地下妄の手記 小川裕夫さん 羊頭狗肉「都電跡を歩く」

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  秋庭さんの同類さん。ある意味秋庭さんより悪質な梅原淳氏、巧まずも或いは巧んで虚妄を紡ぎ、自己の都合の良い様に史実や現実の捏
 造を繰り広げる方々、それを支える赤本屋さん各位。
  秋庭さんに於かれては、東京方眼図に掛かる事実の捏造と、拠りによってのパクリ本からのパクリも明らかになったことですし、ここ一年音
 沙汰も御有りでない事から、愚生もお休みさせて頂いておりましたが、また、なかなかスゴイ人物がいらっしゃいましたので サイドディッシュと
 して俎上に挙げさせて頂こうと思います。
 
  その方のお名前は、

     小川裕夫氏
 
 結構以前より色々とお書きになっていらっしゃるようなのですが、
 
     「封印された鉄道史」
 
 とか……、隠された地下妄は兎も角、元来が色物には興味の無い私、とんと食指が動きませんでした。しかし、近・現代の都市、特にその変貌
 の中を己が多少は歩いた東京の事どもについては別腹、
 
     「都電跡を歩く ──東京の歴史が見えてくる」(2013年6月祥伝社刊)
 
 なんて御本はチョッと食欲をそそられるじゃありませんか。
  ところでこの御本、です、ます調で「何々した方が良い」とか、「という」とか「言ってよい」の様な常体ばかりの鉄本の中では随分とスラスラ読め
 ます。読むだけならば。鉄道の知識が無い方も、東京について詳しく無い方も、アッと言う間に読み切れます。しかし何かよく判らない違和感が
 初見後大量に残るのです。読み易いだけに途中で確認が煩わしく。改めて諸史料を牽くのも、お書きになっていることが大したことでも無い様
 なので面倒臭い。そんな程度の違和感でしょうか?まぁ、その程度の本と言やぁそれまでなのですが。どうも秋庭さん、梅原さん系の臭いが芬芬
 と漂ってきます。
  面倒臭さを押して読みなおして見ると、
  「はじめに」とされる、前書きから「エッ?エッ?エッ?」なんですね。
 
        はじめに
 
          政治の中枢といわれる東京永田町。すぐ隣には、各省庁が軒を連ねる霞が関があり
        ます。霞が関の中央省庁は、平成一三(二○○一)年、新たに一府一二省庁に再編されま
        した。
         このとき、新しく誕生した省庁のひとつに総務省があります。総務省は自治省・郵政
        省・総務庁・消防庁などを統合して誕生しましたが、政官界から、″旧内務省の復活で
        は?″と囁かれました。
         本書では、明治期に活躍した政治家や官僚が随所に登場します。なかでも、後藤新平や
        芳川顕正、古市公威、石川栄耀、山田正男など内務省関係者が多くを占めます。
        明治政府に内務省が誕生すると、多くの国内行政はここが司りました。厚生省(いま
        の厚生労働省)、建設省(いまの国土交通省)、警察庁などは、いずれも内務省から分離する形
        で誕生した省庁ですから、当初の内務省がいかに強大な権限を有していたかがわかるでし
        ょぅ。そして、電気鉄道(路面電車)も内務省が所管していました。本書に内務省関係者
        が頻出するのは至極当然のことなのです。
         旧内務省の復活と囁かれた総務省は、〝実はここにも総務省〟というキャッチフレーズ
        を掲げています。総務省が実際に所管している業務は、消防や防災、インターネット、選
        挙、郵便、ケ一夕イ、テレビ、ラジオなど幅広い分野に及んでいます。幅広いというだけ
        ではありません。私たちの生活に密着した分野を多く取り扱っています。
         これまでにも、私は何冊か鉄道関係の書籍を出しています。本を出すたびに「鉄道がお
        好きなのですか?」と質問されてきました。鉄道が好きというのは間違いないのですが、
        私が惹かれるのは、「鉄道は都市のインフラであり、都市計画や地域振興に欠かせないメ
        ディアである」という点です。ここでいうメディアとは、〝情報の記録、伝達、保管など
        に用いられる物や装置〟という意味です。
         現代を生きる私たちは、〝鉄道に無関心で生きる″ことはできても、〝無関係に生きる〟
        ことはできません。たとえ、乗車して移動することがなくても、物流、都市計画、政策
        面、技術革新など、まるで総務省の〝実はここにも……〟というキャッチフレーズのよう
        に、鉄道はありとあらゆるところで社会に影響を及ぼしているからです。
         明治において、路面電車は市内交通の主力でした。特に東京の路面電車は〝実はここに
        も……〟のごとく、日本全土に社会・文化の多岐にわたり影響を与えました。
         本書は都電を題材にしていますが、一般的な鉄道の話は最小限にとどめています。それ
        よりも、東京の街の成り立ちや社会史、産業史、生活史、文化史といった部分に光を当て
        ることで、都電がこれまで果たしてきた役割を再認識しようと試みました。
         読者のなかには、「どうして、あの路線が収録されていない?」と疑問を抱く方もいら
        っしゃることでしょう。本書に収録されていない路線でも、都市計画・都市政策に大きな
        影響を与えたり、また受けたりした路線はあります。ページに限りのある一冊ですべてを
        書き尽くすことはできませんでしたが、読み終わったのち、「鉄道は単なる移動手段では
        ない」と、すこしでも感じていただければ幸いです。
         前置きが長くなりましたが、そろそろ都電の旅に出発しましょう。

         二〇一三年五月
                                                       小川裕夫

  秋庭さんの御同族とまず直感させられたのが、この「はじめに」。関連の薄い項目を切り繋いで、時として捏造、歪曲、改竄?して自己の見解
 を正当化する秋庭さんの手練手管に実によく似ていらっしゃる。まぁ、小川氏の場合、梅原さんとご同様の、インチキで膨らましてペラ(稿料)稼
 ぎをする身過ぎ世過ぎと言うことのようなのですが。この「はじめに」に始まり以後も基本的に同じパターンですので、一寸全文をあげさせていた
 だきました。なお、縦書きから横書きへの変更、改行位置の変更と何か矢鱈に振られておられるルビ(煩雑です)の省略は複製者の私の責任
 で行わせていただきました。
  整理させて頂くと「はじめに」の文意は、こんな感じになります

   ①(もう10年以上昔)平成13年の省庁再編で発足した総務省が、旧・内務省の復活と一部で囁かれていたこと。
   ②「都電跡を歩く」では旧・内務省人脈(市民の自立まで説いた後藤を除いては、都市計画畑に偏っているようですが)の政官界人を頻繁に
    取り上げたこと。
   ③旧・内務省が電気鉄道(路面電車)を所管していたから旧・内務省人脈の政官界人を頻繁に取り上げるのは当然なこと。
   ④総務省は〝実はここにも総務省〟と言うキャッチフレーズで、消防や防災、インターネット、選挙、郵便、ケ一夕イ、テレビ、ラジオなど幅広
    く生活に密着した分野を多く取り扱っていること。(ネットや郵便、携帯、テレビ、ラジオって、旧郵政省所管事業ばっかですねw)
   ⑤「鉄道は都市のインフラであり、都市計画や地域振興に欠かせないメディアである」メディアとは、〝情報の記録、伝達、保管などに用いら
    れる物や装置〟という意味なこと。
   ⑥現代人にとって、鉄道は〝無関心で生きる″ことはできても、〝無関係に生きる〟ことができない。直接の利用が無くとも、物流、都市計画、
    政策面、技術革新など、総務省の〝実はここにも……〟というキャッチフレーズのように、あらゆるところで社会に影響を及ぼしていること。
   ⑦明治期、路面電車は市内交通の主力であり。特に東京の路面電車は〝実はここにも……〟のごとく、日本全土に社会・文化の多岐にわた
    り影響を与えたこと。
   ⑧都電を題材にしたが、一般的な鉄道の話は最小限にとどめ、東京の街の成り立ちや社会史、産業史、生活史、文化史といった部分を語る
    ことで都電がこれまで果たしてきた役割を再認識しようと試みた。

 ①~⑧関連しているようで実はそれぞれ独立した事項ばかりです。幾つかの単語がキーワードの共通項の如く各項目にばら撒かれていますが、
 例えば、旧・内務省の復活と囁かれた総務省は、小川氏が主張されるところの「電気鉄道(路面電車)」とは無関係ですね。当然に旧・内務省人
 脈と総務省も無関係ですし、「〝実はここにも……〟というキャッチフレーズ」と鉄道、小川氏が主張されるところの「電気鉄道(路面電車)」とも
 無関係です。

        「鉄道は都市のインフラであり、都市計画や地域振興に欠かせないメディアである」という点です。
        ここでいうメディアとは、〝情報の記録、伝達、保管などに用いられる物や装置〟という意味です。
 
 も、「鉄道が都市計画や地域振興に欠かせないメディアである」との論証になっていません。メディアとは何かと仰っているだけです。それを、
 「東京の路面電車が日本全土に社会・文化の多岐にわたり影響を与えたこと。」について「都電跡を歩く」によって論証されようと仰るのなら、
 
        本書は都電を題材にしていますが、一般的な鉄道の話は最小限にとどめています。それ
        よりも、東京の街の成り立ちや社会史、産業史、生活史、文化史といった部分に光を当て
        ることで、都電がこれまで果たしてきた役割を再認識しようと試みました。
 
 では、本末転倒じゃないでしょうか?

  まぁ、「はじめに」の中で、小ネタとしては

         総務省は自治省・郵政省・総務庁・消防庁などを統合して誕生しましたが、

 総務庁は総理府の外局だから措くとして、消防庁って自治省の外局ですよね、旧・内務省や総務省を取材の対象とするライターとしては杜撰
 じゃ有りませんか?

         本書では、明治期に活躍した政治家や官僚が随所に登場します。なかでも、後藤新平や
         芳川顕正、古市公威、石川栄耀、山田正男など内務省関係者が多くを占めます。

  明治期?芳川、古市くらいでしょ。後藤は大正期、石川や山田は昭和じゃないですか。これも杜撰なもの言いですね。

         そして、電気鉄道(路面電車)も内務省が所管していました。

 これも杜撰な括りとしか言いようがありません。内務省所管の軌道条例、軌道法によって免許されたのは、旧には馬車鉄道(人車もあったか
 なw)であり、あくまで道路管理者たる内務省と言う位置付けによっての所管です。石川や山田は道路技術者です。序章でご自身も新電停の
 設置については、
 
         運輸大臣と建設大臣から認可が下り、

 とお書きになっておられる。旧・内務省の後継として軌道法を所管したのは運輸省ではなく、道路の監督者である建設省であったことを。
 
        本書は都電を題材にしていますが、一般的な鉄道の話は最小限にとどめています。それ
        よりも、東京の街の成り立ちや社会史、産業史、生活史、文化史といった部分に光を当て
        ることで、都電がこれまで果たしてきた役割を再認識しようと試みました。
 
  まあ、試みられるのは自由ですが、東京府(1867年)からはじまったとして、現在(2013年)の東京まで凡そ146年間。で内馬車鉄道起源
 (1882年)としても、荒川線以外の都電各路線が消滅したのが(1967年)とすると、路面電車が東京の歴史に係わる期間が85年間で、残り
 の61年間その中でも、東京が著しく変貌していく46年間は、荒川線(旧・王子電気軌道「三ノ輪線、大塚線、早稲田線」)しか関与が無い様な
 のですが。
  少なからざる無関係な期間を差し置いて、小川氏が言うところの「東京の街の成り立ちや社会史、産業史、生活史、文化史といった部分」を
 果たして概観できるものなのか。みれば「都電がこれまで果たしてきた役割」が 再認識できるものか、本当に繋げられるのか、お手並み拝見
 と言いたいところですが、もう次の御本文、序章「都電と出会う」からして以下の通りボロボロで、再認識なんて小川氏の脳内だけと言う情けな
 さなようです。
 
  もちろん全文を挙げてもいいくらい記事はほぼ全文ボロボロなんですが、著作権とかで難癖付けられるのも叶いませんので、該当部分を頁を
 付して指摘することとします。まず冒頭10頁項題(小見出しをそれぞれの文の前に付けておられます)──駅と「電停」──から、

        駅と「電停」
        (本文中略)
          一般的に鉄道の乗り場を「駅」と言いますが、路面電車は駅ではなく電車停留場、略
        して 「電停」と呼びます。路面電車の乗り場をそのように呼ぶ理由は、『軌道法』 という
        法律に明記されているからです。『軌道法』 は、路面電車の運行・建設・管理などの規則
        を定めています。(10頁5~8行目まで)

 軌道法には、──電車停留場、略して 「電停」と呼びます。(中略)、『軌道法』 という法律に明記されている……。──んなものは明記されて
 いません。軌道法本法、施行令、施行規則には、「停留場」と言う言葉は明記されていますが、「電車停留場」などという言葉も、その略称の「電
 停」という言葉もありません。なお、「停留場」は、鉄道事業法に集約された、「国有鉄道法」、「地方鉄道法」の中の細分な規則において定義が
 あり、軌道法独自(実際には細分な規則である施行規則に文言としてあるのですが、しかも軌道法は「停留場」を定義していないのですが)、の
 文言ではありません。

         本来、鉄道は安全運行を第一にしているので、自動車や歩行者空間である道路に線路を
        建設することはできません。ところが『軌道法』では、原則として道路に線路を敷設する
        ことが明示されています。路面電車は、JRなどとは異なる法律にのっとって運営されて
        いるのです。(10頁9~12行目まで)

  「安全運行」が第一ならば、歩行者空間である道路に、個々の注意と技量に委ねられて運行する「自動車」をはじめとする「車両」は走行できない
 のではないでしょうか?自動車の運転手は業務として自動車即ち車両を運行するものと道路交通法に書いてありませんかね。
  どの様な法に、

          本来、鉄道は安全運行を第一にしているので、自動車や歩行者空間である道路に線路を建設することはできません。

 と書いてあるのでしょうか?

          『軌道法』では、原則として道路に線路を敷設することが明示されています。

   ならば、「(軌道法に拠って、)本来、鉄道は安全運行を第一にしているので、自動車や歩行者空間である道路に線路を建設することができる」 
 のだと認められているのではないでしょうか。
   軌道法が企図するのは、小川氏曰くところの「路面電車」を「車両」として安全に道路を運行させることじゃないんでしょうか。
  

          『軌道法』では、原則として道路に線路を敷設することが明示されています。

 はぁっ?軌道法は、

   第一条 本法ハ一般交通ノ用ニ供スル為敷設スル軌道ニ之ヲ適用ス
    二項 (引用者により略)
   第二条 軌道ハ特別ノ事由アル場合ヲ除クノ外之ヲ道路ニ敷設スヘシ

 ──原則──なんて言葉で道路に「線路」をなどとは「明記」されていないのですが。法の条文が一般の人に判り難いと言うことで書き換えられて
 おられるのだとしても、別に──原則──を書き入れる必要ないでしょう。

  軌道とは何かの定義が説明的に軌道法本法に書かれていないからといって、──原則として道路に線路を敷設──では何の説明にも意義付け
 にもなっておらず小川氏の妄説でしょう。
  軌道とは道路上に、特定の仕様の「車両」を走行させるための構築物で、かつ特定の事業者によって運行されるものを指すと言う説明書きが軌
 道法にないからといって、誰も「本来、鉄道は安全運行を第一にしているので、自動車や歩行者空間である道路に線路を建設することはできませ
 ん。」などと言っていないのに、第二条をもって「本来、……自動車や歩行者空間である道路に線路を建設することはできません。」と記述するのは
 法文の歪曲じゃないでしょうか。

         路面電車は、JRなどとは異なる法律にのっとって運営されているのです。

  軌道法は確かに「JRなど」と小川氏が書かれる鉄道が対象となっている「鉄道事業法」とは異なる法律ですが、軌道法、軌道法施行規則には
 「鉄道事業法」への準則が規定されていて、現代では、

    路面電車は、軌道法とその下位法令において、JRなどを統べている法律からの準用が定められ、これにのっとって運営(建設、運行)されて
  いる

 のです。「路面電車は、JRなどとは異なる法律にのっとって運営されているのです。」は歪曲ですね。

         法律に停留場と書かれているからといって、これを「駅」と呼んでも間違いではありま
        せん。日頃から鉄道を移動手段として利用している人は、「どっちも電車を乗り降りする
        場所なんだから、名前を統一した方がわかりやすいんじゃないの」 と思われることでしょ
        う。厳密な解釈を必要とされるケースならともかく、日常生活において駅だろうが停留場
        だろうが、支障をきたすことはありません。それでも、鉄道ファン、大学教授をはじめと
        する交通研究者、行政関係者の方々は、頑なに路面電車の駅を電停と形容します。
          (10頁13,14行~11頁1~4行目まで)

   法律には、「駅」とも書かれていますよ。軌道法が準則とする、「鉄道事業法施行規則」には定義はありませんが、「駅」があります。また、

         それでも、鉄道ファン、大学教授をはじめとする交通研究者、行政関係者の方々は、
         頑なに路面電車の駅を電停と形容します。

 別に、「電停」と頑なに言ってませんが、「停留場」と大学教授をはじめとする交通研究者、行政関係者の方々は、当然に軌道法施行規則に
 従って言っていますけれど、それは定義として法的に確立された言葉を使う立場として言っている訳で、逆にそれ以外の言葉で言ったらおか
 しいのではありませんか?
  大体に「電停」は古くから(おそらく電気軌道が停留場を設けて運行を始めた頃から)一般に使われていた言葉です。多くは看板広告や地
 図広告で商店などの場所を示すために。私などが見ていたのは、

   「玉電大橋電停スグ丸喜百貨店」

 とか、
  
   「都電浅草菊屋橋電停角ニイミ」

 とかですが、現在でも北から札幌市電はじめ、阪堺電車から広島電鉄、長崎電気軌道などなど、電柱の看板や、案内地図に枚挙に暇がない
 のではないでしょうか。
  かつての大阪市電では、

   「肥後橋電停前幸福相互銀行本店」

 なんてぇのも有りましたが。何が「頑な」なんでしょうか?小川氏は「日本全国路面電車の旅」 (平凡社新書2005年5月刊):とか「路面電車で
 広がる鉄の世界」(秀和システム2012年9月刊)
など全国の路面電車に精通されておられるようですが、それぞれの駅や架線柱あるいは電
 柱の看板や地図看板をご覧になったことがないのだろうか?
  「電停」は小川氏が生れ落ちられるはるか以前より、世間一般で「電停」と呼び慣わされていた様に、小学生時代に10番で交博へ通った身
 としては承知しているのだけれど。

         どうして、そこまで頑なに区別するのでしょうか。おそらくは、路面電車の電停が、一
        般的な鉄道の駅とは異なり、簡素な造りだからなのではないかと推測しています。いまは
        少なくなりましたが、電停にはただ路面に色を塗っただけというものもあります。たしか
        に、これを東京駅のような立派な駅舎と同じ「駅」にくくるのは無理があるでしょう。そ
        んな思いが、路面電車の駅を 「電停」として区別させるのかもしれません。

  「電停」が人口に膾炙したのは初期の馬車鉄道或いは電車鉄道において車掌などが会社の案内のマニュアルに則って

   「次は通三丁目停留場」

 などと呼ばわっていたために「停留場」或いは「停留所」が軌道の乗降場の意味として定着し、普通に利用者が「電車の停留場(停留所)」
 と呼び習わしたからではないでしょうか。バスは現在でも「バスの停留場」或いは「停留所」といい普通「バス停」と利用者は呼び習わしてい
 ないのでしょうか?「電停」、「バス停」いずれも一般の利用者から出た日常の言葉です。

         名称を区別したところで、駅機能に差異はありません。電停だろうと駅だろうと、一般
        の利用者にとっては、どちらでもいいことです。ただ、それを言ってしまえば、路面電車
        の定義からして、実は曖昧なのです。
        先ほど、路面電車は 『軌道法』 で運行・建設などが定められていると書きました。とこ
        ろが、江ノ島電鉄(神奈川県) や熊本電気鉄道は、道路上に線路を敷設する路面電車とさ
        れながら、『軌道法』 ではなく 『鉄道事業法』 に準拠しています。これは特例的措置です
        が、原則を覆すような特例が、路面電車とは何かをわかりにくくしています。

  「路面電車の定義」って何でしょうか?一般的に道路上を走る鉄道(電車)が「路面電車」と言う表現で認知されているだけで、法的にも
 学問的にも「路面電車」は定義されていません。
御例示も

       江ノ島電鉄(神奈川県) や熊本電気鉄道は、道路上に線路を敷設する路面電車とさ
       れながら、『軌道法』 ではなく 『鉄道事業法』 に準拠しています。

 不思議な書きぶりですが、「道路上に線路を敷設する路面電車とされながら、」誰が「路面電車」と言ってるんでしょうか?「路面電車とされ
 る」なら、その様に定義されているのでしょう?何を以って?「軌道法」ですよね。

  江ノ島電鉄も熊本電気鉄道も建設時に「軌道法」で特許を得た鉄道なんじゃないんですか?江ノ電は要塞地帯を走ると言うことで、「地方
 鉄道法」事業者に変更。熊本電気鉄道(菊池電車)も新線計画とか補助が出るとかで「地方鉄道」に鞍替え。
  で国鉄民営化後JRが私鉄になったので、国有鉄道法と地方鉄道法が一体に改められ、「鉄道事業法」となったから事業法準拠で特例処
 置。別に原則を覆しているわけじゃ有りません。
  大体「地方鉄道法」の時代でも、小川氏が本書巻末の参考文献に挙げ捲くっておられる、「東京地下鉄道史」各史には「道路に地方鉄道
 を敷設の申請」ってのが山ほど有るんですけど。
  後段(第三章)で出てくる半蔵門線絡みの記事も間違ってるんで各史多分禄にお読みになっておられないんでしょうが。
  小川氏はここで何が言いたかったんでしょうかね?

         たとえ簡素なつくりでも、電停を新しく設置することは容易ではありません。運転士に
        よる発車・停車の訓練も必要になりますし、車内やホームページなどの路線図の変更もお
        こなわなければなりません。電停を設置する工事費も少ない金額ではありません。【荒川
        一中前】を開業するにあたって、必要とされた金額は一二〇〇万円でした。用地はもとも
        と確保されていたところを選んでいます。一二〇〇万円という金額は、純粋に設置のため
        の材料費や工事費といえます。

  2000年11月11日の読売新聞によりますと総工費(総事業費?)は6000万円で荒川区負担、その内1200万円を地元が寄付金を集め
 て賄う(地元に負担を求める)と言うお約束だったようなんですが。ですから上記「開業するにあたって、必要とされた金額は一二〇〇万円」は
 地元負担の分の様なんですが。YOMIURI ONLINEのD/B、ヨミダス文書館で平成12年11月11日読売新聞東京版朝刊記事が確認でき
 ます。
  だから、「用地はもともと確保されていたところを選んでいます。」と言うのも裏取らずに、どこから拾ってこられたネタやら?

        なぜ、新電停が設置されたのか
         新電停を開業するにあたって、東京都も荒川区も予算を計上してくれませんでした。あ
        くまで、地元有志の〝都電荒川線新電停誘致の会〟が募金を集めて、それを新電停の費用
        に充てています。そこまでして、東端の電停【三ノ輪橋】から西へ三〇〇メートル離れた
        ところに【荒川一中前】は開業しました。

   本当に総工費が1200万円で、全額募金なんですか?「誘致の会」のホームページがネットに残っている様なんですが。

 都電荒川線新停留場誘致の会:ttp://www1.tcn-catv.ne.jp/csm/toden0.htm

  募金目標達成したのが平成20年(2008年)と書いてあって、金額が607万円となってます。多分1200万円を二期(建設時とその後)に分
 けて合計1200万円だったからじゃなかったのでしょうか?2000年11月に1200万円に足らない状況で、その時、誰がその足らない建設費
 を負担したのでしょうか?荒川線はほとんどが新設軌道(軌道法は一般に「専用軌道」と言っているものを新設軌道と言います)道路から独立
 して電車だけが走るバラストの上に枕木を置きその上に軌条を載せた荒川線専用の線路です。ですからJRや民鉄の様な一般の鉄道よりは
 簡易ですが、それでも嵩のある対向式プラットホーム二面と屋根等けっこうしっかりした構築物が必要です。1200万円一部未納でよく出来ま
 したね?
  荒川区6000万円予算計上してくれなかったんですね。
  荒川区の決算書には、6000万円の決算が載っていないんですね。
  平成20年度の荒川区の決算書には607万円の戻し入れがないんですね。
  東京都交通局の決算書には「荒川一丁目、南千住一丁目付近の住民」すなわち誘致の会名での営業外収入1200万円が計上されている
 んですね。
  以上お確かめになったんですね。

         まず、【荒川一中前】設置のきっかけについて考えてみましょう。これは、東京都交通
        局が率先して決めたことでも、荒川区が言い出したことでもありませんでした。都や区が
        工事費用を出してくれなかった理由はそのためです。新電停の設置は、地元住民たちの請
        願によるものでした。主に荒川区荒川一丁目、南千住一丁目付近の住民です。
         平成一一(一九九九)年二月、請願が出されると、四ヵ月後の六月には荒川区議会で付
        議されます。さらに一二月には、東京都交通局と荒川区の間で「都電荒川線の新停留場設
        置に関する基本協定」が締結されます。そして翌年六月には、運輸大臣と建設大臣から認
        可が下り、七月から建設工事を開始、一一月に開業します。歳月にして、一年半。その経
        過は順風満帆と言っていいでしょう。

 都議会には諮られなかったんでしょうか?誘致の会サイトでは平成11年9月に都議会で請願採択と書いてありますけど。都電ですから東京都
 が「ウン、」と言わなきゃ出来ませんよね。

         まず、【荒川一中前】設置のきっかけについて考えてみましょう。これは、東京都交通
        局が率先して決めたことでも、荒川区が言い出したことでもありませんでした。都や区が
        工事費用を出してくれなかった理由はそのためです。新電停の設置は、地元住民たちの請
        願によるものでした。主に荒川区荒川一丁目、南千住一丁目付近の住民です。

  倒置法で文意を誤魔化す。酷いものです。

   「【荒川一中前】設置のきっかけについて考えてみましょう。新電停の設置は、地元住民たちの請願
   によるものでした。東京都交通局が率先して決めたことでも、荒川区が言い出したことでもありません
   でした。都や区が工事費用を出してくれな かった理由はそのためです。」

 と書き直してみるとその酷さが判ると思います。

         〝電停の設置までに一年半″が早いか遅いかの判断は人によってそれぞれでしょうが、通
        常のケースと比べると、かなり早い例でしょう。どうして、そこまで早く開業することが
        できたのでしょうか。

  何を根拠に「通常のケースと比べると、かなり早い例でしょう。」と仰っているのやら?通常のケースって何ですか?
  都電荒川線王子電気軌道以来70年ぶりの新停留場とか言われてますし、昭和47年(1972年)都電廃止後以降を言っても28年ぶりの新
 停留場です。ならば「通常のケース」とは何を指すのでしょう。早くか早くないか?の説明になっておりません。建設費の件と言いこれと言い、
 どう言う取材をされたのか?事実の捏造なのか?取材不足の妄想記事なのか?荒川区好い面の皮ですね。
  取材不足な上に、観念だけで本質、言うべき主題を持たないので、無駄に長口説なだけで言いたいことがまるで見えません。

         これには、都電荒川線【三ノ輪橋】から【荒川一中前】の線路と並行してある商店街〝ジョイフ
        ル三の輪〟の衰退という事情がありました。ジョイフル三の輪は、荒川区を代表するアーケード商
        店街で、全長は約五〇〇メートルあります。キャッチコピーは〝チンチン電車に会える街〟です。
        ジョイフル三の輪から都電愛を感じるのはキャッチコピーだけではありません。商店街を歩けば、
        下町情緒の中に、都電をあしらったアーケード、都電の車両が映し出される電光掲示板などを
        目にすることができます。また、【三ノ輪橋】から徒歩三分の喫茶店〝あめみや〟では、都電
        グッズを多数取り揃えていてミニ都電博物館の趣があります。
         この商店街を【三ノ輪橋】側から歩きはじめると、まもなく気づくことがあります。そ
        れは、【三ノ輪橋】から西へ行けば行くほど、遠くなればなるほど商店街の活気が薄れて
        いくことです。ジョイフル三の輪の東端には、乗降者の多い【三ノ輪橋】がありますが、
        商店街の西側がシャッター通りと化せば、その波は東側も侵食するでしょう。
         商店街の西側を活性化させるために、都電荒川線の新電停を誘致しようと動き出すこと
        になりました。西端に荒川線の電停ができれば、商店街に回遊性が生まれ、商店街全体が
        活性化する、そう商店街の人たちは期待したのです。
         【荒川一中前】が開業してから一三年が経っています。いまだ商店街は【三ノ輪橋】側が
        栄え、【荒川一中前】側に行くにしたがって寂しくなる構図は変わっていません。都電の
        電停が開業しただけで、劇的に商店街が変わることはないのかもしれません。それでも、
        「路面電車は時代遅れ」と言われていた時代、ここ東京において〝新電停〟が誕生した意
        義はけっして小さくないでしょう。

  いやまぁ、13年前の〝新電停〟の誕生が何か昨日のことのようなんですが、十年一昔で目論見が成功してないとしたら、意義はどうなの
 よってことじゃないでしょうか?いっそ【荒川一中前】の利用者数を他の電停と比較された方が、よろしいんじゃないでしょうか?
  商店街の組合や西側の商店に取材した形跡もないんですが。都電跡どころか、現役沿線も歩いちゃいないんですか?

        都電荒川線は生き残ったが……
         平成一七(二〇〇五)年に公開された映画「ALWAYS 三丁目の夕日」では、光輝
        く東京タワーがシンボルとして描かれています。昭和三〇年代の東京には、そこかしこに
        都電が走っていました。路線の総延長二一三・七キロメートルにも及んだ都電の黄金時代
        は終わりを告げ、荒川線一路線のみとなりました。総延長は約一二・二キロメートルしか
        ありません。

  すみませんが「三丁目の夕日」で東京タワーがシンボルとして描かれていることと、都電云々が繋がらないんですが。
  こう言いたかったんですか?

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」では、光輝く東京タワー ──と市内を縦横に走る都電── が ──昭和三〇年代
    の東京の── シンボルとして描かれています。

 とか?

        荒川線の一日の平均乗車人員は、平成二三(二〇一一)年度の統計で、四万九一三〇人
        となっています。数字だけを見ると利用者が多いのか少ないのかはわかりませんが、日暮
        里・舎人ライナーと比べてみると、その差がはっきりします。

  比較の対象が、何でいわゆる新交通システムの「日暮里・舎人ライナー」なんでしょうか?軌道法で特許を受けたからですか?機能も、
 設置の目論見も、車両の編成も何もかも異なる「日暮里・舎人ライナー」と利用者の多少を比較して何か判るんでしょうか?
  東京北部の鉄道未踏地帯と言われ、都心との通勤通学客輸送を目的とした定期利用客構成比65%(2010年度)の「日暮里・舎人
 ライナー」と、都心部内での用務輸送を目的とする定期利用客構成比48%(2010年度)の荒川線を比較する意味があるんですか?
  起点駅日暮里駅の時刻表で見る限り、5両編成定員257人の300系電車が、1両編成定員61~65名の荒川線電車とほぼ同じ時間
 間隔(朝ラッシュ4分、日中6分ヘッド)で発車する「日暮里・舎人ライナー」と荒川線を比較する意味があるんですか?
  もっと身近にいわゆる路面電車、新設軌道を走るがゆえに同様に生き残った軌道線が有るんじゃありませんか?
  東京急行電鉄世田谷軌道線(東急玉川線下高井戸支線)が。

         日暮里・舎人ライナーは、平成二〇(二〇〇八)年三月三〇日に開業し、日暮里駅(荒川
        区)と見沼代親水公開駅(足立区)を二二駅で結ぶ、東京都交通局運行の新交通システムで
        す。総延長九・七キロメートルですから都電荒川線よりも短い路線です。それにもかかわ
        らず、平成二三(二〇一一)年度における一日の平均乗車人員は、六万〇八四四人もあ
        り、一日に一万人も多く都電荒川線より利用され、その差は年々拡大しています。

  利用者の多少について、開業時の需要予測が一日当たり五万九千人の「日暮里・舎人ライナー」が開業4年(小川氏の速報値は)で一日
 の乗車人員がそれを上回っていなかったら、それこそ問題なんじゃないでしょうか。都電の末裔である路面電車荒川線の苦闘とかを感情
 的に挙げて、後の(実際にきちんと取材したかが)怪しげな「路面電車の巻き返し」とやらにつなげるために、こんないい加減な記述をなさって
 おられるのなら、後の記述すら見当外れと言われても仕方ないんじゃないですかね。

  さて、路線距離5.0キロメートルの東京急行電鉄世田谷軌道線。日暮里・舎人ライナーより4.7キロメートルも短い世田谷線の2010年度
 (平成22年度)の年間輸送人員は二〇一五万九〇〇〇人、一日当たりにすると五万五二三〇人になります。なお、世田谷線も定期利用客の
 構成比が当時48%でした。
  その年の荒川線の年間輸送人員は一八〇七万四〇〇〇人、一日当たり四万九五一八人。
  ちなみに後で「路面電車の巻き返し」と書かれている「豊橋鉄道市内軌道線」は年間輸送人員二八一万一〇〇〇人、一日当たり七七〇一人。
  富山ライトレールは年間輸送人員一八四万四〇〇〇人、一日当たり五〇五二人。富山地方鉄道富山市内線これは市内線の一部を環状に
 した都心線を取り上げられていますが、輸送人員は市内線全体しか私の手元の資料(平成22年度鉄道統計年報国土交通省鉄道局監修)に
 ないので、それによりますと年間輸送人員四〇二万三〇〇〇人、一日当たり一万一〇二二人となっています。
  ネッ、比較対照するものが「日暮里・舎人ライナー」って、おかしいでしょう。東京と言うマスが大きいことから言って、一日当たり4万9千人を
 輸送するってちょっとしたことなんですよ。朝ラッシュ4分、昼間6~8分間隔で定員61~65人の電車が走ってる。ちょっと凄いことじゃないで
 すか。
  それでも、

         都電荒川線は、山手線内という東京都内でも有数の企業や大学、住宅が多く立地してい
        るエリアを走っています。くわえて、【町屋駅前】 【王子駅前】 【新庚申塚】 【大塚駅前】
        【東池袋四丁目】【鬼子母神前】といった電停で、たくさんの他の路線に乗り換えること
        ができます。さらに日暮里・舎人ライナーの開業で【熊野前】も乗換駅になりました。都
        電荒川線は便利な路線なのです。
         そんな便利な電車でも、利用者は増える気配がありません。もはや都電は都民の足では
        なくなっているのでしょうか。

 こんなことを書かれる。
 「都電荒川線」はれっきとした、──荒川線沿線の──都民の足ですが。なにか?
  ついでに言えば、荒川線の乗車人員が近時連年で微減している原因は、2008年開業の東京メトロ副都心線の影響じゃないんでしょうか?

        路面電車の巻き返し
         ところが、都電の凋落とは裏腹に、昨今ではテレビの街歩き番組や雑誌の特集でこの
        荒川線が取り上げられることは少なくありません。
         都民の足ではなくなった都電がたびたび取り上げられるのは、どうしてなのでしょう
        か。その理由は、かつての〝チンチン電車〟が昭和を想起させる、懐かしくノスタルジッ
        クな乗り物だということ、東京に唯一残ったという希少性などが挙げられるでしょう。

        都電の凋落

  いつの話をされているんでしょうか?昭和47年を最後とする路線廃止前、東京都交通局が「財政再建団体」に指定された輸送人員の激減期
 の話ですか?最早40年以上昔の話ですが。
  この前段で、平成23年(2011年)の話で

        もはや都電は都民の足ではなくなっているのでしょうか。

 と書かれ、この段では、

        都民の足ではなくなった都電がたびたび取り上げられるのは、

 と、論旨主旨が一定しておられないんですが。
  「都電の凋落」、約半世紀前に廃止180km分が、都民の足ではなくなっているんじゃないんでしょうか。

         もうひとつの理由として、路面電車が世界的に再評価されるようになった時代の背景が
        あります。フランスやドイツなどヨーロッパの先進国では、新型路面電車のLRT(Light
        Rail Transit)が登場し、ノスタルジーだけではなく、新世代の公共交通機関としてきちん
        と認識されています。

  都電荒川線が、「テレビの街歩き番組や雑誌の特集でこの荒川線が取り上げられることは少なくありません。」の理由を二点お書きになって
 おられるのだが。

  ①昭和を想起させる、懐かしくノスタルジックな乗り物だということ、東京に唯一残ったという希少性などが挙げられるでしょう。
  ②路面電車が世界的に再評価されるようになった時代の背景があります。新世代の公共交通機関としてきちんと認識されています。

 ①については、東京急行電鉄世田谷軌道線(東急玉川線下高井戸支線)の立場はどうなるんでしょうか?どちらも、

        その理由は、かつての〝チンチン電車〟が昭和を想起させる、懐かしくノスタルジッ
        クな乗り物だということ、東京に唯一残ったという希少性などが挙げられるでしょう。

 どちらも該当すると思うんですが。と言うか荒川線「東京に唯一残った」と言いたければ、〝チンチン電車〟らしい一部併用軌道が「東京に唯
 一残った」とか書くべきじゃないかと思いますけど。
  ついでに言えば、都内を走ってはいませんが、江ノ島電鉄も似た様な取り上げ方を頻繁に、荒川線より多い位取り上げられていませんかね。
 ②の理由で、荒川線を取り上げたテレビの街歩き番組、雑誌の特集。その視点で論じたものがあるんですか?
 それらしい書き方ですが、論旨がおかしいのです。②から以下のことを引っ張り出すための枕だとしたら、「ところが、都電の凋落とは裏腹に、
 昨今ではテレビの街歩き番組や雑誌の特集でこの荒川線が取り上げられることは少なくありません。」と①は以下のことと、何の関係もありま
 せん。

         国内でも、全国に目を移せば、静かに路面電車の巻き返しが始まっています。
        豊橋鉄道(愛知県)は、都電荒川線よりも一足早い平成一〇(一九九八)年に線路を約一
        五〇メートル延伸させて、駅前のロータリーヘの乗り入れを実現させました。一五〇メー
        トル線路が延びたことで【駅前】-【新川】間の距離が開くと、平成一七(二〇〇五)
        年、その中間地点に新しく【駅前大通】を設置します。

  そもそも、「路面電車の巻き返し」とは何でしょうか?「凋落」からの巻き返しですか?でもそれは現状では「都電」と何の係わりもないことです。
  小川氏が言うところの「凋落」した都電とは、また都電跡とも、東京の歴史とも係わりの無いものです。延伸や新停留場の設置が「路面電車の
 巻き返し」であると言う説明にもなっていません。実際は「凋落」を踏み止まると言う状況が普通に取材すれば見えるのではないでしょうか。

        豊橋鉄道(愛知県)は、都電荒川線よりも一足早い平成一〇(一九九八)年に線路を約一
        五〇メートル延伸させて、

  荒川線は延伸だったんですか?停留場の新設だったんじゃないんですか?何が「一足早い」んですか?

         また、平成一八(二〇〇六)には、JR富山港線が路面電車に転換されています。これ
        が富山ライトレールです。その後、平成二一(二〇〇九)年には、同じく富山市内を運行
        している富山地方鉄道の都心線が開業しました。都心線は富山市街地と富山駅とを環状
        線で結ぶ、新しい動線を生み出しました。

  富山ライトレール併用軌道部分は軌道、新設軌道(いわゆる専用軌道)部分は鉄道線としてそれぞれ免・特許が取られています。小川氏は、
 さきに、

            ……路面電車は 『軌道法』 で運行・建設などが定められていると書きました。とこ
        ろが、江ノ島電鉄(神奈川県) や熊本電気鉄道は、道路上に線路を敷設する路面電車とさ
        れながら、『軌道法』 ではなく 『鉄道事業法』 に準拠しています。これは特例的措置です
        が、……

  とお書きになっておられます。富山ライトレールが小川氏の言う「路面電車」である根拠は何でしょうかね?小川基準?

  富山地方鉄道の都心線は、過去に廃止された環状線を部分的になぞって富山市内中心部の人の移動に回遊性を生むことが目的だったん
 じゃないでしょうか?

          富山市街地と富山駅とを環状線で結ぶ、新しい動線を生み出しました。

  第六章では、富山駅と富山中心市街地が離れていたことにより旧環状線が作られたようなことを言われています。ここの書き方も都心線の
 開業目的が同様なような書き方になっています。旧環状線(大回り)の建設、廃止の頃と、現代では、環状線の役割は変わってきているのでは
 ないでしょうか。本当にちゃんと取材されているんでしょうか?現地に赴かれ、市役所や県庁に取材されて居られるのでしょうか?ノンフィクショ
 ンライターは報道の自由、言論表現の自由により「取材」が専らに行えることに存在意義があり、取材対象に直接にアプローチし、確認できる
 能力があるから、職業上の信頼が確保されるものかと存じますが。取材することに社会的にも、自身の矜持にも矛盾が無い、それが私のよう
 な名刺の一枚も持ち合わせのない、取材することそのものに制約がある、素人との圧倒的な違いではないかと存じますが。

  そしてこれは、LRT“Light Rail Transit”とLRV“Light Rail Vehicle”もしくはULFV“Urutra Low Floor Vehicle”の誤解ではないかと思わ
 れますが。

         さらに、路面電車先進県といわれる広島市や熊本市などでもLRTが導入されていま
        す。こうした地方都市では、路面電車を公共交通機関の中心にしようという動きが活発化
        しているのです。

  LRTは車両のことではありませんよね。交通(Transit)システムのことでしょう。バスや、都電の様な市内電車より輸送規模を大きくでき、都市
 近郊と市内中心部をシームレスにかつ高速で結び、本格的な鉄道より簡易な(軌条を敷設することも簡易化の一方法)設備で運行できる交通
 システムがLRTです。単に超低床であったり、高加減速が可能な車両をLRTとは言いません。
  広電は宮島線(鉄道)から市内線(軌道)への乗り入れなどから言えば従来からLRTでした。
  熊本市交通局の電車はこれも超低床電車であはありますが、LRTの様なシステムではありません。
  小川氏は、広電や熊本市以外(富山地方鉄道を含む)の超低床電車を導入している鉄道を何故“LRT”と言わないのでしょうか?これ等と熊
 本市交通局(保有44両中7両が低床電車)との違いをどう説明されるのだろうか。

  万葉線株式会社(高岡市) 保有11両中6両
  伊予鉄道(松山市) 保有38両(坊ちゃん列車除く)中10両
  鹿児島市交通局 保有55両(花電車除く)中13両
  
 なんですが。
  万葉線なんか過半が低床車、熊本市交通局の低床車と同じ18メートル級連接車ですし。万葉線前身は加越能鉄道という富山と金沢を結ぶ
 都市間高速鉄道(予定)でしたし。万葉線何故“LRT”とお呼びにならないのだろうか?

         昭和三〇年代まで、都電は東京の公共交通機関の主役でした。しかし、道路に自動車が
        溢れるようになり、路面電車は地下鉄に主役の座を譲りました。地下鉄は目的地に早く移
        動できる交通手段です。また、自動車と道路を共有しているわけではないので、渋滞に巻
        き込まれることがなく、時間どおりに到着します。鉄道利用者は、速達性や定時性を重要
        視しますから、路面電車より地下鉄がもてはやされました。

  昭和三十年代までの、東京の公共交通機関の主役と言えば、山手線、中央線、総武線、地下鉄銀座線ですが。山の手線内に限れば、バスと
 都電が主な公共交通でした。しかし、プアな道路状況から、昭和三十年代後半には、モータリゼーションの亢進による自動車の増加により軌
 道が円滑な都市交通を妨げるものとして、法規が変更され軌道内への車両の進入を許すようになり、進行の優先性を失った都電は軌道内の自
 動車に障害されることにより、定時性を確保できなくなったことから、輸送人員jは大幅な減少となり、地下鉄建設費の負担、バス事業も渋滞に
 よる利用率の低下があり、東京都交通局の財政が急速に悪化します。債務超過として財政再建団体の指定を受け、東京都交通局は都電の
 廃止、いわゆる不採算部門の切捨てによる再建を目指します。警察庁、警視庁も道路行政の貧困、都市計画と私権の制限による都市交通の
 円滑化と言う根本対応には、何の権能も認めて貰えない割りには、都市民からの非難と追求が厳しいため、軌道が悪いと「廃止論」を醸成しま
 した。
  東京の市域内については、軌道法準拠制限時速8マイル(12.9km/h)とされた路面電車を超える高速鉄道の建設が早くから必要と考え
 られ、地上線、高架線、地下線いずれかの方法での建設が計画され、山手線、京浜東北線の秋葉原(上野)-東京間や中央・総武緩行線の
 両 国-御茶ノ水間などが高架線で建設されています。やがて、高架線では、土地収用の問題、高架による道路交通遮断、騒音などの問題
 が生じることから、地下線での都市域内高速鉄道が計画され建設費用が高価格と言う問題を抱えながら、順次建設されていきますが、小川
 氏が言うような、

         昭和三〇年代まで、都電は東京の公共交通機関の主役でした。しかし、道路に自動車が
        溢れるようになり、路面電車は地下鉄に主役の座を譲りました。

は極めて乱暴なもの言いです。
  東京の地下鉄昭和30年代で全線が開通したものは、昭和14年完成の銀座線を含め、丸の内線(荻窪線含む)、日比谷線までです。
  都電第一次廃止昭和42年以降、全線開通を含め一応都市域内での交通機関として認めうる状態になった時期は都営浅草線(昭和43年)、
 東西線(昭和44年)、都営三田線(昭和48年)、有楽町線(昭和63年)、千代田線(昭和53年)、都営新宿線(昭和55年岩本町開業)半蔵門
 線(昭和57年半蔵門開業)、南北線(平成12年)、都営大江戸線(平成12年)、副都心線(平成20年)です。
  都電は財政再建計画に則り昭和42年以降順次廃止され荒川線を除き廃線が完了したのが昭和47年です。
  実際のところ、多くの隘路を埋めたのは、道路の拡幅と道路環境の整備と企業、個人など都市交通利用者の忍従でした。西武新宿線の新
 宿延伸や、山手線、京浜東北線の線増も本来の都市交通の需要対応策として有効でした。
  更に言えば、大正期に、「パイノパイノパイ」の「東京節」でも「東京の名物満員電車」と歌われ、その時代で小川氏の言う「都電(市電)」は中
 規模輸送システムとしての限界が既に露呈していました。道路に車が溢れずとも、速達性や定時運行が維持されていたとしても、旅客は地下
 鉄を指向したでしょう。
  単純に「路面電車は地下鉄に主役の座を譲」ったわけではありません。  

        鉄道利用者は、速達性や定時性を重要視しますから、路面電車より地下鉄がもてはやされました。

  「もてはやす」──1.盛んに誉める。多くの人が話題にする。2.引き立てる。

  日本語としてどう読んだら良いんでしょう?
  「鉄道利用者」。これの意味もよく判りません。前段の

        地下鉄は目的地に早く移動できる交通手段です。また、自動車と道路を共有しているわけではない
        ので、渋滞に巻き込まれることがなく、時間どおりに到着します。

 を受けて仰っているのでしょうか?別に「鉄道利用者」でなくとも交通機関の利用者は皆そうなんじゃないんですか?基本は低廉に、他動的に
 移動できるものならば、鉄道に拠らず、より速達性と定時制を重要視するわけですが。(小川氏が称するところの)主役である都電に拠らず、
 バスやタクシー利用者も市域内の他の高速鉄道利用者もみんなそれらの速達性と定時制を重要視するんじゃないかと思うんですが。

         それが、今日のように高齢化が深刻な社会問題になってくると、風向きは変わります。
        日本最初の地下鉄である「銀座線」は、最初に掘られたこともあり、わりと地面から浅い
        部分にホームがあります。ところが、新しくつくられる地下鉄は、それよりも深い場所に
        線路を敷かなければなりません。そうなると、新しい地下鉄区間はどんどん深くなってい
        きます。
         結局、ホームは地下数十メートルに設置されることになり、利用者は長い長い階段を上
        り下りする苦労を強いられるのです。高齢者や小さな子供にとってみれば、乗車や乗り換
        えのたびに延々と歩かされる地下鉄よりも、すぐに乗れて、降りたらすぐ目的地である路
        面電車の方が格段に便利なのです。

  高齢化社会で何の風向きが変わるんでしょうか?バリアフリーの話でしょうか?交通機関におけるバリアフリーは、障碍者、身体的弱者
 に対して移動の自由を保障することから始まりました。また、現代でもそれは同様ですし、対策は順調ではないまでも進められてきています。
  高齢化が深刻な社会問題だから風向きが変わっているわけではありません。

         日本最初の地下鉄である「銀座線」は、最初に掘られたこともあり、わりと地面から浅い
        部分にホームがあります。ところが、新しくつくられる地下鉄は、それよりも深い場所に
        線路を敷かなければなりません。そうなると、新しい地下鉄区間はどんどん深くなってい
        きます。

 新しい地下鉄が土被りの大きいところに作られる理由は、東京の場合単純には言えません。特に先に掘られた地下鉄より深い場所に掘らなけ
 ればならない理由は、先行の地下鉄を避けるためとは必ずしも言えません。
  まず第一の理由は地下線以外の埋設物の増加、深深度化が挙げられますが、起伏、標高差が激しい東京の地形に拠る所も大きいのです。
  「銀座線」でも元東京高速側の渋谷駅では、地上の東急百貨店(玉電)ビルの三階となっているものが、「半蔵門(田園都市)線」渋谷駅は道
 玄坂下。起伏に沿って掘れる技術が確立した結果ではありますが、千代田線以降起伏のある場所を避けずに掘っているから、土被りが大きく
 なって行ってることもあるんです。

         結局、ホームは地下数十メートルに設置されることになり、利用者は長い長い階段を上
        り下りする苦労を強いられるのです。高齢者や小さな子供にとってみれば、乗車や乗り換
        えのたびに延々と歩かされる地下鉄よりも、すぐに乗れて、降りたらすぐ目的地である路
        面電車の方が格段に便利なのです。

  都心の高速鉄道、郊外との大規模輸送、特に東京の地下鉄道の特徴であるJR、民鉄との直通運転(相互乗り入れ)を目的とした高速鉄道
 は、都心を高架で建設しても、地上十数メートルに設置された駅舎に上がるには、

          利用者は長い長い階段を上り下りする苦労を強いられるのです。

  都心の高速鉄道、郊外との大規模輸送、特に東京の地下鉄道の特徴であるJR、民鉄との直通運転(相互乗り入れ)を目的とした高速鉄道
 は、都心を地上で建設しても、駅舎は橋上駅となりますから地上十数メートルに設置された駅舎に上がり、ホームに下りるには、

          利用者は長い長い階段を上り下りする苦労を強いられるのです。

  都心を高架や地上で建設した場合、他の地上交通を阻害します。そちら、他の地上交通の利用者は、

          速達性や定時性を   

 重要視しないんでしょうか?

         高齢者や小さな子供にとってみれば、乗車や乗り換えのたびに延々と歩かされる地下鉄よりも、
         すぐに乗れて、降りたらすぐ目的地である路面電車の方が格段に便利なのです。

  エスカレーターやエレベーターは何のために存在するのでしょうか?また、駅間の問題と輸送力の問題を何故無視されるのでしょうか?
  およそ大都市特に東京の様な大都市において、遠隔からの相互直通運転のみならず、隣接駅間の利用においてすら、大量輸送を目的と
 するものの代替に、何を求めておられるんでしょうか?比較対象がおかしいのですが。
 
           すぐに乗れて、降りたらすぐ目的地である

  バス

           の方が格段に便利

 なんじゃないでしょうか?中央の安全地帯まで、横断歩道に停留場を接着させたとしても、車道を横断して乗降しなければならない「路面電車」
 より、歩道などから直接乗車できる低床バスの方が高齢者や小さな子供には安全では有りませんか?
  バスが、都電の代替として十分機能していることはご自身も以下の通りお書きですね。

         それから、環境からの視点を見逃すことができません。都電が廃止されると、代替交通
        として整備されたのは都バスでした。現在、都バスが走っているルートの多くは、かつて
        都電が走っていたルートをなぞっています。
         つまり、都バスは都電の後継者です。二一世紀に入り、環境問題が浮上すると、都バス
        も液化天然ガスを燃料とするなど、環境対策には非常に力を入れていますが、電気で走る
        都電には敵いません。また、東日本大震災でエネルギー問題がクローズアップされると、
        一度に多くの乗客を輸送できる鉄道が、エネルギー効率に優れているとして見直されるよ
        うになりました。

  しかし上記の文何が仰りたいのかよく判りません。

         それから、環境からの視点を見逃すことができません。都電が廃止されると、代替交通
        として整備されたのは都バスでした。現在、都バスが走っているルートの多くは、かつて
        都電が走っていたルートをなぞっています。

  環境からの視点と、都バスが都電のルートをなぞっていること、とに何の関係が有るのでしょうか?

          つまり、都バスは都電の後継者です。二一世紀に入り、環境問題が浮上すると、都バス
        も液化天然ガスを燃料とするなど、環境対策には非常に力を入れていますが、電気で走る
        都電には敵いません。

  環境問題は二一世紀前から問題化しております。故に、自動車PM・NOx規制法が1992年(2007年改正)に施行されています。石原都知
 事(当時)がペットボトルを振りかざしてディーゼル車規制を叫ばれていたのも1999年のことですね。
  で、都バスの主力は環境省の長期規制適合(いわゆる環境に優しい)のディーゼル車なんですが。環境対策と、トータルコストで、火力や原発
 (当時)の電力で走る「都電」に負けないように。

        また、東日本大震災でエネルギー問題がクローズアップされると、一度に多くの乗客を輸送できる鉄道が、
        エネルギー効率に優れているとして見直されるようになりました。

  東日本大震災でどのような形でエネルギー問題がクローズアップされたのでしょうか?

        一度に多くの乗客を輸送できる鉄道が、エネルギー効率に優れているとして見直されるようになりました。

  関西電力管内のJR西日本は今夏(2013年夏)も電力需給の改善に協力するため電車運転本数の削減ダイヤを実施しますが何か?
  エネルギー効率に優れていても、原発による安定的な電力供給がなければ、総体に大量に電力を消費する鉄道は、バスより何が優れている
 んでしょうか?
  一般に、

        一度に多くの乗客を輸送できる鉄道が、エネルギー効率に優れている

 は、一体何を以って仰っているのでしょうか。輸送人員が定員61~65名、7000形で96名と称され、満員時でも平均概ね90名程度と思われ
 る都電と、東京都交通局によれば定員70.9名(HPにそう書いてある)の都バスとをきちんと比較されてますか?

        一度に多くの乗客を輸送できる鉄道が、エネルギー効率に優れている

 と言われる鉄道は、McとTが混結されている複数両編成の鉄道のことではないのですか?Mcが一両編成で走る都電も同様であるとの根拠は
 何によるのでしょうか?主力の7000形は抵抗制御、釣り掛け駆動と言うエネルギー効率のアンマリ芳しからぬ車両ですが。

  で、その「電気で走る都電には敵いません。」の「都電」とやらはどこにあるんですか?都バスも敵わない都電が一体どこを走っていると仰るの
 だろうか?荒川線と同一区間を走る都バスがあるんですか?



 序章の20~23頁は章題についての小川氏のモノローグ。いい訳の如きものですので割愛しました。
 
  ただし、23頁の〈表記のおことわり〉はこの方らしい記事なので、挙げて置きます。

         〈表記のおことわり〉
         ※「都電」や「東京府電」「東京市電」など、それぞれの時代に合わせた名称を使用していますが、読み
          やすさを優先している場合があります。また、「東海道本線」なども同様です。
         ※明治に鉄道が発足してから国鉄に改組するまでの国営鉄道を官営鉄道(「官鉄」)、昭和二四年(一九四九)
          年に発足した公共事業体の日本国有鉄道を「国鉄」としました。
         ※一部の電停が名称変更していますが、原則として、廃線時、昭和四二(一九六七)年時の名称を使って
          います。
         ※文中に電停名、駅名、地名、路線名などが頻出しますので、混乱を避けるために、電停名に限り【○
          ○○】とカツコでくくって記しました。

 でっ、

          「東京府電」

 って、何?
                                                                           OP:2013.07.29