地下妄の手記 後生 だからやめてくれ 新宿・都営軌道 捌

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後生 だからやめてくれ 新宿・都営軌道 捌


 本項後半はほぼ、虚言の極北 「新宿・都営軌道」 (((((-_-;)ヒエェー、で論及したとおりですので、ここでは秋庭さんらしい、自己の妄想を意味不明な独自解釈に拠ってさらにC級増幅して、大出力の妄想を展開されている前半部について、主に批判していくことにします。批判と言うより、改竄、捏造、歪曲の提示になるんでしょうが。

      消えたかつての都電網

      小田急電鉄は当初、地下に路面電車を走らせる計画を立てていた。現・京王電鉄の線路幅の一
     メートル三七センチニミリは、かつての都電がそのまま走れるサイズである。

 路面電車の申請の内容に関しては一部精査ができていないので、どのような軌間で申請したか不明なのだが、その延長線上で利光が申請、免許された新宿~大塚、秋庭さん言うところの「地下鉄新宿線」の軌間は、4フィート8インチと五分(1435mm)でした。その支線として申請認可された、小田原急行電鉄は3フィート6インチ(1067mm)と言うことなんで、京王電鉄の線路幅とは異なるわけですが、小田急の路面電車の申請と、どのような関係があるのかがまず不明です。
 その京王電鉄の軌間が嘗ての都電と同じで、そのまま走れることに何か意味があるのでしょうか?嘗ての都電とは何を指すのでしょう?都電「荒川線」が現存しますし、軌間も嘗ての都電のままですね。何を言いたいかが全く意味不明です。
 都営新宿線全線と京王電鉄新線新宿~笹塚間が、路面電車用に作られた地下隧道の再利用だとでも言いたいのでしょうか?実際後段でそう仰っているようですが、逆なら有り得ると言うか、大型(20m車)長大(8両以上)編成、を走らせるために造られた隧道なら、都電用の12m車が単に走るだけなら、電圧の問題など無視ということで、走行可能かもしれませんが。
 都電用の建築限界で建設された隧道、そのままでは金輪際、都電新宿線の10系車両や京王の6000系どころか、銀座線01系ですら詰まって走れません。走れる様に改装するってのも、無理です。その理由は秋庭さんが以下に書いているようなこと、右に曲がり、左に曲がり、数多くの分岐と合流があることにあります。

     前ページの地図には「市電地下鉄」とあった。以前の都電が東京の地下を走っていた
    としたら、どんなことが考えられるだろう。

 以前の都電?何時の時期のことなのでしょうか?東京市、東京府が東京都になるのが、昭和18年(1943年)7月、まぁ、ここで東京市電氣局の市営電車が東京都交通局の都営電車になる訳ですが、その殆どが昭和42年(1967年)~昭和47年(1972年)の間に廃止されます。荒川線を除いて、戦中に2年、戦後に22年~27年間の画然たる歴史があります。また、それ以前の馬車鉄道を引き継いだ私鉄時代から含めての約40年に亘る市電(東京市電車)の歴史があります。どの時期をもって

     以前の都電が東京の地下を走っていたとしたら、

と言う仮定の条件の対象になるのでしょうか?

      かつて東京には網の目のように都電の線路が張りめぐらされていた。都電の路線(系統)は三
     〇も四〇もあって、同じ停留所に新宿行きもくれば、渋谷行きもきた。都電は一両編成でスピー
     ドも速くなかったが、行き先にはバラエティがあった。いまの地下鉄にも勝っていた点である。

 まったくもって意味不明な記述ですな。都電系統は最盛期で38系統、系統番号は臨時を除いて41系統までありました、そんなことは秋庭さんの著作の最後に挙げられている、盗用、無断複写転載の犯行履歴たる「参考文献一覧」にあるものから正確な事実が直ぐに明らかに出来るでしょうに。
 「行き先にバラエティがあった。いまの地下鉄にも勝っていた点である。」それって、いまの都営バスや、東急、京王、小田急、京成、国際、関東、京浜、西武、東武の各バスの運行形態でもあるんじゃないでしょうか?
 何か意味があるんですか?
 地下鉄にしても、同じ停車場、停留所に、行く先の異なる大型、長大編成の電車列車がやってきますが東京地下鉄東西線の各駅には千葉方、「西船橋」と「東葉勝田台」行きが来ますし、都営地下鉄浅草線の各駅には、泉岳寺方で「西馬込」、「羽田空港」、「京急久里浜」、「三崎口」行きが、押上方で「京成高砂」、「京成青砥」、「京成佐倉」、「印西牧の原」、「印旛日本医大」とか、南北線白金高輪駅では、「赤羽岩淵」なんてのから、「西高島平」行きも来ますし。有楽町線では、「森林公園」、「川越市」、「小手指」行きがありますし。

     各路線の都電はしばらく同じ線路を走った後、新宿行きは右に曲がり、渋谷行きはその先で左
     に曲がっていた。

そんな路線あったかな?「新宿行きは右に曲がり、渋谷行きはその先で左に曲がっていた。」実際にそんな動きを見せる系統?東京駅方から見て、新宿は西、渋谷は南西だから、新宿は右で、渋谷は左と思いついただけなんじゃないのかな?

     曲がった先でも、それぞれが他の路線と線路を共有していた。都電の線路には、つまり、数多く
     の分岐と合流があった。

 それが何故可能であったか、秋庭さんは考えたことも無いんだろうな。
 一点目、「高速鉄道」でなかったことが可能にした。二点目「地上」の鉄道であったから可能であった。
 と言うことを。現行軌道法でも最高速度は40キロ、分岐等における信号所、道路信号以外は全て目視による運転。
 数多くの分岐と合流がこの二点で成り立っていたことを。

    仮に東京の地下にそんな都電綱ができていたとした
    ら、どんなことが起こるだろうか。

 貴方は、前方に何があるか見えない隧道の中を、頼りない前照灯だけで運転できるだろうか?あるいは、運転を委ねて乗っていられるだろうか?現代の高速鉄道、表定速度が40キロを切る日比谷線にですら、地下での分岐合流の無い日比谷線ですら、どれだけの信号、保安設備が完備されていることか。
 まず、物理的に運行が困難と言う点において、東京の地下にそんな都電網を作る合理性も、可能性も、一切無い。「仮」の話でも無い、ありません。

     戦後、そのトンネルに渋谷行きの地下鉄を走らせると決めれ
     ば、その分岐点から新宿へ向かうトンネルには、もう地下鉄はこないことになる。そこにはいく
     らトンネルがあっても、もう、鉄道には利用できない。

 何故?何で?秋庭妄想界では都電で可能なことが、何故地下鉄で渋谷行きと新宿行きを同時に走らせることが出来ない?分岐と合流。自由に渋谷と新宿に行ければ便利じゃないですか?合理的じゃないですか?たとえ秋庭さんの妄想の中でも。渋谷と新宿に向けて地下鉄を建設すると戦後公表すりゃすんだことではありますまいか?
 戦後渋谷へ行くと決めた地下鉄って半蔵門線と副都心線なのかな?以下のお話は丸ノ内線っだったり、都営新宿線だったりで、仰る事と大分食い違いがあるのではありますまいか。

     都営新宿線の線路幅は、都電と同じである。市ヶ谷を出た都営新宿線は、新宿三丁目を通過
     し、京王線へと乗り入れている。が、かつて新宿三丁目に分岐点があって、そこから新宿駅の大
     ガードヘとトンネルが通じていたら、そのトンネルはもう鉄道には使えなくなる。

 線路幅が都電と同じなことが、何か都営新宿線と秋庭さんの、妄想地下の都電網と合理的な接点の説明になるのだろうか?車両限界も建築限界もまるっきり異なる乗物、何故都営新宿線新宿三丁目駅が新宿三丁目九番と言う、民地の下にあるのか?設計上の車両限界により20m車があそこでは道路下で曲がれないからではないのか?
 都営新宿線や京王線の1,372mmより狭い3フィート6インチ1,067mmの線路の上を走るJR山手線の電車は、70年前から今の山手線と殆ど変わらない全幅、全高、全長で、都電(市電)よりはるかに大きなもので、既に今の都営地下鉄新宿線、京王線の車両とほぼ同じ大きさでした。線路幅が同じことに何の意味も無いのです。都営地下鉄新宿線が1,372mm軌間になった理由は京王線側が標準軌改軌に消極的だったからで、都側の都合ではありませんでした。

     地下街にするか、地下駐車場にするか、地下歩道にするか、ギャラリーにでもする以外に再利用
    の道はない。

秋庭さんの得意の地下鉄道、地下高速道路二階建て説どこへ行ったんでしょうか?地下道路に何故しないんでしょうか?何でギャラリーなんでしょうか?唐突ですね、東長寺と言うギミックがたまたまあったから、と言うのがあからさまで笑えますね。地下空間の利用方法ならば、大好きな防空壕はどこへ行ったんでしょうか?都営新宿線が開通した時、突然として新宿三丁目駅の向かい側の地下ヌード劇場が開館したけど、あれもヌード劇場にでもする以外に再利用の道は無かったんでしょうか。

      先述した新宿プリンスホテルの地下駐車場は、深夜一一時に出入口が閉まってしまうが、新宿
     三丁目のアドホック地下駐車場に入ると、そこからホテルまでトンネルが通じている。何もない
     ところにホテルと地下街を建設したら、そんなことが起こるとは思わないが、そこにかつて都電
     が走っていたなら、当然の帰結である。

「仮」の話が「当然の帰結」となる理由がどこにも見当たらないのですが。まぁ、この件、例によって上記では「サブナードの地下駐車場」が省略されていますが、この手法による歪曲の帰結については、mori-chi さんのここと、本wiki のここで断じさせていただいております。

      新宿・東長寺は、靖国通りの近くにある。都営新宿線が開通した後、この寺には突然、地下ギ
     ャラリー、地下博物館がオープンした。寺の地下というロケーションがおもしろいと、若手の芸
     術家がすぐに集まったが、それはいつ誰が建設したトンネルで、そのトンネルは本当にその寺で
     終わりだったのだろうか。そのまま行くと丸ノ内線の新宿御苑駅があって、この駅の上り下りの
     ホームは中心がズレていて、いかにも、右手後方から本線の線路に合流できそうな構造になつて
     いるのは偶然だろうか。

 この件については、本wikiのここに彼の捏造の顛末を記しております。

     地下鉄丸ノ内線は当初、靖国通りで新宿へと至る予定だったが、この区間を建設している最中
    にルートが変更され、新宿通り経由で新宿駅に行くことになった。営団地下鉄は一九五六 (昭和
    31)年、工事の申請をやり直すとした文書の最後で次のように述べている。

        なお、昭和31年5月17日付営発第249号をもって申請の四ツ谷・新宿三丁目間分割工事
       施行許可申請書中、新宿三丁目停車場については、これを新宿三丁目停留場に変更いたした
       につき、追って右変更の手続きをいたします。

 この件についての歪曲の詳細と以下の記述については、──虚言の極北 「新宿・都営軌道」 (((((-_-;)ヒエェー虚言の極北 「新宿・都営軌道」 ヒィィィィィ(゚◇゚;ノ)ノ ── をご覧ください。

      おわかりだろうか。靖国通りに建設する予定だった新宿三丁目駅は、まだ、工事の申請段階だ
     ったにもかかわらず、ルートが変更になったとたん、あっというまに新宿三丁目停留場に変更さ
     れたということである。停車場は地下鉄丸ノ内線の駅のこと、停留場というのは都電の停留場だ
     ったはずである。
      その新宿三丁目停留場があった場所が新宿アドホック、新宿区役所の目の前である。このアド
     ホックのとなりは、新宿・伊勢丹。アドホックも伊勢丹も、もともと、巨大な都電の車庫の一部
     を譲られたものである。

      都営新宿線が建設されるにあたって、建設省は東京都に次の (イ) から (ホ) の五つの指示を
     出していた。『78土木工事施行例集』 からの引用である。

       (イ) 国鉄営業線の真下を通過すること
       (ロ) (省略)
       (ハ)国鉄線の下を通過した先には、線路保護の石垣があり、基地は外堀内になること
       (ニ)営業線を背負うことから絶対安全な工法を取ること
       (ホ)なるべく線路をいじらないですむ工法にすること

      つまり、そこには都電用の線路が敷設されていて、線路保護のための石垣もすでにあって、都
     営新宿線は京王線に乗り入れるから、なるべく線路をいじらずにそのまま乗り入れろということ
     である。新宿三丁目に停留場があったように、市ヶ谷の外堀の下にも停留場があったのではない
     だろうか。その停留場が大切だから、大正通りは外堀を東西に横断することができず、靖国通り
     になったのだと思う。そしてその停留場は形を変えながらも、依然としてそこにあるのではない
     かと思う。国民には極秘の地下都電は、関係者の間では「都営軌道」と呼ばれていたように思わ
     れる節がある。

 じゃーっ、「都電」は何て呼ばれていたんでしょうか?都電ってのは「都営電車条例」に基づく軌道線のことではなかったんでしょうか?関係者は「極秘の地下」都電と都電をどう区別していたのか?
 「極秘の地下」の分が「都営軌道」と言うのは、「本来なら反則だと」思いますけど(笑