地下妄の手記 大東京の地下400年 九層倍の嘘 攪乱編

大東京の地下400年 九層倍の嘘 攪乱編

38」「洞道」は現存する地下道で最も古い地下道か

  さて、秋庭さんに問題です。

  次の漢字に読み仮名を付けなさい。

   洞道 (       )

  漢字で書いている限りはバレ無かったのに、平仮名で書いちゃったのよね、ここで。麻生太郎かアンタは(笑

  漢語風で字が古そうだからと言うだけで、「現存する地下道で最も古い地下道か」って本文読んでもこれ意味不明なのがイタいよね。

 東京には、今、数多くの「洞道」という地下道がある。「洞」は洞窟、空洞、鍾乳洞の
ように自然に生まれた大きなトンネル、穴を意味するが、「洞道」は高さ2メートルくら
い、人が歩ける地下道だ。地表に近いところにあるのが特徴といえる。

  「洞」が「自然に生まれた大きなトンネル、穴」だと規定しているのはどこの辞書だろうか?しかもそう言いつつ、

  a)もしかして江戸の地下道が時を経て「洞道」となったのだろうか?

  b)明治時代に陸軍がつくった地下道が「洞道」となった可能性も少なくないはずだ。

  c)軍事目的につくられた地下道で、しかも歩行用となると、東京の地上に都電が走って
    いなかったころまでさかのぼらなければならないことになる。

  人工物だと言いたくって居られます。

千代田線霞ヶ関駅の断面図を見ると、かつて海軍の防空壕があったところの上に「〒洞
道」という文字がある。郵便物を運ぶために使われる「郵便洞道」だ。

  「〒洞道」が元「逓信省」の「とう道」=現「電電公社」(当時)の「洞道」と言う意味で使われていることは、「地下妄の秘密 捏造 斯くして郵便洞道への道」、「その蓋は何を物語っているのか?」などで書きましたし、これを「郵便洞道」と呼ぶのは秋庭さんだけです(秋庭さんを参照してお使いになっている人もいらっしゃるようですが、オリジンは秋庭さん以外に有りません)。

 NTTも「洞道」を持っていて、電話などの通信ケーブルを敷設している。

  洞道の定義は以下のとおりです。秋庭さんの怪しげな説明とは異なり、明確なものです。

  洞道 utility tunnel;culvert 水道管、電話線などを収容するために道路の下に設ける、‘共同溝の整備に関する
                     特別措置法’によらず単独物件を収容するトンネル状の施設をいう。

  建築学用語辞典 社団法人日本建築学会編集 (岩波書店1993年刊)より

  恒常的に交通や物流の用に供されるものではありません。したがって郵便物の移動を目的とした洞道は存在しません。

 そのほか、池袋のサンシャインシティのように冷暖房施設でつくられた冷気や暖気を周
辺のピルなどに供給する「洞道」が新宿の高層ビル街にもある。

  これについても、「「第二章 足元に広がる嘘」 ① 郵政省、NTTが持つ地下道」や「【全検】東京地下迷宮の謎々【回送】二つの地図に違いがある」で秋庭さんの捏造を糾し、「洞道」が何であるかを明らかにしたかと思います。

皇居前広場と日比谷公園の周辺にもかなりの数の「洞道」があり、地下鉄の断面図で
見ることができる。
「洞道」が地下鉄と交差したり接触したりするケースは少なくない。たとえば、丸ノ内線
は、大手町で2度ほど通信の洞道の下を、東京駅の手前でも郵便洞道の下を走っている。
そんなときは、地下鉄工事とともに、洞道の補強工事が行なわれている。洞道が沈まない
ように下から支える工事をしているのだ。

  この辺りも、殆ど「新説 東京地下要塞」からの粗悪な駄ビングですので、「「第二章 足元に広がる嘘」 ① 郵政省、NTTが持つ地下道」をみれば、情報(元々が捏造、歪曲、改竄からなる情報ですが)の脱落、複写漏れがよくわかると思います。
  丸ノ内線建設史では、

東京駅の手前でも郵便洞道

  丸ノ内線建設史に「郵便洞道」の記述は有りません、「中央郵便局の地下道」とされています。恒常的に交通、物流があったから、「地下道」なのです、「洞道」ではありません。

丸ノ内線は、大手町で2度ほど通信の洞道の下を、

  これも、「通信」などという管理のあいまいなものではなく、「電電公社の道洞」と所属が明確に書かれています。電電公社=現NTTグループ。

 この「洞道」がいつつくられたのか、どこをどういうルートで張り巡らされているのか、
詳しい情報は公表されていない。それはまるで江戸の 「上水」に似ている。もしかして江
戸の地下道が時を経て「洞道」となつたのだろうか?

  詳しい情報は必要な、個人、法人には公開されています。て言うか、建造した、敷設した事業者およびその関連事業者以外に、詳しい情報が必要な方って誰?秋庭さんの様な「国民」、「市民」つまり、「洞道」のルートを、その保守やらなんやらで使うことの無い様な方には不要な情報。それの公表を受ける必要の無い方にお知らせして何の役に立つんでしょうかね?何かい?秋庭さん水道の工事屋さんなの?建築屋さんなの?電話工事会社経営?道路の工事やってる人?秋庭さんが見ると都市インフラの整備に役立つんですか?昔のテレビ、ラジオ──40年位前の──には管球名や抵抗値、コンデンサの容量まで描いた回路図付いていたけど、町の電気屋さんが実際修理してたからね。でも今の薄型液晶テレビの取説にはブロックダイヤグラムすら載ってないよね。町の電気屋さんで修理できないから。メーカーで大抵アッセンブリー交換しちゃうからね。それを秋庭さん、回路図が公表されていないって言うかい?

  秋庭さんは、何かにつけて、「情報が公開されていない」と仰るけれど、大抵は「秋庭さんがちゃんと取材していないだけ」、「全然調べていないだけ。」、「調べた結果が自説の誤りを明確に示しているので、調べなかったことにして、公開されていないと言い立てているだけ。」でしょ。
  「上水」のルートとやら、つまり配水図だってちゃんと存在しますし、公表されています。それも、90年位前に。



  これ、「東京市史稿 上水篇附図解説」と言います。東京市から刊行された市の行政史の中に上水に関するものが何巻かあるんですけど、それに対する図が附図として付いているんですね、その附図とはここに書かれているように、

  東京市水道水源林相圖・・・・・・大正6年次の多摩川および多摩川水源の状況圖
  貞享上水圖・・・・・・・・・・・・・・・・東京府が幕府から引き継いだ貞享年間の神田、玉川上水の図それぞれ何帖か
                    あったものをまとめた図
  神田玉川兩上水全圖・・・・・・・・東京市が所蔵する神田、玉川上水の、これも複数帖をまとめた図。
  東京市水道鐵管敷設之圖・・・・明治四十四年の東京市の水道の配水(管)図

大正10年に刊行されているんですね、これ、私は大阪市立中央図書館所蔵のものを見ていますから、その大正10年頃に各地の公共図書館などに贈呈された「東京市史稿」で公開されているんですね、上水のルートも、明治の水道図も

  そしてこれらが、それぞれの図です。これでも、上水のルートは公表されていない判らないと秋庭さんは仰るのでしょうか?



      貞享上水圖(東京市史稿 上水篇附図解説より)


  神田玉川兩上水全圖(東京市史稿 上水篇附図解説より)


  東京市水道鐵管敷設之圖(東京市史稿 上水篇附図解説より)

  サイズ的に「西の御丸」とか淀橋の浄水場とか、特徴のある場所を入れてこのwiki に挙げるとこの位ラフになってしまいます。まぁ、「東京市史稿」は都内の区立図書館で簡単に閲覧できます。一部地方の中心的な図書館にも常備されているようです。どうしても詳細が確認したい方はどうかそちらで確認してください。

 今、存在がわかっている「洞道」から推測すると、丸ノ内線がつくられるより前、海軍
の防空壕がつくられるより前、サンシャインシティの 「洞道」(項目39参照)のように、明
治時代に陸軍がつくった地下道が「洞道」となった可能性も少なくないはずだ。

  推測できるほどに、「洞道」について秋庭さん資料持っているんですか?存在が分かっている「洞道」って秋庭さんはご自身が各種資料からパクッてきたものだけを指して「存在がわかっている「洞道」」と言っておられるようなんですが。

この「洞道」がいつつくられたのか、どこをどういうルートで張り巡らされているのか、
詳しい情報は公表されていない。

  秋庭さんこのレベルを超えられているわけ?公表されていない情報を持っておられるのね?公表されていない情報を持っていたとしたら、結論が何で「はずだ。」なのかな?「可能性も少なくない」。これって、「友達の、友達の、お母さんの、友達の話」ってことでしょ。だって、「推測したら、~となった可能性も少なくないはずだ」なんですから。

 トンネルの規模から考えても、せいぜい人や弾薬を移動させるための地下道だから、古
い江戸の地下道=「抜け穴」でも用が足りる。地上の道路と無関係に延びていて、敵に悟
られず攻撃を受けにくいのは「抜け穴」 には最高だ。

  「地上の道路と無関係に延びて」いないから「洞道」なんだけれど。秋庭さんが確認した図とか皆、「洞道」は地上の道路の下を走っているんじゃないですか?少なくとも、前記に上げられた「池袋」、「新宿新都心」、霞ヶ関日比谷?、丸ノ内全部道路下なんですけど。

 ルートがわからないのは軍事機密として隠されたせいだろうが、地表に近いところにあ
るので空爆を受ければひとたまりもない。軍事目的につくられた地下道で、しかも歩行用
となると、東京の地上に都電が走っていなかったころまでさかのぼらなければならないこ
とになる。「洞道」は現存する地下道のなかで最も古い地下道かもしれない。

  「ルートが分からない」のではなくて、秋庭さん調べていないだけ、かつ、第一、情報の取得について何の合理性も無く、要りもしない、知ったからといって何の役にも立てる能力の無い人間に情報を出さねばならない義務は、公共の情報保有者には無い。情報の提示って、金も手間も掛かるし、提示した情報の管理を、「情報の取得に何の合理性も無く、要りもしない、知ったからといって何の役にも立てる能力の無い人間に」委ねるような無責任なことは許されないんですよ。得た情報の出所を権威付けに利用するだけして、しかもその情報を改竄や歪曲し捲る人間に委ねるなんて無責任なことはね、公共の情報保有者にはできません。

  東京の地上に都電が走っていなかったころ

  1944年以前のことかな、なんて揚げ足取りはしないけれど、今作っても、単独物件を収用するトンネル状の施設は「洞道」と呼ばれるんじゃないんでしょうかね?

 39」東池袋の「洞道」は明治の「市区改正」のころにつくられた?

 東京拘置所跡地(今のサンシャインシティ)の再開発で最大のネックとされたのが、人を
集めるための「足」だった。池袋駅から空中シャトルで結ぶというプランまであったとい
うから、よほど悩んだのだろう。

  当時池袋駅から徒歩でサンシャインまで歩くと、現サンシャイン前信号の処で都道435号線に阻まれるので、ここを地下道にしてムービングウォーク(動く歩道)を付け地下からサンシャインシティーに入れるようにした。大した混雑であったことを記憶している。
  はて、「空中シャトル」って何だろう?サンシャイン60は1978年開業、この当時に(今もだが)アクセス手段として、つまり交通システムとしてそんな類のものが存在したんでしょうか?謎ですねぇ。多分秋庭さんも書いては見たけどどんな乗り物かすらわかってないんでしょうね。
  はい、真相は当時世界一の速さと言われた、サンシャイン60の展望台用のエレベーターのことなんですね。そう、ネックは人を集める足ではなくて、この展望台を始め、60階建てのビル高層階へのアクセス、当時のエレベーターの速度では館内の各フロアーへの足がネックだったんです。
  さて、この「空中シャトル」どうやって池袋駅とつなごうと言うのでしょうかね?

 私は東池袋中央公園の角をかすめる丸ノ内線に新駅をつくれば簡単に解決すると考えて
いたから、なぜ駅がつくられなかったのか、不思議だった。
 2つめの謎は、建築の専門書に「サンシャインシティの冷暖房施設は、周囲の公共機関
に供給している」と書かれているのこ、受けているのは豊島区役所だけだということ。
 サンシャインシティから区役所まで「洞道」を通して供給されているそうだが、このト
ンネルをつくるには10億円を下らない工事費がかかる。そんな必要性がどこにあるのか?

  建築の専門書って?こう書いてあるんじゃないんでしょうか?何を供給しているかを含めてね。

サンシャインシティにある地域熱供給施設は、周辺の企業や公共機関に冷熱源を供給している

mori-chi さん、天涯さんなどに、「池袋地域冷暖房株式会社http://www.ikenetu.co.jp/index.htmlについて散々教えてもらったくせに、未だに、歪曲で嘘を言い続けるんですか?

 この2つの謎を解く鍵は、東京拘置所にある。戦前ここは「巣鴨監獄」といったが、東
京拘置所と豊島区役所はどちらも公共機関だから地下道で結ばれていた可能性が高い。
 また、かつて火薬工場があった板橋から豊島区役所、東京拘置所、開運坂、後楽園の砲
兵工廠をつなぐ地下道が、「市区改正」事業の裏で陸軍によってつくられた可能性もある。
 しかし、東京拘置所が戦後、小菅に移されてこの地下道は無用になってしまっていた。
サンシャインをつくるときにこれを補強して「洞道」 にしたのに違いない。
 ただ、丸ノ内線は、この洞道の下を通っていて、洞道を丸ノ内線が支える形になってい
る。だから、私が考えていたようにはいかなかった───のである。

 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるって?沢山の可能性というか妄想を出してこられましたね。でも弾の入っていない鉄砲で幾ら屁をひっても、臭いだけですよ。洞道か管路か知りませんが、直径が2メートル位?、使い道も無いと自ら述べられている、洞道に駅構築が妨げられると言う認識がもう何の意味もないかと思われるんですが。何故なら、この辺りの丸の内線の土被り「建設史」路線図縦断面図見る限りは2メートル無いんですよね。洞道丸の内線より地表側に位置となると駅の構築がどうたら言う前に、「洞道」相当部分が地上に露呈することになりますけど。

40」「帝都防衛・砲台地図」で、秘密のヴェールに隠れた砲台を発見!


「改正 東京全図」という地図がある。この地図は「市区改正」 のころにつくられたから
「改正」という文字が入っているのか、「東京全図」 の改正版なのか、定かではないが、不
思議なのは、MAP OF TOKYOのFの字が裏返しになっていることだ。

  この地図の素性については、ここ(改竄の果てに)で明らかにしたと思いますが、当時の東京土産だっただけに、嵯峨野彦太郎(蘇我埜とするものもあり)編輯で大小、囲みの名所図の違い、横浜市街図附とか多種多様なものが出ていたようです。

 この地図にはラインが書きこまれている。右上から左下に引かれているのが経度のライ
ンだろうか? それと90度に交差しているのが緯度のラインだろうか? その方眼の対角
線を引いたようなラインが左下がり、右下がり交互に引かれて別の大きな方眼になってい
る。これは普通の地図ではない。

  この線は、八門方位線、東南西北白發中じゃなかった、北、北東、東、東南、南、南西、西、北西の八方位を地図上に表している線で、緯度、経度とは関係ありません。この線の有無は当時の各地図の表題に、「八門方位線附」とか書かれて説明されていました。当然方位線の無い「東京全図」も出ていました。線が引けるのは大判の地図になります。

 こういう地図を見ると、私は好奇心をそそられる。
 調べてみると、この2種類の方眼は東京湾を守る砲台から発射される大砲の火線であっ
て、緯度経度のラインではなかった。こうした方眼を「砲台方眼」というそうだ。よく見
ると、方眼の角度は正確にいえば90度ではないし、縦横のラインの交差点と対角線のライ
ンの交差点は必ずしも一致していない。

  ここで秋庭さんの言う「調べてみると」は「妄想してみると」の意味です。調べなんぞしておられません。また、「砲台方眼」と言う術語もありません。「砲台の砲眼」つまり、砲台から砲身を外へ押し出す穴は有りましたが。この「改正東京全図」の線は「砲台方眼」そんなもんじゃ当然ありません。かの世界では高等な部類の鬼門遁甲とか、風水、下等はご近所の神社仏閣の御籤、よく有るじゃありませんか、「旅立、南東吉」とか、「渡座(ワタマシ)巽よし」。「てぇ~っとここは永田町だから目黒不動は好いんだな」なんてのが目的なんだもん八門方位は。いつもの秋庭さんの「嘘だぴょ~ん」を意味する「という」が接尾語として付いていますから、いつも通りの嘘ですね。東京土産、あるいは地番が入っているので実用地図として便利な地図に「火線」って?まぁ、「名所図版」入りの地図で射方位を決めている演習なんて、お茶目ですが。

 これは、目標である相手の大砲に十字砲火をあびせるとき、多少のズレは問題ではなか
ったらしく、縦横のラインも6度以内のズレは許された。重要なのは、縦横、斜めの3本
のラインが交わるところに大砲があることだった

  線にずれがあったり、頂点や交点が怪しいのって、物理学である砲術において許されるものではありません。もちろん、これ等のずれは、銅版画であった当時の地図の版下、もしくは版自体の線引が好い加減だったからです。だってお土産ですもん。

 大砲の射程距離が延びたこの時代、砲台は海に面していなくてもいい。たとえば第一台
場からまっすぐ北、白金村の「村」の字の近くの交点、こここ砲台があり、地下拠点があ
った可能性がある。今、都営三田線の芝公園駅と三田駅があるところだ。
 今、地下鉄の駅がある場所、2つの地下鉄路線が交差するところ、不自然に広い地下駐
車場などが、この地図のラインの交点か、次の項で説明する暗号の文字の場所に一致して
いれば、そこに砲台があり、地下拠点があったはずだ。これを知ったとき、私は言葉を失
い、ゾクゾクッとするほどの驚きを感じた。

  秋庭説だと、縦、横、斜めの直線の交点が十字砲火の目標であると同時に、砲台の位置と言う事になるんだけど、これね、縦、横の隣り合う交点の距離を「1」とすると、、斜めの隣り合う交点の距離「1.4141356」になって、距離が異なるんですが、当時の延びた射程に対応する、秋庭式十字砲火、点制圧の射撃に不都合はないんですか?似た様な距離の矛盾の話しどっかにありましたな。あぁっ、「By whom does trust him?」とか。

 この地図は、「帝都防衛・砲台地図」といってもいい地図だと、私は高く評価している。

  あのう、東京のお土産の地図なんですけど。昭和のみぎりは鋳物の東京タワーの横に手動式のひっくり返すと日付曜日の換わるカレンダーが付いてる代物とか、平成ならモンジャ味のベビースターラーメンとかみたいなもんなんですが。


41」明治時代の地図の暗号を解読すれば「東京の地下」が透けて見える!

 明治時代になって、政府がフランスの築城理論を学んで、東京湾を守る強固な要塞づく
りを始め、「市区改正」の裏側で地下要塞建設を行なったとき、地下網の出人口を示す暗
号づくりも並行して行なわれたはずだ。
 想定していた敵は、西欧先進国だったから、敵を欺く暗号は漢字ということになる。誰
もがわかる暗号では意味がないから、関係者だけがわかる暗号が考え出された。たとえば、
「市区改正」の道路計画図には、誤った位置に「日本橋」という地名が書かれている。
「聞違えるわけがない間違い」は、関係者ならすぐにピンとくる。しかし、一般の国民は
間違いに気づいても、地下があるなんて知らないから、それが地下の地図とは思わない。
これこそベストの暗号なのだ。
 ここからは私の仮説だが、陸軍省や海軍省は「省」、陸軍測量部や参謀本部は「部」、警
視庁なら「庁」、郵便局なら「局」、市役所なら「所」、学校なら「校」というような単純
明快な暗号がつくられた。これなら人名や会社名に使われることがない。あとは地下ルー
トの方向や地下の深さなどをどう表現するかを考えて決めればいいのだ。たとえば、「改
正 東京全図」では、EMPERIAL PALACEの文字が傾いていたり、宮城の
「宮」という字の右下、お堀の上で4本のラインが合わなくなっていたりしている。これ
は、越中島砲台と隠れ砲台の後楽園砲台の何かを表わしているように、私には見える。

  同じ、御本の66頁から70頁で、「東京方眼図」で使われていると称する暗号について、何か訳のわからんことを仰っていたけど、「改正東京全図」と「東京方眼図」って、

   森林太郎立案 明治四十二年六月 東京方眼圖 春陽堂
   改正東京全図 作成年 明治28-1895年

  がそれぞれの刊行年。
  刊行年の古い「改正東京全図」が明治期に作られた役所名の漢字で、刊行年の新しい「東京方眼図」が江戸伝来(笑の「訓令式羅馬字」の建物等の名の一部?
  どっちも地下拠点の位置とか、砲台の位置を表すと仰る。おかしいじゃん。暗号のスタンダードはいったい何なんですか?  

「城」という字の少し上の点線の辺りには、太平洋戦争直前、大本営会議室という巨大な
防空壕があった。司法省から12時半の方向に大蔵省、文部省が一直線上にあり、10時の方
向には別の司法省、海軍省、外務省がやはり一直線上にある。
 これがどういう意味かの考察は難しいが、こうした地図の改描で陸軍は地下の何かを示
していたに違いない。
 半蔵門の「門」がなかったり、東京府庁の「庁」の字がなかったりしたのも、誤植や書
き違いでなく、陸軍によって意図的になされたものだと考えられる。

」?‘SYOOU’?「」?‘MON’「」?‘TYOU’、いつの間に暗号変わったんですか?例の「訓令式」羅馬字の地図って「森鴎外の何たら」って、‘RI’とか‘SE’とかの秋庭さんに拠ると「陸軍様御公認」のあの地図と何で「暗号文字」が異なるんですか?


42」100年前の「大博覧会用地下道」が地下鉄大江戸線に活用された!?

 1911(明治44)年、24年ぶりに東京の精密地図がつくられている。もちろん陸軍測量
部が作成したものだが、なぜか一般には『逓信地図』と呼ばれていた。というのも、東京
逓信管理局が発行したことになっていたからだ。
 なぜ、陸軍が地図を作成していることを隠さなければならないのか、不思議だ。この地
図に軍事機密が描かれているのだろうか? もしかして地下道建設計画が地図に暗号で示
されているのだろうか?

  あれ?秋庭さんなんで現物の地図を上げられないんですか?「東京輜輯地図」とかって言うヤツ、巻末の「参考文献一覧」にも載っている「陸地測量部編 一九一一年」ってヤツ。
  いくらここら辺「郵便の細く長い路」で真相を書かれたからって、宗旨変えする必要なんて無いのに。妄想は妄想で歪曲、捏造の限りを尽くされたらよいのに。

 東京市南多摩郡千駄ヶ谷(今の渋谷区千駄ヶ谷)の地図を見ると、「大博覧会」と書かれた
場所から西に点線が延びている。「大博覧会」 のための道路が計画されていたのだろう
か? そう考えて調べてみると、そこに道路は建設されていないことがわかった。
 ならば、点線は何を表わしているのだろうか? 私は、今、このルートを都営大江戸線
が走っていることを思い出した。古い地下道の補強、リフォームという「昭和の宿題」を
果たした大江戸線が走っていることからして、この点線は地下道に違いない。

  まずもって「大博覧会」の説明をしないのは、項題「100年前の『大博覧会用地下道』」が妄想の産物だと自ら露呈させないためですか?
  幻の明治の大博覧会「日本大博覧会」。明治45年開催予定で明治40年には2箇所の会場用地、それを繋ぐ連絡用地が確保されていながら、貧乏な我が国の緊縮予算や国防予算の膨張やらで翻弄され、明治50年開催予定にずれ込んだ挙句が、帝の崩御などで行われず、用地は神宮外苑などに転用された「日本大博覧会」、明治44年刊の「逓信地図」に道路予定地の点線があって何の不思議も無い。明治帝の崩御で用地転用が生じたんだから、博覧会場連絡道路が中止になったのは明治44年に刊行された地図よりあとの話で、開かれてもいない博覧会のための道路が出来ていないのは当たり前でしょ。何でその「道路予定の点線に後日道路が造られていないから、その点線は地下道の証跡だ」ってことになるんでしょうかね?

 京橋区の地図には、郵便局を示す〒マークが、なぜか道路の上にあったり、電話を示す
マークが道路のど真ん中にあったり、地図の常識を逸脱する不思議を表記が多い。こうし
たものを見ると、どうしても私には何かの暗号に見えてしまう。

  図が無いから意味不明ですやん。「地下網の秘密[2]」で柏書房の復刻版からパクリ倒したあの地図が、何で上げられないんですか?筆力無いんだから、現物上げて説明しないと誰も理解できないですよと本当に再々申し上げているのに。

 四谷区の地図の備考欄に「郵便集配線路」という言葉が書かれている。これは文字どお
り「郵便物の集配ルート」なのだろうか? そんなルートを描いた地図を見たことがない。
これは地下道のルートではないだろうか?
 調べてみると、ポストから集められた郵便物が地元郵便局から中央郵便局、宛先の都道
府県の中央郵便局、地元の郵便局というふうに、郵便物が運ばれていくルートは、今でも
「郵便線路」と呼ばれている。
 ここにある「郵便集配線路」も文字どおりに考えてよさそうだ。しかし、国家機密に関
わる郵便物は、どのように集配されたのだろうか? 「郵便集配線路」に地下線路はなか
ったのだろうか? きっとあったはずだ。

  本当に、鉋屑みたいなおっさんやな!薄っぺらい、ペッラペラな。お前調べてへんやろうが。ヒトの記事読んで何書いてくさるねん。調べたら

ポストから集められた郵便物が地元郵便局から中央郵便局、宛先の都道
府県の中央郵便局、地元の郵便局というふうに、

なんて、書いてへんやろが。「中央郵便局」?「地元の郵便局」?僕はそんな風に書いた覚えない。調べもせんと改竄すなや。
  国家機密にかかわる郵便物ってなんね?どのように集配されただぁ、調べんかい。調べもせんでヒトの話をヒントに妄想を垂れ流して、ヒトがちゃんと調べて書いてることを蔑ろにする。ホンマに最低なヤツやなおどれは。ホンマに人前に出されへん国家機密やったら、郵便やのうてアタッシェがアタッシュケースに入れて持ち歩いて権限のあるものに手渡し輸送したんやろうが。せやなかったら、信書は開封されない、書留で発着を確認して郵便システムを介して手渡ししてたんやないかい。量が有ったり、少量でも発地と着地が決まっとったら、専用の郵袋に入れる、郵便行嚢に入れて一般の郵便と同じ線路に乗せて運んどったんやろが。郵便局ついこの間までの「郵政省」、「運輸逓信省」、「逓信省」皆、国家機関やないかい、公務員は「郵便配達夫」(敢えて不快語で貴賎を言うがな)かて国家機密を扱えるようになっとったやろうが。

  意味がわからへん。何で過去形、今も「郵便線路」言うてんのやろ、なら今有るか無いかやないのんか「地下線路」とやら?

「郵便集配線路」に地下線路はなかったのだろうか? きっとあったはずだ。

  郵便集配線路が地下道を長距離使ったり、地下鉄道線を利用してたら、「地下」を線路として利用してる言うことやん。それがあって何が問題なんや?こっそり地下道掘ったり、江戸時代の地下網を利用しとるとでも言うのん?何のために?何のメリットも無いやんか?国民に知られたらアカン郵便物て、封緘された内容にそれはあるかも知れへんけど、封の表に「国民」に知らしたらアカン表書きがあるん?有ったとして、どないや言うのん?郵便局にあさぴーの工作員が居ってこっそり盗み見しよるから、それだけ「地下線路」とやらで別建てで送る?何の意味も無いやん。そら秋庭さんやったらやるやろな?封書の表書きに「国家機密」とか、「厳秘」とか「your eye's only」と書いて送るんやろな郵便会社に委ねて。第一に鉄道郵便制度そのものが昭和61(1986)年9月末で廃止されとんねや。

 地図ではないが、当時の資料のなかに松田道之・東京府知事が「市区改正」について説
明しているくだりがある。そこに「ガスの線路」という言葉が出てくる。これは、ガスの
配管ルートなのだろうか?
 調べてみると、日本で都市ガスが、ガス灯のほかに炊事や暖房に使われるようになるの
は1900(明治33)年ごろ。「市区改正」事業で都市ガスの配管ルートの敷設が行なわれ
たとしても、なんら不思議ではない。
 しかし、水道管も「ガスの線路」も地上でなく地下に敷設されただろうから、東京の地
下は、この時期、軍事目的以外に新たな展開を見せたことになる。

  東京のガス事業は明治18年(1885年)瓦斯局から東京瓦斯会社が施設の払下げを受けて、民間の公共サービスになっています。但し料金の改定は市会の承認が必要でした。このため、市会議員の贈収賄による一大疑獄の発生を見ています。また、松田道之は明治12年(1879年)~明治15年(1882年)の間府知事在職のまま亡くなっています。松田が最初の「市区改正」と「築港計画」を立ち上げた時点では、瓦斯は官の事業でしたが、明治18年以降、実質は明治22年以降にはじまる「市区改正」とガス管の敷設は直接には関係しません。
  郵便線路以外にも、現在も電話線は「通信線路」と呼ばれています。その通信線路には、秋庭さんの興味をそそりそうな用語で言えば「水底線路」なんてのがあります。

  東京の地下は家康入府以来、ハナから、軍事目的なんぞに使われた例は無い。最後の二行は意味不明。水道管が出てくる理由がわからんし、上下水道、ガス、電気、通信こんなもん地上に敷設したら、邪魔やし危ないやん。邪魔にならんように、簡単に外力で壊れたりせんように、地下に敷設する、こっちが本線やから「軍事目的以外」なんて妄言片腹痛いわ。「軍事目的」があったら、それこそが「新たな展開」やろが。