地下妄の手記 大東京の地下400年 九層倍の嘘 腐乱(急遽追加)編

大東京の地下400年 九層倍の嘘 腐乱(急遽追加)編

  秋庭さん、角川書店からご本をお出しになる様で、依頼原稿のようですから、角川書店も、秋庭グループ「中年窃盗団」の一員となられるわけだ。
  ご同慶の至りに存じます。
  そこで、次回作と本項が、密接な関係に有るようですので、以下を平成20年10月26日付で腐乱編として補足追記しておきます。

  さぁ、秋庭俊、年末脱肛まで、頑張って辻褄合わせに走れよ。

  次回作の外題が『森鴎外『東京方眼図』の謎』(仮題)でらっしゃるそうなので、『東京方眼図』を取り扱っておられる、前項の最後、17」「五角形」で浮かび上がる江戸の町の謎をもう一度見ていきましょう。

17」「五角形」で浮かび上がる江戸の町の謎

  
 江戸の町に五角形を敷き詰める、といってもピンとこない読者も多いのでないだろうか。
そこで、実際の地図で五角形を探してみることにしよう。使用するのは森鴎外の「東京方
眼図」だ。この地図を見ていると、私には五角形が浮かび上がって見えてくる。
  たとえば、靖国社(今の招魂社)の北に築城本部がある。その東に沿って外濠に向かう道
と右折して赤十字社の方向に向かう道の角度が108度(五角形の内角)ぐらいだ。2つの
道に沿ってラインを引く(道のないところも)。
  水道橋の南、少し東に108度くらいの曲がり角がある。一丁目と三丁目を分ける道路
と三崎町から飯田町停車場に向かう道路に沿ってラインを引く。すると、築城本部東側の
ラインと飯田橋停車場の西で交わる。その角度も108度くらいだ。
 このようにしてラインを引くと、次ページの図のような五角形が浮かび上がってくる。



   正五角形とはいえないが、築城本部東側のラインは南に延ばすと「宮城」に達する。ここ
は、かつての江戸城西の丸、多くの将軍がここを住まいとしていた。
  江戸城のいちばん外側の五角形のひとつは、これだったのかもしれない。このすぐ東に
は、砲台があった御茶の水を頂点にした五角形があったはずだ。このように108度ぐら
いの曲がり角をさがすと、意外なところに五角形が見つかる。
   神田明神や平川天神のように、外濠の内側から外に出された神社仏閣の移動ラインを、
正五角形の中心線と考えてみると、そこからも五角形が見つかる。
 地図にさまざまな五角形を描くと、2つの五角形が必ずしも辺と辺をピタリと接してい
たわけではなく、重なっているところもあったこともわかってくる。その五角形のどのラ
インに地下道が走っていたのだろうか? それは次のPART3で探ることにする。

  上の「(森鴎外の『東京方眼図』より)ってのは何処の東京方眼図なんだろう?原版たる、「森林太郎立案 明治四十二年六月 東京方眼圖 春陽堂」なのか?はたまた、「特選名著復刻全集近代文学館 東京方眼図 ほるぷ出版 1971年」なのか?





これが、大阪府立中央図書館所蔵の明治四十二年六月の『東京方眼圖』なんですが、御覧の様に、使われたものならば、このように折り擦れや、焼けが入って居ない訳が無い。「400年本」の図はあまり汚れていない。
  都立中央図書館の『東京方眼圖』は管理がよろしかったのか?はたまた「特選名著復刻全集近代文学館[30]東京方眼圖」(ほるぷ出版1971年刊)からのダビングじゃなかったコピーでらっしゃるのか?興味深いところです。

   さて、本題です。それでは、秋庭さんが挙げなかった九段から富士見を経て飯田町から三崎町とやらの「東京方眼図」の部分と「400年」48頁の図を一面で見られるよう、秋庭さんの複写本であろうと拝察される「特選名著復刻全集近代文学館[30]東京方眼圖」(ほるぷ出版1971年刊)から対象範囲をまず部分的に引用する。

 

  この図で気付く事は、「九段から富士見を経て飯田町から三崎町」、

         角度が108度(五角形の内角)ぐらいだ。

  と称する道路、別に、「東京方眼圖」で見い出さなくとも、現代の地図でも、ほぼ同じ道が描かれているって言うか、実際に道が今も存在していることが確認できる。わざわざ、ここで「東京方眼圖」を持ち出す意味は何も無いことが、わかると思う。
  昭文社でも、国土地理院でも、国際地学協会でもどの地図でもいいから、上の東京方眼圖の「靖国社(今の招魂社)の北」、「一丁目と三丁目を分ける道路」を探してみると良い。

  さて、ここで、上記の複写本「特選名著復刻全集近代文学館[30]東京方眼圖」(ほるぷ出版1971年刊)に、秋庭さんの主張どおり線を引いてみた、

 たとえば、靖国社(今の招魂社)の北に築城本部がある。その東に沿って外濠に向かう道
と右折して赤十字社の方向に向かう道の角度が108度(五角形の内角)ぐらいだ。2つの
道に沿ってラインを引く(道のないところも)。
 水道橋の南、少し東に108度くらいの曲がり角がある。一丁目と三丁目を分ける道路
と三崎町から飯田町停車場に向かう道路に沿ってラインを引く。すると、築城本部東側の
ラインと飯田橋停車場の西で交わる。その角度も108度くらいだ。

 

 

  で、実際に分度器を当ててみた(笑

靖国社(今の招魂社)の北に築城本部がある。その東に沿って外濠に向かう道
と右折して赤十字社の方向に向かう道の角度が

 水道橋の南、少し東に

いづれも110度を超えていた。

一丁目と三丁目を分ける道路と三崎町から飯田町停車場に向かう道路に沿って
ラインを引く。すると、築城本部東側のラインと飯田橋停車場の西で交わる。
その角度

に至っては、125度位もある。正多角形でない多角形の内角なんて頂点の位置取りの違い、で随分と変わる、つまり、正多角形じゃないものの内角に正多角形の内角の値を当て嵌めても・・・。って言うか、多分逓信地図「東京市十五区番地界入地図」辺りから起したと思しき「東京方眼圖」、縮尺も、距離表示も無い地圖で五角形をいくら引いても、何の証明にもならないと思うぞ(呆
  ちなみに、

 たとえば、靖国社(今の招魂社)の北に築城本部がある。その東に沿って外濠に向かう道
と右折して赤十字社の方向に向かう道の角度が108度(五角形の内角)ぐらいだ。2つの
道に沿ってラインを引く(道のないところも)。

 の、ひとつ南の通りに、言わずと知れた「大富士見書房」、「ちょっとそこの角川書店」が何故かある。きっと角川書店様の敷地には隠れ砲台が、朝鮮総連ビルに向かって、睨みを利かしているのであろう(笑

  ついでに、「400年」本の48頁の線引きのとおりに、木挽町の歌舞伎座→浜離宮→水路部(現御成門小学校)→裏霞ヶ関町(当時)イタリー大使館→日比谷の交差点→木挽町の線も引いてみた。

  さて、「靖国、赤十字、飯田町駅西、三崎町」と「歌舞伎座、浜離宮、水路部、ヘタリヤ大使館、日比谷交差点」この五角形モドキと五角形には違いがある。
  前者は、角度により五角形モドキを構成しようとしているが、後者は、「東京方眼圖」に記された「固有名詞」の文字を結んで構成されているようだ。後者を「いるようだ」としたのは、日比谷交差点に「固有名詞」の文字表記がないので秋庭式地図の暗号とやらにも当て嵌まらないものがここ、「400年」本の48頁に掲載されているためだ。
  と言うか、角度で構成される五角形モドキ(正五角形ですらない、正五角形で無い「五角形」の内角は108度とは限らない)が意味する五角形と、古史古伝並みの後出しで書き込まれた江戸家康どころか、明治期に入って置かれた、「歌舞伎座」、「浜離宮(元浜御殿)」、「水路部」、「伊太利大使館」の文字を追いかけて創られる五角形、そのうちの一頂点「日比谷交差点」には「固有名詞」の記述すらない五角形を等値すること自体が論理破綻じゃないかと思うんだがね。
  暮れまでに言い訳が考え付くかな?それとも、読者は「秋庭本」に説得力なんか期待していないから、このまま突っ走るか(笑
どうする盗用作家、盗用未遂出版社(哄笑