地下妄の手記 「民都」大阪・閉ざされた地下街の秘密

「民都」大阪・閉ざされた地下街の秘密


  大阪市北区、ここに、地上の市道南北線と地下鉄に挟まれた地下街があった。その地下街にはかつて飲食店など多くの店舗が並び、昼食時には付近のサラリーマン、OLで繁盛を極めたという。ところが平成21年2月のある日、××新聞社の関連会社の手によって地下街は突然に閉ざされてしまった。



  これから、4年間閉ざされるのだと言う。




  しかし、何故か閉ざされたはずの地下街の案内を記したHPがある。

http://www.nakanoshima-style.com/map/nakanoshimachika.htm

  この「中之島スタイル」というHPには、地下街が閉ざされたとは思えないようなことが書かれている?

  さて、直上の「地上」は市道が、直下の「地下二階」には市営の地下鉄が走るというこの地下街は、本当に閉ざされたのか?
「中之島プロジェクト」という呼び名は、コードネームである。この計画が発表されると、「陽は西から上る」と北浜がまさに狂喜したのだという。××新聞社とその関連会社は、この地下街の右手にあるビルと、左手にある新聞社のビルを建て替えるのだと言う。まず、これから4年かけて、地下街右手のビル、日本でも有数のコンサートホールがあったそのビルを建て替えるのだそうだ。
  しかしだからといって、地下を4年間も閉ざす必要があるのだろうか?既にその場所には、地上を6車線もある市道が、地下二階には地下鉄が走っている。地下一階を改築するにしろ、それほどの長い期間公共物と思われる、地下街を市民から遠ざけねばならない理由がない。
  この地下街は、市営地下鉄の駅と、最近延伸してきた、京都へ向かう私鉄の駅をつなぐ地下通路でもあった。
  なぜ、公共のものとして供与されていた地下街が、一私企業の手で閉ざせるのか。

  地表の道路、建て替えられるビルと地下街と地下鉄の位置はこのようなものになる。


  昨3月14日上記の図を上げたが、確認したところ、地下鉄は、当該地域では、ケーソン工法かつ、単線ケーソンを北行線、南行線それぞれ埋め込んだ工法が採られた事が判明しましたので、以下に修正図を上げておきます。



  繰り返しになるが、地表は一方通行で6車線もある巨大な大阪でも有数の交通量の市道。地下二階は地下鉄の建設費の半分を占めるという地下補償を避けて市道の下に敷設された地下鉄道。その二つの公共物にはさまれた地下一階、位置関係から言えば、地下街の店舗も市道の地下にあったと思われるこの地下道。何故、一私企業が閉鎖できるのか?また、勝手気ままにリフォームできるのか?
  コンサートホールは再興されるそうなので、その社会的意義を考慮してビル完成まで、地下街を閉鎖すると言うのだろうか?
  地下街は誰のものなのだろう、われわれ市民には疑問が尽きない。
  一方左手の新聞社ビルは、昭和6年の竣工である。いま、文化財として主要部分を保存して建て替えるか?それともまったく別物の超高層ビルに、モナカの皮のごとき、旧様式の外観だけ貼り付けて建て替えるかと話題の大阪中央郵便局に先駆けること7年、しかも新聞社ビルは福島明博写真集「近代名建築浪花写真館」(日本機関紙出版センター1994年刊)に拠れば、

新聞事業のイメージの近代化に貢献

  ××ビルディングは、昭和六(一九三一)年に完成した。
  当時は、最先端な建築材料であるステンレススチールを外装に使用し、アルミ、ガラスブロック、曲面ガラスも臆することなく使った。
  革命的ともいえるこのビルは、新聞事業のイメージの近代化に大きく貢献した。


  と書かれている。文化財といわれ、主要な部分の保存が望まれている中央郵便局よりも遥かに文化財としての価値は大きいのではないのだろうか。コンサートホールのビルも、新聞社ビルも現在の外観イメージを残して建て替えるとのことである、きっと今流行のモナカの皮式保存ビルではない、文化財としての価値を維持した上での超高層ビルとやらに建て替わるのだろうと思われる。何故なら、この新聞社があれほどの「日本郵政」批判を紙上で展開しながらも、同じ轍を踏むとは想像しがたいからだ。

  さて、このコンサートホールのあったビルの前を走る市道南北線上では、今、一車線をツブしての工事が真っ盛りである。従来はビルの一階ピロティー部分、すなわち二階以上部分の迫り出しの下、が歩行者通路になっていたのだが、今後は建て替えのため、この部分の通行が出来なくなるので、車道をツブすか?地下街入口の建屋に南北を塞がれた部分を建屋をツブして舗道化するかせねばならないからだ。



  しかし、この工事には奇妙なところが有る。元々は自社のパーキングスペースであり、タクシーのりばと待機場所と化していた東端の車線とは言えど、現在は実際に市道の一部として供用されていたものが、一私企業の手で占有できるものなのだろうか?それとも「歩道の舗装をなおしています」と看板にあり、「道路占有許可」の標章が揚がっていないところを見ると、これは市の事業なのだろうか?市は何故一私企業のためにこれほどの協力をするのだろうか?



ビル地上部分の解体にかかる、労災関係票や道路占有許可票は3月月初から工事が始まり、ピロティー部にパネルで目隠しがなされてからほぼ10日後の3月12日に漸く掲出された。3月3日には許可が下りていたにもかかわらず、10日も放置されていたという。このようにこのビルの工事はワケの解らないな話ばかりである。

  このビルのある中之島は航空機の翼断面のような形をしていて、鳥瞰では、あたかも巨船が大川を二つに割るように浮かぶ姿に見える。
  実は島自体が巨大な戦艦で一朝事ある時は新聞社グループの役職員、家族の日本脱出の船となるのだそうだ。その時戦艦の艦尾旗棹には、この新聞社の社旗が海軍の旭日旗の如く翩翻と翻るのだという伝説さえある。福田紀一と言う歴史学者の「霧に沈む戦艦未来の城。」と言う本にそう書かれているという。
  市が地上で、地下でそんなワケのわからないことをするから、この中之島にはワケのわからない都市伝説がたくさんあるのだと思う。

  などと、秋庭さん風に書いていたら、前記の福島明博写真集「近代名建築浪花写真館」(日本機関紙出版センター1994年刊)の「新聞事業のイメージの近代化に貢献」の後段に

  また、地上一〇階(一一〇尺)は当時の一〇〇尺制限を超える高さで、いわば特認であった。

  って、どこまでも特権的なのね。さすが民都、戦前から、民の代表格××新聞社が、阪急御影のS字カーブだけじゃなく、あっちこっちで、したい放題だったのね。

  可哀想な橋下君、平松君。市政や、府政は何かあれば、選挙でその社会的責任を首長が問われて、新聞社とかマスコミにね、上だけじゃなく下も叩かれるけど。
  ところが、この新聞社は非上場で、同族で過半の株を握ってるから、こいつ等新聞業者の権力構造に対して、何の抑制も、牽制も効きゃぁしない。法にさえ触れなきゃ、或いは税法とかって法に触れたって、やりたい放題なんだから、社会的指弾なんて蛙の面に何とかなんだよな。その延長線上にあるのが、この国際フェスティバル何とかを使った社主家御家御安泰のための「中之島計画(プロジェクト)」ってことなのかもしれない。