として自力で立ち向かうしかない。

 事 故を起こした側は、被害者に対する万全の配慮をした上で、集中的に原因を究明して再発を防ぎ、不運の度合いにしたがって保障するしか対策はない。事故から 10日も経たないうちに、衝突を受けたマンションの人々の損害や、心のケアなどが語られていたのも、報道体制の混乱に思われたし、ボウリング大会に参加し た職員をあげつらっていたのも、核心を外している。

 最も不快だったのは、4月29日NHKの夜のニュースで車掌の妻の言葉が報じられたことだ。

 「主人は、電車の速度がいつもより速いと思ったそうです。運転手は40メートルズレて停車したのを伏せてほしいと言ったと主人から聞きました」

 などと語る妻の後ろ向きの姿が映し出されていた。JR側が運転手のミスを秘匿するのを防ぐためか、あるいは運転手が労働管理強化におびえていたのを裏付けるためか。いずれにしろ、車掌本人の発言ならともかく、あの際「また聞き」がどれほどの意味をもつというのだろう。

  いわば門外漢の車掌の妻が、どんな経緯から取材対象となったのかは知る由もないが、多分あの報道はあとでモメたにちがいない。あとでモメゴトがおきるよう な証言を取材した場合、発言者より取材した側に罪がある。お粗末な取材が電波に乗ったのも、報道体制の混乱、狼狽のあらわれだ。

 事故が起 きた場合、事実関係の改ざんや秘匿はもってのほかだが、だからといって功を急いで乱雑な報道をクローズアップすれば、その陰で本質的な真実がうすれる。さ らにJRが万博のイベントを控えたり、各地で線路周辺のマンションが一斉に2、3割値下がりしたなどという報道は、日本中が全体主義に走っているとしか思 えない。

 事故対策の一環として、報道のレベルアップを望むや切。

<上坂冬子> かみさか・ふゆこ=ノンフィクション作家、評論家。59年思想の科学新人賞を受賞し著述業に。93年度菊池寛賞、正論大賞を受賞。戦後史の発掘からエネルギー問題まで幅広く活躍。最新刊は「私の人生 私の昭和史」(集英社)。東京都出身。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

記事メニュー
目安箱バナー