地下妄の手記 後生 だからやめてくれ 新宿・都営軌道 弐

「後生 だからやめてくれ 新宿・都営軌道」 弐


 単行本146頁
      設計者しか知りえない意図
      左図では新宿の次は新宿御苑前、続いて四谷三丁目、四ッ谷である。それは、戦後に建設され
     た丸ノ内線と同じである。その四ツ谷駅に注目していただきたい。JRの駅から少し西に外れた
     にあって、しかも、JRの線路の上である。これは丸ノ内線の四ッ谷駅の場所である。

 文庫版152頁
      設計者しか知りえない意図
      この地下鉄のルートは、左図では新宿の次は新宿御苑前、続いて四谷三丁目、四ッ谷である。
     それは、戦後に建設された丸ノ内線と同じである。その四ツ谷駅に注目していただきたい。JRの駅
     から少しに外れたところにあって、しかも、JRの線路の上である。これは丸ノ内線の四ッ谷駅の
     場所である。

西と南では意味が異なるんじゃありませんか?
本当に、

          本作品は二〇〇六年六月、小社より刊行されたものを文庫化にあたり加筆・訂正しました。

「訂正」しちゃってるんですね。なら、訂正箇所を明示すべきなんでは有りませんか?秋庭さんと編集屋の皆さん。

      公式の記録では、小田急は地下鉄を建設していないとされているが、この図が本当にただの机
     上のプランだったら、地下鉄四ツ谷駅をわざわざJRの駅から外れた所にするとは思えない。

秋庭さんの仰る、図。単行本では、「利光送電図」、文庫版では「小田急送電図」



秋庭さんこの送電図なるものをいろんな使い方されているんですね。
同じ結果を語るのに、真逆の説明をされているのが、「写真と地図で読む!帝都東京地下の謎」52頁なんですね。こんなふうに、

      山手線と中央線、吹上御苑、赤坂離宮、新宿御苑、この図の東京はまったくシンプルである。
      地下鉄新宿線はそれを縫うように進んでいる。途中、四ツ谷駅に乗り入れるのでもなければ、
      終点も新宿駅からは離れている。乗客を集めるという私鉄本来の方針とは別のものに思える。

 このときは、西武新宿だの、プリンスホテルだのって発想はなかったわけね。四ツ谷駅と丸ノ内線の関係についての妄想も始まってないようだし。進化の過程が垣間見えますな(笑

 単行本148頁

      たとえは悪いかもしれないが、殺人事件の捜査などで犯人を特定する際、「犯人しか知りえな
     かったこと」というがよく出てくる。この図の四ツ谷駅がそれにあたると思う。地下鉄の四ツ
     谷駅を実際に建設する段階まで進んでいない限り、こんな所に駅をくことはないはずである。

 文庫版152~154頁

      たとえは悪いかもしれないが、事件の捜査などで犯人を特定する際、「犯人しか知りえな
     かったこと」という表現がよく出てくる。この図の四ツ谷駅がそれにあたると思う。地下鉄の四ツ
     谷駅を実際に設計する段階まで進んでいない限り、こんなところに駅をくことはないはずである。

  えっ、先に出た単行本で「実際に建設」されちゃったものが、一年後に出た文庫版では何で「設計」段階で止まっちゃうんですか?ひょっとして、次、同じ テーマで書かれた時は、「設計」すらされてないんで、この推理小説擬きの「設計者しか知りえない意図」って項すら無くなってしまうんじゃないかなぁ?

 単行本148頁

      このときの小田急の図には、吹上御苑、赤坂離宮、新宿御苑、日比谷公園、海軍省、それに
     山手線と中央線しか書かれていない。下書きのようにシンプルな地図だが、それだけに、当時、
     地下鉄が誰のためにあったのか、何が求められていたのかがよくわかるのではないだろうか。

      小田急電鉄は日比谷公園を拠点にするとしていたが、この図を見る限り、拠点はどうやら海軍
     省に移されていた。海軍省の中庭にターミナル駅があるのを見れば、それは国民が利用できる
     地下鉄ではなかったと見当がつく。つまり、地下鉄はこのときはまだビジネスではなかったにも
     かかわらず、すでに小田急は送電経路を計画し、四ッ谷駅を実施設計していたということである。


 文庫版154頁

      小田急の図は、シンプルな略図なだけに、当時、地下鉄が誰のためにあり、何が求めら
     れていたのかがよくわかる。小田急電鉄は日比谷公園を拠点にするとしていたが、この図
     によると、拠点はどうやら海軍省の中庭に移されていた。このことから、国民が利用でき
     る地下鉄ではなかったと見当がつく。つまり、地下鉄はビジネスとして成立していないに
     もかかわらず、すでに小円急は送電経路を計画し、四ツ谷駅を実施設計していたのだ。

 これだけ内容をお変えになったんじゃ、「犯人すら知りえなかった事実」ってことになるんじゃないかと思われますけど。
 ここの最大のポイントは「海軍省の中庭にターミナル駅」ってところですね。

   日比谷─新宿、日比谷─大塚である。

ならば、日比谷はターミナル駅(ターミナル=終着─区切りの─駅だから「駅」は不要じゃないかと思うんですけど)ですよね。
 だから、海軍省の中庭にあると称する駅は「ターミナル」じゃ都合が悪いって事に気が付いたんだね。きっと。だから、文庫版では消した。だって、旧東京高速の申請、「日比谷─新宿、日比谷─大塚」って区切っていませんもの。

 秋庭さんは、単行本148頁

      小田急電鉄は日比谷公園を拠点にするとしていたが、この図を見る限り、拠点はどうやら海軍
     省に移されていた。

あるいは、文庫版154頁

      小田急電鉄は日比谷公園を拠点にするとしていたが、この図によると、拠点はどうやら海軍省
     の中庭に移されていた。

と仰っています。「日比谷公園を拠点とするとしていた」と言うのは、利光鶴松の東京高速鉄道の申請が、「小田急電鉄二十五年史」によれば、こんなのだったからです。

 東京高速鉄道敷設免許申請書

私共儀今般東京市内ニ於ケル交通便益ノ為メ日比谷公園東隅ヲ起点トシ
鉄道院線渋谷、新宿、池袋、上野ノ各停車場附近ニ到ル区間ニ軽便鉄道
法ニ拠り高架線電気鉄道ヲ架設シ地勢ニヨリテハ一部分地下式トシ以テ
旅客運輸ノ業ヲ営ミ度ク候間右敷設ノ儀免許被成下度起業目論見書、敷
設費用概算書、運送営業上ノ収支概算書、線路予測図並ビニ仮定款謄本
柑添へ此段申請候也

  大正八年一月八日
東京高速鉄道株式会社創立発起人
     利   光   鶴   松
     川    田      鷹
     渡    邊      亨
       以下略


 右に対して、鉄道院当局では、綿密に審査した上、時の監督局長佐竹三吾氏
の.名で、修正を要望してきた。
 その要旨は、敷設区域を縮少し、新宿を起点に、日比谷─万世橋をへて、大
塚駅附近に到るべきこと。 軽便鉄道法によらずに、地方鉄道法により、且つ地
下式とすること等であった。 発起人は、この内示に従って申請書を訂正の上、
日附は前と同様にして提出した。こうして左の免許状が下附された。

二十五年史の当初の申請の図がこれです。





日比谷公園東隅ヲ起点トシ(中略)軽便鉄道法ニ拠り高架線電気鉄道ヲ架設シ地勢ニヨリテハ一部分地下式トシ

高架鉄道を主体とした申請だったんですね。

 もう一度、「設計者しか知りえない意図」の冒頭の記述に戻りますが、(単行本、文庫版どっちでも良いです。西も南も関係ないですから。)

      この地下鉄のルートは、左図では新宿の次は新宿御苑前、続いて四谷三丁目、四ッ谷である。
     それは、戦後に建設された丸ノ内線と同じである。その四ツ谷駅に注目していただきたい。JRの駅
     から少し南に外れたところにあって、しかも、JRの線路の上である。これは丸ノ内線の四ッ谷駅の
     場所である。

 と四ツ谷がいかにも意味ありげですが、あの稚拙な図じゃなかった「シンプル」な地図?略図?もう一度良く見てくださいな。
  御覧の様に、新宿でも新宿駅から離れてますし、万世橋でも万世橋駅から離れてますよね、万世橋も中央線電車線に東京高速の駅密着してるし、線路をを乗り 越えてますよ。大塚でも駅から離れてますし。こんな調子で、四ッ谷が戦後の丸ノ内線の構造と同じと言う根拠になるんですかこの図?



 そのほか、この図には不思議なところが幾つもあります。
ほとんどが、ひらがな標記の駅名の中に、「水道橋」、「お茶の水」、「秋葉原」、「東京」、「新橋」が漢字もしくは漢字混じりの表示になっていること。
当時、貨物の取扱しかなかった上野-秋葉原間の貨物線が表示されていること、かつ、秋葉原が駅として記述されていること。
「秋葉原駅」と「駅」の字が旧字体の「驛」ではなく、新字体でありかつ、他に「駅」表示が付された駅名が無いこと。
「かみこまごめ」なる駅が「駒込駅」の位置にあること。
長大な(東京地下鉄道に比べ)路線中に給電点(変電所)が一カ所しかないこと。当時で東京地下鉄道は三カ所あった。
国鉄線と同じ鉄道記号で、東上線、武蔵野鉄道線の記述はあるが、秋庭さんが主張する西武鉄道(軌道)も、京王電軌も表示が無いこと。(いづれも軌道線なので、正規の鉄道扱いされておらずと言うことなのでしょうか?
そして、最大の不思議は、秋庭さんが、この図の出自を明らかにすることが出来ないことです。
例えば、最新刊(文庫化しただけですけど)「新説 東京地下要塞」文庫版では、「小田急送電図」(資料:『東京高速鉄道略史』)とされています。しかし、「東京高速鐵道略史」には斯様な図はありません。

 なお、「小田急50年史」に載ってた、当時の認可線と予定線を載せた図挙げときます。秋庭さんも当然これ見てるはずだし、予定線についてもわかってるはずなのに、何であんな怪しげな図を一生懸命合理化しようとするのかしら?これのがよっぽど正確かと思いますけど。




 駄目押しとして申し上げておきますが、あの略図と同じ認可線の概要図が、実は、「新説 東京地下要塞」の「第四章 都営浅草線の真実」文庫版なら135頁に「認可図」と銘打って掲載されています。
 これね。分かり難いかもしれませんが、四ツ谷の跨ぎ越し位置に注目。



 例によってのことですが、出典元の記載がありません。

 秋庭さんに代わって出典を申し上げましょう。これは、「東京地下鉄道史」の「第参図地下鉄道各社免許線路略図」です。秋庭さんと編集屋御一統によって、出典の表示無しですから、例によっての盗用ですね。
 あっ、もちろん、原著は70年以上前の刊行物ですから、著作権切れてますけど、原典の表示無かったら、引用になりませんよ。
 下に原版を掲示します。これ以上縮小すると判別が難しくなるので、縦置きで掲載します。




 さて、一寸画像が荒いけど秋庭さんと編集屋御一統が上図から作った「認可図」なるものの「四ツ谷跨ぎ越し」部分。位置関係から見て、駅ので跨いでますね。




 それでは、「認可図」の元になった「第参図地下鉄道各社免許線路略図」の四ツ谷附近を拡大すると、



あ~ら不思議、この図では北側で省線(院電)を跨いでますけど。
白いとこはお濠の切れ目なんですけど、此処ではっきり判りますよね。元図の駅の位置と比較すると。

 いくら複写とは言え、元の図を書き換えたら、「改竄」、著作者人格権の侵害だって、いくら馬鹿な大日本雄弁会の編集屋でも、気付くと思うんだけど、また、確信犯かな?

 そんなこんなで、多分、あのシンプルな図は(旧)東京高速の何等かの路線略図であろうとは思われますし、一定の資料性はあるのかも知れません。しかし、
 
      たとえは悪いかもしれないが、(殺人)事件の捜査などで犯人を特定する際、「犯人しか知りえな
     かったこと」という表現がよく出てくる。この図の四ツ谷駅がそれにあたると思う。地下鉄の四ツ
     谷駅を実際に設計する段階まで進んでいない限り、こんなところに駅を描くことはないはずである。

 どうも、この辺りの事は、秋庭俊と講談社編集屋御一統に熨斗をつけて進呈したいと思います。  ねっ。犯人達。